昭和30年代から40年代に榎町の筋の何処かにあった「文学堂」。店の中の配置は入口左側の壁が貸本棚と奥が店番台、真ん中の陳列が文具、右側壁が体操服だっことを微かに覚えているのだが、店があった場所がどうしても特定できない。藤井写真館があった橋側に近いはずだが、当時の街並みとは大きく変わっており、何度ここを通ってもそれらしき建物は見つからなかった。
今回、敢えて新町側から榎町へ入って記憶を辿ってみたところ、文学堂から出て藤井写真側の橋手前にあった「住田綿打ち店」が遠くに見えていたことを思い出した。それが見える場所は下の地図の(15)辺りとなり、本川側に並んでいた古民家が解体されて新たな住宅となった区画を特定することができた。(2021/05/18撮影)
地図の番号で撮ったのが以下の項番の写真である。
(1)新町観光駐車場側から榎町へ入ってみた。
(2)この新町コガワ食品部跡の北側からが榎町となる。
(3)このポンプ場が「竹原市榎町雨水ポンプ場」で、ここからが榎町を示す文字と矢印がかすれた看板がある。ポンプ場は昭和56年の竣工だが、ここは昭和55年地図では松岡治療院であった。
(4)友谷電機工業所辺り。
(5)煎餅本舗の黒田製菓の旧店舗(現在は保存地区内)がこの先辺りにもあったようだ。
(6)更に先へ。
(7)カーブミラーから左折すると升元醤油から「つぼみ(児童)公園」へ抜ける路地がある。
(8)これがその路地。
(9)さらに北へ。左端に見えている緑の看板は2件目の黒田製菓。向いには琴平神社。
(10)琴平神社は榎町の守護神。毎年の10月10日に榎町自治会による祭りがある。
(11)ここが3件目の黒田製菓。
(12)山陽クリーニングは「文学堂」跡となった頃にはあった気がする。
(13)この辺りに親戚があったので、もう少し先に「文学堂」があったはず。
(14)この辺りから右川に古民家が並んでいたが、竹原葬祭となった古民家しか残っていない。
(15)この辺りから住田綿打ち店があった場所が見えてくる。この車庫かその1件先辺りに「文学堂」があったはずである。昭和55年地図のこの辺りに「文学堂」ではなく「有吉文具」が描かれているのだが、他には文具店は無かったので「文学堂」に違いない。しかし、もう古民家は無いので場所の確定ができない。
(16)榎町の最北端向こうに見えていた住田綿打ち店は、現在は一般民家になっている。
多用している昭和55年地図が唯一の手がかりなのだが、それには「文学堂」がなく、代わりに「有吉文具」がある。だが、そのような名で呼んでいた事も他から聞いた事もない。今になって気が付いたのだが、榎町に現在も住んでいる親戚に訊けば、店舗名の正しさとピンポイントでの場所の特定ができそうだ。
今回、敢えて新町側から榎町へ入って記憶を辿ってみたところ、文学堂から出て藤井写真側の橋手前にあった「住田綿打ち店」が遠くに見えていたことを思い出した。それが見える場所は下の地図の(15)辺りとなり、本川側に並んでいた古民家が解体されて新たな住宅となった区画を特定することができた。(2021/05/18撮影)
地図の番号で撮ったのが以下の項番の写真である。
(1)新町観光駐車場側から榎町へ入ってみた。
(2)この新町コガワ食品部跡の北側からが榎町となる。
(3)このポンプ場が「竹原市榎町雨水ポンプ場」で、ここからが榎町を示す文字と矢印がかすれた看板がある。ポンプ場は昭和56年の竣工だが、ここは昭和55年地図では松岡治療院であった。
(4)友谷電機工業所辺り。
(5)煎餅本舗の黒田製菓の旧店舗(現在は保存地区内)がこの先辺りにもあったようだ。
(6)更に先へ。
(7)カーブミラーから左折すると升元醤油から「つぼみ(児童)公園」へ抜ける路地がある。
(8)これがその路地。
(9)さらに北へ。左端に見えている緑の看板は2件目の黒田製菓。向いには琴平神社。
(10)琴平神社は榎町の守護神。毎年の10月10日に榎町自治会による祭りがある。
(11)ここが3件目の黒田製菓。
(12)山陽クリーニングは「文学堂」跡となった頃にはあった気がする。
(13)この辺りに親戚があったので、もう少し先に「文学堂」があったはず。
(14)この辺りから右川に古民家が並んでいたが、竹原葬祭となった古民家しか残っていない。
(15)この辺りから住田綿打ち店があった場所が見えてくる。この車庫かその1件先辺りに「文学堂」があったはずである。昭和55年地図のこの辺りに「文学堂」ではなく「有吉文具」が描かれているのだが、他には文具店は無かったので「文学堂」に違いない。しかし、もう古民家は無いので場所の確定ができない。
(16)榎町の最北端向こうに見えていた住田綿打ち店は、現在は一般民家になっている。
多用している昭和55年地図が唯一の手がかりなのだが、それには「文学堂」がなく、代わりに「有吉文具」がある。だが、そのような名で呼んでいた事も他から聞いた事もない。今になって気が付いたのだが、榎町に現在も住んでいる親戚に訊けば、店舗名の正しさとピンポイントでの場所の特定ができそうだ。