安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年08月

 8月初旬頃だっただろうか。「あいふる通り」の「喜八寿し」(喜=㐂)アーケード沿いにて工事が始まっており、深く掘り起こされたのか土が見えていた。
ここには元々何があったのだろうか?この区画横には「手づくり郷土賞 ふれあいの並木道三十選」の碑があるのだが、どうしても思い出せない。(2021/08/13撮影)
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 雨天続きだったせいか本工事の進捗は暫く変っていなかった。(2021/08/21撮影)
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 それから一週間程度が過ぎた頃に「あいふる通り」を通った際、掘り起こされた部分にはタイルが敷き詰められていた。(2021/08/29撮影)
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 施工看板らしきものが見当たらないのだが、これは自転車置き場なのだろうか?六角ブロックを敷き詰めた車道とは段差と縁石があり、歩道のタイルとは色調が違うものの段差がないことから、歩道の拡張エリアのようでもある。車両進入を防ぐガードパイプ的なものも無いし、色調が違うことから歩道でも無さそうである。
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 どうしても工事前のここに何が有ったかを思い出せなかったが、「七夕飾り」の際に撮った写真から「緑地化の植栽」が有ったことが判った。地面を掘り起こして出てきた土は、植栽を取り除いた後の土壌であった。(2021/07/03撮影)
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 この工事について竹原市の工事入札を調べてみたが、それらしき情報は見つからず。もしかした「モード大岡」の解体&更地化同様の「竹原駅前エリアウォーカブルビジョン」の工事の一環かもしれない。(策定資料P18には「植栽や花壇などの撤去や管理しやすいものにリニューアル」と書かれている)現状、赤いカラーコーンで区画が囲まれているが、更に何かがここに設置されるのか、単にタイルが乾くまでの養生なのか。また暫くしてから立ち寄ってみることにしよう。
 ところで入札工事の一覧にて見付けたのだが、ナフコ&藤三傍の「福祉会館(旧竹原書院図書館)」を解体して緑地化公園にする工事が予定されていることが分った。故郷の吉名町を向く池田勇人前総理大臣立像はそのまま新たな公園内のシンボル的なオブジェとなるであろう。

 8月最後の日曜日夕方。海水浴シーズンが過ぎてしまった夕暮れ近い的場は閑散としているだろう・・・と、突堤を独占するために2週間ぶりに訪れたところ、駐車禁止ローブが取り外された防潮堤にビッシリと車が並んで停められていた。的場を独占どころか、本日が8月では最も来客数が多い日であった。(2021/08/29撮影)
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 東側の突堤まで歩いてみたのだが、この時間でも寝っ転がって日光浴しているカップルがおり、折り畳み椅子を広げられるような雰囲気にあらず。これでは息苦しいマスクも外せそうにないので即退散。
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 海水浴シーズンはすっかり過ぎているので監視員もおらず、両突堤に張られていたフロート付ロープも既に外されていた。砂浜にはテントが張られ、海水に浸かって泳ぐ子供達も大はしゃぎ。だが、水中に多数のクラゲがいるとの声も聞こえた。
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 既に17時半、太陽もかなり傾いて日影も伸びている光景は「夏の終わり」の淋しさが感じられた。
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 西側の突堤からも的場海水浴場ラスト・シーズンの様子を一応撮っておこう。石ころだらけだった的場がビーチ整備されたのは平成3年だったことが判った。
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 的場ビーチには的場山の影が・・・。
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 悪天候が長く続いた8月だった。ラストがこんな晴天になるとは皮肉なものだ。
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 ジャンケンをして突堤からドボンと飛び込む若者達。
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 西海水浴場への道の途中では、潮だまりで遊ぶ親子の姿。
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 沖を行き来するフェリーが造った波・・・。
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 そしてラストは映画のエンドロールのバックに使えそうなシーン。
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 この日は突堤に折り畳み椅子を広げ、ハイレゾ仕様のウォークマンで懐かしい曲を聴く予定であったのだが叶わず。この夏の的場の夕暮れに聴きたくて用意していた曲の中のベスト2は以下である。
・太田裕美『夏の扉』(作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄)
・石川セリ『八月の濡れた砂』(作詞:吉岡オサム/作曲:むつひろし/編曲:秋葉洋)
「夏の扉」は松田聖子の同名異曲が有名ではあるが、こちらは1975年頃に私が木原楽器店で買った太田裕美のデビュー・アルバム「まごころ」の中の一曲。過ぎゆく夏の夕暮れにはこの曲と詞がピッタリ。そして「八月の濡れた砂」は映画の主題歌。これは日活青春映画の最高傑作と評価されている映画で、関東の映画館でこれを観終えた時の「やり場のない息苦しさ」のままラストに流れる切ないバラードが今も忘れられない。どちらも「過ぎゆく夏」が感じられる曲であるが、同時に聴くと対照的な「陰と陽」感がたまならく好きである。

 竹原市内を散策していると所々に「中国自然歩道」と書かれた道標や地図板を目にするだろう。だが、一体何処から何処まで続いているのだろうか?今回、竹原町内の何処からでも見える「東の山の上に見えるあれは一体何だろうか?」と、ここを訪れたくてルートを地図で調べ、何度もトライするも未だに到達できない「秘境」。ここは人里離れた小吹山トンネル手前の山頂辺りにある広大なソーラー発電パネル平原なのだが、またもや今回も道に迷ってしまい断念。その途中の小吹町で見つけたのが「中国自然歩道 内海~仁賀ルート案内図」である。(2021/08/29撮影)

 先ずこれがその広大なソーラー発電パネル平原。
竹小から小泉へ抜ける県道75号沿いの何処かなのだが、あまりに秘境過ぎて到達できていない。
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 迷いに迷って小吹の集落へ下る坂道に来てしまい断念。小吹橋からこれ以上進むと竹林に入り込んでしまうので県道75号へ戻ることにした。

 これが「中国自然歩道 内海~仁賀ルート案内図」(環境庁広島県による)である。ここは小吹山トンネル工事中だった頃の1998年に訪れたのが最後だったので、この看板が未だ残っていたのには感激であった。
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 地図の表記はいかにも昭和スタイル。全て手書きである。経年変化で殆どの文字が見辛くなってしまっており、地図に描かれた線が何を意味するのかも分からない状態。凡例すらも消えてしまい分からないし、そもそも「内海」とは何処なのだろうか?
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 1998年頃にこれを調べて自力で作製した図を旧HPに掲載していたので転載する。以下の地図に引いた赤ラインが中国自然歩道のルートである。苦労して調べた結果を野呂山辺りから黒滝山までを示したものだが、現在は「広島県の自然歩道」のサイトに「中国自然歩道【一周ルート】(8)内海・仁賀」ルートの地図(PNG形式)があり、容易に全ルートを知ることができる時代になっていた。

 これが1998年に作成したルート地図である。竹原の立体地図などWEBには未だ存在しない時代。6千円もした3D地図ソフトを購入して、フォトショップで矢印を引いたものである。ルートについては山岳会の手描き地図を基にしている。
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 以下は、今回ここを訪れた時の「中国自然歩道 内海~仁賀ルート案内図」の傍にある小吹橋と中国自然歩道の道標。そして県道75号へ抜け出るまでの写真である。
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 以下は、以前に訪れた時の「中国自然歩道 内海~仁賀ルート案内図」と小吹橋。デシカメが未だVGAサイズの時代、荒くて文字は読めないが、この20数年前の状態と現在を比べても殆ど変わっていないのには驚きであった。道標の朽ち具合ならば倒壊していてもおかしくないはずである。(1998/06/07撮影)
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 さて、飛行機内からも見えていた工場の跡地にできた広大なソーラー発電パネル平原だが、今回も荒れた山道を探索してみた結果、どうも残土廃棄場所がある私有地内のようであり、ここへの到達は不可能のようである。

 出勤時と帰宅後に眺めている朝日山の様子。今日の朝7時、玄関を開けてみると目の前には雲一つない青空と朝日に映える朝日山・・・なのだが、その朝日山に低い霧が湧いており、東側の照蓮寺や普明閣辺りにも濃い霧が降りて霞んでいた。最初は何処か近くでゴミを燃やしている煙が漂っているのだろうかと思えたが、煙の臭いが一切しなったことから濃霧に違いないと出勤の準備。
 帰郷してから一年半、このような光景が見られたのは本日が初めて。長年住んでいれば何でもない光景なのかもしれないが、どうしても写真に収めておきたくて出勤コースを変更してまで朝日山と賀茂川の様子を撮っておいた。(2021/08/28撮影)

 古庭橋から国道432号へ向かう際中の朝日山。上条辺りに低い霧が淀んでいる。
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 国道432号の交点からは中通や宮原・大応地区辺りが霧に霞んでいた。青空なのに地表辺りが霞んでいるが、この見え具合は霧(きり)というよりは靄(もや)なのかもしれない。
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 交差点から賀茂川方面へ。賀茂川土手から撮りたかったが、08:30までは歩行者専用道路なので入れないのが残念。
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 賀茂川に架かる国道185号の新本渡橋からの眺め。これはまるで「雲海」のようだ。
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 この日が仕事の休日であれば普明閣の舞台からこの「雲海」を撮ったであろう。いや、普明閣も霧で全く見えなかったので朝日山の頂上へ撮りに行ったであろう。だが、この「霧」は朝8時過ぎには消えていたらしい。次回、このような幻想的な光景が見られるのはいつの日だろうか。

 8月の大雨で再び不通となった呉線。不通となった場所が知りたくて竹原駅を訪れた時に、駅構内のセブンイレブンに貼られていた「休業のお知らせ」を偶然見つけた。(2021/08/24撮影)

 何か目新しいグッズや土産でも入荷していないかと、店頭の品物を探していた時にシャッター枠にこれが貼られていた。斜め読みしたら「・・・をもって閉店」に見えてしまったが、よく見れば「・・・より休業」であった。だが、いつまでなのだろうか?「当面の間」とも書かれてはいなかった。
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 ここが未だキヨスク時代だった頃、帰省時Uターン時によくここを利用していた。ちょっと変わった竹原グッズのコーナーが有って、頼山陽の何だか難しい内容の本とか、竹原の写真や絵の葉書、各種竹原のキーホルダーなどが籠や棚に置かれていたが、セブンになってからはグッズコーナーが冷蔵庫になったようだ。
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 この窓の隅にあるアイスクリームの冷凍ボックスはキヨスク時代からそのまま。夏にはここからカップアイスを取り出してレジに持って行き、電車を待ちながらホームの椅子に座って食べたりとか・・・。
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 この冷蔵ケースは、勝手に開けると警報ブザーが鳴りそうな気がして開けたことは一度も無かった。通勤時に八王子駅ホームのキヨスクでオニギリを買おうと扉を開いたら、突然ブザーが鳴って驚いたのがトラウマ?になっている。実際、この扉を開けると何かの警報か店員へこっそり通報する仕組みが有るかは知らない。
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 この駅舎出入口に取り付けられた「セブンイレブン Kiosk」の看板も開店当時は新鮮だった。
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では、いつものように「蔵出し写真」から竹原駅のキヨスクの写真を探し出してみた。「たまゆら」にもここが登場したことから、2011年当時はたくさん撮っていたはずだが、写真に付けたワード検索では以下の数枚しか見つけられなかった。

先ずは最古の写真。夜中に三原から到着した時の竹原駅構内。キヨスクはシャッターが閉まっているが、右側の奥には自販機の灯りが見えている。観光案内処が未だこの自販機の裏側に有った頃である。(1998/08頃撮影)
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 これは開店中の様子。右側スペースに竹原グッズのコーナーが有った頃である。(2003/08/10撮影)
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 そしてキヨスクがセブン仕様に変った年に撮った写真。この時に取替られた待合席の椅子配置が90度変わっていたことが分る。(2016/08/07撮影)
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 この「セブン・イレブン キヨスクJR竹原駅」が新規オープンしたのは2016年7月5日。駅が閉まるので24時間営業ではない。この「休業」の貼り紙には、休業理由や期間が何処にも書かれていないのが非常に気になる。

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