安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年08月

 広果連のダンボール工場を撮りに「エデンの海パーキング」の東屋のテーブル席が空いていれば・・・と忠海駅傍のコンビニでコカコーラとアイスチョコモナカを買って訪れたところ駐車場には営業車が2台のみ。どちらも運転手が車内でスマホをいぢっていたので「ラッキー!席が空いている!」とカメラとポリ袋を持って展望席のある東屋へ登った。(2022/08/09撮影)
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 東屋には誰も居ない・・・
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 いや?誰かが居るのか・・・
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 だが、展望台の眼下には誰も居ない。
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 どうやらゴミの放置逃げのようである。ここに座ると自分が放置したように見えるし、パーキング内にはゴミ箱は設置されてはおらず、だからといって持ち帰って捨てるまでSDGsをこよなく愛する善良な市民でもない。
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 テーブル席を利用するのはやめて御影石の島波マップと実際の島々を比べたかったのだが、生憎の靄(もや)で島波が見える程の絶景ではなかった。それにしてもこの島波マップ何だか見づらい。各々の島の名称は読み易いが島自体の輪郭が不鮮明なのだ。「エデンの海パーキング」が造られた当時は、島波マップと実際の島々が明確に比較できた記憶があり、その当時の島波マップを探し出してみた。

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 これが現在の島波マップ。
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 こちらが完成当時の島波マップである。今になって気が付いたが当初は御影石ではなくカラーで描かれたステンレス製のパネルであった。(1998/04/27撮影)
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 左端から順に新旧マップを比較してみる。(差分は赤文字で示した)
左端から高根島・生口島・多々羅大橋・大久野島・大三島。
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 旧パネルには高根島・佐木島・生口島、多々羅大橋は描かれているが橋名が無く伯方島・大三島・大久野島。
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小久野島・松島・神殿島・生野島・大崎上島。
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 小久野島・松島・四国山脈神殿島小横島大横島佐組島
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#06b

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 大崎下島・阿波島・上蒲刈島。
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 大崎上島と下島をまとめて大崎島・阿波島上蒲刈島が描かれているが島名が無い。
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 こうやって新旧を比較してみると、個人的には旧マップは遠近感まで再現されていて実際の島々と比べ易かった。また、大崎上島や下島は実際の遠近が分かり辛いせいか、まとめて大崎島と書かれていたのが実に興味深い。新マップは御影石を彫って島を描いているため遠近感が表現できないし、細かな文字での島名は彫れないからか多くの島が省かれているようだ。
 御影石に変更した時期や経緯までは調べていないが、2011年に撮った写真は既に御影石に替わっていた。せっかくの絶景スポット、AR(拡張現実)の技術を使ってスマホのカメラで眺めると島名や遠近感が合成されるようなQRコードがあるマップ・サービスが提供されると東屋に座って楽しめるのだが・・・。

 このマップを撮ったあとに広果連のダンボール工場を撮ったのだが、車に戻ってアイスチョコモナカの袋を開けたら、モナカの隙間から溶けたアイスクリームが滴り落ちてズボンがネバネバになってしまった。

 生温かく風が吹かない休日の15時過ぎ、満潮に近い本川の川面に映る三井の煙突「竹太郎」を綺麗に撮ることが出来た。これまで何度かトライしたのだが、さざ波で川面が鏡面にはならず失敗していた。(2022/08/21撮影)

 これが1枚目。微妙に歪んだ景色が何とも言えない幻想的なのである。
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 そして2枚目。
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 撮影した場所は竹原大橋(呉線の鉄橋)を跨ぐ国道185号線の高架下に架かった汐入橋。
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 しかし、この橋の名はなぜ「汐入橋」なのだろうか?
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 通常、橋の欄干には橋名と架かる河川の漢字と平仮名表記の銘板があるのだが・・・「しおいりばし」はあるのに「ほんかわ」が取り付けられていない。
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 反対側の右手には漢字表記の「汐入橋」があり・・・・
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 左手には(大きく写せなかった)・・・
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 「本川」が取り付けられていた。よって、この橋が架かる河川名は「汐入川」ではなく「本川」であることが確定する。
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 また、隣りの踏切名も謎・・・。
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 なぜか「汐入川」(しおいりがわ)となっている。
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 それに本川に架かる鉄橋の名称も「汐入川橋りょう」なのである。
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 踏切名も鉄橋も「汐入川」なのが、どうしても違和感か有って馴染めない。向こう岸の黒浜地区にある踏切名は「黒浜」なので、この「汐入川」は河川名ではなくこの場所の旧地区名なのだろうか?だが、ここは「扇町」なので踏切名は「扇町」踏切にすべきであり、本川に架かる鉄橋も「本川橋りょう」にすべきである。

 「禁転載複」と書かれているので載せられないのだが、広報地図協会による『わたしたちの竹原市』(昭和59年頃)の竹原市広域地図には、市内全域の旧地区名と主要な河川名が書かれている。本川は田浦川との合流があり、河口までが本川と記載、旧地区名においは「扇町」と「黒浜」の境界で、日本橋と扇橋の間に「汐入橋」が書かれていた。

 話は反れてしまったが、以上の確証から幻想的な「竹太郎」が映る「汐入橋」から眺めた川面は「本川」であることは間違いないであろう。書き忘れるところだったが「映る」の読みは「ばえる」ではなく「うつる」である。

 下野町国道沿いの「すき家」から旧国道へ入る路地に「自販機」がある。設置されているのは「髪処C’s」の店頭。筐体が濃い赤や青ではないので景観に溶け込んで目立たないのだが、これを見付けてしまうと忘れられない程のインパクトがある。
 描かれているキャラはオリジナルのようだが、よく見れは背景は町並み保存地区。直接描かれたのかラッピングなのか、絵なのか写真なのかも分からない程の見事な出来映えなのである。(2022/08/23撮影)

 その自販機は矢印の場所。
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 国道側からだと「くるくる」と回るサインポールが目立って、この角を曲がらない限りは自販機に気が付きにくい。
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 自販機の右側の面。「たまゆら」キャラ風ではなく、これはオリジナル・キャラなのか・・・。背景画?は千鳥格子の窓がある岩本邸である。
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 正面と左側の面。背景画?は竹鶴酒造と松阪邸である。
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 裏面にも背景画?があるのだが、さすがに裏まで廻って撮ることはできなかった。左面には「たけはらのたのしいが たくさん集まる場所、なので、ちょっと一息」、正面上部には「まちの情報案内所、なので、」と書かれており、「なので」は「たまゆら」の主人公の口癖。ここでは観光を含めた竹原のディープな情報が得られるのだろうか。
 自販機の選択ボタンにも同じフォントでつめた~いあたたか~いが書かれており、価格は何と!「ドリンク100円~どうぞ」、なので。この「100円~」は「100円以上」を意味するのだろうか?だが、三矢サイダー缶は80円だし・・。その中で「ラベルレス」のアクエリアスが興味深いのだが、もしかしたらフィルムが剥がされたペットボトルが出てくるのだろうか。(全体的にリーズナブルだし、今度、買いに行ってみよう)

 そして今回もうひとつ気になったのが、店頭に立てられた「まちゼミ in たけはら 開催中」の幟である。これについては、今年の開催情報が竹原商工会議所の facebookで得られた。ここ「髪処C’s」では「クオリアゲーム・色カルタで脳を活性化させよう!」の講座が 8/29 と 9/4 に開催されるようだ。

 本日、本川通り商店街からマクドナルド裏通りを抜けてナフコへ向かう際に、ふと目に留まった普段とは違ったこの路地の景観。竹原駅前商店街との交差点角にある「焼肉の一(かず)」のビル1Fに新たな店舗がオープンしていた。その店名は「キッチン&カフェGUU(グー)」で、さっそく店舗名などでネットで調べてみたのだが情報は未だ得られていない。(2022/08/23撮影)

 この建物は昭和時代には「おしゃれストアー玉屋」があり、母親が衣料品をここでよく買っていた。1970年代の「玉屋」の2階が「お好み焼屋」だった時もあったとの話も聞いている。古い市街地図を調べてみると、「玉屋」の後は空き店舗になっていたが、平成時代では1階が「坂田時計店」や「ファッション・キャロット」になっており、最近では「キャロット」だった店舗は看板が取り外されて長らくシャッターが閉じられていた記憶がある。
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 店舗名の由来はジャンケンの「グー」?それともお「腹が空いた時のグー」だろうか?
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 竹原町では定休日の店舗が多い火曜日に、営業中の新たな食事処の選択肢が増えて嬉しい。店舗情報が入り次第、レポート記事を書く予定てある。

 以前、「頼惟清旧宅で涼む」のブログ記事で各座敷に飾られている生け花は月単位で二流派が交代していると書いたが、奇数月が「池坊竹原支部」で偶数月は「一生流」が飾られている。猛暑の先月に涼みに訪れた時は「池坊竹原支部」であったので、月替わりの8月にも生け花を観に訪れてみた。(2022/08/21撮影)
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 この日は夏季休暇の最終日だったせいか観光客は疎ら、既に15時は過ぎていたが相変わらずの酷暑であった。
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 屋内に入って右手の座敷には「ご自由にお座りください。」のパネルが置かれているのだが、障子の敷居に腰掛けられるだけでなく、座敷へ靴を脱いで上がっても良いらしい。・・・とは言ってもさすがに気が引けるのだが、実際に観光客の方々は座敷へ上がられているそうである。
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 私は玄関からへ左手のこの座敷から障子越しに差し込む光を眺めるのが大好きだ。こちらの列の座敷には腰掛けたり畳へ上がれないのだろか?良ければ土間からではなく座敷上から光る障子を撮ってみたい。
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 こちらはその奥隣の座敷。
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 そしてこちらが更に奥の座敷。
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 3の座敷はこのように並んでいる。
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 さすがに畳に「大の字」はダメであろうが、ここ頼惟清旧宅は町並み保存地区で長居をしたい寛げる場所のひとつである。
 今、思い出したが、この「惟清」の読み方がいつからか「ただすが」になっているようだ。私が竹原について調べ始めた1996年頃では竹原市の公式資料などは「これすが」だったが、頼山陽の幼名「久太郎」が「きゅうたろう」ではなく「ひさたろう」だったのを知ったのは最近だし、これはについては諸説あるのか誤りだったのだろうか?頼惟清旧宅内の自動音声ガイドを再確認して書院図書館でも関係著書などを調べてみることにしよう。

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