安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年07月

 竹原は絶滅危惧種で生きた化石であるカブトガニの生息地としても知られている。10年以上前だが、関東のテレビ番組で干潟の生物を研究する学生が紹介され、その生息地が竹原市吉名町の入り江であった。昭和時代の竹原ではカブトガニはさほど珍しい生物ではなく、日常的とはいえないが目撃・確保できる機会は多かった。どこからどう来たのか竹原小学校の足洗い場にカブトガニが現れたこともあった。甲羅をつかんで持ち上げると伊勢海老のような足がウネウネ動いていたのを今も鮮明に覚えている。竹原ではハチの干潟から梅ヶ浜まで辺りが生息地とのことだが、私の場合、ハチの潮干狩りではカブトガニを目撃したことは一度も無かった。

 そのテレビ番組が何だったかはもう忘れてしまったが、右手に鉄塔が建っている遠浅の干潟が有る入り江が映り、吉名町の海岸沿いで該当する場所といえば平方地区のここである。アクセスが危険なハチとは違って道路沿いから容易に干潟へと入ることができる。
(2020/07/19撮影)
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 この場所ではなかったが、昨年に開催された「ハチ干潟観察会 生きた化石カブトガニを見に行こう!」の報告書がネット公開されている。また詳細な研究結果は竹原書院図書館で閲覧ができる。

 旧ホームページ記載の「1171 閉校された小梨小学校」(2004年撮影)と「1539 小梨小学校の跡地」(2011年撮影)から10年以上が経過した小梨小跡地の様子。校庭の遊具は未だ残っていたが、正門の木製校名看板や二宮金次郎像は消えていた。奥に見える建物は地図では小梨会館・公民館だが、この広大な跡地自体の名称は付いていなかった。
(2020/07/28撮影)
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 校門の校名は取り外されたがこの「校内での犬の散歩を禁ずる。学校長」の看板がそのまま残されているのが何だか興味深い。もしも公園ならば伸縮フェンスが開放されているか、そもそもフェンス自体が不要のはず。自由に出入り出来るはずだし「校内」を消して「公園内」にしているはず。ということはここは「公園」ではなく町内の管理地扱いのようである。
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 校門前の道路には、このような「狩猟マナーを守って矢先確認」の看板もある。「えっ??小梨では弓矢で猟?」と一瞬考えたが、猟銃を使用する場合もこの表現が使われているようだ。
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 跡地の県道沿いにも、このような掲示板も残っていた。相田みつを名言のような貼り紙が3枚。なぜか宮原の浄念寺のお知らせも。掲示板の右横にある看板の文字も色褪せて読めなくなっていた。撮っておいた写真から「一人一人の気くばりで 明るくきれいな 町づくり」と書かれていたのである。
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 掲示板の左の脇道には新たな案内板が設置されていた。「大歳神社」と「十八原穀神社」、「夫婦桜」、そして「山の神様」。
 竹原書院図書館で借りた「神仏を訪ねて」を探すと全て載っていた。大歳神社は学校跡地の近くで鳥居と祠の有る五穀豊穣の信仰の神。十八原穀神社は校門前の道からかなり先で祠だけの神社(雨乞いの神/牛の神、十八原は神社がある旧町名)で御神体は鏡餅の様な石である。山の神様は、「山ノ神社」で小さな祠を覆う大きな祠が作られている。
 夫婦桜は「たけはら観光ナビ」に写真と詳細が記載されている。公民館に車を停めて徒歩3分で行けるようだ。
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 竹原市の観光スポットのひとつに「横大道古墳群」があるのだが訪れたことはない。場所は新庄町から河内町へ上がる国道432号の途中から入るのだが、10年ぐらい前にステップワゴンでトライしてはみたものの、道が狭すぎて何処をどう行けば良いのか分からず途中で断念。ならば自転車でと再トライしたが経路がサッパリだった。今回は軽自動車でのトライしたところ観光スポットに挙げられたことから新設のガイド看板を見つけることができた。だが、看板通りに狭い道を進んだものの途中から看板が「古墳道」に変わり、自動車では通行不可までの幅員となって引き返したのであった。
 今回のトライは下の地図の赤ラインである。本地図では「横大道古墳群」は書かれていない。
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 見付けたガイド看板は3枚程度だった。新設されていた看板はこのようなもの。
(2020/07/28撮影)
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 道なりに進むが、徐々に道幅が狭くなって薄暗くなる。途中から看板が「古墳道」に変わったが、この道を進めは「横大道古墳群」に到達するものと信じて更に進んだ。
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 ・・・だが、ガイド看板通りに進むと、これ以上は軽自動車でも入れない三叉路となったので引き返すことにした。
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 引き返していた途中、右頭上に「横大道古墳群」と書かれていそうな説明板を発見!だが、ここへは歩いて上る道となっており、周りに自動車を停めるスペースもない。どうやら「横大道古墳群」へは自動車では無理だったようだ。新庄町の代表的な観光スポットなので容易に辿り着けるものと思っていたが甘かった。仕方なく曲がって入った国道へと戻るしかない。
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 別な地図で「横大道古墳群」の場所を確認したところ、やはり自動車で通れる道からはかなり外れていた。この観光スポットへ行くには、先ずは何処に車を停めて、どこから山道へと進めばよいのだろうか?
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 「横大道古墳群」に関しては、ネット上に「古墳マップ」というサイトがあるので参考にしてほしい。旅行サイトの「じゃらん」にも観光ガイドに「横大道古墳群」が紹介されている。経路はバスで降りて徒歩15分とのことであった。

 新開にパルティフジができた当時に「MAC HOUSE(ジーンズ&カジュアル店)」だった店舗跡が現在は市立竹原書院図書館になっている。図書館になる前が何だったのか、いつ頃に図書館となったのかも全く覚えていない。そもそもナフコ手前に有った図書館がなぜパルティへ引っ越したのか?現在の歴史民俗資料館が図書館だった頃を含めて図書館で本を借りたことは一度もなかったのだが、じっくりと見たかった本が市立竹原書院図書館に有ることを知り、本日、初めて訪れて本を借りることができたのである。

 以下の写真は2003年夏に撮ったパルティフジで開催された夏祭りの様子である。青い看板がその「MAC HOUSE」である。
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 そして現在は市立竹原書院図書館となっている。
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 ここで借りたかった本が「たけはらの神仏を訪ねて(著:神野勝)」である。かなり前に日の丸カフェでこの本を知ったのだが、一般には販売されておらず部数も少ないとのことだった。市立竹原書院図書館には2冊が所蔵されており、著者である神野勝氏自らの寄贈。手に入れることはできないが、これからは撮った写真の社寺を調べたくなった時は図書館を訪れれば良い。例えばブログに書いた超秘境の観音淵の祠でさえも、ちゃんとP377に「淵観音堂」として写真や謂れが載っているのである。
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 これが図書館で借りた袋。必ずこれに本を入れて持ち帰る必要はないのだが、雨で濡らしたくないし、まだ「かぐやパンダ」が存在しない頃に作られたものなので借りた。
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 これが今回初めて作った図書館利用者カード。竹原市民であれば特に身分証無しでも登録シート(住所、氏名、生年月日、性別、連絡先電話番号など)を記入するたけでカードが作成してもらえる。次回から本を借りる時は本カードと一緒にカウンターへ亭主すればよい。一度に借りられる本は20冊までで返却期限は最長2週間である。本カードのデザインはゼゴンドウ(スナメリ)と町並み保存地区なのだが、これも「かぐやパンダ」前に作られたままのものである。
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 竹原市に関する書籍は館内北側の壁の棚に多数有るのだが、私が借りたい本の半数が「禁帯出」であった。

 県道333号線から賀茂川源流へ分岐する市道の始まりにも「淵」といえる個所がある。この辺りは数件の民家が点在しており、草木が茂っていない道路が舗装されているので解放感のある清流が眺められる。何と言っても上を仰げば空が見えるのが嬉しい。ここから100mも進めば徐々に左右に草木が茂って空も木漏れ日だけとなって薄暗くなる。

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 この辺りならサンダル履きで安心して川へも入れるし、ハゼ、メダカやアユなどが網ですくえそうである。以前のブログで紹介した多目的広場とここの河川は、人工的な感じが最も少なく川面へも容易に近づくことができる。
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 この橋からの眺めも素晴らしい。
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