安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年08月

 ネットニュースを拾い読みしていると「今週末から来週にかけ西日本でこれまで経験したことが無い豪雨の恐れ、3年前の西日本豪雨災害規模に及ぶ可能性あり」とのセンセーショナルなタイトルや冒頭文が並んでいる。私にはこの類の記事がどうしても「川口浩探検隊の前人未踏の人食い虎(これまで人が訪れていない地にナゼ人食い虎が棲んでいるのか?)」とツッ込みたくなるのだが、3年前に経験したはずの豪雨災害を今回もまた初めて経験する??・・・まるで「時かけ」のようなタイムリープの世界が西日本に住む人達に起こってしまうことになろう。台風9号襲来時のように「どうか今回も脅して読ませてナンボの記事でありますように・・」と神に祈るばかりである。

 7月の豪雨災害では床板裏まであと5cmの浸水(水位は路上から約50cm)を被災した我が家であるが、リフォームにてフローリング床に点検口を設けなかったことで未だ床下が洗浄できていない。各部屋の換気口からは泥臭い悪臭が逆流して漂うので換気口へフタを被せて点検口追加工事まで凌いでいる状況である。

 7月の豪雨災害にて倉庫内の雑誌類や小学生時代に使っていた勉強机などが浸かってしまった。倉庫内には9月末で閉鎖されるゴミ処理場(吉名と安芸津)へ持ち込む予定だった資源ゴミを多数置いていたのだが、先ずは濡れなかった衣類を処理場へ持ち込んだら係員に「ちょっと待って!」と紐で縛っていた衣類を1枚1枚全て調べられた。結果は「いいよ!」だったが、どうやら処理場へは災害で汚れた衣類の持ち込みが禁止のようであった。

・・・ならば汚泥や汚水で汚れた資源となるはずの雑誌やスチール製家具類は一体何処へ捨てたら良いのか?と途方に暮れていたら、廃園になった西幼稚園の園庭にゴミの山が徐々に集められている様子を目撃。どう見ても災害ゴミとは思えないゴミのほうが多いように見えるのだが、もしかしたらこれは不法投棄なのか、それとも竹原市が正式に指定した廃棄場所なのだろうか?(2021/07/13撮影)
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 それ以後、捨てられずに倉庫に置いていた災害ゴミの行き場が無かったのだが、昼間だけ開いていた門から恐る恐る中へ入ってみると「災害廃棄物仮置場は、令和3年8月6日(金)17時をもって閉鎖します。竹原市市民課生活環境係」の貼り紙が門の格子に提げてあるのを見つけた。ここは市が許可した廃棄置場だった。
 災害ゴミなら捨てても良いことが分かったので汚泥で汚れたタオルケットと濡れて錆びたスチール机(分解済)を自動車で持ち込んで有難く廃棄させてもらった。玄関への浸水防止に使った毛布は次回の浸水に備えて洗ったので廃棄はしなかった。(2021/08/03撮影)
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 そして仮置場の閉鎖から数日後。西幼稚園の門は昼間も閉めらたままとなった。(2021/08/09撮影)
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 昨日、西幼稚園前を通った時、再び開門されているのを目撃。門から乗用車が中へ入る最中だったが、仕事などの都合で捨て遅れた人用にと閉鎖が一時解除されたのだろうか?まあ、こんな豪雨災害が起こることは数十年に一度なのだから、この程度の期限厳守遅れは融通を利かせてもらえたのだろうと推測。
 明日から来週までの間に未曾有の災害が発生するとのネット記事、再びここへ災害廃棄物を持ち込む事にならなければよいが・・・・。

 令和3年5月10日、竹原市下野町中通に「Bistro Shin(ビストロ シン)」が新規オープン。自宅から歩いて行ける場所なのに、これまでコロナ禍対応や開店時間帯に都合がつかず、初めての店へ訪れたのが本日の昼となった。(2021/08/10撮影)
 「Bistro Shin」の場所は、国道432号沿いの芸陽バス停「中通下」があるファミリーマート下野町店が目安となる。ファミマ駐車場から東側にこのようなオシャレなれんが色の建物と青い看板が「Bistro Shin」。
 今回使った駐車場は、看板後ろの縦列駐車で2台停められるスペースを使ったが奥に停めると出られない。併設の「お好みハウス Bon-bon」側の出入口前にも停められるかもしれないので店主へ要確認。
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 こちらが今回停めた駐車スペースだが、軽自動車でも2台横並び置きはドア開閉が厳しいかも。
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 特に断り書き等無かったので、たぶんこちら側の駐車スペースも使えそうである。
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 店が営業中か閉店中かは、道路沿い窓に置かれた「OPEN」か「CLOSED」の札で確認できる。日曜月と月曜以外のランチタイム時間帯ならラストオーダー時刻までは「OPEN」のはず。ディナー時間帯は完全1組予約制なのだが、この場合はどちらの札なのかは未確認。
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 それでは予約無しで初のランチへ・・・。
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 ランチタイムでの店内の席構成は、4人まで可能なテーブルが計5席であり、厨房ぎわにはカウンター席は無かった。コロナ対応なのか各テーブルは基本2台の椅子になっており、家族連れなど3,4人時の来店時は椅子が追加されていた。予約を入れなかった今回でも座る席はフリーだったので店内の中央席にした。
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 ランチタイムのメニューは、各種コースランチのみということを店主から事前に聞いていたので、今回は迷うことなくパスタランチセットのコースを夫婦で注文。パスタランチコースには、各種パスタと本日のパスタの選択肢があり、コース専用の各種ドリンク、オードブル、バケット(パン)はプレーンやガーリック・オイルなど、食後のデーザートがセットになっていた。(家族連れの客が、子供用に単品を検討していたが、パスタの単品が有るかは未確認)
 メニューについては以下のチラシを確認して欲しい。今回注文したのは、パスタランチセット(¥2150~)だが、肉料理がメインディッシュのプチコース、ランチコースとフルコースがあるようだ。
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 先ずは本日のオードブルと食事中にと指定したドリンク(ジンジャーエールとアップルタイザー)。オードブルはカルパッチョと鶏肉にサラダだったと思う。(写真撮影OKとの事)
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 オードブルは「Bistro Shin」の袋が付いた箸で頂いた。久しぶり、いや数年ぶりのカルパッチョは涙が出るほど美味しかった。きざみトマトがこんなに合うとは知らなかった。デザートがアイスとケーキとのことだったので、ドリンクをコーヒーにしようか悩んだが、カルパッチョとパスタには炭酸系が大正解であった。
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 次はバケット、フランスパンの種類のひとつ。カリカリの皮が特徴なのだが、竹原市内のパン屋で買っているバケットより皮の厚さが薄くて千切りやすかった。これは自家製ではなく、九州で探し当てた専門店からの取り寄せ品とのことである。ここ「Bistro Shin」で個別注文すれば取り寄せも可能のようだ。

 そしてこれがメインディシッュ。海老とモッツアレラチーズの・・・・何だったっけ・・覚えていたのに忘れた。・・と妻が本日のパスタである。
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 私には少々量が少ないかと思われたが、食べ終わるとオードブルとパスタで満腹。
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 最後は塩アイスとケーキのデサート。全体に白い砂糖がかけられていたが味は黒砂糖風味だった。
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 本日、「Bistro Shin」を訪れたのは正午過ぎで店を出たのが13時過ぎ。先客は男性客1人だったが、食事中には他にも3人組と家族連れの客で計3テーブルが埋まった。次回訪れる時には念のため予約を入れておくほうが良さそうである。
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 以下はレジで頂いたディナーメニューの印刷物と名刺。ディナーは完全予約制で1日1組限定、コースには個々に皿が出される基本とフルに、一皿を取り分ける(シェア)の計3種類がある。
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 以上が「Bistro Shin」での初の食レポである。ここはイタリアン・レストランの小規模店であるビストロ。私の個人的な感想では、ここは「昼飯は軽くスパゲッティーでも行くか・・・」の大衆食堂風ではなく、フレンチ・レストラン風にコースで料理が提供されるカジュアルな高ランクの店といえよう。

 町並み保存地区辺りを巡っていると、「上市区(かみいちく)」や「下市区(しもいちく)」などの旧区名が書かれた札が外壁にある一般古民家や古い店舗などを何ヶ所か見かける。自治会組長の自宅に掲げられる組長札は紐で吊るされるが、家屋の柱に釘で打ち付けられた札はその地区(組)名を示す標的なものといえよう。
 この旧区名札は取付場所の改築や解体と同時に徐々に消滅しており、現在残っている札も経年変化で書かれた文字がかすれてしまっている。いつしか消え去るこの札も貴重な歴史的文化財?なので竹原町内にどのような札が残っているかを探してみた。(2021/08/09撮影)

 ここは旧佐倉酒店隣りの古民家、写真に赤矢印で示したのが区名札(正式名は分からない)である。
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 先ずは竹鶴酒造向いのT字路角で見つけた「上市区1組」の札。
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 かなり激しく劣化しているが区名下に薄っすらと「竹鶴」と読める文字が見えた。これまで何度も見ていた札だが、「竹鶴」の広告文字が有った事を今回初めて知る。
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 本当に「竹鶴」なのかを確かめるためフォトショップで画像加工を駆使してみると大正解!日光に晒されない軒下なのにこの酷い劣化、この札はいつ頃の物なのであろうか?
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 ならば・・・他の区名の札にも何かの広告があるのだろうか?

 これは「旧佐倉酒店」隣りの札「上市区2組」。下部の広告部分は判読不能なレベルまで色褪せていたが、上部に赤い左矢印が描かれていることが初めて分かった。「上市区1組」の札では右矢印はほぼ消滅している。矢印が描かれているということは、「ここが上市区2組」ではなく「ここから左が上市区2組となる」という意味の境界標的な札といえる。
 保存地区の何処かに「上市区」と「下市区」の札が並んでいる場所が有ったハズだが、今回何度巡ってみても見つからず。既に取り外されてしまったか、それとも記憶の間違いか・・・・。
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 上部の赤い左矢印が見えるだろうか?下部の広告は何となく「竹鶴」に見える。
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 同様に画像加工を施すと「竹鶴」と言えばそうかも・・・であった。
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 では板屋小路で見つけた「小路区(しょうじく)」はどうであろう。
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 この札には明らかに矢印や広告が無い。
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 神谷理容店跡の向いで見つけた「京栄区(きょうえいく)」は?
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 これも矢印や広告が無い。
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 地蔵堂への路地の角で見つけた「下市区(しもいちく)」は?
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 これも同様に区名だけだった。
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 保存地区とその周辺を巡ってみたが、昔どこかで見た憶えがある「地蔵区(じぞうく)」が1枚も見つからず。もしかしたら「田中区(たなかく)」が有るかもと探してみたが無かった。

 ならば自転車で行けそうな竹原町内へ探索範囲を拡大。

 先ずは本川通り商店街の鮮魚センター跡で見つけた「本川区(ほんかわく)」。これは保存地区辺りの札よりも比較的新しそうだ。これには矢印があるが広告は無かった。だが、この赤矢印が曲者だ。「ここから本川区」を意味するハズなのに、ここは本川区のど真ん中なので矢印を描く意味は無し。
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 この日本橋通りで見つけた「本川区」の矢印も本川区のド真ん中なので正しくない。本川区は更に先の扇町通り(本川郵便局が角にある)から北側が本川区のはずである。
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 これは新町区と榎町区の境界である渡逢橋で見つけた「新町区(しんまちく)」である。この橋の西詰からが新町区なので右矢印が欲しいところだが描かれた形跡なし。
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 その北側からが「榎町区(えのきちょうく)」となり、雨水ポンプ場の金網フェンスに札を見つけた。
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 矢印は正しいのだが、面白いことに文字が右から左へ「区町榎」と書かれていた。走る軽トラのドアでもあるまいし素直に「榎町区」と書けない理由は何?戦前からのものでもないし、横書きでの右書きの法則が知りたい。
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 この区や組が書かれた札(釘打ち型)は竹原町以外でも多数見た憶えがある。現在は後期高齢者との場所についての会話がこの名称を使わないと通じないが、もう20年も経てば使われなくなるであろう。だが、その地区にある公園名にはこの旧区画名が付けられるのが通例のようで、その公園名の由来を知る上でもこの「区名札」は貴重な歴史的価値があるといえる。

 本日深夜から明日8月9日午前中にかけて台風9号が竹原市上空を通過するようだ。夕方に大音響エリアメール(高齢者避難指示と土砂災害警戒レベル3相当)が届いたが、本日のブログを書いている時間帯では未だ雨風は通常レベル(小規模台風が通過する際)のようである。7月の豪雨災害からまだ1ヶ月、またもや潮位の高い大潮時の大雨となる予報であり、大雨後の本川の水位上昇がとても心配である。竹原港の巨大水門が活躍することを祈りたい。

 5月中旬に橋桁半分が架けられた「砂原橋架設工事」。架設工事のお知らせ看板によると工期が5月7日~28日だったので、2本ある橋桁の1本目を前半2週間(5月7日~20日まで)、2本目を残りの2週間(5月21日~28日)で行う計画と思われたが、1本目の架設完了後、ここを何度か通った外見では特に何か変わった様子は見られなかった。残る2本目が架けられたのを見たのが7月であった。(2021/08/07撮影)

 賀茂川に架かる橋脚に橋桁の東側2本目(枚目?)が載せられた。荘野の商店街がある旧道への出入り口は依然通行止めとなっている。
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 これが賀茂川の中程に建てられた巨大な橋脚。
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 この河川内の橋脚から砂原橋東詰めとなる橋脚までの区間の橋桁が新たに架設を終えていた。
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 国道432号バイパスとなる橋桁の道幅を確認したかったが、現状では片側が1車線なのか2車線なのかは未だ分からなかった。(両側に設けられる歩道の幅が不明) 
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 賀茂川への架設が完了したが、ここから国道432号を跨いで遺跡発掘調査中部分までが立体交差となる工事もこれから予定されているはずなので、この「通行止」は更に延長されるであろう。
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 遺跡調査の現場を訪れた際に、国道歩道側の看板を見つけた。
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 ここには砂原橋の進捗状況の写真が月度で貼られていた。
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 この看板で砂原橋の新設工事の工期が令和4年度までの計画であったことを知る。また、今回の新庄交差点から小早川神社BSまでのバイパス、小早川神社BSから国道432号を跨いで賀茂川に架ける砂原橋を通り、東洋コルク裏の田園を貫いて大福地橋西詰めまでの新ルートの名称が、この工事名「国道432号(竹原バイパス)」であることが分かった。
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 この新ルートは更に伸びて、上条橋西詰から中通冷蔵辺りにも新しい橋が架けられる計画となっている。これが完成すると「竹原バイパス」ではなく「小早川のバイパス」などと呼ばれるのだろうが、その期間は一時的で新ルートが「国道432号」となり、現在の国道が「旧国道432」と呼ばれるようになるだろう。だが、新ルートが完成するのは何年後?もしかしたら十何年後?どちらにしても新ルートを免許を返納せず自分で運転して走れることはたぶん無いであろう。

 7月のブログ記事「小早川神社裏の工事現場から鉄砲が出た?」では真相が不明だったが、その場所を何度か通る際に「明らかに工事ではない様子」が伺えたので、本日、仕事が終わってた夕方に直接その場所を訪れてみた。場所は国道432号沿いの小早川神社の北背後から芸陽バス停「小早川神社」までの区間である。 

 先ずは「明らかに工事ではない様子」であるが、以下は田万里地区を撮りに出かけた戻りに取ったものである。広範囲に日除けテントが張られ、柱が立っていた跡らしき穴や掘り進んだ段差らしき状態が見られた。(2021/07/27撮影)
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 以下は通りすがり時ではなく、実際にその場所を訪れた時に撮った写真であるが、帰宅時間帯で国道の車両往来が激しく遺跡調査場所らしき側には歩道がないため、近寄ってまともな写真が撮れなかった。当然だが区域内は立入禁止。歩道側から撮ってはみたが、発掘中の穴や段差らしき状態が確認てきない。昼間に見えたテントも仕舞われ、テントが有った場所全面がブルーシートで覆われ見えなかった。(20021/08/07撮影)
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 芸陽バス停「小早川神社」まで歩いて行くと作業内容が記載された看板を見つけた。
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 バイパス工事の最中に見つかった遺跡の発掘調査であったことが確定。だがこれだけでは「鉄砲が出た!」は未だ分からない。
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 遺跡発掘調査中
 事業名:一般国道432号改築事業(竹原)
 遺跡名:城ノ本遺跡
 期間:令和3年4月12日~令和3年8月上旬(予定)
 調査機関:(公財)広島県教育事業団 埋蔵文化財調査室
 連絡先:城ノ本遺跡発掘調査事務所
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 調査の期間が4月だったというのに「遺跡」についての情報が得られていなかった。そして終了が8月諸初旬
ということは連休前後ということになるが、未だ埋め戻されていないことから調査は継続中のようではある。
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 この場所は木村城址の登山口だが未だここへは訪れたことが無い。
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 そして芸陽バス停「小早川神社」。なぜか別名「和賀神社」だった時期もあったと記憶。
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 このプレハブが城ノ本遺跡発掘調査事務所であった。
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 ここから路側を歩こうにも自動車が猛スピードで激しく流れている時間帯の為、ゆっくりとは撮影ができなかった。撮れたとしてもブルーシートで全て隠されているのでこれ以上撮る価値無しと判断。
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 以上、ここが「城ノ本遺跡発掘調査」の場所であったことが判明。このキーワードでWEB検索すれば色々と公開情報が得られそうだ。似たような名称で惑わされたが以下の2サイトが見つかった。

(1) 中国新聞(2021/07/26記事、有料会員なら全文閲覧可)
  「竹原に柱穴など中世集落跡 「城ノ本遺跡」31日に現地見学会
(2) 公益財団法人広島県教育事業団事務局 埋蔵文化財調査室
  「令和3年度 発掘調査ニュース 城ノ本遺跡(竹原市新庄町城ノ本)」 

 記載内容をザッと読んでみたが、巷のうわさの「小早川神社の先の工事現場で鉄砲が見つかった!」のようなことは書かれていなかった。

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