安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年07月

 帰郷後、中古車を買ったことで久しぶりに訪れることができた仁賀ダムを再び訪れた。その目的は仁賀のホタル飛び交う季節の状況を知りたくて仁賀小プールの傍に有った「ほたるの里」の確認たったが、その際にダム直下側にもある広大な多目的広場へは未だ訪れていなかったことに気が付く。今回はその多目的広場へ初めて訪れた際の詳細を紹介する。
 その多目的広場から眺めたダムがこれである。吐水口に一番近くまで寄れるのがここまで。だが滝のように水しぶきがかかる程の近さではない。

(2020/07/05撮影)
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 これが多目的広場の北側だが、地面に何か絵が描かれているようだ。ダム完成からかなり経過して造られた多目的広場なのだが、上流の貯水側ばかりに気を取られて下流側のこちらの存在を知ったのはかなり経ってからである。この絵の記憶では確か「かぐや姫」だったはず。ダム上部から眺めただけだったが、こんなに不細工だったか?
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 これはダム貯水試験中に実際に使用された吐水口のフタのようだ。
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 この不細工な「かぐや姫」を上から眺めてみたくなったので仁賀ダム上の道路を再訪。だがあまりに絵までが遠すぎてその容姿の確認は不可。絵自体も経年変化で傷んでいるのかトーンが薄くなっている。また、絵手前に生えている草が何か文字のようにも見える。何となく4文字のようで「仁賀ダム」だった痕跡がうかがえる。しかし、この白い車は先ほどからここで何をしているのだろうか?ダム至近距離に近寄った際には運転席に1人乗っていたようだが。
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 ここで思い出したのが仁賀ダム展望台である。ダム湖(芙蓉湖)に架かる橋の手前に有ったその展望台を訪れたのだが、残っていたのはこの説明板のみ。その中の「下流広場」の説明にて「かぐや姫」らしき絵と「にかダム」の文字が描かれていたことが分かった。この「高木ブー風のかぐや姫?」を上空から俯瞰するにはドローン撮影がベストなのだが、この「下流広場」の広大な駐車場へテントを張ってドローンを飛ばして楽しんでいた人が一人いたのを思い出した。
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 的場公園の西側にある渚橋(仮屋谷川)を渡ると的場山の頂上へ通じる登山道がある。この頂上には「三鬼神社(さんきじんじゃ)」が有るのだが、アニメ「たまゆら」で「プチ秘境」のひとつとして名が一瞬登場したことから、地元民よりここを知る人も多いのではと思われる。
 今回、的場を訪れた際に「三鬼神社入口」なる看板を見付け、わざわざこの看板が新調されたワケを知りたくて訪れることにした。ここを訪れるのは8年ぶりぐらいだが、木々が茂っていると頂上からは絶景と言うほどの眺めは得られないことは分かっていた。なので何か新たな整備がされたのではと期待した。(8年前のレポートはこちら

 渚橋から石段を上がり、頂上までの登山道の様子と三鬼神社境内を順番に紹介する。 先ずこれが渚橋である。仁賀映画「かわひらこ」では「たいこばし」として登場していた。
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 渚橋を渡ると始めの石段横に「三鬼神社入口」の看板がある。
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 これを上ると道全体が草の茂みとなっており、この先の道の状態を心配したが、それほどても無さそうであった。所々に「あと何メートル」の案内看板も設けてある。
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 これが2つ目の石段だが苔が生しておりズルリの滑る。
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 石段から先の道からは的場海岸の様子が木々の隙間から見える。
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 三鬼神社まであと350m。なぜか商用車のように「社神鬼三」と書かれているのだが・・。
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 あと273m、「まだまだ」と書かれている。
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 これが3つ目の石段。この石段は前回の記憶には無いのだが、この辺りに広場も有ったはずだが見当たらない。もしかしたら黒滝山の記憶と混ざってしまっている?
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 石段あがれば、あと173mで到着らしい。この石段の上にある不気味な注連縄(しめなわ)が今も垂れていた。ここを潜るといよいよ神社が近いはず。
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 だが、まだまだ道は続く。
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 あと93m。やっと鳥居が見えた!
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 ・・が!この草の茂り様はひどい。予想していた整備どころか荒れ放題。ここから眺められる的場沖も木々が茂って案の定である。
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 蝶やバッタが飛び出してくる雑草をかき分けながら鳥居下まで到着。
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 少々急ではあるが、以前は無かった工事用パイプ製の手摺が設けてある。
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 やっと境内へ到着。この石柱を通り抜けると三鬼神社の祠がある。
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 これは的場山に古くからある灯台だが、今も機能しているのだろうか?
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 この謎のパイプ製棚?は一体何だろうか?
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 こんな石碑もある。建立は昭和9年だ。
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 そしてこれが三鬼神社の祠である。撮る前に賽銭を入れ「特別な許可」を頂いたことにしよう。
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 三鬼神社の由来については、以前に訪れた時にも撮ったこの看板に書かれてはいるのだが、難解過ぎて分からない。興味ある人はこれを読んでみてほしい。
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 以上が三鬼神社を訪れた報告である。8年前と比べると三鬼神社への案内板とパイプ製手摺、謎のパイプ棚のみが新設されたようで有った。

 一応、登山道の途中でチラチラ見える的場海岸と高崎辺りの眺めも紹介しておこう。
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 #01-61:三鬼神社(2020/07/12撮影)

 竹原帽子店(竹原ハット)が角にある交差点を通り過ぎる時に大抵はシャッターが閉まっているので気になっていたが、実際には営業中だったようである。シャッターは入口部分のみ開いており、あの独特の陳列姿を全開で眺めることはできないが、その一部分でも「濃厚さ」は味わえるのだ。
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#01:昼過ぎの竹原帽子店(2020/07/12撮影)

 これは入口の右サイドの様子であるが、暖簾やスダレなどが密に垂れていることから展示品の日焼け防止か冷房効率向上のためか敢えてシャッターが閉じられているようだ。それでもサックスの飾り物、帽子の絵本、「たまゆら」が表紙だった時の色褪せた「広報たけはら」、なぜかエルビス・プレスリーが描かれたキャップという展示の濃厚さ!全開時に見えていた海軍関連グッズはどうなっているのだろうか。
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#02-03:独特の展示物(2020/07/12撮影)

 そして「営業中」の貼り紙だが、謎の文が気になっている。「帽子見(ボーシミ)は如何です営業中です気軽にどうぞ」の「ボーシミ」とは一体何だろうか??


 以前から気になっていたが、一度も訪れないまま別な店となっていた「誠家」。オリオン向かいの三叉路に有ったと記憶してる。その「誠家」が竹原駅西側にある「味いろいろ ますや」の隣に再オープンしていたことを知り、7月12(日曜日)に初めてラーメンを食べに訪れた。実は最近まで「誠家」を勝手に「せいや」と読んでいたのだが、地元に帰ってみて同級生との会話で正しくは「まことや」であったことを知る。
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#05:旧店舗(2012/01/03撮影)

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#04:旧店舗が有った場所(2018年頃撮影)

 自宅で軽く昼食を食べた後だったので、腹がすくまで待ってから店を訪れたのは13時半頃。運良く店前の駐車場が1台分空いていたので車を停めて入ってみた。先客は常連そうな2名でソーシャルなんとか分間を空けてカウンターへ座る。お品書きを見ると「誠らぁーめん(白)」、「誠らぁーめん(黒)」、「汁なしタンタン麺」と「広島つけ麺」がメインのようだ。迷うことなく白(塩味)を注文した。注文時に悩むことなく「まことらーめん、しろ」と言ったが「まこと」で良かったのだろうか?と何を今更である。
 店内は居酒屋風の席もあり、天井からは小型のプロジェクター用スクリーンが下がっていた。実は久しぶりに同級生と「兆治」で飲んでいた時に、二次会の候補だった「誠家」が、三叉路に有った場所から広島へ移転して営業、その後、現在の場所にて再開したことを聞き、「美味過ぎるから行ってみんにゃぁ!」とのこと。地元民が常連ならば「間違いなし」だろうから近いうちに行ってみることにしていた。
 出来上がりを待っている間にカウンター端の常連客風の2名は替玉を注文している。そしてこれが「誠らぁーめん(白)」である。
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#01-02:誠らぁーめん(白)(2020/07/12撮影)

 これまでの帰省ではギトギト油のラーメンでも食べられていたのだが、歳のせいか最近は胃もたれ気味。コッテリしてそうなスープをすくって啜すってみると予想外にアッサリ味。細めの麺には程良いコシが有り、スルスルと途切れることなく口に入る。炙ったチャーシュー、海苔と焦がしネギが更に食べる速度を加給するのである。あっという間にたいらげてしまった。替玉を注文したかったが、時間はそろそろ14時、暖簾が仕舞われたのでそろそろ閉店らしい。2名の常連客?に続いて店を出ることにした。今度は黒(醤油味)を食べに行くぞ。
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#03:14時に準備中へ(2020/07/12撮影)

 6月7日のブログ「ここは本町一丁目」の続きとなるが、この巻看板の裏面が気になって再度見に行ってみた。かなり期待していたのだが結論から言うと「残念~!orz 表と同じ文言でした。」であった。差分は写真と承認証アドプレックス・シールの有無のみ。保存地区エリアから外へ出た時に見える側なので、他の観光看板の「よぅきんさったのぅ」/「またのお越しを」のような工夫
と同様に「・・・ありがとうございます」/「・・・ありがとうございました。」を期待したのだが。
 なお、敢えて違う写真にされているが、どちらも場所は吉井邸と旧郵便局であり、路面からと俯瞰の違いであった。まぁ、どうでも良いことだが、観光客向けの看板としては、竹原駅ロータリーに有ったものは別スタイルへと刷新され、仁賀峠、新庄の旧道、忠海と三原の境界の3ヶ所ぐらいかも。
 そして、ずっと前から気になっているのが竹原駅の「おかえりなさい」である。これは地元民向けなのか、それとも観光客に対するものなのか?それとも両方なのか?「どこか懐かしい・・」街として再訪者向けに「おかえりなさい」なのか?離郷して久しぶりに戻ってきた人へなのか。なぜ「いってらっしゃい」は無いのか?初めて文字を踏んてしまった時から色々と考えてきたのだが、この電柱への巻看板にも「おかえりなさい」が無いのはなぜなんだろう。そういえば街並み保存センターの常設動画の冒頭の格子戸越しでも「おかえりなさい」だったっけ。
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#01:表面(2020/07/12撮影)

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#02:裏面(2020/07/12撮影)

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