新町の旧国道185号線の歩道上に御鎮座?されている地蔵祠がある。もちろんこの祠もお馴染みの『たけはらの神仏を訪ねて』(著:神野勝)に載っている。その掲載写真は平成16年(2004年)撮影のもので水路(現在は歩道の下)を跨ぐ不安定な鉄板上に置かれており、呼び名は一風変わった「腰を落付ける」という興味深い内容なのだが、設置場所やその名の謂れについては触れられていなかった。
過去に撮ったこの祠の写真が何枚か有るのだが、呼び名「腰を落付ける」について思い当たる節があるので、最新の祠の状態を撮り直してみた。(2022/03/27撮影)
シューズ・マエダ店跡の右隣り空き地前にポツンと見えるのがこの地蔵小祠である。
歩道上にコンクリート製の土台が造られ、グレーチング風の敷板上に祠が置かれ?ている。
祠の中には複数体の地蔵尊が祀られており、前述の著書には「・・・14組内の住人が祭礼されて世話も良くされいる。」との所見が書かれていた。祠の屋根は元は朱色に塗られたブリキ製であったが、杉皮屋根になっている。
それでは過去の写真を以下に紹介する。先ずは最古の写真、旧ジュンテンドー(現在は業務スーパー)の手前に矢印で示した場所に祠がある。狭い歩道と水路はガードパイプにて仕切られており、水路上の鉄板に祠が置かれていた。(1997/08/xx撮影)
この旧国道185号線沿いの水路が埋められて暗渠となり、路幅の拡張工事が完了するまでの間、本祠は別な場所に移されていた。その場所は「珈琲館 珈根」の交差点西角にある駐車場内である。(2013/03/23撮影)
それから半年後、拡張工事が完了して広い歩道となった元の場所に戻されていた。(2013/09/21撮影)
だが、正確には元の場所では無かった。2013年当時のgoogleストリートビューに工事前の祠が写っていたのだが、それは数メートル東のポイントであった。その真の元の場所に高さも合わせた祠を合成してみたのが以下の写真である。
水路上に置かれていた頃に「腰を落付ける」と呼ばれていた地蔵小祠。呼び名の真相は14組内の世話人に訊いてみないと分からないが、それ以前に何度も場所が変えられながら、やっと落ち着ける水路上に長らく鎮座されていたに違いない。だが、数奇な運命?2013年には水路の埋立で交差点へとまたもや移動を強いられ、工事後に元の鎮座場所に戻されるはずが数メートル離れた場所へ戻されてしまい、やっと現在の場所に鎮座(腰を据えられた)のである。
過去に撮ったこの祠の写真が何枚か有るのだが、呼び名「腰を落付ける」について思い当たる節があるので、最新の祠の状態を撮り直してみた。(2022/03/27撮影)
シューズ・マエダ店跡の右隣り空き地前にポツンと見えるのがこの地蔵小祠である。
歩道上にコンクリート製の土台が造られ、グレーチング風の敷板上に祠が置かれ?ている。
祠の中には複数体の地蔵尊が祀られており、前述の著書には「・・・14組内の住人が祭礼されて世話も良くされいる。」との所見が書かれていた。祠の屋根は元は朱色に塗られたブリキ製であったが、杉皮屋根になっている。
それでは過去の写真を以下に紹介する。先ずは最古の写真、旧ジュンテンドー(現在は業務スーパー)の手前に矢印で示した場所に祠がある。狭い歩道と水路はガードパイプにて仕切られており、水路上の鉄板に祠が置かれていた。(1997/08/xx撮影)
この旧国道185号線沿いの水路が埋められて暗渠となり、路幅の拡張工事が完了するまでの間、本祠は別な場所に移されていた。その場所は「珈琲館 珈根」の交差点西角にある駐車場内である。(2013/03/23撮影)
それから半年後、拡張工事が完了して広い歩道となった元の場所に戻されていた。(2013/09/21撮影)
だが、正確には元の場所では無かった。2013年当時のgoogleストリートビューに工事前の祠が写っていたのだが、それは数メートル東のポイントであった。その真の元の場所に高さも合わせた祠を合成してみたのが以下の写真である。
水路上に置かれていた頃に「腰を落付ける」と呼ばれていた地蔵小祠。呼び名の真相は14組内の世話人に訊いてみないと分からないが、それ以前に何度も場所が変えられながら、やっと落ち着ける水路上に長らく鎮座されていたに違いない。だが、数奇な運命?2013年には水路の埋立で交差点へとまたもや移動を強いられ、工事後に元の鎮座場所に戻されるはずが数メートル離れた場所へ戻されてしまい、やっと現在の場所に鎮座(腰を据えられた)のである。