先月末は鳥居前までに終わっていたが、仕事が休みの火曜日に初めて参拝をしに訪れた吉名町の「光海神社(こうかいじんじゃ)」を紹介。撮った写真があまりにも多数であった為、本日までブログへの掲載が遅れてしまった。(参拝までを前半とし、参拝後を後半に分けることにした)(2021/12/07撮影)
既に紅葉の時季は過ぎたのだが、頂上の拝殿(以後、舞殿)の景観はこのような感じに撮れた。

神社の最初の鳥居から舞殿までの写真を順に掲載するが、舞殿内に掲示されていた各種解説に神社全体の図解があったので参考にして欲しい。なお、舞殿より先にある末社へは今回は訪れていない。

ここは地上、日本の石柱が光海神社への出入口である。

左手には池田勇人氏の胸像がある公園。巨大な石碑は「池田昌造翁の彰徳碑」。

右手には「川本庫吉翁の頌徳碑」。

第一鳥居の左手が社務所。

鳥居右手には「煙草碑」がある。


第一鳥居を潜ると石段左手に各種解説などがある。



石段下から見上げると頂上までは多段の境内があるようだ。

石段を上がった最初の境内。

光海神社の解説板。

解説板には光海神社の由来について詳細が記述されていた。(明治以前は光海八幡宮だったと書かれていた)

松くい虫の被害で枯れてしまい伐採を余儀なくされた御神木の一部と思われる。


次の石段を登る前に・・・

右手に小振りの鳥居と石段を見つけたので上ってみた。



この祠は吉名町出身戦没者の鎮魂のために建立された招魂社(昭和に再建)。

祠から下を見下ろす。

それでは次の石段を上がって2段目の境内へ。ここで気が付いたのが「初詣」の幟。初詣に訪れる参拝客の準備がもう済んでいる。

2段目の境内は狭く、3段目の境内への石段が傍にある。

下を見下ろすと2段目の境内の全景が見える。向こうに旧吉名小の体育館と校舎が見える。

それでは3段目の境内へ上がってみる。

石段横には見ごたえの有る紅葉が残っていた。

ここが3段目の境内。

下を見下ろす。

この石段を上がれは狛犬と獅子がある本境内となる。

石段左脇には社務所への小石段があった。

石段を上がると舞殿が見えたが、そこへ参拝するには更に石段があった。


この石囲みの中へ古い御神札や御守りなどを返納するようだ。初詣時にはこのサイズでは足らないだろうから、これは普段から受けてくれる場所であろう。

参拝する前に手水舎にて両手と口の中を清めた。簀の子は外されており花が浮かべてあった。


この石段を上がれば参拝ができるが・・・

その前に石段から下を見下ろし・・・阿吽の狛犬と獅子も撮っておいた。


口を開けて(阿吽の阿)いるのが獅子。

口を閉じて(阿吽の吽)いるのが狛犬である。

舞殿への石段横に珍しい「御百度参石」があった。

2本の棒にコイン状の輪が数十枚通してある。上段を10の位下段を1の位として拝殿へのお参り毎に算盤のように1枚ずつ右へ滑られるカウンターである。

この石段を上がると最上段の境内となる。ここが参拝を行う拝殿であり祭事に巫女が舞う舞殿である。


それでは最後の石段を上がって参拝。賽銭を投入して二礼二拍一礼。

「大祓」の人形(ひとがた)が備えられていた。一枚取って指名と年齢を書きね位置を吹きかけて半分に折った。

玉串料と一緒に賽銭箱へ投入した。

写真の前半はこれまで。
この「光海神社」の御神体を海から引き揚げた漁師である六郎左衛門の御子孫の家系と代々伝えられている方と先月にした雑談では、毎年10月15日に大祭が開かれ、昭和の時代には神社の境内が参拝客であふれてしまい参拝できないこともあったとのこと。一番の楽しみは舞殿での巫女の舞であり、遥々遠くからの神楽も奉納されていたようだ。他の方からは最近は10月15日ではなく中旬の休日に大祭が開かれており、吉名町では最大規模のお祭り行事とのことであったが昨年と今年はコロナ禍で中止となってしまった。
既に紅葉の時季は過ぎたのだが、頂上の拝殿(以後、舞殿)の景観はこのような感じに撮れた。

神社の最初の鳥居から舞殿までの写真を順に掲載するが、舞殿内に掲示されていた各種解説に神社全体の図解があったので参考にして欲しい。なお、舞殿より先にある末社へは今回は訪れていない。

ここは地上、日本の石柱が光海神社への出入口である。

左手には池田勇人氏の胸像がある公園。巨大な石碑は「池田昌造翁の彰徳碑」。

右手には「川本庫吉翁の頌徳碑」。

第一鳥居の左手が社務所。

鳥居右手には「煙草碑」がある。


第一鳥居を潜ると石段左手に各種解説などがある。



石段下から見上げると頂上までは多段の境内があるようだ。

石段を上がった最初の境内。

光海神社の解説板。

解説板には光海神社の由来について詳細が記述されていた。(明治以前は光海八幡宮だったと書かれていた)

松くい虫の被害で枯れてしまい伐採を余儀なくされた御神木の一部と思われる。


次の石段を登る前に・・・

右手に小振りの鳥居と石段を見つけたので上ってみた。



この祠は吉名町出身戦没者の鎮魂のために建立された招魂社(昭和に再建)。

祠から下を見下ろす。

それでは次の石段を上がって2段目の境内へ。ここで気が付いたのが「初詣」の幟。初詣に訪れる参拝客の準備がもう済んでいる。

2段目の境内は狭く、3段目の境内への石段が傍にある。

下を見下ろすと2段目の境内の全景が見える。向こうに旧吉名小の体育館と校舎が見える。

それでは3段目の境内へ上がってみる。

石段横には見ごたえの有る紅葉が残っていた。

ここが3段目の境内。

下を見下ろす。

この石段を上がれは狛犬と獅子がある本境内となる。

石段左脇には社務所への小石段があった。

石段を上がると舞殿が見えたが、そこへ参拝するには更に石段があった。


この石囲みの中へ古い御神札や御守りなどを返納するようだ。初詣時にはこのサイズでは足らないだろうから、これは普段から受けてくれる場所であろう。

参拝する前に手水舎にて両手と口の中を清めた。簀の子は外されており花が浮かべてあった。


この石段を上がれば参拝ができるが・・・

その前に石段から下を見下ろし・・・阿吽の狛犬と獅子も撮っておいた。


口を開けて(阿吽の阿)いるのが獅子。

口を閉じて(阿吽の吽)いるのが狛犬である。

舞殿への石段横に珍しい「御百度参石」があった。

2本の棒にコイン状の輪が数十枚通してある。上段を10の位下段を1の位として拝殿へのお参り毎に算盤のように1枚ずつ右へ滑られるカウンターである。

この石段を上がると最上段の境内となる。ここが参拝を行う拝殿であり祭事に巫女が舞う舞殿である。


それでは最後の石段を上がって参拝。賽銭を投入して二礼二拍一礼。

「大祓」の人形(ひとがた)が備えられていた。一枚取って指名と年齢を書きね位置を吹きかけて半分に折った。

玉串料と一緒に賽銭箱へ投入した。

写真の前半はこれまで。
この「光海神社」の御神体を海から引き揚げた漁師である六郎左衛門の御子孫の家系と代々伝えられている方と先月にした雑談では、毎年10月15日に大祭が開かれ、昭和の時代には神社の境内が参拝客であふれてしまい参拝できないこともあったとのこと。一番の楽しみは舞殿での巫女の舞であり、遥々遠くからの神楽も奉納されていたようだ。他の方からは最近は10月15日ではなく中旬の休日に大祭が開かれており、吉名町では最大規模のお祭り行事とのことであったが昨年と今年はコロナ禍で中止となってしまった。