安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年01月

 本日は新酒の酒粕を買いに町並み保存地区の「竹鶴酒造」を訪れた。月末まで閉店では心配したいたが、先週、軒下に真新しい緑の杉玉が吊るされていた時と同様に営業中であった。玄関扉は開放されていたので中の土間へ・・・。中へ入ったのは数年前の帰省の「竹まつり」以来だろうか・・・。土間で挨拶すると右手の販売部屋から「いらっしゃいませ~」の声。格子戸を開いて「扉の貼り紙を見て、酒粕を買いにきたんじゃけど、未だ有るかねぇ~?」、「色々サイズが有って、1キロと500グラムと300グラムのどれがええかねぇ?」。1キロは耳を切った分厚い角切りの積み重ねで、500グラムと300グラムは切り落とした耳の詰め合わせのようだ。さすがに1キロは食べ切りないので、今回は500グラム袋を購入することにした。
 丸テーブルを眺めると研いだ米のサンプルと一緒に左の吟醸酒の極上瓶から右へと順に数本並べられている。どのような飲み方をされるかを訊かれ、自分の晩酌用ということで最も右の「清酒 竹鶴 純米吟醸 生酒 720ml」を選んで頂いた。(2022/01/16購入)

 これが今回購入した「新粕 500g(レシート品名酒粕 500g)」で新酒を搾った酒粕であることが分るが、袋の表には特に「竹鶴」の文字などは見当たらなかった。「酒粕」の文字の下には4種のレシピも添えられていた。
#01
 こちらが袋の裏。貼られたシールには「清酒 竹鶴 純米吟醸 酒粕)」と書かれていた。
#02
 これは今回購入したダンボール紙に包るまれた「清酒 竹鶴 純米吟醸 生酒 720ml」の瓶である。
#03
 紙筒から瓶を抜くと「初しぼり(商品名の一部?)」のシールが貼られた吟醸酒が現れた。購入前の店の方の話では、今年の新酒は未だ出荷準備中なので冷蔵保存されていた昨年の物ですが、宜しいでしょうか?との事。特に新酒を希望していなかったが、もう少し後の日に訪れていれば令和4年1月の「新酒」瓶が手に入ったかもしれない。
#04
 さて、さっそく買って帰った酒粕を食べてみるのだが、皮が裂けて中身が膨れるほどに焼ける石油ストーブはもうない。仕方なくアルミホイルを敷いてオーブントースターで焼くも、何分焼いてもサーモスタットが効いて焦げが付かず破れて膨れもしなかった。酒粕の色が変わってきた頃合いを見て外へ取り出した。
#05
 私の「懐かしさに浸れる食べ方」は、袋に書かれたレシピには無いが「酒かすまんじゅう」を丸めずに食べるようなもので、特製の「砂糖醤油だれ」に浸して熱々を頬張るのだが、自宅に有るのは「超低塩の醤油ボトル」と「和三盆風の粉砂糖」のみ。適当に皿へ混ぜて作って舐めてみたが、醤油味と砂糖の甘さが優しすぎて期待した「破壊力のある懐かしさ」は感じられなかった。
 やはり、一升瓶を抱えて直接買いに行った「柿井酒店」の醤油と、スプーン印の湿っぽい白砂糖でないとダメのようだ。それでもほんのりと心地よい口と鼻に広がる芳醇な香りが堪らない。気が付けば2,3分で今回焼いた酒粕を平らげていた。
#06

 次は「純米吟醸」の瓶の栓を開ける番である。さて、どんな器に注いで飲めば「新酒」の気分が味わえるかだが、これまで愛用していた佐倉酒店で買った青色硝子徳利瓶の御猪口が見当たらない。
押入れの「竹原帰省戦利品」ダンボールの中を漁ると、平成7年に掛町商店街で配られた新神輿を祝った「広島銘酒 竹鶴/竹原住吉神社奉賛会」の一合升2個、それと「マッサン」最盛期頃に道の駅で買った利き酒専用の御猪口(箱は龍勢の文字あり)が見つかった。さすがに一合升での吟醸酒はもったいないので利き酒用の御猪口へ注いでみた。
#07
 写真と実物では透明度や色味が実際とは異なるがほんのりと澄んだ淡い茶色で、一口含むと強烈な辛くて爽快なパンチを食らって目が覚めた!封を切る前は女性にも馴染めるようフルーティーで優しい味かと思われたが、ブログを書きながら「ちびりちびり」となるだけではなく、夕飯時の食中酒や熱燗としても楽しめそうだ。もちろんだが、私には酒類の知識は映画「吟ずる者たち」を観て概要の一部を知った程度である。この吟醸酒には「生」の文字が有り、一度も加熱処理をしないで出荷されるのが「生酒」らしい。
#08
#09

 ブログを書きながら利き酒用の御猪口で3盃を楽しんたが、銀座「TAU」で開かれた「竹原フェア」の各種竹原銘柄の試飲イベントで頂いたカープ坊やと竹原の文字が入ったお猪口が食器棚に置かれているのを思い出した。そこで真夜中に食器棚を探し回ったが何処かへ仕舞われてしまったようだ。

 昨年12月末に荘野地区の国道432号沿いで見た幟「初詣は氏神さまへ(総都八幡神社)」だが、これまで参拝したことが無かったので初詣時期が過ぎた年明けに訪れてみた。2年前に神社のある山が崩れた辺りを通ったことが有ったが、現在も災害復旧工事が続いており、遠回りで神社の参道に達した。(2022/01/11撮影)

 参拝してみたくなったきっかけは、1月9日から「まん延防止」でまた人混みの環境へは行けなくなったからであるが、前述の「氏神さまへ」の幟を見ていたこと、荘野地区に住まわれている方から初詣は子供の頃から「総都八幡」へ参拝していると聞いたこと、そして総都八幡神社近くに住まわれていた方から「総都」は昔は「僧都」だったが、神社に寺の「僧」は不釣り合いとのことで「総合の総」に改名された経緯?が聴けたことである。ちなみに「総都」のルビは「そうづ」ではなく「そうず」である。

 この日は天候不安定、竹原町は晴天だったが、神社の舞殿を訪れた時にはみぞれ混じりの雨に見舞われた。国道432号沿いを新庄交差点へ向かう木村城址BSを少し過ぎた新たな分岐を右折。 
#01
 しばらく走ると「新庄集会所」があり、更に東へと進む。
#02
 すると北側に災害復旧工事現場が見える。ここは2018年の豪雨災害で崩落したところである。
#03
 総都八幡神社はこの崩落場所の最上部に鎮座している。
#04
#05
 工事現場で通行止めだったルートを迂回して神社へと向かう。
#06
#07
 ここが神社への参道口である。真っ直ぐ行けば国道432号へも戻れる。
#08
 ゴミステーション向こうに数台停められる参拝者用駐車場?が有ったので駐車。
#10
 先ずはこの石段を昇る。
#11
#12
 鳥居の額(扁額)は「増都八幡宮」であり、「総」はなく「増」になっていた。
#13
 1本目の石段上にある境内から振り向いてみる。石段下の右側は災害復旧工事で通行止め。
#14
 この1段目境内に「神社の略伝」が設置されていた。
#15
 この解説には「増都」が明治時代に「総都」に改称されたことのみ記載。改称の経緯については触れられていなかった。由緒には「一日そうつへお参り候刻・・・」と書かれており、どこにこお寺の「僧」の文字は書かれていなかった。だが、愛読書「竹原の神仏を訪ねて(著:神野勝)」では俗称が「僧都八幡宮」となっており、地域住民からは「僧」の文字で親しまれていることがうかがえる。
#16
 2本目の石段を昇って次の境内へ。
#17
 振り向いてみる。
#18
#19
 登りきった境内の石灯籠から先は坂道になっていた。
#20
#21
#22
 坂道を登りきると第3の境内。
#23
 真横からは新庄の荘野地区の田畑が広がっている。この辺りは砂原町なのだが、国道沿いのバス停名は境内の解説板に書かれていた「神田(じんでん)」になっている。
#24
 案外キツイ坂道だった。
#25
 更に石段を昇る。
#26
 注連柱をくぐると・・・。
#27
 神楽殿がある境内に入れた。
#28
 清めの手洗「手水舎」は蓋がされていたので断念。
#30
 舞台へは上がれないが周囲から神楽殿をじっくりと観察。
#31
 ここの額にも「増都八幡宮」と書かれていた。
#32
 奉納画などが多数掛けられていた。これを撮って最中に雨混じりのみぞれに見舞われた。このような古い絵画は徐々に色褪せたり剥がれ落ちるので、じっくりと撮りたかったが舞台へは上がらなかった。勿論、神楽殿であるから神事に使われる神聖な場所だからである。(吉名の光海神社では神楽殿で展示物が閲覧できたが・・・)
#33
#34
#35
#36
#37
#38
#39
#40
#41
 胡堂の戎さま大黒さまより迫力がある。
#42
#43
 この奉納画だけ明治か大正時代の雰囲気。あの旭日旗も描かれている。ボケとハレーションで奉納年が見えない。
#44
 神楽殿から更に石段を昇ると拝殿がある。
#45
 拝殿がある境内となる。振り向くと神楽殿がみえる。
#46
 拝殿にて「二礼二拍一礼」の参拝を済ませ、祭神様へ撮影の御許しを頂く。拝殿の後ろにある本殿を撮らせていただいた。祭神様は解説板に書かれていた通り、仲哀天皇、神功皇后と応神天皇である。
#47
 拝殿左にも鳥居が有り、併設の祠が鎮座されていた。
#48
 こちらの神様へも参拝を済ませた。右側の祠1つと・・・
#49
 左の建物には4つの祠が収納されていた。計5つの祠だが解説板には相殿が4神社書かれていたが、どれがどれなのか分からず。
#50
 口を閉じている狛犬。
#51
 口を開けている獅子。
#52
 また、みぞれが降り出したので帰路へ。
#53
#54
#55
 地上に着いた頃は周囲は白い雨?が降っていた。
#56

 拝殿左に併設されていた祠については「竹原の神仏を訪ねて」に写真と神社名が記載されていた。大きな祠が「稲荷神社」、建物の中に収納されていた左端が「常盤神社」、真ん中の小さいのが「竜王社」、右端が「祖霊社」であった。残る真新しい祠については写真には写ってはおらず、解説板にも追加書込みはない。もしかしたら豪雨災害で崩落した区画に鎮座されていた神様をここへ移設された可能性がある。そしてこの地域にて俗称(愛称)が元々の「増」でもなく改称後の「総」でもなく「僧侶」の「僧都」である件については興味の火は未だ消えていない。

 1ヶ月前に訪れた「吉崎排水機場遊水池」が激変していた。現在、3月末まで浚渫工事が行われており、この「遊水地」の底に溜まっている土砂をすくい取って除去しているようだった。水面から飛び跳ねる巨大な生物がつくる環状の波が見られたが、その水面が殆ど消えて池の底の土砂(汚泥?)が見えていた。さながらあの人気テレビ番組「池の水ぜんぶ抜く大作戦」であった。(2022/01/11撮影)

#01
#04
#02
#03

 飛び跳ねていた生物は一体何だったのだろうか?まだ水が抜き取られていない水面をしばらく観察してみたが、何の動きも見られなかった。淡水ならば鯉だと思われるが色の付いた魚は泳いでいない。凶暴な外来種の亀や魚も棲んでいたハズである。
 工事名は「吉崎排水機場遊水池浚渫工事」であり、「浚渫(しゅんせつ)」とは海や河川の底に溜まった土砂を撤去して、安全に船舶の運航ができるよう改善することである。この「遊水池」は雨水などを溜めて高低差がある江戸堀へ排出する緩急的な溜池であり、溜まった土砂を撤去することで貯水容量が増せば、それだけ排水機による吸出し時間に余裕を持たせることができる。
 例えれば・・・撮り鉄集団で狭くなった駅のホームに一気に大勢の乗客が電車から降りると線路へ転落するほど溢れてしまうが、これ以上はホームの拡張や改札口の数を増すことができない。そこで撮り鉄がホームの一部を占拠しないよう入場制限を設けるといった対応である。東京駅ホームに新型の新幹線車両が初到着した際にトラロープが張られて撮り鉄溜まりを制限していたのを対面ホームで偶然目撃したのを思い出した。人ゴミの「水面」から巨大な脚立やカメラケース上に立って車両を悠々と撮っていたのが「飛び跳ねていた謎の生物」といったところか。

西幼稚園、中通保育所と西保育所が統合された「たけのここども園」が令和2年4月に開園した。同時に閉所となってしまった西町の田園にある西保育所跡を久しぶりに訪れた。昨年末に丸小山から築地へ向かう際に園庭内に工事車両が複数台置かれているのを見掛けたので、いよいよ解体か?と思われたが、近くで行われていた水道工事の車両置場にされていただけであった。
 2009年まで存在すら知らなかった竹原西保育所だが、市の公式ホームページは西幼稚園用と同時に既に削除されており、ここもいつかは突然更地になるのではと、今回改めて訪れて写真を撮っておいた。(2022/01/11撮影)

 丸子山から南へ数百メートル直進して交差する2本目の小川を西へ入ると農道(市道?)が天池沿いまで続いている。その途中に有るのが西保育所跡なのだが、閉所となってからはこの道を走るのは農作業車か新たな太陽光発電施設の建設車両ぐらいであろう。数年前までレンゲ草が敷き詰められていた広大な田畑は、徐々に無耕作となり太陽光発電施設として再利用されているようである。

これがその西保育所跡がある小川沿いの道。
#01
 50メートル程度入ると右手に正門がある。
#02

#03
 正門には「竹原西保育所」のプレートが残っていた。閉鎖された他の施設ではプレートを剥がされているところも多い。(右隣りのプレートは画質が粗くて解読できず)
#04
 2,3年前に裏側からの建物を撮ったのだがボツにしていたので探せなかった。かなりの廃墟臭が感じられて何かの事業所跡かと思われたが、まだ閉所される前の西保育所の裏面であった。
#05
 この辺りの路面海抜はマエナス25cmだったはずだが、ここは盛り土分でプラス1.0mである。
#06
 暫くの間、工事車両が置かれていた園庭はもう何もない。
#07
#08
#09
 遊具も閉所時からそのままのようだ。
#10
 
#11
#12

*****
以下の3枚は 2009年に西保育所の存在を知った時に撮ったものである。
20090806a
20090806b
20090806c

ちなみに東野小学校傍にある東野保育所も2024年までに廃止が決定されている。

 ふと立ち寄った店のご主人、近所を犬の散歩中の人、街猫と戯れる人・・・散策中に出逢えて雑談をしているうちに、色々と興味深い竹原の昔話が訊けたのは束の間の高揚感であった。昔の地域・地区名、神社仏閣名、今は無き店舗名などを交えながらの会話は、お互いいつの間にか心置きなく竹原弁でのやりとりとなり、気が付けば雑談の域を超えていたことも多々あった。
 だが、年明けからは再び「孤独の散策」モードに逆戻り。「大波」は3ヶ月周期で訪れているので、ある程度は予想をしていたが感染対策への対応は毎回同じことの繰り返し。テレビ局や番組ではマスクどころかアクリル板さえも無くしているのに感染者は皆無。テレビ番組は陽性者数グラフの勾配で煽るよりも、如何にして感染者ゼロを維持しているかを「お茶の間」の全国民へ告げて頂ければ参考になるのだが・・・・とオドロオドロしく不快なナレーションや不協和音混じりの効果音・BGMを垂れ流す番組を避けながらザッピングしまくっている自分が嫌になっている今日この頃。

 せっかくの連休、「孤独の散策」での昼食は、独りでくつろげる場所を求めて探し回っていたところ明神の灯台突堤に辿り着いた。夏であれば灯台下まで行って行き来するフェリーを眺めながらコンビニで買ったサンドを頬張るのだが、さすがに真冬ではそれどころではない。その灯台下は金網フェンスが張られてしまい夏でも訪れる価値は半減してしまった。今回はクルーザーや釣船が係留されている場所に車を停めて、広島FMを聴きながらの昼食となった。(2022/01/11撮影)

 東野町辺りはみぞれ交じりの雨に見舞われたが、竹原町では外気は冷たかったが、運転席窓のみであれば開けても風が吹き込むことはなかった。竹原港に出入りするフェリーを穏やかな波に浮き沈みする桟橋辺りから眺めていた。
#01
 最近、広島FMを聴いていて特に気に入っている曲が「緑黄色社会」の「LandScape」だ。強烈なビートにスーッと抜けるようなファルセットのボーカル、これを聴きながらの海岸沿いのドライブはピッタリなのだが、現時点では配信ダウンロードでしか入手できないようだ。

 昼食?後に車外へ出てみたが真横から吹く風が寒い。いつもなら釣り人がいる突堤にもこの日は皆無。
#02
 波の音がする突堤の壁面を覗いてみると、この波浪と白波。分単位の周期で「大波」がやってきて飛沫(しぶき)が高く跳ね上がっていた。
#03
#04

 この強靭な突堤のおかげで内側に係留されている船舶や桟橋は穏やかな波に浮き沈みしていたのである。これを書いていて何だか感染者数の「大波」の例えになってしまい自己陶酔してきたので、このへんでやめておく。

↑このページのトップヘ