安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年06月

 本日、BSフジにて竹原が登場するドラマ『山村美沙サスペンス 小京都連続殺人事件~スパイスは復讐の味~』の再放送版が放映された。小吹の竹林で殺人事件が起こり、竹原を取材に来ていた主人公が第一発見者になってしまい要らぬおせっかいをしてしまうが、最終的には事件を見事に解決してしまうというストーリーである。これと同じ流れのドラマを過去に観たことが有ったが、これは初めて見るものである。やはり尾道と抱き合わせでの舞台移動なのだが、竹原が登場するのは冒頭5分程度で、忠海鉄橋・竹原駅・芸陽バス停・街並み保存地区の通り、小吹の竹林と取材対象となった「ほり川」と「魚飯」程度だった。竹原の発音が「竹原ピストル」となっていたのは相変わらずだ。
 竹原駅の芸陽バス停がプレハブではなかったので、かなり古い作品と思われる。調べてみると2012年放映で主演は浅野温子・小泉孝太郎によるシリーズ第1作。
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01#:『山村美沙サスペンス 小京都連続殺人事件』(2020/06/15 BSフジテレビ放映)

 ドラマのストーリーは『山村美沙サスペンス 小京都連続殺人事件~スパイスは復讐の味~』を参照してほしい。登場した場所については以下であった。

・満月の深夜、小吹の竹林で殺人事件発生。(佐渡農園内)
・「歴史と文化の町 竹原にまたどうぞ」の看板(忠海?)
・地図で竹原をズームイン
・呉線は二窓カーブではなく三原市側の国道上から撮られたもの。
 車両はゆうパックカラーの二両編成(三原行)
・忠海の鉄橋を三原方面へ走るゆうパックカラー二両編成(消防署辺りから撮影)
・普明閣から撮られた竹原町のパノラマ。
・竹鶴酒造~笠井邸方面を撮影、ギャラリー梅谷も映る。
・竹原歴史民俗資料館前を散策する観光客
・まちなみ竹工房~胡堂を撮影
・初代郵便局跡
・日の丸写真館(旧)を住吉箸から撮影
・水儀支店屋上から礒辺旅館~竹鶴酒造を俯瞰
 タイトル『山村美沙サスペンス 小京都連続殺人事件~スパイスは復讐の味~』が出る。
・竹原駅ロータリーの時計台と「よう来てつかァさったのゥ」看板
・「竹」の字が曲がった竹原駅の壁
・竹原駅の入口
・芸陽バス停(旧)-シルエット隣
・芸陽バス車両到着(安芸津駅、東広島駅経由、西条駅行/新庄かんぽの宿たけはら行)
・安芸の小京都と呼ばれている由来の説明
・お好み焼き生地へ酒を混ぜる場面だが、混ぜている酒は「地酒 純米吟醸 ●州櫻」
・「ほり川」の鉄板カウンター席、たけはら焼の紹介(堀川さん登場)
 これが竹原取材の場面1
・「ほり川」店頭で不審者とぶつかる
・板屋小路?
・どこかの茅葺屋敷
・塩田写真による塩田の歴史紹介
・魚飯の紹介(食事場面は森川邸かも?)
・小吹地区竹林へ(佐渡農園さん案内?)
・竹林で筍を取材中に殺人死体を見つける。
・警察による現場検証(竹原警察署ではなさそう)
・場面は尾道へ切り替わる
~以後、すべて尾道と東京
・エンドクレジット
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#02-04:エンドクレジット(2020/06/15 BSフジテレビ放映)

以上、制作:フジテレビ、制作著作:ホリプロ

 中古の軽を購入してからは、竹原市内を移動する範囲が格段に拡がったのだが、駐車場がない場所では逆に(徒歩で)散策する範囲が狭くなってしまった。吉名町や忠海町などは幅員の狭い道が毛細血管のように走っており、自転車ならばその辺に停めて散策し「これは!!」と感じるものを即写真に収めることができたのだが、運転しながらではそれも不可。狭い街並みの中を巡って色々と撮るには不便なのだが、徒歩や自転車では行けない場所を訪れることは可能となった。その最初に訪れた場所が「仁賀ダム」であった。
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#01-02:仁賀ダム(2020/04/14撮影)

 ここを訪れるのは7年ぶりぐぐらいかも。ダムが完成して「仁賀れんげまつり」が完結し、ダムの水位次第では水没しそうな場所にできた多目的広場か未だ工事中であった頃だった。今回はダム湖の周囲を一周してからダム本体上の道路を通ってみた。ダム湖の色は写真の通りエメラルド・グリーンなのだが、南国の海と違って透明度は皆無。湖面に浮かぶブイの連結は、流木がダム取水口へ入るのを防ぐためのものだ。賀茂川治水を目的とした仁賀ダムだけでは「あばれ川」と呼ばれている賀茂川の氾濫を防げなかったのか、現在、東野町から成井までの賀茂川では、重機使って河川内に溜まった土砂(中州状)を取り除く工事が進行中である。賀茂川の土手が決壊すると、東野町、竹原町、下野町や塩町は床上浸水となる場所も多数ある。特に田畑だった新開エリアの新興住宅地は甚大な被害となるであろう。その事前対策がこの賀茂川の水害対策工事なのかもしれない。
 さてダムといえば「ダムカード」だが、仁賀ダムのカードもあるようだ。カードのような高度上空からの広域撮影は航空機かヘリでないと撮れないのが悔しいが、地上からの撮影ならではのものがこれである。
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#03-04:仁賀ダムからの覗き込み(2020/04/14撮影)


今月は自治会の月番。配る回覧板の広報竹原に「竹細工ワークショップ開催」の記事があり、興味を持ったカミさんが本日参加してきた。開催場所は「道の駅たけはら」の1Fでレストラン横の通路に机が置かれた所だったらしい。募集枠は3部あり、1つの募集が最大5名。1部開催は2名だったとのこと。このワークショップの開催は、京都伝統工芸大学校から、竹細工の技術を学ぶために竹原へ移住された5人によるもの。
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#01:竹細工体験ワークショップのリーフレット(2020/06/13入手)

ワークショップの開催時間は約1時間。指導を受けながら竹籠を編んだそうだ。両手に収まるよう小振りに編んでみたが、網目の隙間が狭くなって竹を通すのに苦労したそうだ。薄く削がれた竹を曲げながら編んでゆくので指の関節に力が要ることに予想外だったらしい。そしてできた作品がこれである。
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#02-04:竹細工体験ワークショップの参加作品(2020/06/13入手)

出来栄えの良し悪しは分からないが、これに飴を入れておくそうだ。これはアンガールズ出演「元就。」で「まちなみ竹工房」が出た時に「わらしべ交換」した物がこの竹籠と同じ型だった。

「道の駅たけはら」を訪れた時にこの「お知らせ」立て看板を見つけた。昨年かそれ以前に竹原でロケされた『るろうに剣心』の実写版映画がコロナの影響で来年まで延期となったことのお知らせだった。
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#01:お知らせ看板(2020/06/07撮影)

その詳細については主演の佐藤健さんと大友啓史監督のコメントの印刷物も添付されていた。
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#02:延期コメント(2020/06/07撮影)

「るろうに剣心」については画質が荒く4:3画面時代のアニメを衛星放送か何かで1,2話程度観たことはあったが、登場人物やストーリーなどについては知らない。その実写版が竹原の保存地区でロケされたことは、SNS系か竹原の広報などで知ってはいたが、御影石の石畳に土が撒かれて隠されたことぐらいであった。そのロケ現場の写真も添えられていたが、町並み保存センター付近のようで何だか違う気もする。古民家は殆どそのまま使うとして、保存センターや現代家屋は何かを被せたのだろうか。側溝はそのままのようだが、英字看板があるので「るろうに剣心」も「銀魂」のような世界なのだろうか。何も知らんでゴメン。
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#03:ロケ現場写真(2020/06/07撮影)

「時かけ」、「悪霊島」、「サスペンス劇場」各種、「この世界の片隅で(実写版)」、「潔く柔く」そして「マッサン」などなど、これまで全てロケ現場を生で見た経験がなかったが、これからは野次馬にもなれるし、もしかしたらエキストラとして映してもらえるかも。そういえば嵐のCM交通規制とロケバス移動中には遭遇したかも。

最後に出演者のサイン色紙だが、有村架純さんのは無いの?忠海そのままロケ地映画「花田少年史」に出演していた北村一輝さんのは?
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#04:出演者のサイン色紙(2020/06/07撮影)

 毎年4月中旬に開催される忠海の「宮床さん」は中止になっていた。「宮床さん」を訪れたのは小学生の頃に1度だけ。「宮床さん」は宮床にある床浦神社の春を告げる大祭なのだが、いつのまにか名称が「宮床まつり」に変わっていた。掛町の夏祭りである「すみよっさん」がいつのまにか「竹原住吉まつり」に変わり、礒宮八幡神社の「ぎょんさん」もいつのまにか「秋の例大祭」となっていた。馴染みのあった祭りの名が変わったのがいつ頃なのか、それはどのような経緯なのかを知らないまま40年弱経って竹原への帰郷。「竹原に帰った」ことを実感したくて色々と訪れてみたかったが不要不急の外出自粛要請でウズウズしながらタイミングを失ってしまった。
 そんな中、初めて「これが竹原」を感じたのが、人生の先輩方との会話で「やんじょくさ~のぉ」との方言を聞いた時であった。もう20年近く聞けなかった「竹原弁」のひとつである。竹原にまだその意味か分かる人はどのくらいおるんかのぉ?
 さて訪れる予定だった「宮床さん」だがコロナで中止となってしまい、その床浦神社のある床浦海岸を訪れてみた。自動車でのアクセスは少々困難だが、呉線を跨ぐ国道185号線辺りから南へ下る新しいT字路の先に鳥居がある。その手前の狭い路地へ右折すると50m程度で床浦神社の境内に到達する。その境内の向こうが床浦海岸である。
 ここは自薦の絶景スポットなのだが、メディアで紹介されたのは海岸西際に有った「石風呂岩乃屋」程度であった。床浦海岸は遠浅で海水浴ができ、何といても海岸に鳥居が建っていることが印象的である。
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#01:床浦海岸(2020/06/09撮影)

 その鳥居の正面枠から遥か彼方に見えるのが大久野島なのである。
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#02:鳥居の向こうに大久野島(2020/06/09撮影)

 境内には自動車が数台停まっていたが、防潮堤の隙間から海岸を覗くと誰一人居なそうだのでカメラを構えたところ、砂浜にしゃがんでいたオジさんが立ち上がって挨拶。腕の「あせも」を治すため波打ち際で海水に浸けていたそうである。あせもが相当ひどかったが、何度も浸けていたら完治寸前まで治せたみたいだ。「石風呂岩乃屋」の体験話で盛り上がったが、石風呂でのぼせたら海へ飛び込んでいたとのこと。気が付けはお互いにネイティブな「竹原弁」で会話しいてるではないか。おじさんが歩いて帰った後、絶景の撮影を始めた。
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#03-05:床浦海岸(2020/06/09撮影)

「石風呂岩乃屋」は西側の突堤の先に有ったのだが、突堤の根元が私有地の敷地内となっており踏み込めなかった。
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#06:石風呂岩乃屋側(2020/06/09撮影)

そしてこれが昭和時代に東洋一高い送電鉄塔だった鉄塔である。
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#07:東洋一高い送電鉄塔(2020/06/09撮影)

大潮の干潮時に訪れたかったが、満潮から潮が引いているときだった。この日の満潮時は下から石段4段分が浸かっていたとオジサンの話。
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#08-10:波打ち際(2020/06/09撮影)

 そしてこれが床浦神社である。旧ホームページで詳細は紹介済みなので割愛する。

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#11:床浦神社(2020/06/09撮影)

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