安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年09月

 過去ブログ記事「キロソーラー発電工事」が建設された吉名町の場所から山越えをした海沿いが平方地区である。2012年のGW帰省時に平方を訪れた際、煉瓦造りの溜池と謎の建造物があり、鉄製扉がある建造物はゴミ捨て場として利用されていた。その後、平方を再び訪れる機会は少なく、何か雰囲気が違っていると気付いた頃にはこの建造物は消滅していた。

 下の地図では赤矢印ラインが「山越え」ルートで、黄色い印が溜池、青いが謎の建造物が在った場所である。
#00

 以下は2012年のGW帰省で撮った溜池と建造物の写真である。(2012/05/01撮影)

 先ずは溜池だが、ガードレールから覗くと溜池と煉瓦造りの壁面があり、これは溜池の中央を仕切るための構造物のようで、水面に僅かに見えるアーチ状のトンネルは仕切られた溜池の水路と思われる。現在、この溜池と煉瓦造りの壁面の存在については未確認である。
#01
#02
 その溜池の反対側に煉瓦造りの謎の建造物があり、何かここへ格納するためのものだと思うのだが、戦前からあるような雰囲気であった。吉名町に多数の煉瓦工場があったことと何か関係がありそうだ。 
#03
 建造物がある区画の防波堤内側にはコンクリ製の道路が造られており、途中までは自動車で入ることができた。向こう側に見える鉄塔が立つ岬は山陽煉瓦工場がある宗越地区である。
#04
 溜池のガードレール沿いには福祉バスの平方停留所がある。
#05
 この格納庫風の建造物には朽ち果てた鉄製の扉があり、隣りの空洞にはカラス除けネットが張られてゴミ捨て場として利用されていた。
#06
#07
 ちなみに2013年に撮られた Google Mapではこの建造物が存在している。

**** それから約10年が経過 ****

 以下は今回、「耳地蔵」を撮りに宗越へ向かう際に平方を撮った写真であるが、謎の建造物はいつのまにか消滅していた。 

 先ずは赤矢印ルートの起点であるキロソーラー発電ヤードだが既に工事は完了してした。
#08
 ここから「山越え」。曲がりくねった急な坂道の峠を抜けると平方地区へ到達する。
#09
#10
#11
#12
#13
 左側には広大な吉名メガソーラー発電所。正面には牡蠣いかだが浮かぶ平方の湾が見えてくる。
#14
#15
 坂道を下ったT字路が、謎の建造物が在った場所であり、桑のような植物が一面茂っている。
#16
#17
 宗越地区への途中にあるのが「南屋食料品店」である。
#18
#19

 消えてしまった謎の建造物が一体何だったのか?平方の湾にはカブトガニが生息しているのかも含め、近々、この「南屋」へ買い物に行って色々と訊いてみたい。

 NHKのテレビ番組「ダーウィンが来た!驚きと感動!生きものたちの物語」の「世界初スクープ!スナメリ謎の大集結」(2021/09/26放映)を観た。予告解説の日本各地に生息するスナメリといえば「竹原市高崎町阿波島のゼゴンドウ」が登場するに違いないと期待したのだが、残念なことに取材場所は千葉県銚子市のみ。釣り船やドローンもなく阿波島の南側海面を撮ることはできないので、久しぶりにに国道185号沿いにある「天然記念物スナメリクジラ廻游海面」の「スナメリ碑」を訪れてみた。(2021/09/28撮影)

 前回、ここを訪れたのは今年の2月、過去ブログ記事「高崎町、阿波島辺りの国道沿い」では国道沿いから碑を眺めただけであったが、今回は碑がある小山とその脇から海辺へも下りてみた。高崎洞門を抜けてバンブー公園への出入口の少し先に有る小山にその碑がある。
#01
 ここがバンブー公園への出入口にあるT字路標識。
#02
 更に十数メートル進んだところに小山がある。この小山は国道をここに通すために切り開いた山の切れ端であり、忠海の「エデンの海公園」ができる前の状態と同様といえよう。
#03
#04
 この辺りには歩道が無いので交通量が多いと轢かれそうで怖い。
#05
 小山がある路肩から碑を見上げたら、前回2014年にこの碑を撮りに訪れた時とは違って、草木が茂って大荒れであった。碑の解説文と図を見るために小山を登ってみたが、松の枯葉と雑草で路肩まで滑り落ちそうだった。
#06
#07
#08
 碑の解説文と図は既に旧HPに掲載しているが、2014年当時と比べても特に変わりは無いようだ。
#09
 この図において阿波島の南端「白鼻岩」を中心とする半径1500mの円内が「天然記念物指定区域」である。この区域にスナメリが回遊しているらしいが白鼻岩辺りへ訪れる手段が私にはない。
#10
 碑の脇から正面を眺めるが、既に16時半で曇天の為に景観は最悪。
#11
 左手には火力発電所。
#12
 右手には契島辺りが霞んて見えていた。
#13
 眼下も干潮ではないので浜辺は見えない。旧HPに2015年に訪れた浜辺の写真があるので見て欲しい。(★注意★旧HPは年末にはサーバが無くなるので、来年からは見られなくなる。)
#14
 これは碑の裏側だが、表側からも先にある石標へは行けなかった。
#15
 碑の背面には国道を貫くためにえぐられた山肌が残っている。
#16
 小山から下りて、東脇から海岸へと下りてみた。
#17
#18
 干潮時なら絶好の休憩場所になるのだが・・・。
#19
 正面には阿波島。
#20
 右手には大崎島辺りか。
#21
 ここは電発もよく見えるポイント。
#22
 またもやカメラに黒い影。どうやら最近に太陽を撮ってしまったらしく、撮像素子が劣化しているようだ。
#23
#24
#25
 国道へ戻ろうとしたら、こんなに狭くて怖い道幅だった。
#26
#27
 今度は西脇にある石段から。
#28
#29
 石段の途中から右手に阿波島。
#30
 左手には高崎洞門も見える。
#31
 最後に国道の反対側(T字路標識の手前辺り)から阿波島の全景。
#32

 遥か昔の昭和時代、この阿波島は関西の観光会社によってリゾート地化が計画され、これに賛同された高崎町の方々が阿波島を分担所有されているそうである。この計画が頓挫していなければ、T字標識辺りから阿波島まで橋が架けられていたハズなので、白鼻岩へも徒歩で行けたであろう。「うさぎ島」の続く竹原市の観光資源、天然のビーチで泳いだりキャンプができて「天然記念物スナメリクジラ廻游海面」が眺められる「リゾートアイランド阿波島」が再企画されることを切望している。

 長らく呉線(竹原~三原)が運行休止となった原因の場所である福田町東川の護岸・川底、再々の豪雨後から災害復旧作業が急ピッチで進んで9月15日から呉線は再開となったが、依然として東川沿いの道路は全面通行止の状態が続いていた。

 以下は河川沿いの両道路が全面通行止となっていた頃である。(2021/09/14撮影)
#01

 先週、この地域の方から「やっと通れるようになった・・」との有難き情報を頂き、これでもう狭くて入り組んだ迂回ルートを通る必要もなくなった。本日は試しにと国道185号から曲がってみたところ、今まで利用していた河川左沿いの道路のみが2トン未満の制限付で通行可能になっていた。(2021/09/28撮影)
#02
 これからは復旧工事場所へ立ち入られるので、進捗状況も直接確認ができる。
#03
 これまで何十回もここを通っているのに東川の川底真下を呉線が横切っている意識は無かった。改めて考えて見ればここは天井川なのてある。
#04
 護岸は未だ巨大土嚢が積まれたままだが、トンネル部分から下流が舗装されたスロープとなっており、表面には薄く水が流れていた。
#05
 路面は未舗装の部分があり、重機通行用のためか厚い鉄板が敷かれた部分もあった。
#06
 このスロープとなる上段の河川床下に呉線が横切っている。
#07
 対岸の護岸法面が白くなっている場所がトンネル上部である。高圧危険の看板がある防護柵も見える。
#08
#09
 これは戻り時に国道へ出る際の様子。
#10
 防護柵がある離合場所からは呉線線路が見える。踏切辺りからトンネル本体も見えるのだが、わざわざ訪れてまで撮る必要も無かろう。
#11

 現状、河川の西側沿いが通行可能にはなったが、必要に応じて重機が走るだろうし、仮舗装や本舗装のの工事も行われるであろうから、再びここが通行止となることもありうる。その際は対岸の東側沿いが通行可能になりそうだが、道幅が狭くてトンネル先に架かる狭い橋も渡る必要がある。工事完了まで豪雨が訪れないことをただ祈ることしかできないのが歯がゆい。

 吉名町宗越地区にある「耳地蔵」を遠方からも参拝される方々が多いとの話を最近得たことから、実際に訪れてみた。その場所は吉名魚港から海沿いを西へと伝った宗越、山陽煉瓦株式会社の敷地沿いである。(2021/09/27撮影)

 吉名町平方地区から更に西へ進むと巨大な送電鉄塔がある岬が見えてくる。この辺りが宗越(旧町名)地区であり、昭和30年代頃はこの防潮堤が無く、道幅も狭くて自動車ごと海へ転落する人もおられたそうだ。
#01
#02
 海沿いをY字路まで進むと山陽煉瓦株式会社があり、ここを左折した先に「耳地蔵」が鎮座している。
#03
 山陽煉瓦の敷地を貫く特養老人ホーム宗越園バーベキューハウス宗越への道路。その途中右側に見えている緑色(緑青)の屋根が「耳地蔵」の祠である。
#04
#05
 この祠なのだが、道路側からは地蔵尊が見えなかった。
#06
 横からも・・・見えず。ということは正面は西側のようだ。
#07
 車を停めて表側に廻ってみると地蔵尊が2体。どちらが「耳地蔵」様なのだろうか?壁には「謂われ」などの掲示は見当たらず。
#08
#09
 後ろの正面?に石碑が立てられていた。「三界万霊耳地蔵」と彫られており、ここが「耳地蔵」であることに間違いなし。
#10
 創建は天保卯年十一月で、建立者は森本屋喜三郎(南涛家)。「天保卯年」は西暦で1831年で令和3年の190年前となる。
#11
 多用している資料本「たけはらの神仏を訪ねて」(著:神野勝)によると、謂れは、宅地造成に若い娘が人柱にされたことから、南涛さんがその霊を弔う地蔵尊を建立とのことだ。

 「耳地蔵」の祠(裏面)向いには煉瓦の山と係留地がある絶景スポット。資料本によれば再建立は昭和33年なのだが、地蔵尊はなぜ道沿いではなく西側を向かれているのだろうか。昭和33年頃の当時は未だこの道路がなくて海沿いだったのかもしれない。
#12
#13

 資料本には「地蔵」としての御利益については記述が無く、祀られている地蔵菩薩としての「身代わり、特に子供の苦労を身代わり」のみ。この地域の人から聴けた話では、遠方から遥々「耳地蔵」を拝みに来られるのを良く見掛けるそうで、なぜ「耳・・」なのか、「耳の病い」の治癒を祈願されているのかまでよくは分からないとの事。ただこの地域では「耳地蔵」との愛称?で親しまれていることは間違いないそうである。
 ちなみに「三界万霊」とは供養が目的される碑などに付けられる名称なので、本地蔵尊が謂れ通りの「弔い地蔵」であることは分る。忠海には「清水の耳なし地蔵」があるが、吉名町宗越の「三界万霊耳地蔵」については容易に情報が得られず御利益についての調査を継続する。

 今回は高崎町に続いて小吹地区の主要道路を走破。小吹地区は竹林とタケノコで有名であり、竹原市の小吹として登場するサスペンスドラマやレポート番組などを何種類かテレビで観たことがある。だが、私は実際に小吹を訪れたことは殆ど無く、タケノコ狩りも未体験のままである。
 今回はバンブー公園から:県道75号(小吹トンネル方面)へ抜ける途中から小吹地区の集落と竹林沿いを走ってみた。下地図では赤矢印がバンブー公園から小吹大橋を渡って小吹地区へ入って北側へのルートから県道75号方面へと抜け出てたルートで、黄緑矢印の戻りは県道75号からバンブー公園への途中から再び小吹地区へ入り、南方面へと下って呉線小吹踏切を渡ってバンブー公園に!抜け出たルートである。(2021/09/23撮影/写真は99枚)
#00
 先ずは赤矢印ルートカラスタート。バンブー公園から呉線を跨ぐ小吹大橋を渡って北上。
#01
 これが小吹大橋。ここは高崎町と小梨町の境界のようなのだが、そもそもここは小吹地区なのだろうか・・・。
#02
#03
 橋を渡ってカーブを繰り返しながら道なりに進む。
#04
#05
#06
 1km程度走った辺りに小吹地区へ入る看板がある。
#07
 看板には「竹の里 小吹」と書かれていた。
#08
 ここから坂を下ると・・・。
#09
#10
 小吹地区の集落がある。
#11
この先の電柱から左折すれば南下して小吹大橋がある踏切方面となり、直進して北上すると県道75号へと抜け出られる。先ずは北上ルートを走ってみる。
#12
 左折ルートは後程走る。
#13
 直進して道なりに走ってみるが、県道75号に近づくと道幅が狭くなって鬱蒼としていた。
#14
 この辺りが小吹地区の主要エリアだが竹林は見当たらなかった。
#15
 どんどん登る。
#16
#17
#18
 固まっていた家屋は見えなくなり、遥か彼方にポツンと一軒家。
#19
#20
#21
#22
 何だか先へ行けるのか怪しくなってきた。
#23
#24
#25
 落石注意の看板。
#26
#27
 ここは以前に訪れたポイントだった。
#28
 真っ直ぐ進むと県道75号へ抜け出られるのだが、ここは敢えて県道75号の高架下を潜ってみる。
#29
 これは小吹橋。高崎町の内浜まで流れている河川は内浜川である。
#30
 これは過去のブログ記事で紹介した中国自然歩道の案内板。
#31
 更に北上。
#32
 県道75号の桁下を潜って県道沿いの旧道へ。
#33
#34
 ここが峠の頂点のようだ。
#35
 下って行くと・・・。
#36
 マムシとスズメバチの注意看板。
#37
#38
 これで赤矢印ルートは終わり。この先は割愛するが、県道75号沿いにひたすら進んで抜け出した。
 
 ここからは黄緑矢印ルートへのバンブー公園へと南下する。
#39
 先程の「竹の里 小吹」の看板(裏側)に到着。
#40
 再び集落中心から、今度は左折して南下する。
#41
#42
 おっ、竹林が見えてきた。
#43
 この斜面はテレビで何度も観た場所なのか?
#44
#45
 竹林は道路右側面に続いている。
#46
#47
#48
#49
#50
 この辺りからは竹林が無くなった。
#51
#52
#53
#54
#55
#56
 もう家屋はひとつも無い。この辺りは小梨町なのか高崎町なのか?
#57
#58
 右にそれる道が有るが、舗装路の左側へ進む。
#59
 一応、離合場所があるがこれまで対向車には遭っていない。
#60
#61
 再び竹林が。
#62
#63
#64
 「竹原市上水道 小吹ポンプ場」。
#65
#66
 急に開けてきたが、そろそろ踏切なのか?
#67
#68
#69
#70
 いや、まだまだ先のようだ。
#71
 またまた竹林。
#72
#73
#74
#75
 抜け出られそうで出られないカーブが続く。
#76
#77
#78
 遥か向こうに散歩する人を発見。これが小吹地区での第一村人?
#79
 左側には内浜川が迫ってきた。
#80
#81
#82
 明るくなって家屋が見えてきた。そろそろ踏切か?
#83
#84
#85
 いや、まだのようだ。
#86
#87
#88
 見えた!スタート時に渡った小吹大橋だ!
#89
 川沿いを進む。
#90
 見えた!やっと小吹踏切に到達。
#91
#92
#93
 右を確認。竹原駅方面への青山トンネル入り口が見える。
#94
 左を確認。大乗方面へのカーブ。この辺りは「徐行~」25km/h 区間であり、電車は「カタン・・・・コトン・・・・カタン・・・・コトン・・・」と走っている。
#95
 このトンネル上が小吹大橋である。
#96
#97
#98
 トンネルを抜け出たらバンブー公園の第二駐車場付近に到達。スタート・ポイントに戻ってきた。
#99

 かなり前にこの南下ルートを走ったことはあるが、まだ県道75号が造成中だった。赤矢印ルートも小吹大橋が建造中で通行止めであった。微かな記憶では鬱蒼として行先不安な場所は無かったはずなのだが、もう20年以上前のことである。
 この小吹地区、住所的には竹原市小梨町小吹なのだが、地図ではどうみても高崎町にも掛かっているのではなかなうろか。それと・・・竹小時代に小吹へ遠足をしたことがあったが、竹小第1校庭沿いから東へ峠越えして小吹に抜けたハズ。だが、地図にはそれらしき道が無い。森近製材のバタンコが走れたぐらいの道だったので獣道ではなかった。もしかしたら竹小第1校庭沿いは県道75号の旧道を勘違いしていたのかもしれない。

↑このページのトップヘ