安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年06月

 吉名町の石灯籠群を撮りに行った際に、吉名町には誰もが知る?有名な公園「手良向公園」があるとのことで立ち寄ってみた。しかし、公園入口には鎖が張られていて自動車では中へは入れず。車両進入を防ぐのであれば伸縮ポールが伸びているのが通常であるが、あの鎖の張られ具合では人も立入が禁止されているようであった。
 入口向いに舗装された広いスペースはあったが、そこには公園駐車場である看板は見当たらず。他に出入口が無いかと何度か周辺を探してみたが、やはりここが公園の玄関口のようであった。(2022/06/19撮影)

 竹原マリン側から瀬戸内ゴルフリゾート敷地の下を潜って北上する途中、それらしき場所が見つかった。
#01
 ・・・が車道には鎖が張られていた。
#02
 入口には「手良向公園」の石標があるので、ここで間違いないようだ。
#03
 一段下の道路は一般民家への私道だった。
#04

 観光名所であることから、どこかに駐車場があるに違いない。 google Mapで調べてもストリートビュー対象外で他の出入口は確認できず。そもそも周辺道路も描かれてはいなかった。
 航空写真モードで確認すると、学校の校庭のようなグランドと舗装された駐車場らしき場所があり、専用の道路もあるようだ。(黄色ラインは今回通ったルート、赤色ラインに駐車場への道路がありそうだ)
#05

 この「手良向公園」は4月は桜、5月は見応えのあるツヅジが咲き乱れるそうで、地元竹原では有名らしい。今の今まで知らなかった・・・・・。再度、確認をしに行きたいのだが既にツツジ満開の時季外れ。
 この時季、ホタルも観に行きたいのだが、真夜中に仁賀や小梨まで行くにはリスクがあり過ぎる。先日、職場の同僚が家族で宿根農協跡付近までホタル狩りに行かれたそうだが、僅かだがホタルが観られたのは「西の川」下流の大井地区付近だけであったとの事。あの狭い道を夜中に走っていたら鹿に2度も遭遇してしまい、イノシシが脇から飛び出して衝突でもしたら自動車が大破するのでヒヤヒヤだったそうである。

 竹原の製塩業の歴史著書である『塩が育んだ文化の町 竹原 増訂版』(著:竹原郷土文化研究会)を読んでいると、「竹原塩田事業者への聞き取り調査」の章に明神に鎮座する「湊神社」について興味深いことが書かれていた。
 
 これが明神の竹原市給食センター西隣りにある「湊神社」(2022/06/07撮影)
#00 

 本書によれば、この神社は「湊明神」と書かれており、その内容を以下に転記する。
-----------
 湊神社とも言い、塩田の守護神であった。今は海の方を向いているが、以前は東の方を向いていた。規模も大きく新浜の松林の所には灯籠が並び参道となっていた。職業訓練校の設置(現在は竹原市給食センター)によって大きく縮小され現在に至っている。(灯籠は、その後、礒宮へ移転され、現在は吉名の平方へ再び移転保管されている。)
-----------

 また、写真資料の中に、湊神社とその移転後の灯籠が並ぶ写真が掲載されおり、キャプションには以下。
-----------
 湊神社:今は海側を向いているが昔は境内も広く東側を向いていた【江戸期の石灯籠が10基置かれている】
 灯籠:この灯籠は新浜の海岸(湊神社の参道)にあったが、今は吉名町平方に移転・保管されている。
-----------


 吉名町の平方?・・・では、そのような灯籠は見た覚えは無いが、吉名町小泊にある瀬戸内ゴルフリゾートの敷地下を貫く道を海側へ出た場所に、確か・・多数の灯籠が並ぶ空き地を見た覚えがあり、写真を撮ってはいなかったので、本日、改めて海側から訪れてみた。(2022/06/19撮影)

 場所は宗越の山陽煉瓦から竹原マリンへ出た場所を川沿いに右折。そこから瀬戸内ゴルフリゾート側への道に入ると灯籠群が見える。
#01

 近づくと、掲載されている写真に近い気がする。
#02

 写真には「売物件」の看板と柵は写っていなかったが、川沿いに並ぶ灯籠群の様子と一致した。
#03

 石灯籠の擬宝珠を数えてみると計20基。明神の湊神社に長い参道が在った頃は、左右に15基ずつ石灯籠が並んでいたのであろう。(30基のうち10基は現在の湊神社境内にあるとのこと)
#04
#05

 この空地の「売物件」の看板だが、灯籠群の傍には鉄製の錆びた碇も置かれている。ここが売却されたら今度は何処へ移転されるのであろう。ここへ移転前の礒宮へ戻されるのか、それともここに今後も残されるのであろうか。

 6月上旬、創建ホーム旧本社ビルの解体が終了して更地となった。以後、ここが何に利用されるのかを知らなかったのは、職場ではどうやら新聞を購読していない自分だけのようであった。
 中国新聞の地域欄によると、現在の創建ホーム本社(兼竹原支店)ビル(旧福屋)に竹原商工会議所が合同庁舎(たけはら合同ビル)から来年3月を目途で移転し、空いた合同庁舎が改修されて竹原市役所が2024年度予定で移転を完了する「玉付き移転」となるようだ。

 本記事からは創建ホームの移転先は読み取れなかったが、新聞を購読している知人からはこの更地へ新たな創建ホーム本社社屋が建てられて移転すると聞いた。・・・となると商工会議所が移転してくる来年3月までには新社屋が完成して引越を終えていなければならない。どう考えても更地状態から本社社屋が今年度までに完成するとは思えない。

 更地となった創建ホーム旧本社ビル跡地、小僧寿し花館の跡地も含まれている。(2022/06/10撮影)
#01
#07

 NHKの番組で知った新工法?による高速解体工事の様子が見られる機会は滅多にない。数ヶ月はかかると予想していたが、ビル内部が空になって解体か始まり、約1ヶ月で更地となった速さには驚いた。

 その解体工事を逆再生で見てみよう。

 先ずは更地となる直前の6月初日。ビル本体は完全に消えて、残った瓦礫の撤去がダンプに積まれて搬出されていた。(2022/06/01撮影)
#08

 その少し前の5月末、3Fまであった鉄筋は非常階段付近を残して撤去されていた。(2022/05/29撮影)
#10

 更に3日前の6月下旬、残った3Fまでの鉄骨が切断とカニヅメ?によって解体されていた。(2022/05/26撮影)
#12

 このカニヅメ?みたいな解体器械は何という名なのだろうか?重機に付けるアタッチメントは通称「はさみ」で正式名が「フォーク」(2本型)らしい。私はこれまでこれを「アンギラス」と呼んでいた。
#13

 更に5日前、3Fまでの外壁が残っていた。内部では各階の床の除去が行われていたと思われる。(2022/05/21撮影)
#14

 5月中旬、最上階の屋根が消えていた。(2022/05/16撮影)
#15

 これより過去はこちらのブログ記事に掲載している。

 市役所庁舎が建てられたのはいつ頃なのだろうか?市制何周年だったかは憶えていないが、市民館が完成した年に何かのイベントが現在の合同庁舎が建つ前の更地にて開かれ、そこで「灰まみれの万年筆」を買ってもらった記憶がある。倒産した万年質の会社が在庫品を焼却処分したことにして救い出したもので、「いいかい、これは見た目では灰まみれだが、この通り軽く水で洗えばスラスラ書ける良品だ!」とのこと。それが香具師だったのを知ったのは数年後だった。もちろん、数日でインクが詰まってペン先の隙間が開いた粗悪品。この万年筆の香具師が最近観た「寅さん」シリーズに同じ口上で登場したのには思わず苦笑いしてしまった。

 中通のトヨタカローラ広島竹原店の新店舗、5月末の時点では駐車場は砂地が見える未舗装、整備点検ピット内も「がらんどう」であったが、何度か新店舗前を通った際には急ピッチで工事が進行中。

 そして昨日には工事車両が撤収していたので、本日夕方の仕事帰宅後に改めて店舗前を通ってみた。ピットはシャッターが閉じられており、ガラスには目隠しが張られていた。(2022/06/17撮影)
#01
 
 白い幕で隠されていた看板のロゴと店舗名がお目見え。
#02

 現時点では隣りのスズキ店のような道路沿いの巨大看板はない。店舗屋根上のサイコロ状看板がその役目を果たしている。
#03

 上条側から引き返してみると新店舗と現店舗が並んだ珍しい光景が今だけ見られる。
#04

 駐車場にはかなりの台数が停められそうだ。IN/OUTの看板にはブルーシートが掛けてある。
#05

 新店舗への引越は間近であろう。そして旧店舗となった跡地はどうなるのだろうか?帰省時に多用していたジョイフルが更地になって久しいが、ここへファミレスができると個人的には有難い。

 新町の旧国道185号沿い、業務用食品スーパーの隣りにて家屋の解体工事が行われていた。(2022/06/14撮影)
#01

 右隣りには移動型地蔵祠があるのだが、確かここはシャッターが常時閉じられたままだった。
#02

 何かの店舗のようだが、防音幕が張られていることから解体工事であることは間違いない。
#03
#04
 
 次の日に前を通ってみると、やはり解体工事だった。
#05

 移動式地蔵祠を撮った時の写真を再確認すると、無地の赤いテントと貼紙があるシャッター。(2022/03/27撮影)
20220327a

 まだ右隣りに家屋が在った頃の写真にも貼り紙。拡大してみたら「売ります。貸します。」と書かれていた。(2013/09/21撮影)
20130921a
 
 古い地図にて確認すると「シューズ・マエダ」と書かれていた。「マエダ」で「蔵出し写真」を探すと1枚だけ見つかった。無地のテントは「M」が描かれており、バツグとシューズの専門店であった。(1998/08/08撮影)
19980808a

 場所的には商業施設が近くて比較的交通量が少ない優良地。解体工事は本日も行われていたが、何れはここも広大な更地か駐車場になるのだろうか?

変らないようで変わってゆく「時からのメッセージ」

↑このページのトップヘ