安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2021年12月

 先月末は鳥居前までに終わっていたが、仕事が休みの火曜日に初めて参拝をしに訪れた吉名町の「光海神社(こうかいじんじゃ)」を紹介。撮った写真があまりにも多数であった為、本日までブログへの掲載が遅れてしまった。(参拝までを前半とし、参拝後を後半に分けることにした)(2021/12/07撮影)

 既に紅葉の時季は過ぎたのだが、頂上の拝殿(以後、舞殿)の景観はこのような感じに撮れた。
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 神社の最初の鳥居から舞殿までの写真を順に掲載するが、舞殿内に掲示されていた各種解説に神社全体の図解があったので参考にして欲しい。なお、舞殿より先にある末社へは今回は訪れていない。
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 ここは地上、日本の石柱が光海神社への出入口である。
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 左手には池田勇人氏の胸像がある公園。巨大な石碑は「池田昌造翁の彰徳碑」。
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 右手には「川本庫吉翁の頌徳碑」。
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 第一鳥居の左手が社務所。
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 鳥居右手には「煙草碑」がある。
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 第一鳥居を潜ると石段左手に各種解説などがある。
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 石段下から見上げると頂上までは多段の境内があるようだ。
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 石段を上がった最初の境内。
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 光海神社の解説板。
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 解説板には光海神社の由来について詳細が記述されていた。(明治以前は光海八幡宮だったと書かれていた)
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 松くい虫の被害で枯れてしまい伐採を余儀なくされた御神木の一部と思われる。
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 次の石段を登る前に・・・
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 右手に小振りの鳥居と石段を見つけたので上ってみた。
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 この祠は吉名町出身戦没者の鎮魂のために建立された招魂社(昭和に再建)。
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 祠から下を見下ろす。
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 それでは次の石段を上がって2段目の境内へ。ここで気が付いたのが「初詣」の幟。初詣に訪れる参拝客の準備がもう済んでいる。
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 2段目の境内は狭く、3段目の境内への石段が傍にある。
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 下を見下ろすと2段目の境内の全景が見える。向こうに旧吉名小の体育館と校舎が見える。
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 それでは3段目の境内へ上がってみる。
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 石段横には見ごたえの有る紅葉が残っていた。
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 ここが3段目の境内。
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 下を見下ろす。
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 この石段を上がれは狛犬と獅子がある本境内となる。
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 石段左脇には社務所への小石段があった。
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 石段を上がると舞殿が見えたが、そこへ参拝するには更に石段があった。
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 この石囲みの中へ古い御神札や御守りなどを返納するようだ。初詣時にはこのサイズでは足らないだろうから、これは普段から受けてくれる場所であろう。
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 参拝する前に手水舎にて両手と口の中を清めた。簀の子は外されており花が浮かべてあった。
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 この石段を上がれば参拝ができるが・・・
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 その前に石段から下を見下ろし・・・阿吽の狛犬と獅子も撮っておいた。
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 口を開けて(阿吽の阿)いるのが獅子。
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 口を閉じて(阿吽の吽)いるのが狛犬である。
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 舞殿への石段横に珍しい「御百度参石」があった。
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 2本の棒にコイン状の輪が数十枚通してある。上段を10の位下段を1の位として拝殿へのお参り毎に算盤のように1枚ずつ右へ滑られるカウンターである。
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 この石段を上がると最上段の境内となる。ここが参拝を行う拝殿であり祭事に巫女が舞う舞殿である。
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 それでは最後の石段を上がって参拝。賽銭を投入して二礼二拍一礼。
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 「大祓」の人形(ひとがた)が備えられていた。一枚取って指名と年齢を書きね位置を吹きかけて半分に折った。
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 玉串料と一緒に賽銭箱へ投入した。
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 写真の前半はこれまで。

 この「光海神社」の御神体を海から引き揚げた漁師である六郎左衛門の御子孫の家系と代々伝えられている方と先月にした雑談では、毎年10月15日に大祭が開かれ、昭和の時代には神社の境内が参拝客であふれてしまい参拝できないこともあったとのこと。一番の楽しみは舞殿での巫女の舞であり、遥々遠くからの神楽も奉納されていたようだ。他の方からは最近は10月15日ではなく中旬の休日に大祭が開かれており、吉名町では最大規模のお祭り行事とのことであったが昨年と今年はコロナ禍で中止となってしまった。

 毛木(けき)貯木場跡から松本煉瓦までの県道464号沿いに小振りながらも強烈な結界(個人的感想)を感じる鳥居がある。この神社名が「藤九郎稲荷神社(とうくろういなり)」ということは地図などで分かってはいるのだが、未だ拝殿へは訪れてはいない。
 ここには阿吽の狛犬と獅子の代わりに陶器風のお稲荷様があり、この地(掛の蒲)に斑(まだら)の狐が出没したことで稲荷神社を祀ったという謂われもある興味深い場所なのである。(2021/12/07撮影)

 自転車や徒歩で訪れるには少々辛い場所にあり、今回は鳥居の近くに自動車を停めてみたのだが、路側帯など無いので路駐を強いられるのが難点。少し離れた見通しのきく路肩ぎりぎりに停めて鳥居を目指した。
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 相変わらず神社名は無い。鳥居前の柱には「藤九郎」らしき文字も見当たらず。
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 初めて鳥居手前から上を眺めてみたが・・・・鬱蒼とした石段の遥か彼方に空が見える。
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 鳥居の真下から眺めてみる。この石段は121段あるらしく、息が切れるほどの勾配らしい。
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 ズームしてみると鳥居らしきものが見え、そこが陶器のお稲荷様がある境内のようだ。
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 時刻は15時前、ここへ来る前に吉名駅を訪れた頃は快晴だったが曇天へ急変。今回、やっと鳥居下まで来れたのに鬱蒼とした石段を一歩さえも踏む気にはなれなかった。わらべうた「とおりゃんせ」が聞こえてきそうな雰囲気が漂う藤九郎稲荷神社、境内や拝殿を訪れることが出来れば、もしかしたらこの「藤九郎」の名の意味を解き明かすことができそうなのに・・・。

 光海神社を訪れた際にJR吉名駅にも立ち寄ってみた。池田氏の胸像と同様ここも訪れるのは2010年(平成22年)以来だろうか。(2021/12/08撮影)
 外観は特に変わりは無いようだ。
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 お客さんを乗せたタクシーが到着したので、そろそろ電車が来るのかと自車内で待ってみたが来ず・・・。タクシーを降りた人はホームへ上ったはずなのに。
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 時刻表を見るために駅舎内へ入ってみた。中も10年前のと大差なしのようだ。
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 現在時刻は 14:31、時刻表を見ると上下便 14:59 だった。
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 駅向いには何だか懐かしい「近所のスーパー」の雰囲気が漂う辰巳商店。
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 また吉名タクシーが到着、もう一人ホームへ上がって行ったようだ。
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 吉名町の全体地図もかなりの劣化。以前はこの地図を見ても身近に感じられなかったが、色々と散策を重ねたことで地図が良く理解できている。
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 拡大してみたら地元民との会話に役立つ旧地名も多数書かれている。・・・が「西条」や「沖」という地名は見当たらず。
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以下は、前回訪れた時に撮っていた写真である。(2010/08/11撮影)
ホームに停まっているのは懐かしい「ゆうパック」塗装の列車だ。
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 吉名町の地図も真新しい。パネル後ろに見える辰巳商店の「たつ」の文字、この看板は現在は無い。
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 そして時刻表。窓の位置が現在とは左右違うことから、取り付けられた場所が変更されたようだ。
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以上。

吉名町の光海神社を訪れた際に、池田内閣総理大臣の胸像がある公園に立ち寄った。前回ここを訪れたのは2010年の夏だったと記憶。(2021/12/07撮影)

 特に変わった様子は無さそうだったが・・・
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 何だが以前見た時とは新しくなった気がする。竹原町の立像は取り外されて清掃・修繕された経緯があるが、この胸像もそれと同様の修繕が行われたのであろうか。
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 建立は昭和46年、題字は立像と同様の吉田茂元内閣総理大臣によるものだ。
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 台座の隅に小さな銘板を見つけた。修繕に関する説明書きだったが、今、この写真を拡大してみて驚いた。「(建立時の銅像は溶解処分とし現物は存在しない)」と書かれており、この像は本物はもう無いが「ある意味レプリカ」である。複製は現物を型取りされたのであろうか。
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 ちなみに前回訪れた時に撮った胸像がこれである。2010年は平成22年なので建立当時のものである。
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 この胸像の手前に敷かれている石畳は吉名村時代の橋の橋桁だったようだ。
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 光海神社の拝殿内に掛けてあった展示「吉名の歴史」の中に池田勇人氏に関する説明プレートが2枚あった。
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 「はやと羊羹」の口上書き。前半は光海神社の由来なのだが、中程辺りの「幸福と勇ある人(・・・)」からが中々興味深い。
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 以上、現在の胸像が複製だったことと、吉名銘菓「はやと羊羹」の存在が大収穫であった。不明と書かれている「はやと羊羹本舗」が当時何処らにあったかも調べてみたい。

 11月4日、「道の駅たけはら」に寄贈されたピンクのグランドピアノ。街角ピアノ的扱いなので愛称は「道駅ぴあの」が良さそうだ・・・と前回のブログ記事に書いたが、惜しくもその正しい愛称は「道の駅ぴあの」であった。これまで人の出入りが多い日曜日に何度か訪れてはいるが未だ演奏は聴けていない。当初、鍵盤のフタは試しに触ったり弾けるよう開けられていたが、気のせいかいつしか閉じられたままとなったかも。(2021/11/16撮影)
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そして、本日は平日の火曜日なので観光客も少なく館内は閑散。思い切ってピアノ椅子に座って鍵盤のフタを開いてみた。(2021/12/07撮影)
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 生のピアノの鍵盤をまともに触ったのは中学生以来だろうか。恐る恐る左手でFの和音(ファ・ラ・ド)を弾いてみると、ストロークが深くてズシリと重い。まるで誰かに内側からハネ返されているような生きた反発力が感じられた。そのままF和音のアルペジオを弾きながら右ペダルを踏んでみたら、心地良い余韻の澄んだ響きが館内に溢れた。放置されたピアノにはホンキートンクが多いが、さすが調律済みのピアノである。
 弾いてしまった以上、もう後には引けない。あれから1ヶ月、自宅の電子キーボードで練習していた曲を思い切って弾いてみた。
 今回、練習していたのはビートルズのポールの作品「Yesterday」と「The long and winding road」。未だ暗譜ができるまでには至っていないが、耳コピーして作った楽譜を印刷して持って来なかったので憶えている範囲で何度か弾いてみた。楽譜と言っても歌詞にコードを書いた単純なもの。左手がコードでメロディは記憶に頼った右手による単純な演奏。ちなみに私が何とかリアルタイムで読める楽譜はシャープとフラットが1つまでのC調・F調・G調ぐらいである。
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 今回、ここで演奏してみたのは上記の2曲と「雨だれ」(太田裕美デビュー曲)。聴いてくれていたのは傍のシートに座って本を読んでいたオジサンひとり。館内を見回すゆとりは無く、メロデイを間違えた時は顔中冷や汗がタラリであった。それでも満足いくまで10分以上は弾いていただろうか。静かにフタを閉めてその場を立ち去った。
 次回は2曲が完全に暗譜できるまで練習しておき、追加に耳コピーを終えた「Hey Jude」「Let it be」と「夏鳥」(季節に合わないが・・・)も練習しておきたい。 
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また、人の少ない平日に「道の駅ぴあの」を弾きに訪れることにする。

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