安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2020年07月

 これまでの「超秘境!夫婦淵」と「超秘境!賀茂川最上流端の井堰」の最後となるのが「観音淵」である。観音橋上から井堰を探している時に木々の隙間に見えた「滝」の近くまで行ってみることにした。車を観音橋手前に停めたままでの徒歩による更なる先への冒険?となった。
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#01:滝のような場所(2020/07/05撮影)

 そして滝のような場所に有ったのが「観音淵」である。そこは観音橋から30m程度先。
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#00:観音淵の位置

 観音淵には観音堂もあり、その横に説明看板が立てられていた。説明によるとここには清くて深い観音淵と観音堂が有ったのだが昭和20年の洪水で消失。地域の人々が元の場所へ堰を造って観音淵と観音堂を再建したのがここらしい。 
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#02-03:観音淵と観音堂について(2020/07/05撮影)

 この再建された観音堂の向こう側に観音淵があるようで、賀茂川の源流へと更に先へ続く道は、これまでの薄暗い鬱蒼とした道に比べてかなり開けていた。秋に訪れると枯葉で埋まる最高の登山道となるに違いない。ここで車が引き返せる幅となったが、古くて狭い観音橋を渡りたくはなかった。
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#04-05,09:観音淵から先の登山道(2020/07/05撮影)

 そしてこれが再建された観音淵だ。夫婦淵と比べると透明度はゼロに近い。淵というよりは底なしの沼といえる。水際の近くまで寄りたかったが、あまりの威圧感でこれが限界。

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#06-08,10:観音淵(2020/07/05撮影)

 淵の傍に有った説明板。観音淵のまつわる奇習(奇妙な風習)についてである。水不足の雨ごいは肥たごで糞を運んで流しいれた。そうすると淵の水神様が怒って雨を降らした。この逸話が書かれた文献は竹原書院図書館へ行けば見つかるだろうか。それとも仁賀に住む人々から聞いた話を書いたものなのか。
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#11-13:奇習の説明板(2020/07/05撮影)

 観音淵を訪れた元々の目的は「滝」である。滝が有りそうな場所まで戻ってみると観音淵の再建時に造られた「堰」があった。どうやらこの堰から流れ落ちる淵の水が滝になっているようなのだが、堰の上部まで行けても角度が悪く水シブキすら見えなかった。結局、「滝」のように見える場所は観音橋付近から眺めるしか無かったのである。
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#14-20:観音淵の堰による滝(2020/07/05撮影)

 これで仁賀の賀茂川における「超秘境」は一旦完結。この観音淵から3km程度進むと数々の淵を経て賀茂川の源流に辿り着けるようだが、秋の落ち葉で埋まる季節に徒歩で訪れてみる予定だ有る。タイトルに「超秘境」と書いたがこれは私にとっての「未踏」の場所であり、既に「前人」は多く存在しているようだ。その一例としてネットでは「(竹原市) 賀茂川源流を辿り「かの山」へ」がある。だが仁賀のご本尊的的な団体「賀茂川の源流を守るネットワークにか」については見付けられず。
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#03:清流庵にあったマップ(2020/07/05撮影)

 忠海町のメインスリート(忠海駅~突き当り)の県道が、しばらく訪れなかった間に激変していたのだが、その区間にあったレトロな「河畑たばこ店」が店を閉じていた。
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#01-02:河畑たばこ店(2020/06/23撮影)

 旧ホームページに載せた写真は2014年に撮ったものだが、この店の販売窓口?はベニヤ板で覆われ、店名が書かれた街灯も撤去されていた。忠海でレトロな店といえば「カシコ時計店」もそのひとつだが、小泉方面への県道がバイパス化されて消失。頻繁に訪れられていたら残しておくべき写真が時系列で多数撮れていたのに残念。

 参考までに営業中だった頃の「河畑たばこ店」の写真を載せておく。
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#03-05:河畑たばこ店(2014/08/12撮影)













 3日前のブログ「超秘境!夫婦淵」からUターンできる場所を求めて加茂川上流へ進むと観音橋の手前に車が離合できるスペースが見つかった。橋を渡ってこれより先へ進むと更に帰るのが困難になりそうだったのでここで停車。その場所に立てられた看板が「賀茂川最上流端の井堰(井出)」である。
先ずはその看板場所(赤矢印)を地図で示す。
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#00:賀茂川最上流端の井堰(井出)の場所

 清流庵から100m程度先で車を停めたのが観音橋手前で、看板で説明されていた「井堰」はその手前30mにあるようだ。看板位置や観音橋上からその「井堰」を見ようとしたがそれらしきものは撮れず。
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#01-10:観音橋からの賀茂川(2020/07/05撮影)

 撮った写真の1枚を拡大すると遥か向こうに砂防ダムのような堰が有るのだが、これが「井堰」なのだろうか。道端からは離れているので下を覗いて見れるような位置ではない。
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#11:井堰らしきもの(2020/07/05撮影)


 観音橋から上流側を覗くと、木々の隙間に「滝」らしき水しぶきが見えたので車を停めたまま徒歩で近くへ寄ってみることにした。そこには「観音堂と観音淵」という更なる超秘境が!!何か得体のしれないものが棲んでいそうな不気味な空間だったが、その写真と記事については別途掲載とする。
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#12:観音淵の滝?(2020/07/05撮影)

 朝日山に霧が垂れると後に雨が降る。朝日山から霧が登るとそろそろ雨がやむ。朝日山に架かる霧の様子で竹原町での30分後の雨天がどうなるかが予測できるのである。だが7月4日雨天の夕方は様子が違っていた。通常は雨が上がり始める前に山全体の霧がスーッと上空へと消えてゆくのだが、この日は朝日山の裾だけ霧が消えただけで雨がやんだのである。朝日山は一つの山ではなく複数の起伏で構成されていることがよく分かる現象であった。2ヶ所から撮ったが、傘が要るか要らないか程度の霧雨から曇天へと変わって深夜まで雨は降らなかった。

 これはファミレスのジョイフルが有った更地からの様子。
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#01-05:霧が晴れる朝日山(2020/07/04撮影)


 これは普段の朝日山の様子だが、比べてみると朝日山手前の採石場だった部分が一つの山(起伏?)であったことが分かる。昭和70年代まで発破で爆破されながら砕石されていたのは朝日山手前部分の小山だったのである。
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#09:普段の朝日山(2020/03/28撮影)

 こちらは更に近寄ってみたドラッグストア裏の公園内から撮ったものである。採石場だった山の左側にも別の小山があることが分かる。
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#06-08:STEP裏の公園から(2020/07/04撮影)

 北崎にあるセブンイレブンへ立ち寄った時に「パーラー・サンフレッチェ」の廃墟横の駐車場へ停めた。「完全閉店」したのは平成30年3月23日だったようだ。閉店の理由は「みなし機」への規制改正に早急対応できないとのこと。パチンコはこれまで生きてきて1、2度しか経験がないので何のことかサッパリなのだが、検定済み旧規制パチンコ台の有効期限が過ぎたものを使用してはならない改正に対応不可ということなのだろうか。私がこれまで勤めていた会社での電子機器開発では、校正期限が過ぎた測定器を業務に用いてはならず、誤差の許容範囲に対応できない旧測定器は廃棄して新型を買わねばならない・・・たぶんそのようなものであろう。
 ここも気が付けば閉店となっていたパチンコ店のひとつ。広大な駐車場はロープで閉鎖されて侵入不可のまま。商業向けの立地としては良好なのに解体されて更地になるわけでもなく看板も色褪せて巨大な廃墟となってしまった。入口には「テナント募集中」とあるので建物自体は再利用される可能性あり。ちなみに営業中だった頃の写真も数枚はあるはずなのだが旧ホームページには掲載はしていなかった。時間が有れば探すのだが、探すのに数時間はかかるのでその気力はない。ここが別な店舗に生まれ変わった頃に探すこととしよう。
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#01-05:パーラー・サンフレッチェ廃墟(2020/07/05撮影)

 ところで「サンフレッチェ」とは「三本の矢」だが、毛利元就の「三本の矢」に因んだ店名なのか、サッカーチームの名よりも先に付けられたのか。どちらにしても看板の「一本の矢(「サ」の横棒や)弓矢のデザテン」と「安心して気楽に遊べる店」が気になるところだ。

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