安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年02月

 明神の吉崎排水機場遊水池浚渫工事と同様の「池の水ぜんぶ抜く?」工事が北崎でも行われている。場所は国道185号沿いにあるパチンコ店「サンフィレッチェ」跡と2月25日にリニューアルOPENしたセブンイレブン竹原港町の向いの池である。工事名は「北崎排水機場浚渫工事」だが水を抜いて溜まった泥をすくい取っている池の名称までは分らなかった。明神の工事名に倣えば「北崎排水機場遊水池」となるであろう。(2022/02/27撮影)
 
北崎のフェリー乗場から的場側へ歩道を少し走ると・・・・  
#01
大きな池が有るのだが、現在は池の底に溜まった汚泥の除去工事が行われている。
#02
工事を知ったのは先々週ぐらいであるが、その当時は未だ池の水は残っていた。
#03
 これがパワーショベルですくい取られている汚泥である。
#04
この池の傍には北崎市営駐車場があり、10年ぐらい前に中央幼稚園改装工事中の仮設幼稚園跡でもあった。
#05
水が抜かれた池の中央に重機用の路面が造られていた。
#06
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#08
市営駐車場側へ下りて見ると・・・
#09
#10
工事の看板を見つけた。工事中のためか市営駐車場は閉鎖されていたようだった。
#11

 この池の存在は1990年代が知っていたが、なぜ埋め立てずに放置されているのかが分らなかった。この池の役割は、この周辺に建つ住宅地に流れ込む雨水を一時的に溜め込んで排水機場(フェリー駐輪場横)によって海側へ汲み取るための溜池のようである。長年が経過すると池の底に汚泥が沈殿して溜められる水の量が減ることから、定期的(今回が初めてかもしれない)に浚渫工事が行われているのであろう。

それでは工事前に撮っていた写真を以下に並べてみる。

(1997/12/27撮影)住宅地の海抜はセブンよりも低そうだがマピオン地図では 3mとなっていた。
19971227

(1998/08/08撮影) どう見ても宅地は歩道から見下ろす高さなのだが・・・
19980808a
ここから溜まった水を海側へ吸い出している。
19980808b

(1999/01/03撮影)
19990103a
19990103b

(2013/12/30撮影)中央幼稚園の仮設が有った時。現在は北崎市営駐車場。
20131230

(2014/08/12撮影)北崎市営駐車場になった頃。
20140812a
20140812b

-以上-

 2月25日にリニューアルOPENとなっていたセブン竹原港町店のその後。OPEN前日夕方に店頭前を通過した際は、既存店舗の照明が消されて商品はそのままであった。(新規店舗の店内は遠すぎて見えず)OPEN当日の様子を見るのを忘れてしまい、気が付いたのが本日の日曜日。セブン以外の撮影もしたかったので急に暖かくなった午後に自転車に乗って訪れてみた。(2022/02/27撮影)

 歩道から見たところパチンコ店跡地の前に新しい駐車スペースが造られて売れ筋商品の広告幟が並んでいた。
#07
新規店舗の照明が点灯しており、駐車場へ出入りする車両を案内する警備員?がひとり。
#01
#02
さて、ならば既設店舗はどうなっているのだろうか?24日夕方には店内照明が消えていたので両店同時営業ではないことは明らかだが・・・。
#03
#05
 ドア前が閉鎖されており手書きの「閉店しました」の紙がガラスに貼られ、店内の棚には商品は無いようで、商品が入っていたような各種ダンボール等が積まれていた。前回撮れていなかった店頭貼り紙の「24日,25日休業」は私の記憶間違いで、正しくは「2月24日(木)15時より休業」であった。
#04
 新規店舗右脇から裏に回って見ると裏敷地にも駐車スペースが数台分。パチンコ店跡をぐるりと回って国道側へ出て見ると、パチンコ店跡前に造られていたセブン用駐車場の台数の多さには驚いた。他店に見られるトレーラ等の長尺車両を停める枠ラインが見当たらなかったが、ここまで広い敷地に無いはずはなく見落としたのかもしれない。
#06
 今回のリニューアルOPENは、スニフさんから頂いたコメント(同じ敷地内で建て替えで移転と予想)の通りであった。今後は既設店舗(旧店舗)が解体されて新たな駐車場となるであろう。気になるのがパチンコ店跡の建物なのだが、玄関口がある国道沿い側にセブンの新規駐車場(車輪止めもあり臨時では無さそう)が造られたにもかかわらず、現時点でも「テナント募集」の貼り紙があることから建物は解体されずに再利用者待ちのようだ。

 前回のブログ記事「旧竹原福祉会館の解体工事(’22年2月中旬現在)」では、敷地内に更地化を行う重機や瓦礫を搬出するダンプカーの往来が見られたが、いつのまにか緑地化の造成工事が始まっていたようだ。解体工事の工期は2月末までと思って半月ほど経過を見ていたが、私の勘違いで2月末は見積結果時の公示に記載されていた工期であった。
 国道185号からの様子では、歩道からの出入口を造るための石垣の一部を崩していたり、敷地内には整地用の盛土の山が徐々に増え、今週半ばには区画の目印らしき棒も数本立てられたことから、どう見ても緑地化の造成工事が始まっているようで、改めて工事施工看板の工期を確認しに訪れて見たらところ看板が見当たらない。そこで解体開始時に撮っておいた看板を見直したところ完了予定は2月14日となっていた。

 以下は本日帰宅中に「ひろぎん」から撮った様子である。(2022/02/26撮影)
#01
 藤三の看板左下の石垣が欠けているのが見えるだろうか。石垣の一部を崩して石段かスロープとなりそうである。
#02
 池田勇人立像の周囲の芝生も剥ぎ取られている?元から土肌だったのかも・・・
#03
 信号機を渡ってナフコP側へ入ってみたが、いつもの場所立て掛けてあった施工看板が見当たらなかった。
#04
 重機は小型のユンボが2台のみ。側溝を掘ったり盛土を崩して踏み固めている模様。
#05
#06
 区画の目印なのだろうか、敷地内の至る所に赤く塗られた木の棒が立てられていた。
#07
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 遠目では芝生が剥がされているように見えたが、冬の寒さで枯れていただけてあった。
#10

 さて、どのような緑地広場となるのであろうか?入札時の仮称だが広場名は「竹原中央緑地広場」、リニューアルされた竹原市HP内で「緑地」を検索してみたが該当資料へのリンク切れで参照できず。現状の様子では年度末までには緑地広場が完成しそうな感じがしており、竹原市の歴史的公共施設が大きく様変わりする大プロジェクトの経過が生で見られるのがとても嬉しい。

 市内の多くの店舗の通常営業が再開される3月6日の「まん延防止」終了まで動画掲載のブログ記事にて耐え忍ぶ。今回は以前に写真のみを掲載した小吹地区のストリートビューである。先日、ローカルテレビ局の番組で竹原が登場した際に物々交換にて小吹地区が映されていたことからハンディカムを取り付けた車で再訪してみた。ちなみにレポーターが何度も訪れていた小吹地区には「町並みの佐渡さん」、「たけのこの佐渡さん」と「竹炭の佐渡さん」か住まわれているとのことであった。

 今回走行したルートを下の地図に描いてみた。スタートは国道185号の大乗歩道橋で、先ずは大乗駅舎前に寄って、呉線沿いをひたすらバンブー方面へ行く途中に「たまゆら」主人公の実家として登場していた中浦踏切先に寄り道。国道には戻らず裏道からバンブー沿いへ出て、小吹大橋の下を潜ってから小吹地区の竹藪沿いを行ける所までひたすら走って県道75号頂点付近へ合流。県道75号を田ノ浦側へ下る際には、途中から小吹~田ノ浦間の旧道へ入って「若竹」にて県道に合流。中央こども園(旧中央幼稚園)の信号から田ノ浦川沿いを走って宗五郎橋を渡ってから道の駅Pに到着という、敢えて裏道的なルートを走行してみた。(2022/02/24撮影)
map

安芸の小京都 竹原 030 大乗~小吹~田ノ浦


 未だに小吹地区の境界線がよく分らないのだが、今回走ったバンブー傍の小吹大橋辺りは「高崎町」で竹藪沿いの旧道を登った集落がある手前からの北側は「小梨町」となっている。よって「高崎町」と「小梨町」を跨っており、竹藪の山を含めると一部が「竹原町」でもある。
 前述のテレビ番組がロケされたのは正月時期、この時期の筍は地元でも滅多に食べられない「極上食材」とのこと。未だ地上には芽は出ておらず足の裏の感覚だけで生えている場所を探さなければならないレアで高価な食材。生産者だけが味わえる「幻のたけのこ」の存在を初めて知った。普通の筍が食べられるのはまだ先であるが、今年こそ居酒屋や「竹まつり」で酒を飲みながら筍の天婦羅が食べられることを期待している。

 忠海町の主要道路を自動車くまなく走っていて偶然見つけた看板「耳無地蔵」。場所はアトムの路地から北東方面の幸崎町に続く道の中程である。
#00

 幸崎町と忠海町の境界へ訪れる際に右側にこの看板を見つけたので、幅広い場所に駐車して徒歩で訪れてみた。(2022/02/23撮影)
#01
 軽自動車なら坂道を下ることはできるが、その先に停めるスペースは無かったので徒歩が正解。
#02
 写真中央に見える御堂風の建物がどうやら「耳無地蔵さん」が奉られている御堂「似心堂」のようだ。
#03
 御堂の左脇には「弘法大師地蔵大菩薩之御彫刻」と彫られた石碑が奉納されていた。
#04
#05
 御堂正面へ回ってみたところ、かなり立派な造りであった。
#06
 屋内両側にはタタミ2畳程度の「こあがり」が設けられており、中央には御香を焚く箱(鉢)があった。
#07
 正面中央のくぼみに小さい地蔵さんが数体置かれていたので、御賽銭を入れて参拝した後に特別な撮影許可を頂いた・・・ような気がした。
#08
#09
 どの地蔵さんが「耳無地蔵」なのだろうか?と悩んでいると正面の巨石に彫られた地蔵さんを見つけた。
市内にある地蔵菩薩では珍しい摩崖仏(石や岩に彫られた仏)である。
#10
 「耳は無いのだろうか?」と確認するも幕に隠れて耳が見えない?そもそも耳が無いから見えるはずはない?
#11

 この時は「御利益」に関して事前知識が無かったので、御堂内の掲示物を探したのだが見当たらず。よく貼られている「オンカカビサンマエイソワカ」を唱えれば良いのだろうか?写真を数枚撮っただけで今回は良しとした。

 帰宅後に『竹原聞きある記』(著:竹原市老人クラブ連合会)を探してみたら「耳なし地蔵」の項に以下の内容が書かれていたので転記した。
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 この地蔵さんは忠海町の北東、幸崎町渡瀬に辻る道路下、江の内にある。
 昭和十年忠海町の商工会が配布した「忠海案内」には「昔弘法大師が諸国行脚の際御自作なり。昔此の辺り入海にして平清盛この岩に纜(ともづな)を繋ぎし際此の地蔵を奉じたり」とあるが伝承によると、当時「江の内」辺りはまだ内海で安芸守平清盛がこの地で潮待ちをし、その待つ間に傍の大岩に地蔵さんを刻んだという。ところが耳を彫らない中に潮が満ち、耳のないままで今日に至ったと。人々は「耳なし地蔵さん」と言って拝んでいる。昔から耳の病気にかかった人が、この地蔵さんの耳の部分をなでた手で自分の耳をなでて拝むと病気が治ると信じられていた。またお供えした線香の灰をのむと万病に効くともいわれていた。
 現在はこの地蔵さん両側に「さげ地蔵さん」(さげる-持ち上げる)が五、六体置かれ、お参りの人々は自分で「くちこみ」をたてて願が成就するや否やを伺っている。またこの耳なし地蔵さんの大岩には古い「かきがら」が残っており、古くはこの地が海に臨んでいたことを知る。
《註》「くちこみをたてる」とは願い事を言うこと。

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 吉名町宗越には「耳地蔵(耳鳴り地蔵)」があり、忠海町江の内には「耳無地蔵」がある。どちらも耳の病に効くとの謂れがある。耳地蔵では「耳以外」を撫でても効くのだが、耳無地蔵は「耳のみ」と思いきや、供えた線香の灰を飲めば万病に効くのであった。これを事前に知っていれば線香とライターを持参していたのに・・・。
 知らなかったのだが忠海駅舎内に解説パネルが有ったようだ。解説を読んでみたら「あれ?由来が違う」のだ。地蔵さんの名は「清水の耳なし地蔵」で「耳を彫る前に潮が満ちた」のではなく「清盛の子の安産祈願に厳島へ向かう際に石工に地蔵を彫らせていたのだが、耳を彫る前に元気な男の子が生まれたので、そのままここへ祀ったとのこと。地蔵の姿形に粗彫りするのではなく巨石の表面に姿を途中まで彫った摩崖仏。この石は船で運んでいたのを忠海に降ろしたのか、江の内のここに元からあった石なのか、黒滝山から降ろしたのか・・・色々と調べるているうちに「忠海」の地名の由来は「清盛さん」の父である「忠盛」から採られたとの話にまで発展(発散?)してしまいそうで、大河ドラマでも紹介されたようで忠海町に住まわれている方々に実際に確認してみないと分からないが、この伝説もこのまま「諸説あり」としておこう。

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