安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年01月

 楠通中程の「ダルマヤ」。先週土曜日に閉店の貼り紙があったとのことで「えっ・・・」と驚いてしまった。「ダルマヤ」は、中山タンス店・森近製材・荒谷商店・中山たばこ店などがある当時としては幅員の広い賑やかな楠通で昭和30年代から営業されており、シラサキや生花が入れられた店頭の樽に常時水を注いでいる水道の蛇口に手を浸して遊んでいた竹小時代の頃が懐かしい。楠通は私や友達の遊び場のひとつであった。

昨日、藤井酒造で酒粕を買った後に訪れてみたらシャッターが閉じられていた。(2022/01/30撮影)
#01
#02
自販機横に貼り紙を見つけた。
#03
#04
 昨年末に閉店されていた・・・
#05
#06

「ダルマヤ」では墓に供える盆灯籠や生花を何度が買いに訪れたことがある。以下に帰省時に撮った写真を並べるが、電話番号に「8」があるのが偶然だったのかが分らず仕舞いとなってしまった。なお、最初に撮った写真の日付が「98年08月08日」であったは偶然である。

(1998/08/08)
19980808a
200808xxa

(2001/05/04)
20010503a
20010503b

(2008/12/31)
20081231a

(2014/05/05)
20140505a
20140505b

(2015/05/03)
20150503a
20150503b
20150503c

最後に撮った営業中の写真には、生花に注がれる水道水(井戸水?)が写っていた。これが懐かしくてワザワザ店頭右脇を撮ったのであろう。

 本日は「清酒 竹鶴 純米吟醸 酒粕」(竹鶴酒造)と「誠鏡 酒粕(中尾醸造)」(道の駅売店/前川酒店)に続き、製造元の酒蔵交流館にて「純米 酒粕(500g)」を購入した。結果的に1月中旬から末までの短期間で「地酒酒粕の甘酒飲み比べ」となったが、殆ど日本酒を飲まない私でも、各醸造場の酒粕がそれぞれ異なる個性を持っていることが感じられた。
 今回は全ての酒粕について同量の酒粕と砂糖を混ぜて電子レンジで沸騰させたものを飲んだが、竹鶴の酒粕はアルコール感が高く味も辛めで清酒を少し注いで飲んでいる感じがした。龍勢の酒粕はアルコール感も味も極まろやかで飲みやすく、誠鏡の酒粕は酔いそうなアルコール感だが味は喉を抜けた後に清涼感があった。どれが一番好みかと問われれば竹鶴の甘酒、寒い夜に飲んでいたが強烈な辛口パンチが効いて一杯で心身が温まったからである。誠鏡は二杯目が欲しくなる程良い風味で、龍勢はお子様でも飲めそうな優しい甘酒になった。

 しばらくの間、楠通りを通っていなかったので確認するのを忘れていたが、竹鶴酒造にも杉玉が吊るされていた。先週火曜日に訪れた前川酒店の店主から「先程、龍勢の新酒が届いたんよ!」と聞いた時点で、初しぼりが始まって杉玉も吊るされていることに気が付くべきであった。(2022/01/30撮影)
#01
#02
映画「吟ずる者たち」に登場した「藤井酒造」。
#03
畷通りから酒蔵交流館へ向かう。観光客数は「まん延防止」で減ったが未だ閑散という程にはあらず。入口には「新酒の酒粕あります」の貼り紙があった。 
#00
酒蔵交流館の中に入ると観光客が2,3人いた。酒粕を探すと丸テーブルの盆に5,6袋置かれており、種類は葉書サイズに切られた500グラム入りのみ。最初は酒粕1袋だけを買い物かごに入れたが、2日持たない気がして2袋を購入してレジへ。しばらく回っているうちに客が徐々に増え始め倍増、屋外にも2名が中を覗いていた。気のせいかもしれないが、私の「仙台四郎」的な客寄せ効果は健在のようだ。

酒粕の袋に貼られたラベルには「龍勢」や「宝寿」が書かれていなかったので、レジで店主にどちらなのか訊いてみところ、暫く考えられて「今だったら龍勢ですね」とのこと。甘酒にすることを話すと「裂いてからトースターで焼いても美味しいですよ!」。「よく石油ストーブで焼いて砂糖をつけて食べてました。」と応えると意気投合。
確かに500グラム版なのに「角切り」なので、これなら焼いてみても良さそうだ。
#04
#05
本日のブログ記事を書きながら、いつものレシピで造った酒粕とオーブントースターで少々焦げて膨らむまで焼いたものを1枚、砂糖を振りかけた小皿に載せた。
#06

 龍勢の甘酒についての感想は前述の通りだが、試しに焼いてみた酒粕もマイルドだった。昭和の頃に石油ストーブに載せて炙っていた酒粕は、粗目の麻布か木綿布でしぼった生地の跡がクッキリで、厚みが薄くてボソボソとちぎれる感じだったが、トースターで焼いた龍勢の酒粕は分厚いピザ生地のような感じであった。
 2019年に道の駅で買った「酒粕(宝寿・龍勢) 」は、竹鶴と誠鏡の500グラム袋と同様の「切れ端」を潰したような袋詰めであったが、今年の龍勢は「角切り」(大小混在)だったので「甘酒」と「トースター炙り」で2袋が楽しめそうだ。

 東野保育所を撮りに行った際に、かつて賀茂神社の注連柱(しめばしら/鳥居ではなく二本の柱に注連縄が渡されている参道の境界)が在った場所のみを撮って十字路を左折するつもりが、左折側では災害復旧工事が再開されており重機がいて通り難かったせいか、無意識のまま坂の参道を直進して神社内の空き地まで行ってしまった。(2022/01/25撮影)

 ブルーシートが敷かれている場所が復旧工事が行われている側で、右側のカラーコーンと黒土嚢が並んでいる場所は仮工事を終えたエリアである。左へ曲がれば東野保育所や東野小があり、右へ曲がれば青田地区へ通じている旧道である。この十字路正面先にはかつて賀茂神社の注連柱があったのだが、この区域全体を含めて豪雨災害時の山津波で流失してしまった。
#01
 
以下の3枚は災害前にこの場所で撮った写真である。これまでは、ここから先へは訪れたことが無かった。
(2005/05/04撮影)
20050504a
(2012/01/02撮影)
20120102a
(2014/08/15撮影)
20140815a

話は現在に戻り、自動車でも途中まで行ける聞いていたので、行ける所まで進んでみた。
#02
#03
ここから先は賀茂神社への石段と左への分岐路となり、右側の空き地?へ駐車して石段へ。
#04
#05
#06
災害前は初詣で賑わっていたそうだが、ここからは空気が急に変って参拝すべきか戻るか戸惑ってしまった。
#07
ここまで来た以上、賀茂神社の御祭神様へ参拝しなくてはならない。
#08
#09
この石段を上れば境内のようだ。
#10
#11
何だか拝殿は殺伐とした気がした。
#12
手を清める手水舎は蓋が閉じられている。
#13
左手にはブロンズ製の馬像が奉納されていた。
#14
拝殿にて賽銭を格子戸孔へ落とし、二礼二拍一礼で参拝。
#15
最近知った神社本庁の古いポスターが貼られていた。
#16 
拝殿の扁額には「賀茂神社」と書かれていた。
#17 
神社での拝み方「二礼二拍一礼」は、正しくは「二拝二拍手一拝」と書くようだ。(広島県神社庁)
#18
奉納された神馬は、台座には大正4年11月10日の御大典記念(昭和天皇即位の礼)の奉納と、天皇御即位50周年記念第二次大戦出征神馬再献者銘板が嵌められていた。このブロンズ像はその再奉納のものであろうか。
#19
神馬靖国號
#20
通常、拝殿裏にある本殿は拝殿後部とつながっているのだが、直接、本殿にい参拝ができることが分かった。
#21
#22
本殿の正面へ。
#23
本殿にある狛犬(吽像)は初めて見た。
#24
こちらが獅子(阿像)。
#25
鳥居ではなく注連柱。参道にあった鳥居は流失してどこにも無い。
#26
右側に「八幡殿」と左側に「賀茂殿」があり、それぞれに参拝した。ちなみに賀茂神社の祭神は別雷神である。
#27
#28
神前での唱え詞は「祓え給え清め給え 守り給へ幸え給え」との広島神社庁の貼り紙。これを見つけて参拝をやり直した。
#29
祭神は本殿中央に祀られているようで、「賀茂殿」には別雷神、「八幡殿」には玉位姫命・息長足姫命・品陀別命が祀られた相殿という珍しい神社である。
#30
中央には「賀茂神社御畧記」の銘板が立てられていた。内容は難しすぎて読めなかった。
#31
本殿右横には併設の祠が2社あり、ここへも参拝した。
#32
右側が大歳神社で祭神は大年神・穀物の神。
#33
左側が中条荒神神社(安楽時荒神社を併設)で祭神は宇気母智命である。この地域の名称は「中条町」である。
#34
本殿での参拝を済ませて戻ることにした。
#35
#36
#37
#38
#39

 上記の併設神社名や祭神については、愛読書「竹原の神仏を訪ねて(著:神野勝)」から参照したものてあり、賀茂神社の名称は「相殿賀茂神社」で、俗名は「上賀茂大明神」と書かれていた。また、「相殿八幡神社」も載っており、両社はお互いに併設の扱い(相殿)となっていた。

 ここは2018年豪雨災害による犠牲者がおられる区域であり、興味本位程度で訪れてよい場所ではなかったことに今更痛感している。本記事では敢えて掲載しなかったが、神社拝殿・本殿の周囲3面には大規模な山崩れの傷跡を埋めた復旧法面が生々しく、参道の西沿いには鉄砲水が流れ落ちたとみられる深くて広いV字の溝が裾野まで走っていた。

 最後に「竹原聞きある記」にも「賀茂神社の由緒」が載せられており、その大半を転記した。これにより、竹原に流れる賀茂川の由来について知ることができた。
--------
 竹原市東野町字中条にある。祭神は別雷神。神社明細帳によると、安芸国賀茂郡は、昔城州(京都)賀茂大明神の神領地であったので、郡名を賀茂郡と言ったというのである。
 山田、山上、原、柏野四家の武士が、この地の地頭であり、毎年城州賀茂社へ一定額の供物歩奉納していた。特に毎年山城賀茂において競馬が行われ、必ず竹原の大山、宗山り、競馬を献上していた。今も山城賀茂競馬の時に、竹原大山、宗山馬の名が残っている。(大山は東野村、宗山は下野村)・・・
 建久五年、後藤実基が竹原東野村に住み、この地を鎮護していた。然し乱国であって京都に往来することは困難であり、長く進貢が途絶えることがあり、この地に城州賀茂大神を勧請するに至った。
 山城賀茂両社との距離は十八丁。この地もまた十八丁、両社の間に川があり、この川を賀茂川と称した。・・・この神社はもと東谷にあり、同社の八幡神社は西谷にあったが、玄和六年洪水により、両社が流失したので、あらためて、現在の地に合祀されたと言う。

-------

 国道432号の新庄町から東野町までの区間に造られつつある竹原バイパス(仮称?)の実ルートが徐々に見えてきた。下図のGoogleマップで右上から順に解説すると、
  • 小早川神社手前(遺跡発掘場所)までの整地が完了(こげ茶色線)
  • 小早川神社の本殿手前から国道を跨ぐ高架道路は未着手(黄色線)
  • 国道を跨ぐ部分から賀茂川に架かる砂原橋はほぼ完成(水色線)
  • 砂原橋西詰からは東洋コルク脇道までは現在盛土工事中(薄茶色線)
  • その脇道と交差する部分は通行可能で未着手(黄色線)
  • 小川を跨ぐ橋は仮完成で工事事務所が建てられている(水色線)
  • 小川の西沿いに直線の盛土が完成(薄茶色線)
  • 緩やかにカーブして大福地橋西詰までの区間は更地だが未整地(黄色線)
これまでは計画地図での粗いルートしか分からなかったが、地図上に引いた盛土や橋などの線が実ルートである。
#00

以下は、地図での解説とは順は逆になるが、新たな橋や盛土を撮った写真である。(2022/01/25撮影)

大福地橋の西詰めから工事予定地の脇を北へ。
#01
緩やかなカーブ手前の未整地沿いの道から北へ。
#02
緩やかナカーブ忠の未整地沿いから更に北へ。
#03
奇樹(藤の木)から先は直線の盛土になるが、自動車では行止りになるので盛土沿いには走れない。
#04
その直線の盛土が東洋コルクの裏まで続いている。盛土沿いの道を向こうから散歩しているひとが二人いた。
#05
撮影場所を変えて西側の山沿いから直線盛土を撮った。拡大しないと見えないが写真右端から左端まで盛土が続いている。(途中、何ヶ所か途切れている部分はある)
#06
その続き。右端から中央の東洋コルク裏まで盛土が続いて小川の橋で途切れる。
#07
途切れた盛土は賀茂川に新たに架かった砂原橋の西詰まで続いている。(本写真では盛土は見えていないが次の写真ではよく分る)
#08
東洋コルク脇道から砂原橋までの盛土を造っている工事が行われていた。
#09
中央辺りにちいさ見える白いのが砂原橋で、工事車両から砂原橋までの盛土は完成。
#10

 この盛土が固められ法面にブロックが積まれたその上に竹原バイパス道路が造成されるのか、工事車両が行き来するための仮道路なのかは現時点では分からない。工事期間がいつまでなのかが分る看板を探すのを忘れたが、この新庄交差点から大福地橋までの区間と、さらに計画されている上条橋西詰から親耕橋手前に斜めに架かる新たな橋ができる全計画ルートの竹原バイパスが完成する頃には私は運転免許を返納しているにちがいない。

 帰郷してからは新聞の定期購読を未だ始めてはいない。これまで某球団をかかえる大手新聞を継続更新しながら長年購読していたが、カープが連勝してもスポーツ蘭には載らないのは致し方ない。たが、徐々に広告欄や広告頁が増えていき、ここ数年は全頁数の半分以上が広告を占める有様。ドアポストから抜いても寝るまで開くこともせず新聞収納ケースに積まれて捨てていたことから、竹原に戻ってからは再契約をしないまま、ローカルテレビ局のニュースやネット記事の閲覧で地元情報を得ている。
 そのせいか、竹原に関する出来事・イベントやニュースは偶然(たまたま視ていて)知ることが多く、竹原が登場するテレビ番組では番組表のキーワード「竹原」検索のみが頼みの綱である。間近なローカル局放映は、「西村キャンプ場 ゴールデン」(01/28 19:00 TSS)で竹原市に竹原慎二さんが来るらしく、ジャニーズ Kis-My-Ft2 宮田さんの「アニメ聖地旅 竹原」(01/29 22:40 NHK-G中国)も検索で知った。放映中では、竹原ロケ満載の「るろうに剣心 最終章 The Final」(WOWOW)や、瀬戸内ゴルフリゾートなどが登場した「わくわく!火曜ゴルフ・プレミアム」なども見つけた。
 しかし、超ローカルな竹原情報は、やはり地方新聞やケーブルテレビ局でないと得られないのが辛いところで、最近ネット検索で偶然見つけたのが中国新聞の古い記事「東野保育所、24年春廃止へ 竹原市方針、28日に保護者向け説明会」(詳細を読むには無料登録が必要)がその一例である。竹原市内にある複数の幼稚園や保育所が統廃合して新たな「こども園」になる事は知っていたが、それから除外されていた東野町の東野保育所が2024年春に廃止する方針が固まった事までは得ることはできなかった。気になるのは「認定こども園」にはならず市内唯一の「保育所」のままなのだが、竹原公式HPの東野保育所には廃止については書かれてはおらず古い新聞記事は「古い記事」で「廃止」については変った可能性がある。ちなみに最近リニューアルされた竹原市公式HP内で東野保育所を検索するもリンク切れで廃止資料が閲覧できなくなっている。

 ということで、前置きが長くなってしまったが、2011年を最後に撮っていなかった東野保育所の外観を撮りに行ってみた。(2022/01/25撮影)
#01
#02
#03
#04

 外観的にはブロック塀が金網フェンスに取り替えられたぐらいだろうか。

 本記事は無料とは言え登録しないと過去記事の続きは読めず、廃止後は「子どもを近隣の施設に集約する」ことしか分からない。ネットにて無料で読める「中国新聞デジタル」で事足りそうだが、竹原のチラシも多数入る紙面版のほうが断然読みやすい。帰郷したら定期購読を契約する予定だったが、現在はカープ記事が載っていそうな日のみコンビニで買うにとどめている。

*****

以下は1999年と2011年に撮った東野保育所である。
(1999年08月撮影)
#05_1999
(2011/01/02撮影)
#06_2011

以上、東野保育所が継続なのか廃止かが分らなかったのでブログ記事のタイトルは「廃止?」とした。

↑このページのトップヘ