安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年07月

 コロナ感染対策の自粛要請(実質、行動制限)についての報道が激減し、梅雨が明けて急に暑くなったせいか、7月中旬でありながら的場海水浴場は予想以上の人出になっていた。昨年の同時期程度の閑散としていると決め込んで、今週日曜日の午後に駐車場を訪れてみると的場公園内の駐車スペースは多数の満車、渚橋が架かる川沿いの奥の奥まで駐車車両が並んでいた。
 折り畳み椅子に座って海を見ながら食事をしたいだけだったので、諦めて他の場所へ向かおうとしたところ、駐車場警備員が空きスペースを探して案内してくれた。軽自動車がギリギリ置ける場所ではあったが、せっかくの案内、折り畳み椅子を車内からなんとか取り出し、座れる場所を求めてさまようことに・・・。(2022/07/17撮影)

 渚橋を渡って的場山への石段上から海水浴場の様子を確認。
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 普段は置ける防潮堤材沿いは駐車できないようトラロープが張られていた。公園内に他県ナンバーも多数、広島ナンバーと福山ナンバーの割合は半々といった感じである。
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 昨年の夏は何度か的場を訪れたが、容易に数えられる程度の人出だった。まだ7月なのに例年の盆休み時期の人出と殆ど変わらない。
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 砂浜や突堤には折り畳み椅子を広げてくつろげそうにないので、比較的海水浴客の少ない西海水浴場へ。
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 満潮から潮が引き始めている午後1時過ぎ、海岸沿いの磯辺は未だ海の底。
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 ここへも未だ降りられない。
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 くつろげそうな場所、残るは西海水浴場の突堤。
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 毎回、西海水浴場を訪れて感じるのだが、こちらはプライベートビーチのような雰囲気。客層もなんだか違うし、隅にはバーベキューをしたゴミが散乱していた。
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 真昼にしては陽射しは弱く、突堤の根元に椅子を広げて、忠海の「山笑店」で買った「唐揚げ」を食べ、小一時間うたた寝した。
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 訪れた時は突堤の先っぽに釣り客と家族連れが居たが、フェリーや釣り船が通り度に塩水を被る状態。
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 今年の的場海水浴場、7月中旬でこの人出であれば土用波までの期間はかなりの人出になりそうである。

 忠海祇園祭の神輿巡行を見物した後、以前から気になっていた「山笑店」で初の買物をした。店名を何と読むのかも気になるが、外観は果物専門店のようであり、店内には野菜、他に野菜の種なども販売されている。そして店の右側にはテイクアウト窓口も備えている。
 そのテイクアウト商品のメインは「唐揚げ」のようで、八幡宮から戻ってきた際に立ち寄ったところ、窓口横の屋外では店主が「唐揚げ」を揚げている真っ最中。一度は道路の反対側まで通り過ぎたのだが、香ばしい油の香りに誘われて、写真を撮りながら気が付けばテイクアウト窓口の前に立っていた。(2022/07/17撮影)

 八幡宮(開発神社)までの神輿巡行か終わって駐車場へ戻る際に「山笑店」の前を通過。
#07

 離れていても明らかに「唐揚げ」だと分る香り。まるで鰻屋の蒲焼のようなもので、屋外では「唐揚げ」が揚げられていた。
#06

 通り過ぎて道路向い側で「山笑店」の全景を撮ったのだが、あの香りに後ろ髪を引かれてしまい・・・
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 ・・・元に戻ってしまった。
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 柑橘類の種類の多さも気になるが・・・
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 店名「山笑店」の謂れと読み方も気になるが・・・
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 やはり「唐揚げ」が一番気になる。LED看板(デジタルサイネージ)に「からあげ」が表示されるのを撮ってから
テイクアウト窓口へ向かおうとしたら先客が・・・
#05

 閉じられたガラス窓越しに「唐揚げ」があるか(売り切れは無いハズ)を確認していたら「いらしゃいませ~」と窓が開けられた。カウンターには「焼きそば」「カツサンド」が並べられており、目的の「唐揚げ」は保温ケース内に二種類置かれていた。迷うことなく「唐揚げ(大)」(540円)を購入した。

*****
 さて、これを何処で食べるかだが、車を停めた駐車場までは徒歩で5分以上かかる。内堀公園では飲食は禁止かもしれないし、竹原市役所分所隣りの地域交流センター前の自販機でコーラを買ってアトム近くの市営駐車場の車内へ戻った。
 さすがに車内で食べるのはもったいない。瀬戸内海の景色を見ながら食べたいのだが、忠海港の灯台には釣り人が居るし、船着場には「うさぎ島」へのフェリーが来るのを100人以上が乗船待ち中。野外の座席には人があふれ、アヲハタまでの全駐車場は完全満車。
 それではと「エデンの海P」まで走ると展望台も満席。「ホクストン」向いの長浜には海水浴客が大騒ぎ。ならばもう「的場」ぐらいしかない。「的場海水浴場」も予想通り満車だったが、運よく軽自動車が停められるスペースを案内してくれた。
 砂浜はまるで盆休み前のような大混雑。くらげが出たら刺されるぞ・・・と心配したが、まだ7月中旬だったことに気が付いた。どこにも折り畳み椅子を置くスペースは無さそうなので西海水浴場まで歩いた。さすがに西側の客層は的場側とは違っており、テントや人数も少なかった。

 突堤には家族連れが居たので根元に椅子を広げて、初の「山笑店」で買った「唐揚げ」と「忠海地域交流センター」前で買ったコーラを置いた。
#08

 目の前を行き来するフェリーを眺めながら、冷たくなった「唐揚げ」と人肌の温かさになったコーラーで遅いランチとなった。
#09

 冷めてはいたが外はカリカリ、中身はジューシー。サイズ大だったので「唐揚げ」とコーラで満腹になってしまった。
#10

 陽射しは弱かったが、小一時間うたた寝していたら腕の表側が日焼け。祇園祭と「唐揚げ」に満足して帰宅したところ直後に妻も帰宅、ランチは運よく空席が有った「アナシュ」で食べたとの事である。

 今年もコロナ禍で縮小行事となった忠海祇園祭。昨年は「神事のみ」との情報で敢えて祭りを訪れなかったが、忠海の知人から「みこし行事」や縁起物の「猿」が見物客にも配られたと聞いて、今年は神事のあとに行われた内堀公園での「お披露目と模範演技」、その後の公園から八幡宮(開発神社)本殿までの「みこし巡行」の模様を初めて間近で見物することができた。(2022/07/17撮影)
#01
 
 弁財天社前での神事(8時から)と八幡宮からの神輿出発(9時から)は、さすがに時間が早すぎて見送ったが、10時からの内堀公園での「お披露目」と11時からの「模範演技」と「お宮入り」の様子を記憶と記録に収めることができた。
 竹原町からの出発は9時過ぎ、道の駅から県道75号経由でアトム近くにある市営の忠海港駐車場に9時20分頃到着。(予想通り、忠海港の駐車場は朝方から超満車状態だった)5分程度歩いて内堀公園に到着。
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 既に公園内には神輿担ぎの演技が行われていた。
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 広島県無形民俗文化に指定された「みこし行事」。見ていてハラハラする程の勇壮で豪快な取り回し。
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 「お披露目」と「模範演技」が行われる10時までは、神輿前や輿守との記念撮影が行われていた。
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 著書『竹原聞きある記』によれば、今年二十歳となる(なった)若衆(男女)が、先輩の指導のもとに太鼓のバチ作りから始まって太鼓の練習、神輿の清掃、本日の本祭と一週間前からの「七日祇園」などの各種行事の目方が伝承される。その新たに加わった若衆は「輿守(こつ)さん」と呼ばれ、鉢巻、法被(ハッピ)、白足袋のいで立ちで、法被の背には様々の猿の縫いぐるみを着け神輿をまわす。その「猿」を取った人は、その年一年間無病息災であると言われている。
 この今年新たに加わった「輿守さん」が以下写真の男衆6人のようだ。背中に背負っている飾り付けの中央が巨大な「猿」で、色とりどりの紐状のものが法被に縫い付けられた無病息災の「猿」である。10時からの「お披露目」の解説では著書に書かれていた「こつさん」ではなく「こしゅさん」に聴こえ、若衆の女性2名は「こしむすめ」と呼ばれていた。また、この「お披露目」とは神輿演技ではなく、今年新たに加わった「輿守さん」と「輿守娘」の町民への紹介(お披露目)なのではと思われた。
#08

 10時からの「お披露目」では、忠海祇園祭の歴史についての概要解説に続いて今榮市長によるご挨拶、無病息災の「猿」については見物人へ多数配られるとのことで、伝統的な「もぎ取り」は行わないよう指示された。
 「輿守さん」と「輿守娘」の紹介のあとに正式な神輿担ぎの「模範演技」が行われ、その演技前に親御さんによって法被から外された無数の「猿」が観客に配られた。その「猿」がこれらである。巨大サイズの「猿」の行方は分からないが、忠海の知人2名から聞いていた話では各家庭で数個から数百個が毎年作られているとのことだ。私が見た感じでは飛騨の「さるぼぼ」と同じ「猿」に房と鈴が付けられたものに見えた。今回1つを貰う予定で模範演技を見物していたが、何度も配られて「色違いを選んで」との事で気が付けば5つを手にしていた。(この「猿」、効力が消えた来年以後はどうすれば良いのだろうか・・・)
#09

 そして今回撮った動画が以下である。元は90分程度のものだがプライバシー等のカットで編集したら30分になってしまった。
 前著書(広報たけはらS60.3版からの転載)によれば、神輿の担ぎ方には特徴があり、「竪廻し」「立てり担ぎ」「坐り担ぎ」「とっちゃげ」なとが、「輿守さん長」の采配に合わせて古くからのしきたりに従って神輿をまわし、「立てり」「坐り」「かぶりつき」「棒ばな」とそれぞれの技を競う。その神輿の動きは勇壮で空にあって舞うがごとく、八岐大蛇(やまたのおろち)がのたうつようであり、須佐之男命(スサノオノミコト)の凱旋の喜びを表したものと伝えられている。
 今回はコロナ対応で規模縮小されたのか、著書に書かれている内容によれば、早朝より御旅所を出た樋越は、始終忠海町内を太鼓真音に合わせて廻しながら、「チョッサじゃ、チョッサじゃ」と一巡し、新橋区の路地に入ると先輩たちによって「立てり担ぎ」が行われ、永年の技術の伝承をしのばせる。夜になれば高提灯や弓張提灯を手にした子供達や町の人々に見守られ、神輿は人々に名残り惜しまれて駅前通りを行きつ戻りつし、ほら貝の音と二十歳の娘さんが唄う「祇園さんの唄」に促されて八坂神社に環御する。
 通年は以上のような光景が現在も続けられているのかまでは確認していなかったが、今回は内堀公園から八幡宮(開発神社)までの神輿巡行を見ることができた。途中、特定の軒下前で神輿が地面に降ろされ、担ぎ棒を「ガタガタ」と数回揺らす場面、神輿が神社の鳥居を潜る際に傾ける様子、本殿までの石段を一気に昇るために神輿が綱で引き上げられた様子などを動画に収めることができた。

安芸の小京都 竹原 052 令和4年 忠海祇園祭 神輿演技お披露目と八幡神社まで巡行(2022 07 17)

-以上-

 本日、忠海祇園祭から帰宅する際、「住吉まつり」の飾り付けの様子を確認。今年は神事と神輿の軽トラ巡行のみで、本川での櫂伝馬、雁木でのステージや掛町商店街の露店等による恒例行事がない。その代わりとして、神事の1週間前から本川沿いと掛町商店街に奉納幟と提灯飾り付けが行われるとの回覧が回っていた。(2022/07/17撮影)

 これがその奉納幟と提灯飾りの様子である。
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 この眺めを見ると約10年前の帰省時に訪れた「住吉まつり」を思い出してしまう。
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 例年では雁木にステージが建てられ、現在の村上ベーカリー前には露店が準備済み。
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 日が暮れると提灯に明りが灯り、祭りを訪れる人々の数が徐々に増してくる。
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 ・・・・が、今年もあのワクワク感は来年への持越しとなってしまった。今年こそ仮設ステージにあの竹原出身「株主優待の桐谷広人さん」が初めて生で観られるかも・・と期待していたのだが・・・。
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 夕飯を済ませた20時過ぎに暗くなった掛町へカメラと三脚を持って自転車で出掛けた。もしかしたら20時で消灯されてしまうのではと心配したが、帰宅した21時前までは灯されていた。(2022/07/17撮影)

 先ずは「一冨士」跡のはす向かい辺りから、提灯が飾られた日の丸寫眞舘。
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 次は本川の雁木。水面に映り込む提灯灯りの美しさを期待したが、あいにくの干潮で中洲が見えていた。
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 住吉橋から日の丸寫眞舘。
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 住吉神社鳥居辺りから並んだ幟を撮影。
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 掛町商店街通りにも提灯灯り。
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 「酔景の小庭」からライトアップされた普明閣を撮りたかったのだが、ベストポジションには先客が座っていた。
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 農協の駐車場から。
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 神田もち店信号から新港橋をぐるりと回って頼山陽公園へ。
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 例年であれば、この辺りから櫂伝馬の巡行が見られるのだが・・・。
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 吉野石材(旧きり屋が在った場所)の路地出口から。
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 頼山陽像が移転する前の場所(現村上ベーカリー)辺りから。
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 再び住吉橋から。
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 水面に映る「日の丸寫眞舘」が撮れた。
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 小一時間、本川をぐるとり回って夜景を撮ってみたが、これはこれで予想以上に「祭りのわくわく感」を感じることが出来た。30分程度で戻ると言って20時過ぎに家を出たが、帰宅したのは21時を回っていた。
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 来週の日曜日は神事と神輿の軽トラ巡行が行われる予定なので、また撮りに出かけてみたい。本日午前中に生まれて初めて訪れた忠海祇園祭では、16人の輿守さんが重厚な神輿を担いで内堀公園から町内を八幡神社の本殿まで巡行していたが、あの勇壮な神輿の取り回しは無いものの、軽トラに積まれた神輿が町内を巡行する光景は未だ見たことが無いので楽しみである。いつどこを神輿が走るのかまでは関係者しか分からないので、もしもその様子が撮れれば幸運といえる。

 子供の頃から夏休みの楽しみであった「住吉まつり」。鳥羽町の親戚に親兄弟が大集合し、子供達は他の親からそれぞれ「小遣い」を貰ってそのまま「きり屋」へ直行。小銭で買ったロケット花火や蛇花火を雁木に降りて火を点け遊ぶ。人口着色料と防腐剤漬けのリンゴ飴で口の周りを赤く染め、港から本川の各橋を潜ってきた小型の櫂伝馬や円山医院の護岸に設けられた仕掛け花火が川面を照らす。祭りは土日の2日間、日曜夜に祭りが終ってしまった殺伐としたあの空虚感。夏休みま最中ではあるが「サザエさん症候群」の数倍の憂鬱を感じていた竹小時代であった。

 高崎町の海沿いを走っていると島々の隙間に極小の島が見える。以前からこのような極小島があったのだろうか?まぁ、海底火山のように急に島が海面に突きでるわけは無いので、目では見えているのに脳内では見えていなかったに違いない。場所は阿波島と大崎上島の中間辺りの沖、後ろには愛媛県今治市の大三島がある。
 この日は沖にクレーンを積んだ船舶がその場所に停泊していたのが目に留まったのだが、その真横にも何かが見える。目を凝らせば小さすぎる島であった。考えてみれば大潮の干潮時、普段は見えない島の下半分が引き潮で姿を現していたことで目立ったのであろうか。(2022/07/15撮影)

 下の写真は高崎洞門から抜けてバンブーへのT字路手前にある駐車スペースから撮ったものだが、「?」と矢印を付加した部分に「黒い点」が見え目だろうか?
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 少しズームしてみるとブイや釣り船ではなく「島」であることがわかる。
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 普段は樹々が生えている部分しか見えず、目立たなかったのかもしれない。
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 この極小島の名は何だろうか?googleマップを見ても名称が書かれて無いのだが、干潮時に道ができる吉名沖の「瀧島」の名がが書かれていたMapionを見たら「唐島」と書かれていた。島の直径は50m程度と竹原沖では最小クラスだ。高崎町にこのような特異な島があったとは・・・と住所を確認してみたら竹原ではなく「広島県豊田郡大崎上島町東野」であった・・・残念。遠近的に阿波島の横に見えたのだが、陸からは大久野島程度の沖であった。
 だが、竹原にはまだ他に極小島がある。(下の写真、※の矢印)阿波島の一部なのだが、もしかしたら島に何か名称が付けられているかもしれない・・と、再びMapionで確認すると「名無し」であった。
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 たしか『竹原聞きある記』に阿波島について火山だったとの歴史的伝承が書かれていたはず。確認してみると「阿波島は火山(ひのやま)」が書かれていた。竹原沖に火山活動でできた島(伝説的にだが)が?と読んでみると・・・以下転記。
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 火山とは「火山所(ひやまどころ)」(火建山/ひたてやまとも書く)である。昔、阿波島は「火山所」となっていた。
 ご公儀の畝が瀬戸内海を上下する時に、ここに来て見張るのである。ひの夫役は高崎村の十八軒ぐらいの役家の中から、浦舸子(うらかこ/定水主とはその性質を異にする、定水主は藩に仕えて海上交通の役務を果たすことを目的とするが、浦舸子は内海を往来する公儀の役船への夫役をつとめる。火山所の夫奥につき、ほとんど奉仕による)が、六人一組となって各自弁当持ちでわら、かづら、大繩等を準備して夫役につく。六人の内、三人は火山に居り、他の三人は番船に乗り込んでいるのである。
  ご公儀の船が入って来た時は、山の上からのろしを一つあげて合図する。昼は煙をあげ、夜は火をたてる。ご公儀の船が高崎港に止まった時、またのろしを一つあげる。その船が出港した時もまた一つのろしをあげて、次の火山所に知らせるのである。こうして次から次へと火山所が、知らせ合う仕組みになっているのである。このような火山所は、大阪から下関までの間に分布している。・・・以下、省略。
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 阿波島が歴史的に重要な拠点であったことは分かったが、標高23mの極小島「唐島」についてや阿波島脇の「名無しの極小島」については記述は見当たらなかった。もしかしら、釣り好きの間では何か愛称があるかもしれない。

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