安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年03月

 新町の旧国道185号線の歩道上に御鎮座?されている地蔵祠がある。もちろんこの祠もお馴染みの『たけはらの神仏を訪ねて』(著:神野勝)に載っている。その掲載写真は平成16年(2004年)撮影のもので水路(現在は歩道の下)を跨ぐ不安定な鉄板上に置かれており、呼び名は一風変わった「腰を落付ける」という興味深い内容なのだが、設置場所やその名の謂れについては触れられていなかった。
 過去に撮ったこの祠の写真が何枚か有るのだが、呼び名「腰を落付ける」について思い当たる節があるので、最新の祠の状態を撮り直してみた。(2022/03/27撮影)

 シューズ・マエダ店跡の右隣り空き地前にポツンと見えるのがこの地蔵小祠である。
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 歩道上にコンクリート製の土台が造られ、グレーチング風の敷板上に祠が置かれ?ている。
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 祠の中には複数体の地蔵尊が祀られており、前述の著書には「・・・14組内の住人が祭礼されて世話も良くされいる。」との所見が書かれていた。祠の屋根は元は朱色に塗られたブリキ製であったが、杉皮屋根になっている。
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 それでは過去の写真を以下に紹介する。先ずは最古の写真、旧ジュンテンドー(現在は業務スーパー)の手前に矢印で示した場所に祠がある。狭い歩道と水路はガードパイプにて仕切られており、水路上の鉄板に祠が置かれていた。(1997/08/xx撮影)
199708xx

 この旧国道185号線沿いの水路が埋められて暗渠となり、路幅の拡張工事が完了するまでの間、本祠は別な場所に移されていた。その場所は「珈琲館 珈根」の交差点西角にある駐車場内である。(2013/03/23撮影)
20130323a
20130323b

 それから半年後、拡張工事が完了して広い歩道となった元の場所に戻されていた。(2013/09/21撮影)
20130921a
20130921b
 だが、正確には元の場所では無かった。2013年当時のgoogleストリートビューに工事前の祠が写っていたのだが、それは数メートル東のポイントであった。その真の元の場所に高さも合わせた祠を合成してみたのが以下の写真である。
20130921c

 水路上に置かれていた頃に「腰を落付ける」と呼ばれていた地蔵小祠。呼び名の真相は14組内の世話人に訊いてみないと分からないが、それ以前に何度も場所が変えられながら、やっと落ち着ける水路上に長らく鎮座されていたに違いない。だが、数奇な運命?2013年には水路の埋立で交差点へとまたもや移動を強いられ、工事後に元の鎮座場所に戻されるはずが数メートル離れた場所へ戻されてしまい、やっと現在の場所に鎮座(腰を据えられた)のである。

 未だ朝は寒く日中は暖かくなったことでローカルな桜の名所が一気に六分咲き(個人的な感覚)となった。今晩から明日は雨天となる予報だったことから、実際に見た感覚より感動のレベルは半減してしまうが、仕事帰宅後に賀茂川の成井(正確には来須地区)土手とバンブー公園の桜並木を動画撮影してみた。(2022/03/30撮影)

安芸の小京都 竹原 037 成井来須土手沿いとバンブーの桜は六分咲き(2022 03 30)


 先ずは成井土手の様子。朝日橋を渡って来須地区の賀茂川沿いを走り、新本渡橋(消防署近く)を渡って対岸の賀茂川沿いを走って再び朝日橋へ。来須地区沿いをもう一度走って国道185号への信号までのシーンである。(以下は動画のキャプチャー画像)

朝日橋から本渡橋までの区間は等間隔に桜並木が続いている。こちら側には遊歩道が無いのが惜しまれる。
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 竹原高校側の桜並木は樹齢が限界越えなのか徐々に本数が減って、最近では疎らの数本になってしまった。土手下には遊歩道があるのだが雑草が生えたままで獣道と化している。約20年前は桜を見上げながら歩ける絶景スポットだった。
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 次は国道185号からバンブー公園(ピースリーホーム バンブー総合公園)への並木道を通って2つある公園内Pを巡り、Uターンして国道へ戻るまでの動画である。18時前であったが夜桜見物らしき家族連れが多く訪れていた。昨年は18時半か19時に提灯が点灯したような記憶がある。(以下は動画のキャプチャー画像)

 国道185号からバンブー公園へ向かう最後のカーブ辺りは七分咲きのようであった。
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 第1駐車場からの公園内の様子。
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 第2駐車場から。
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 体育館手前から。
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 国道へ戻る際の千本桜の並木。
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 他にも多数の名所があることを知ったのだが、その地区住民の憩いの場であったり、気軽に自動車で訪れられる場所に無いところが多いので今のところは訪れる予定はない。ちなみに現時点では殆どが六分咲きのようだつたが、NHKの天気予報士による解説では「八分咲き」が「満開」とのことであった。「十分咲き」では既に散り始めていて花見としては既に遅し・・ということなのだろうか。個人的には未だ蕾が残っている時期よりは「桜吹雪」のほうが風情があって良いのだが・・・。

 照蓮寺前の交差点角に古民家をリノベした「台湾甜品 café 根古屋」が3月26日(土)に新規オープンした。その翌日に照蓮寺の枝垂れ桜の開花具合を見に行った際に、暖簾が掛けられて営業中の様子を撮っておいた。(2022/03/27撮影)
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 時刻は16時半、閉店間近だった店から観光客が暖簾を潜って出てこられるのを目撃。
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 店頭のメニューも撮っておいたのだが・・・・
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 遠すぎたせいできれいに撮れていなかった。
 「綜合豆花(そうごうとうふぁ)」と「甜品(てんぴん)セット」について詳細が記されている。「綜合豆花」は豆乳プリンにシロップやトッピングをかけて食べる台湾の伝統的なスイーツで、「甜品」はスイーツを意味するようだ。
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 今週の日月火は仕事や用事で行けなかったが、来週日曜か火曜にでも天気が良ければ訪れてみたい。本日の成井土手(来須土手)の桜並木は3~5分咲き、バンブーは未確認なので花見の帰りにでも寄る予定である。

 3月中旬に芝生が敷かれた(仮称)竹原中央緑地広場が、先週には周囲がフェンスで囲まれて長椅子が設置され、いよいよ3月最終週では仕上げの段階となったようだ。(2022/03/27撮影)

 未だ敷地内へは立入不可ないようで、昨日(日曜日)と本日とでは国道からは特に変化は無いようだ。
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 広場入口は最終舗装され、空いていた穴には手摺りパイプが取り付けられた。
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 広場の出入口はこのスロープ路と、国道沿いの歩道にある石段の2箇所。
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 ナフコP側からはフェンスで囲まれて敷地の用は見え辛い。
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 喫茶&レストラン・ランプ側から国道沿いの歩道へ回ってみたところ、西側隅に敷かれたままのブルーシート下が気になってしょうがない。先週まではフェンス資材置き場だったのではと思っていたが、依然撤去されずにいる。砂場にしては広過ぎるし、野良犬猫のフン公害となるので違うであろう。逆にドッグランなら・・・さずかにそれは無いか。雨や陽射しが避けられる屋根のある東屋的な設備ができると有難い。
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 歩道沿いの石段手前から池田総理立像が見えるのだが・・・・
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 像の手前に何かのパネルが設置された。
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 撮った写真を拡大してみたら「吉名生まれの総理大臣 池田勇人」のパネルであった。所得倍増計画などの功績について解説されているに違いない。個人的には建立時とは違う向きに像が変えられたエピソードも書かれていればグッ・ジョブなのだが。
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 スロープ路と石段はプロムナード式の煉瓦路になっているようだ。
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 広大な芝生の広場、低いフェンスで駐車場と国道に挟まれているのでボール遊びはできそうにない。ラグビー場としては狭いが、親善イベント的な催しには最適であろう。普段は子供たちが自由に走り回れて、それを親御さんが長椅子に座って見守るような光景が浮かぶが、全面芝生の広場は福祉的には色々と支障がありそうだ。
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 どう見ても「広場の主」である。
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 ぐるりと一周してみたが、肝心の広場名と竣工が彫られた石板や銘板が見つからなかった。取り付けられる位置としては、この辺りであろうか。
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 煉瓦路は歩道側の石段へと続く。煉瓦といえば吉名町の名産なのだが、池田総理の生まれ故郷との関連性は偶然かも。
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 (仮称)竹原中央緑地広場、竹原公式HPにて検索しても正式名称や竣工日の情報は見付けられなかった。どうしても気になるのが池田総理立像の存在感!広場名の公募が有れば「池田勇人記念広場」を応募してみたい。池田元総理を吉名町では親しく愛称で呼んでいたようなのだが、それがどうしても思い出せない。それとは別に「ゆうじんさん」と呼んでいたご老齢もいたのだが・・・。工事完了は3月末、一般開放は4月1日と思われるが、次回のレポートは完成後の様子を予定している。

 昨日の雨から一転して本日は暖かな春日和。15時過ぎに照蓮寺を訪れてみると石段から山門周囲の桜が咲き始め、境内の枝垂桜には紅色の蕾が膨らんでした。今週末には八分咲きの見頃とになるに違いない。そのあと保存地区の本町通りから道の駅方面へ移動していると地蔵町へのT字路にて軒下に違和感!下の写真の黄色矢印の部分であるが、何かの看板が吊るされていた。(2022/03/27撮影)
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 この裏面?を確認すると一般民家の軒下に吊るされている観光客向け「道しるべ」板の裏面?であった。
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 どうやらこちらが裏面であるが「軒下注意(カメラ作動中) ・・・・ 2m」と書かれた貼り紙のパウチ板であった。この破線の高さが2mなので、ここの路地を車両で左折する際には接触しないように!との注意書きであった。その下の「竹原ライオンズクラブ」のプレートとの関係は不明だが、こちらは道しるべ板本来の提供者団体名と思われる。
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 しかしこの口から超音波メス衝撃波を吐く「ギャオス」の写真は何だろうか?見上げながら注意書きを読み直すと「カメラ作動中」ではなく「ガメラ作動中」と敢えてさり気無く(色とか強調せず)書かれていたのである。
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 接触車両が特定できる監視カメラを何処かに設置&録画しているぞ!を連想させる警告なのだろう・・・が、添えられた写真がなぜガメラではなくギャオスなのだろうか。どうしてもこれが気になって仕方ない。ちなみに私が「ガメラ対ギャオス」の映画を初めて観たのは竹小時代、現在の「道の駅たけはら」の駐車場場所に昭和40時代頃まで存在していた映画館「新榮座(竹原劇場=竹劇)」であった。

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