安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年04月

市立竹原書院図書館で借りた『竹原市の展望』(発行年:昭和34年、発行所:中国観光地誌社)、とても興味深いたくさんの掲載広告から得られた情報を紹介する。

竹原市の展望』(2021/04/20に借りる)
表紙絵は田村誉志那(たむらよしな)氏による。灯台辺りからの竹原港の眺めのようである。三井の煙突と朝日山が描かれている。
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浦表紙には、昭和34年当時に11あった内の6醸造所6銘柄の広告が掲載されている。
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<『竹原市の展望』誌の広告から得られた昭和34年当時の情報>
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  1. アトム株式会社忠海紡績株式会社だった。
  2. 竹原帽子店と旧きり屋の間にあった大藤無線(ナショナル系)を思い出した。
  3. 中沢醸造場竹中酒造場では味醂と焼酎が造られていた。
  4. 佐々木ホテルには300人収容の会場と潮風呂があった。
  5. 川口リビングフェア川口家庭用品店だった。
  6. 日本橋通りの別所時計店別所時計眼鏡院だった。
  7. コーヒーの店 潮風音楽茶房 潮風だった。
  8. マスコット(現在のマスコット写真館)には喫茶部ブラジルがあった。
  9. モード大岡株式会社 大岡洋服店だった。
  10. 京栄区にあった袋尻小間物店(テルミー・サービスストアー)では化粧品・和洋裁縫用具・ボタンが売られていた。
  11. スズヤ楽器店は掛町にあった。
  12. 忠海駅突き当りにあったカシコ時計店才(かしこ)時計店だった。
  13. 掛町にあったシバデン電化のスーパーショップ 澤田電機機械株式会社だった。
  14. オバラデンキ株式会社シャープ・フレンドショップ 尾原ラジオ店だった。
  15. 藤井写眞舘は創業明治35年だった。
  16. 竹原市には竹原劇場新榮座/現在の道の駅P)、竹原東宝(竹原駅前)、忠海映画劇場八千代映劇(吉名町)があった。
  17. 礒辺旅館(現在の茶寮 一会)は「磯辺」ではなく「礒辺」で宜しい。
  18. 竹原駅周辺には割烹旅館 富貴荘の他に旅館 新喜荘旅館 竹の家旅館 みゆき荘仕出し・御料理 てしま旅館旅館 丹下もあった。(万惣旅館旅館よしつねは広告なし)
  19. 本川通りにあった鮮魚センター竹原中央魚市場だった。
  20. 菊壽堂の銘菓に濱そだち満喜煎餅があった。
  21. 末広堂の銘菓に普明閣ゆうべし普明閣最中があった。
  22. 黒田本舗の銘菓に忠孝巌せんべい普明閣せんべいがあった。
  23. あいふる通りにあったおおさわの銘菓に福もなかがあった。
  24. 忠孝せんべい忠孝饅頭ぶどう羊羹山陽せんべい山陽饅頭山陽最中が銘菓の田村金正堂が本川通りにあった。
以上。

 桜の季節が過ぎると端午の節句に合わせて東野町の長善寺「鯉のぼり」の渡しが飾られる。自動車でのGW帰省では河内インターから国道432を下って実家へ戻る際に、この光景を眺めながら「仁賀れんげまつり」はもうやらないのだろうか・・・今年も「竹まつり」へは行かねば・・・フラワーは飽きたし・・などとGW中のイベントにワクワクしていたのだが、帰郷した直後の昨年はコロナ禍でことごとく全滅だった。だが、今年は「竹まつり」が規模縮小で開催される予定なので、その様子を遠くから撮りに行く程度で訪れてみたい。
★2021/04/25更新:残念、コロナ感染拡大で中止★

 4月中旬頃になると国道から長善寺の「鯉のぼり」が見えていたので、天気の良い休日に撮りに行く予定であったが雨天が多くてすっかり忘れていた。今回、賀茂櫻酒造の名残りを探しに東野町を訪れた際に長善寺の前を通ったのだが、16時近くだったことから境内へは立ち寄らずに路上から数枚のみ撮ってみた。(2021/04/20撮影)
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 これまではもっと本数が多くて賑やかだった気がするのだが・・・少子高齢化で寄贈が減っているのだろうか。
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長善寺前からメゾン・ディオンへのT字路を曲がらず初めてのルートを直進。曲がりくねった路地を国道へ抜け出ると「水の口橋西詰」の信号交差点だった。
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 大福地橋から上条橋までの様子を撮りながらマツダオートザム竹原を通り過ぎた時、「ん・・?」と何となく違和感を感じて振り返ったところ、カーディーラーの雰囲気には「場違い」に感じる小さな祠を見つけた。(2021/04/20撮影)
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 マツダオートザム竹原の全景と看板を撮って通り過ぎた後に、後すざり(後ずさり?)して撮ったのがこの祠である。
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 「たけはらの神仏を訪ねて」の中から探し出すと、この祠は「西上条 穀神社(俗称:西上条神社)」で、祀られているのは「宇気母智命/歩食神(うけもちのかみ)」であった。戦後、どこからかここへ移転されたようなのだが、後にこの祠を囲むようにオートザム竹原が建てられたのであろうか?

 マツダオートザム竹原の過去の写真では、残念ながら1997年頃のこの3枚しか見つけられなかった。西上条神社は撮れてはいなかったが、24年前と現在を比べてみると看板類が異なるものの建物自体が変っていないことに驚いた。「オートザム竹原(竹本自動車)」の設立は平成2年(1990年)で、この写真を撮った次年の1998年に「マツダオートザム竹原」へ昇格している。
(1997/04/26撮影)
19970426a
(1997/04/28撮影)
19970428a
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 上条橋西詰(西側の端)の「竹原ガスセンターオートスタンド」が廃墟になっていた。ここには巨大なガスタンクが有ったのを憶えているのだが、今回の確認ではそれらしき物が見当たらない。(2021/04/20撮影)
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 ガスタンクの印象が強かったので、この辺りを通る時に"このガスタンク?"が見えていたことから「竹原ガスセンター・・・」が廃墟になっていることに全く気が付かなかったのだが、今回の見直しでこれは別の場所のタンクだったことが判明。このタンクも現在は存在せず、中身がガスだったのかさえももう確認できない。場所は国道432から成井土手への分岐点である。(1999/05/07撮影)
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 これが在りし日の「竹原ガスセンター・・」の巨大なガスタンクである。(1997/04/28撮影)
19970428a

 いつ頃から廃墟になったかを「蔵出し写真」から探してみると、2011年に撮っていた写真の中にタンクの無いものが見つかった。撮ってはいたが掲載ボツになったようで、これも前述のタンクを見ていたことから「健在」だと思っていた。(2011/01/02撮影)
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 この「竹原ガスセンターオートスタンド」は、どのようなサービスをされていたのだろう。過去に撮った写真がこの2枚しか無かったのでタンク以外の設備が分らず推測するしかないのだが、LPガスを燃料にしていたタクシーなどが、このスタンドに立ち寄って給油(給ガス)していたのであろうか。国道からここへの出入りは左右から交互に車列がやってくるので、急いでいるときにはイライラの危険なポイントである。

 ちなみにオートガススタンドとガソリンスタンドの違いについて、分かり易く解説されているサイトがあったので参照して欲しい。

 中通りの国道沿い、芸陽バス竹原営業所の向いが広大な更地になっていた。その更地の範囲は井上サービス(自動車販売)からトヨタカローラ広島までの約90mの区間である。ここはこれまで自動車で何度も行き来はしていたのだが、更地になりつつある様子には全く気が付かなかった。竹原の主要な国沿いでもあり、この更地には何になるのであろうか。(2021/04/20撮影)
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 井上サービスの手側に在ったのは「福祉タクシー かくや姫」だった。
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 向こう側のトヨタカローラには「(株)安田組」が在った。
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なお、「福祉タクシー かくや姫」(共進通商)の営業所は過去に撮った写真が見つかった。(2010/01/02撮影)
20100102a
 送迎中の福祉タクシー車両がこれ。(2011/12/31撮影)
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 最近も街中で「福祉タクシー かぐや姫」の車両を見掛けるのだが、ネット検索してみると営業所はここ中通と明神が見つかった。

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