安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年04月

花見用にと3月末にナフコで買ったキャンプ用の折り畳み椅子。使ったのはバンブー公園での花見にい一度だけ。これを的場の砂浜に持ち込んで腰掛て、午後の暖かい陽射しを浴びながら広島FMを聴いてマッタリしようと出かけたのだが、穏やかな風で青空だったのは午前中までだった。午後からは太はが雲に隠れたまま。時おり冷たい風が薄着の上着の隙間から入り込んでくるので、早々に椅子を荷台へ仕舞い込んで的場内の散歩へ。(2021/04/06撮影)

的場の桜の花が満開だったのは先週半ばまで、訪れた4月6日は地面が花びらの絨毯になって枝の葉の割合が半分以上になっていた。
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 この看板を見るたびに「愛し誇らし竹原暮らしが始まったら、先ずは的場の砂浜でバーベキュー」だった長年の夢が「砂に書いた何とやら・・・」になってしまったことを思い出してしまう。宗越にあるバーベキューハウスは砂浜でも焼けるのだろうか。
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 遠目に見れば花見ができそうだったが、近寄ると殆どは葉桜になっていた。
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 スマホのラジオ機能で広島FMを聴きながら「ぼら網」への道から潮が満ち始めた岩場へ下りてみたが、昭和時代の的場に群生していたインゴ、ブンザイやアーモナーを見つけることはできなかった。
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 「ぼら網」の突堤まで行く予定だったが、釣り人らしき影が見えたのでここで取り止め。
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 仕方なく引き返すことにした。
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 小魚がいないかと潮だまりを巡ってみたら10cm程度の魚が潮が満ちるまでジッと我慢していた。
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 的場側の西側突堤には釣り人が居なかったので先端まで行ってみた。
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 反対側には釣り人が・・・。
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 この砂浜に「いつかはここでBBQ」と書いてみたかった。もう叶わぬ夢は波に洗われて消えてしまえ!
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 数年前の4月末の砂浜はタープやテントだらけだったのに・・・・。
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 沖を行き来するフェリーを撮ってみたが、陽射しが弱くて冬の的場のような写真になってしまった。
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 今も仕事中でも聴ける広島FM。数年前からラジオアプリのエリアフリー&タイムフリー機能で通勤時に聴いていた遥か彼方の放送「DAYS!」が3月末に最終回を迎えた。パーソナリティーは竹原出身の近藤志保さんで、当時は週に一度の竹原コーナーがとても楽しみだった。もうこれで広島FMでの竹原成分が消えてしまうと嘆いていたら、引継ぎ番組木曜の「アヤノンスタイル笹原綾乃」を聴いてビックリ!パーソナリティーの笹原綾乃(ささはらあやの)さんも竹原出身だった。驚いたことに土曜日には再び近藤志保さんによる新番組「しほティファイ」が始まったていたので、これはもう広島FM竹原FMにしてもよいぐらい竹原成分が濃くなった。
 昨年中止だった「たけはら竹まつり」は今年は規模縮小にて実施予定(2021/04/10現在)のようだが、広島FMにて「5月3,4日/第32回たけはら竹まつり」の開催宣伝や生中継をしてくれたらいいのになぁ~。

満開の桜が散り始めた4月の上旬、黄砂でボンヤリと霞んでいた朝日山が雨に洗われた翌日だった。朝から雲一つ無い晴天となった朝日山がこれまで見たことが無いほどに高いコントラストの緑色に変っていた。その緑色にも濃いところと薄いところがまだらになって、これまでひとつの山として見えていた朝日山が複数の小山の重なりとなっている様子がハッキリと見えていた。(2021/04/05撮影)

 先ずは安全タクシーからフジまでの直線の通りから撮ってみた。ここは電線も家屋も殆ど写り込まずに全景が撮れるベストポイントである。あの採石場の傷跡も見えないのが良い。
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 次は竹中傍の朝日橋東詰めの土手から。竹中と賀茂川の川面や水源地から延びる水道管などが写り込むが、それも大自然と人工物の調和が感じられて良い雰囲気である。
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 今度は竹中グランドの土手から。近寄り過ぎて朝日山であることが分かり難くなった。散り始めていた桜を入れて撮ってはみたものの、これが「朝日山」と言われても「・・・?」である。
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 試しに中通変電所越しに撮ってみたのだが、変電設備の印象が強烈すぎて朝日山の写真としては不合格。
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 ある意味、朝日山の特徴である採石場に着か寄れるドラッグストア・コスモスの裏辺りから。本当は公園内から撮りたかったのだが、近所の子供たちが遊んでいたので諦めた。これも何だか「朝日山?」であった。
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 成井土手に上がって更に近寄ってみると、新緑は感じられないが予想以上にダイナミックな雰囲気がする写真となった。
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 最後にパルティ・フジの駐車場内からよく見ている朝日山。これは実際に見える感じとは異なってしまいイマイチ。
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 以上、新緑の朝日山を各所から撮ってみたのだが、安全タクシーの通りから撮った最初の写真がベストであった。

 今回もディープな記事になってしまったが、黒浜の国道185と並行した山沿の河川があり、これまでその名称が分っていなかった。この河川では平成30年頃から現在に至るまで工事が続いているようで、初めてその工事説明板をじっくりと嘗め回してみたところ「二級河川 本川水系 楠谷川」の工事であることが判明。工事自体は砂防ダムを造っているようでこの河川そのものではないようだった。工事車両は河川に架かる橋を跨いで向いにある駐車場と工事現場を行き来するようなのだが、ここを何度か訪れてはいるもののいつも閑散とした雰囲気であった。
 下図の明るい部分が今回撮影した辺りで、河川自体は呉線の東山トンネルの上から流れ出て、直角に曲がって国道の桟道下から内港へ流れ出ていることがわかる。その桟道手前に地蔵尊と「てつや河」?と読める石碑があるので、これまで河川名は「てつや河」だと思っていたのだが、どうも雲行きが怪しくなってきた。(過去HP参照 0394, 0395
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 これがその工事現場の看板なのだが、憶えている限りでは平成30年頃に初めて見た憶えがある。工事期間を再確認すると平成30年5月頃から令和3年3月31日までとなっている。中央の看板の工事名「二級河川 本川水系 楠谷川 特定緊急砂防工事」で河川名のヒントが得られた。(2021/04/05撮影)
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 見たところ穏やかな小川に見えるのだが、河川自体の工事ではなく山肌の砂防ダムのみなのかもしれない。平成30年といえばあの大規模豪雨災害の年であるが、その災害は7月末に発生しており、工事開始は直前の5月頃だったことから完了予定が大幅に延びているのかもしれない。
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 今回、川沿いを走ってみると興味深いものを見つけた。
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 一見、普通の民家に見えるのだが玄関横に不釣り合いな丸時計。
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 ここは黒浜地区の集会所になっていた。
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 更に河川の上流側を辿っていくと道沿いから反れて山奥へ入ってしまった。
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 ここから先は前田酒造が在った更地を過ぎて黒浜東踏切となる。
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 さてこの河川名が「楠谷川」である可能性が高くなったが、その読みは「くすのきだにがわ」なのだろうか?そこでネット検索してみたところ広島県の工事説明(PDF形式)HTML版の工事完了報告書が見つかった。この資料によると何と!!撮った河川は「楠谷川」ではなく下図の黄色部分の河川であったのである。この川が流れ出ているのが前述の「てつや河」?なので、このことから「てつや河」(仮)と思っていた川が「楠谷川」の可能性もありうる。
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 ちなみに「楠谷川」の読みは予想が外れて「くすたにがわ」であった。今回撮った名が分からない白部分と黄色部分の「楠谷川」が合流して「てつや河」?となるのたのが、河川名に「河」が付くことは有り得そうもなく確実に別名であろう。次回訪れた時にはここに架かる橋の欄干に書かれた橋名と河川名を詳しく調べてみたい。(欄干にあればの話だが・・・・)

黒浜にある礒宮八幡神社(いそのみやはちまんじんじゃ)、子供の頃から私はここを「礒宮(いそのみや)」と呼んだことは殆ど無く、親しみを込めて「お宮」と呼んでいた。竹小時代の遊び場といえば歩いて行けた照蓮寺と普明閣、自転車ならば近くに親戚がある「お宮」だったのだが、写真を撮り始めて初めて知ったのが「いそのみや」の「いそ」の漢字表記が「磯」ではなく「礒」だったこと。その表記に気を付けるようになったのは、2011年以後からSNSに「お宮」が登場するようになってからで、記事に書かれた「磯」が誤記として指摘されているのをよく見掛けたからである。
 近寄って鳥居の額?を見上げれば確かに「磯」ではなく「礒」と彫られているのたが、どこかで読んだ神社の謂れでは元は海の近くに在ったらしく、諸々の経緯でここへ遷座したとのことで、岩や石を意味する「礒」よりは水辺を意味する「磯」のほうが相応しいのでは?と感じたこともある。
 それはそれで解決せず気になったままだが、最近、ここをよく訪れるようになって気になっていることがもうひとつ。(2021/04/05撮影)
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 それはこの鳥居の左側にある石碑「郷社礒宮八幡神社」である。 
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 おわかりだろうか・・・・石碑に彫られた「郷社」の文字だけがセメントで埋められているのである。
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 完全に消し切るわけでもなく、何かの理由で「いかにも埋めた」ことを分からせるような粗い砂混じりのセメントなのである。
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 その訳ありについて何かヒントが無いかと裏面を覗いてみたところ「昭和十三年十月吉日 官幣大社・・・・書」についてのみ。横側には「尾道市・・・」だけで、特に消された経緯については無さそうだった。

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・・・・では埋められた「郷社」とは何なんだろうか?Wikipediaで確認すると「近代社格制度」に「郷社(ごうしゃ)」の解説があり、神社の「格」を示したもので戦後の昭和21年に制度が廃止されたが、新道指令を発令したGHQの干渉を恐れてセメントで埋められた神社が多かったとある。まさしくこの石碑(社名標)が彫られた社格をセメントで埋められたものなのである。敢えて完全に消されていないのは、その社格に誇りを持たれていたからであろう。
 Wikipediaによれば社格の順は、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社であり、社名標の裏側に「官幣大社・・・」が彫られていることから社格最高位の官幣大社かと思われたが、表側には官幣大社の「官社」ではない「諸社(民社)」の社格である「郷社」が彫られていることから違っていたようだ。
 その「郷社」は群または市に在る神社に対して社格が与えられたものであり、諸社の格順は、府社=県社=藩社>郷社>村社とのことである。
 これまで神社の鳥居の額については意識していたのだが、これからは鳥居横によくある石碑(社名標)についても確認してみることにしよう。

 「峠下牛(たおしたぎゅう)」。市内の飲食店などでよく見かける竹原のブランド牛である。最近では地方局に限らず衛星系のテレビ番組でも紹介される頻度が増している。私が最初に視たと思われる番組は「道の駅ぶらり美人散歩」なのだが、またしてもあの「竹原びいき」のテレビ東京制作なのである。
 肉料理そのもの以外に街中でも(有)峠下畜産のトラックを見掛けるのだが、その会社がある場所を偶然に見付けることができた。これまでは「峠下牧場」と呼んでいたので、福田町の山奥にある牧場からトラックが行き来しているのではと思っていたが、北崎の「地方卸売市場 竹原流通センター」内にある「(有)峠下畜産 精肉部」が本拠地であることが分かった。その事を地元の知人に話すと、特別な日(ボーナス日や記念日)にここにある直販店でステーキ牛を買っているとの事だった。
 その場所を示す地図が過去ブログ記事で紹介した「プラザ港」の建物側面に有ったので以下に再掲載するが、地図の中央辺りに「(有)峠下畜産 精肉部」が描かれている。余談だが、その場所上に昨日のブログ記事「喜多崎集会所の正式記述」の「喜多崎集会所」が「㐂多崎集会場」と書かれていることを見付けた。
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 ここが「竹原流通センター」の出入口であるが、その門の横に「(有)峠下畜産」と書かれてたトラックが停まっていたのを昨年夏に撮っていた。その奥の様子も撮っていたのだが、その時はここが「(有)峠下畜産 精肉部」で直販店であったことまでは知らなかった。(2020/08/23撮影)
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 これまで峠下牧場と言っていた福田町のほうだが、考えてみればこれまで「こちら」側を訪れたことは無かった。撮った写真は一応有るのだが、帰省できなかった時に弟から送られてきたものだった。そこで実際に行ってみたくなったのだが、ネットで地図を見ても福田町にそれらしき牧場は掲載されておらず、高崎の知人に訊いてみたところ「協和木工の先の信号を左折して道なりに山奥へ」。そこは大乗小への歩道橋がある川沿いなのだが、場違い?の鳥居が立っている踏切辺りまでしか訪れたことは無かった。

 今回はその踏切を越えて軽自動車で行けるところまで行けば「峠下牧場」に辿り着けるはず。(2021/04/06撮影)
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 道なりに北へ進むと左側に大きな建物が見えてきた。
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 更にその先へ進むと・・・いきなり右側に牛舎。写真では何も見えないがスレート屋根の下に数頭の黒い牛が動いていた。
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 牛の耳には白いタグが付けて有り、各頭毎に生産管理されているようだ。
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 牛舎は先にも続いていた。写真を撮るために車の窓を開くと、視覚・嗅覚と聴覚(演歌)が左右から押し寄せてくる。
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 更に道なりに進むと数ヶ所に「離れの牛舎」も有った。そのまま更に先へ行けば小梨町まで到達できるのではと思われたが、50m程度進むといきなり通行止めの車止めに遭遇。あの豪雨災害によるものなのか路面が石ころや木々で荒れたまま手付かずの状態のようであった。
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 仕方なく方向転換できる場所までバックして来た道をUターン。再び左右の窓から交互に演歌が聴こえてくる。
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 昨年春に放映の地方テレビ番組で「峠下牛」の生産場への家族訪問ドキュメンタリーを視たことを思い出したが、「峠下牛」は国産牛だが「和牛」ではなく黒毛和牛雄とホルスタイン雌の交雑種牛との説明をされていた。高級和牛を育てる際にクラシック(主にモーツァルト曲)を聴かせると優良な牛肉となる話をよく聞くが、峠下牧場では牛に演歌を聞かせていることは以前から知ってはいた。だが、本テレビ番組の家族への聞き取りでは「単に経営者が演歌が好きなだけで、ここを通る自動車の騒音で牛が怯えるのを掻き消して日頃から慣れさせているだけ」ということだった。
 今回初めて峠下牧場を訪れてみたのだが、道路から見えた範囲では広島空港近くの入野牧場跡のような広大な草原の「牧場(まきば)」ではなかった。放牧による肉牛の生産では無さそうだったので、牛舎の中で育てる「畜産」がふさわしく、流通センターでみたトラックに書かれていたのが「(有)峠下畜産」であることに納得した。

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