安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年04月

 長生寺の裏山に造られていた八十八ヶ所巡りコースを初トライしたのが 2012年のGW帰省だった。帰郷してから再トライしてみる予定であったが、2018年と2021年の大雨災害で長生寺の裏山が崩落。巡礼コース自体も一部が消失していたが、長らく修復工事が行われて2022年が明けた頃には既に工事が完了していた。ならばと、動画撮影も兼ねて西方寺の石段から始まる「プチ八十八ヶ所巡り」をしに訪れてみた。(2022/04/19撮影)
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 動画撮影のコースは、西方寺の石段登りからスタートし、先ずは西方寺本堂へ参拝。普明閣に観光客が見えたので鐘楼に立ち寄ってから普明閣境内からの眺めを撮影。普明閣舞台へ上がって竹原の町並みや朝日山などを撮った後で普明閣裏側から八十八ヶ所巡りのスタート地点へと向かった。
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 2011年の初トライ時は間違えて逆コースを辿ってしまったが、今回は順コース開始場所を熟知していたので迷うことなく訪れてみた・・・・が狭い巡礼路はひどく枯葉がたまっていて地面が見えない。枯葉を踏みしめながら先へと進むと途中から巡礼路が崩落して消失していた。
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 この先は山肌が崖になってしまい、崩落したまま修復はされていなかったのだ。仕方がないので長生寺へ下ってから巡礼路の終点側からトライすることに変更。長生寺の本堂でも参拝を済ませて、お抱え地蔵尊(長生寺にもある)の先にある終点へ到着・・・したのだが、ああ。。残念・・・ここに在ったはずの急な坂道も消失していた。
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 結果、始点終点どちらからも巡礼路を辿ることが出来なくなっており、今後の修復は期待できそうにない状態である。竹小時代に遊んでいたこの山頂にある怪しい奇岩群の広場や、コース中腹に見える岩場へも私が生きているうちに訪れることはもう出来そうにない。旧HPに載せていた「1605 長生寺のプチ八十八ヶ所巡り」の写真が最後となってしまった。

 以上の散策動画についても youtube へアップしておいた。

安芸の小京都 竹原 041 西方寺~普明閣~長生寺(2022 04 19)


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 「道の駅たけはら」に貼られていた防災関連のポスター。「賀茂川の氾濫で、道の駅たけはら付近は1.0m以上~3.0m未満浸水します!」と書かれていた。(2022/04/12撮影)
 日本各地て強い地震が発生するたびに「202X年X月、南海トラフ大地震発生!」との怪しげなネット動画が湧いては消える今日この頃、南海トラフによる津波の押し寄せよりも現実味を帯びるのが「大雨による毎年の本川の氾濫」である。
 町並み保存地区、楠通や中通・大王地区が1mも水没するのを何度も経験しているが、その治水対策の具体的な計画が発表されたのが今年の春先頃。その対策が施されるのが何年先になるかは分からないが、本川の氾濫に加えて賀茂川の氾濫とは困ったものである。
 竹原では昭和の時代から「賀茂川(成井川)が決壊したら竹原町は終わりじゃ~」と言われており、過去に決壊寸前までの危機が何度か訪れている。このポスターには小さい文字で「想定最大規模(1000年に1回程度を想定しています。)」との註釈があるが、過去に賀茂川の決壊は何度発生したのだろうか・・・。

 国土交通省のデジタルサイネージ兼カメラ動画(テレビ)の下に貼られているのが「賀茂川決壊時の浸水ポスター」である。
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 このポスターは1.0m時の浸水深イメージであるが、これを1.0~3.0m浸水イメージに替えてみたみたところ、その恐ろしさが実感できた。道の駅の西側玄関は道路面から2,3段の石段上となっていたはず。仮に3.0m浸水したとすると、本川の護岸の高さがどうのこうのどころか、道の駅周辺に限らず竹原町全体の一般家屋が2階床上を越える深さとなりそうである。
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 この賀茂川決壊を想定したシミュレーションは、国土交通省の「浸水ナビ」によるものである。竹原市の防災ハザードマップでは、賀茂川決壊時の浸水についての浸水深を探せなかった。それなら「浸水ナビ」ならばと、試しに地点指定で「道の駅たけはら」の場所を指定してみたが、「この地域では、まだシミュレーションデータが登録されていないか、シミュレーション対象区域外(浸水が想定されない区域または対象となる河川がない区域)です。」との警告メッセージで確認ができなかった。三原、尾道、呉も不可・・・閲覧可能なのは広島市と福山市のみ。
 シミュレーションは未だ大都市ぐらいしか準備ができてないようで、別機能の「重ねるハザードマップ」で「道の駅たけはら」の西玄関を指定してみたところ「洪水によって想定される浸水深:洪水によって想定される浸水深:1.0m ~ 2.0m(計画規模)」と表示された。国道交差点の路面を指定しても同じ値であることから、これを元にした最大浸水深イメージの「賀茂川決壊時の1.0m以上~3.0m未満浸水!」を自分では確認することができなかった。

 昨日は満月の大潮の日。竹原市では最西端にある無人島「龍島」(吉名町小泊)が干潮時に陸続きとなる特別日なのである。ここが干潮時に陸続きになって渡れることを知ったのは竹原グリーン・スカイホテルの「ぐるっと竹原観光ナビ」で、干潮となる頃に瀧島を訪れてみた。(2022/04/17撮影)
 
 引き潮の海岸へ下りてみると龍島までの道が現れていた。砂浜や道には島へ向かう真新しい靴跡があり、既に誰かが釣りかなにかで島にいる様であった。ならばそれを安全なルートとしてたどりながら上陸してみた。
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 この景観、とても竹原とは思えないほどの絶景!
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 前回、遠景から龍島を撮った時には陸続きではなかったが、釣り好きの知人に瀧島について渡れるかを訊いてみると「渡れるけど帰れんようになるよ。」と脅されていた。だが、最大干潮時刻の1時間前でこの状態ならば確実に戻れるはず。大潮だったことで普段の引き潮時よりも道幅が広くなっているようであった。
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 ハチの干潟ようにズブズブ靴が沈むことは全く無く、動画を撮りながら島までは数分で歩いて行けた。
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 動画撮影は島を反時計回りに行ったが、島の最南端にて釣り人が居たので釣りの邪魔にならないよう引き返した。前述の釣り好きの知人の話では最良の釣りスポットとのことで、釣り竿が2,3本岩場に立てられていた。
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 それではと島を時計回りに最南端まで歩きながら、遥か彼方に見える竹原や大崎を撮影。
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 道を引き返して小泊の海岸沿いへ・・・。
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 東亜煉瓦跡の煉瓦造りの防潮堤と遥か彼方に宗越の岬が見える。
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 この辺りは砂浜ではなく石ころだらけ。戻る最中に転げて膝を擦りむいでしまった。
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 最大干潮時刻。特に「道」に変化なし。
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 安芸津町と吉名町の境が遥か先に見える砂浜には自分の靴跡が残っていた。
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 以上は数十枚撮った写真の一部であるが、同時に撮った動画(砂浜から瀧島までの往復)もアップしておいた。
安芸の小京都 竹原 040 龍島初上陸(2022 04 17)


(カチカチ音は三脚が揺れる音)
  • 03:30頃に竹原マリンからの軽飛行機が上空を旋回
  • 06:30頃に最南端で釣り人に遭遇して引き返す
  • 10:00頃から時計回りで最南端へ
  • 18:00頃から「道」を戻る

-以上-
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 吉名町小泊の海沿いを龍島方面へ走っていると梅ヶ浜海水浴場前に乗用車が10台以上並んで停められていた。その先へ車を停めて防潮堤から下を眺めると、本日は大潮時の干潮だったようで普段より広くなっていた遠浅の海岸(干潟)が多くの家族連れで賑わっていた。(2022/04/17撮影)

 向いの半島が宗越(むなこし)で、赤い煉瓦の煙突が吉名煉瓦工場跡の工業遺産煙突。青いクレーンが竹原マリンの桟橋である。それらの手前に広がる干潟が梅ヶ浜海水浴場の遠浅海岸で、手にクワやポリバケツを持ちながら干潟を掘っている様子がうかがえた。本日偶然にもハチ干潟(現在は穫れず)以外にも「貝掘り」ができる場所が竹原に在ったことを初めて知る。
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 こちらが竹原マリンの桟橋。この日は軽飛行機か桟橋から発着を繰り返していた。体験フライトできるようで、ライフジャケットを着せられた乗客と操縦士が乗り込んで、瀬戸内海の上空を数分間周回。
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 大崎方面へ飛んで行った。
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 数分間飛び回った後に海上へ着水。
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 竹原市や職場からもコロナ感染拡大防止の要請が出ている最中の為、このところ人混みを避けての竹原散策を行っているが、このような自然の中でソーシャル?フィジカル・ディスタンスを確保しながらレジャーができる場所が竹原にはいくらでも有るのである。

 旧国道185号線舗装工事「市道新町2号線外1路線道路舗装工事」が3月末で終了していた。昨年末に住吉橋から新町交差点西側先数メートルまでの再舗装が完了し、残る3ヶ月間にて新町交差点西側から「珈根」の交差点までが再舗装されるのではと期待していたのだが一向にその気配がない。4月になって気が付いたのだが、再舗装されていた新町交差点に新たな施工がされていた。(2022/04/16撮影)

 先ずは新町交差点を俯瞰すると南北路がクランク状に変形した十字路であることがわかる。
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 新町交差点を南側から北側へ抜けてみる。

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 このような誘導ライン(青い破線矢印)が新たに描かれていた。
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 次は北側から南側へ・・・・こちらにも誘導ラインが描かれている。
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 「珈根」の交差点側から新町交差点を住吉橋側へ抜けると、2本の青い誘導ラインが南北に描かれていることが分る。
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 他にこのような青誘導ラインが竹原市内にあったかは意識していなかったので分からないが、もしかしたら「たけはら海の駅」の交差点にも描かれていたような・・・違うような・・・オレンジ色だったような・・・。
  このラインはクランク状の交差点を抜ける際に対向車同士が干渉せずにすれ違えるように工夫されたものであろう。再舗装される前は対向車を気にすることなく通過できていたが、再舗装後からは路面の色が濃くなったせいか、デコボコが消えて徐行しなくても良くなったせいか、対向車が容赦なくはみ出してきてヒヤリとさせられる頻度が増えていた。この青誘導ラインは、お互いこのライン上を無意識にトレースさせて危険回避させることが役目なのであろう。
 3月末までの工期だった舗装工事は昨年12月末までに再舗装を終えて、残る3ヶ月間の内、3月頃にこの青誘導ラインが描かれていたのである。確かにこれをお互いが意識してトレースすれば走り抜け易いのだろうが、これまでは徐行していた交差点内を高速蛇行しながら対向車がせまってくるので「もしかしたら相手がハミ出しはしないだろうか?!!」とヒヤヒヤしてしまう頻度が増えている。(実際にはみ出されて避けたことが何度かある)
 青い矢印を描くよりも菱形のゼブラゾーンや破線状センターラインが描かれていれば、これまで通りに徐行させながらも安心・安全に交差点が通過できていたに違いない。正面衝突や家屋破損等に遭遇しないよう新町交差点を通るのはなるべく避けることにしよう。

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