安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年07月

 3月に訪れた時にリニューアル工事中による休館だった「道の駅たけはら」が4月5日にオープンした。その後、何度か休憩のため一休みした際に売店や2Fが改装されたことは確認。だが、洋式?レストランが和風式へと変わったことを知ったのは5月頃だった。いつのまにか外観の竹の柵が無くなってオープンテラス席となり、大きな和風の暖簾が垂れていたのを見て初めてレストランの改装を知った。
 以前に道の駅たけはらのレストランを訪れたのは数年前で、竹原市内にある数か所の食事処でそれぞれの店が工夫した「いもタコカレー」を食べ比べしていた際に一度だけである。なかなか営業中時に行けなかった宗良庵への1度と計2店を訪れたのだが、とうとう他店へは行けずにキャンンは終了してしまったようだ。
 
 7月の連休は家族で呉の大和ミュージアムへ出かける予定だったが、あいにくの雨天のため近場での昼食となった。せっかくなら初めて訪れる店、そこで思いついたのがリニューアル後の道の駅のレストランだった。13時頃に駐車場を訪れると満車だったが、残り少ない空へ停めることができた。丁度、七夕まつりのイベント中だったが客はそこそこ。満車の駐車場に停めた殆どの客は保存地区へ行ったのであろうか?
 レストラン入口は旧店と変わりなさそう。中へ入ると「いもタコカレー」時と比べて激変はしていないようだ。ただ、コロナ対策で向かい合わせとならないよう片側にしか椅子がない。家族3人で座ったが、本来の4人席2つへ2+1人横並びに座るという、まるでホームドラマの食卓でカメラへ背を向けた席だけ空いているような食事となった。メニューは朝食用(9~11時)、昼食用(11~14時)、休憩用?(14時~)の3種類があり、テイクアウト弁当もあり。これらは本来のメニューではなくコロナ対応用だと思われる。
 注文したのは「天婦羅御膳」、「峠下牛ローストビーフ丼」が売り切れで「カツ丼」、「具沢山冷麺」である。横並びのため3種を写真に撮ることができなかったが、メニューと注文料理のうち2種に店内の様子を紹介する。
(2020/07/26撮影)

これが昼食用メニー表面(お昼のお品書き)と裏面(お昼のお品書き/土日祝日用)
#01
#02

 これが天婦羅御膳
#03
#04

 これがカツ丼
#05

 恒例の完食写真。
#06

 店内の様子。丁度、食べ終わった頃には全空席となっていた。
#07
#08

 今、リニューアル当時の新聞記事を見て気が付いたのだが、竹原の郷土料理「魚飯」がここでも食べられるんだったのか・・・。昼食用以外のメニューに載っていたのか見逃してしまったようだ。



 

 試運転中ブログの「バタンコ」記事で書いていた「遊のやかた きよみ」の概観が変わっていた。場所は街並み保存地区内の胡堂はす向かいである。竹原びいきのテレビ東京で制作放映された「昼めし旅~あなたのご飯見せてください~」にて具志堅さんが竹原を訪問された回(なぜか価格.COMに詳細情報あり)にて、ここが書道教室であったことを知った。放映は2016年7月だったが、放映時の教室名は「遊のやかた きよみ」だったが、現在は「遊館きよみ」となっている。いつ頃変わったのか?「遊館」を「遊のやかた」と読むのか?その当時に撮っていた写真を保存データを探ればよいのだが数時間はかかるので気力がない。教室の概観も刻々と変化しており、記憶の限りでは嵐による旅CMで胡堂の手裏剣格子が登場した頃ぐらいからコントラストが増したような気もする。特にサイドの壁面に描かれたクローバーとハートのさり気無さに好感が持てる。今回はその概観の様子を軽く紹介。(2020/07/12撮影)
#01
#02
#03
#04

 やはり気になって眠れないので保存データから探し出した。2015年の「たけはら竹まつり」時に撮影したものであるが、拡大してみたら教室名が「遊館きよみ」であった。はて?「遊館きよみ」が、なぜ番組では「遊のやかた きよみ」と表記されていたのだろうか?漢字と読みが違うなら「遊館きよみ(読み:遊のやかた きよみ)」と書かれていても良いはず。
#05
#06


 O2へ行く前に立ち寄ったのが竹原マリンがある「梅ヶ浜海水浴場」。海水浴場と名がついているが、夏にここを訪れるも海水浴をしている光景を未だ見たことが無い。・・が、私よりかなりの年配でここで泳いだ経験が有るという知人がいた。満潮時なのにどこまで沖へ歩いて行っても深くならない超遠浅さだったらしい。今回、大潮の干潮時だったので浪打際まで歩いて行ったが、岸から50m程度あったと思う。もう海開き時期は過ぎたはずであり、蒸し暑い日曜日だったのだがここに居たのは私ひとり。
(2020/07/19撮影)
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10
#11
#12
#13
#14
#15
#16
#17
#18
#19
#20
#21
#22
#23
#24
#25
#26
#27
#28
#29
#30

 写真を撮った際には知らなかっのだが、竹原マリンの向こう側がO2姉妹店を建てるため造成中であった。ここはかなり昔にリゾート地化計画があったらしく、現在は先端に「バーベキューハウス宗越」がある。宗越園へ上がる道の途中に入口があるらしいのだが、それらしき看板は見当たらず、宗越園と関連が有るのか「吉名むなこしグラウンドゴルフ場」への看板のみだった。Google Map写真で見るとグラウンド・ゴルフができる広大な施設があるようで、その終端にバーベキューハウス宗越のハウスがある。ここはほぼ360度パノラマで瀬戸内海が眺められる絶景スポットに違いない。
#31
#32


 毛木海岸~吉名港の県道464号線を走ると公園の様な広大な敷地が海側に見える。ここは三井金属の敷地で関係者以外は中へは入れないが、県道沿いからの景観が「無駄過ぎるぐらいに?」素晴らしいのである。Google Mapでもその広さが分かり、マツダスタジアムならば3つ入る計算。

 ここは三井金属竹原製錬所の「たい積場」であり、掛之浦という場所が徐々に埋め立てられ整地されているようで、これまでも何度か眺めたことがあるが数年単位の経過で敷地内の様子が変わっている。約10年前は全区域がゴルフ場のような緑で覆われていたが、数年前は半分程度が灰色の更地になっていた。当初はリゾート的な公園が造成されているのかと思ったが、長年経過しても完成する様子はない。20年以上前にこの辺りが三井金属のたい積場跡地で掛之浦という地名であることは知ったが、それらしき跡地は見当たらなかった。そして今回、ここを再び訪れた時に、県道沿いに立てられていた看板でここがその「掛之浦たい積場」であって、現在は「跡地」ではなく埋立中であることを知る。

(2020/07/19撮影)
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09


 7月19日、吉名の「ハンバーガー&タコライス O2」から戻る際に「賀茂の切り抜き」に架かる皆実橋を渡っていたところ、干潮時にハチの干潟へ行くことができる浅瀬を歩く人を初めて目撃。橋の下には子連れの家族もいる。丁度、大潮の干潮時だったようで賀茂川が干潟となっていたのである。とはいえハチへ行くには切り抜かれた岩肌伝いだけでは到底無理。危険な浅瀬を恐る恐る突き進む部分もかなりの距離が有る。一歩踏み外せば賀茂川の深みへ沈むし、浅瀬で滑れば得体のしれないもの引きずり込まれる。少々大袈裟だがそれが私の「ハチの干潟」の印象である。
 その浅瀬を歩く人を見てしまったことで冒険心に火が点いてしまった。車を土手へ停めて、岩肌をどこまで進めるか確かめてみることにした。
#01
#02

 皆実橋から見ると普段よりかなりの浅瀬になっている。岩肌の勾配も急で20m程度の区間は浅瀬内を歩かなければ干潟へ到達できないことがわかる。
#03
#04
#05
#06

 橋の脇から崖伝いに砂地へ下りてみると意外に固い。ズブズブ足が沈むかヌルッと滑りやすいかと思われたが、更に先へ進めそうだったので普段のシューズでどこまで行けるか挑戦してみた。だが、砂地を過ぎると泥地へと変わり崖面もズルズル滑ってまともには歩けそうもない。
#07
#08
#09
#10

 ここから先は賀茂川へ滑り落ちること間違いなし。サンダル履きならば浅瀬を進めるのだが諦めてこき返すことにした。崖には防空壕の跡もあり、普段では眺められない皆実橋をハチ側から撮ることができた。
#11
#12

 砂地には小さな穴が多数あり、片側のツメが大きいシオマネキが群生している。ハチの干潟へ行ければ他の水生生物もたくさん観ることができるのだが・・・。
#13

 ここで諦めるとまた大潮になるまでハチの干潟を訪れるチャンスはない。土手の車へ戻る最中にこの防災マップを見つけた。数年前に山越えしてハチの干潟を訪れたことを思い出した。賀茂の切り抜きの崖伝いをしなくても、今も山越えできる山道が通れれば行ける。だが、梅雨の真っ最中であり、仁賀の秘境のように木々が茂っていれば道さえもないことが考えられる。また、途中には墓地もあり別な意味でも危険な山道である。・・と考えながらも地図の(1)にある山越えの入口へと足が進んでいた。
#14

 そしてその嫌な予感は的中!歩ける部分は雨で湿ってズルズル。草木を掻き分けながら頂上まで到達すると暗闇には墓地が点在し、倒れた竹を除けたり足で踏みながらもなんとか海岸へ出ることができた。ここの藪へまた戻れるように砂浜へ目印の漂流物を置いておいた。
 この辺りは粗い石で歩き難い砂浜でハチの干潟はかなり先である。遠い向こうにはハチ岩も見えている。前回ここを訪れた時はハチ岩まで到達できなかったのだが、もしも可能ならハチ岩に上がってみたくなった。最後にハチ岩に上がったのは50年前かも。未だ潮干狩りで賑わっていた頃である。
#15
#16
#17
#18
#19
#20
#21
#22

 どうやらハチ岩まで行けそうな感じである。浅瀬や干潟がズブズブと沈まなければであるが、恐る恐る歩いてみると5cm程度の沈み。歩きやすい所を探しながらハチ岩へと進む。橋から眺めた時に切り抜きを渡っていた人は見当たらず、この広大なハチの干潟にいるのは私ひとり。何だかスタートレックでの惑星に転送された時のシーンの様な期待と不安あふれる気分だった。そしてやっとハチ岩の手前に到達。
#23
#24
#25
#26
#27
#28
#29
#30
#31

 50年ぶりに再びハチ岩到達!ミカンが入っていた赤いネットとクワをもって「貝掘り」をした頃の懐かしい思い出がよみがえる。この先、ここを再び訪れることはもう無いだろう。ハチ岩に上って撮った写真がこれらである。
#32
#33
#34
#35
#36
#37
#38
#39
#40
#41
#42
#43
#44
#45
#46
#47
#48
#49
#50
#51
#52

 いつまでもここに居たかったが、潮が満ちてくる前に戻らないとマズイ。海上保安庁の監視船が来ると危険だと注意されそうだし、そろそろ目印を付けた所まで戻ることにしよう。
#53
#54
#55
#56
#57
#58
#59
#60
#61
#62

 そしてこれが山越えの出口に置いた目印の竹。この藪に入るとすぐにケモノ道?となるのである。ここから先は両手が空かないと草木を掻き分けられないので写真はない。竹原舞台のアニメ「たまゆら」に登場するプチ秘境のひとつとして「ハチの干潟」ロケーション・ハンティング(現地調査)が行われたが、聖地巡礼ファンが朝日山のように気軽に訪れられる場所ではないことが分かって外された理由が、この賀茂の切り抜きの浅瀬渡りと山越えの怖さだったのである。
#63
#64
#65
#66
#67
#68
#69




↑このページのトップヘ