安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2022年08月

 本日、閉店まで間近となってしまったナフコへ目ぼしいものが未だ売れ残っていないか訪れてみた。遠方からの外観は特に変わりは無さそうだったが、よく見れば巨大看板に紗幕のようなものが張られており、外観も閉店の大掛かりな準備が始まったようである。(2022/08/21撮影)
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 足場も組まれており、閉店後から「ナフコ」の面が「白塗り」されるのであろうか?
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 反対の面も同様。
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 そして屋外販売コーナーから店内へ入ろうとしたら閉鎖されていた。
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 正面玄関口右脇に「竹原ショッピングセンター」がオープンした当時の貴重なパネル類が貼られていたことを今更ながら知る。
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 この商業施設は「第一種大規模庫小売店舗」であること。設立かオープン当時が平成2年11月(1990年)だったことの「証し」である。
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 そしてオープン当時の施設内のマップ。現在の販売コーナー配置やテナント状況とは大きく異なっていた。
#07
 
 1990年代当時に「本川薬局」、「シオタ」と「きり屋」がここにあったのは憶えていない。小規模な本屋と食堂があり、トイレが終るのを本屋でイライラ待っていた記憶しかない。

 建物壁の「ホームプラザナフコFC竹原店」の文字は、裏側の駐車場奥(従業員用?)なら全景が撮れるのだが・・・。
#08

 :建築資材置き場が閉鎖され、売れ残ったものが屋内のラックに移動されていた。閉店告知後から数回訪れていはるが、半額や7割引きになった商品には減額前に買ってしまったものや、「おっ!!」と見つけた目ぼしいものは元々が高額なので手に取っては棚に戻すこと数回、次回訪れた時には誰かに買われてしまっていた。今回見付けた欲しい物では、「八木タイプのFMアンテナ」が未だ平常価格。何にでも使える黄色い野菜コンテナが2ケースセットで800円弱(通常なら1000円超)は、自転車で訪れたので持ち帰れず断念。数個しか残っていなかったので、明日の夕方には未だ有るだろうか・・・。


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 忠海にある「JA広島果実連(本所&ダンボール工場)」を撮りに訪れた際に、内堀公園近くの「スーパーマミーの歌」を聴きに再び店舗に立ち寄るのをすっかり忘れていた。「忠海祇園祭」のあとで立ち寄ったが休みだったので改めて訪れる予定であった。
 そのスーパーマミーがある商店街には私の親類である「樋口電機」が内堀公園ができる前からあり、小学生時代の夏休みに電気工事の手伝い(天井裏の電線張りなど)に来て欲しいと呼ばれた際に、そのお礼にと貰ったのが「真空管ラジオの組立てキット」と半田ごてであった。これがきっかけで後ちに私は電子機器の設計エンジニアになって関東で定年まで働きながら暮らしたのである。
 店主が息子さんの時代になってからは殆ど訪れたことは無く、私が小学生当時に忠海の祭り「宮床さん」を家族で訪れた際に新装開店当時の「樋口電機」の2階で1泊したぐらいであろうか。

 その懐かしい通りを歩いて撮ったのがこの写真。(2022/07/17撮影)
#01
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 その「宮床さん」で泊めて貰った際に店頭前で撮ってもらった写真(右)がこれ(左は現在)。
#05

 こうやってサッシ枠を合わせて「現在と遠い過去」を並べて見ると通常の時間の流れでは変わらないようでも、実際には大きく変わっている違いが判るのがとても興味深い。

 昨日に続いて本日も「蔵出し動画」の第3弾。既に公開している動画『003.あいふる316(2006.04.30)』の元撮影動画が、古いPCから取り外して置いたハードディスク内から見つかった。公開済みのものは2006年GW帰省時に撮った本川公園からスタートして本川地区を巡りながらシオタ前Pで終わるシーンであったが、このスタート前までには「仁賀れんげまつり」からの帰りから続くシーンもあったことが初めて分った。
 元動画は「仁賀れんげまつり」の仮設駐車場を出てから、わざわざ仁賀ダムが造られている地域の旧道を巡り、県道330号仁賀口から荘野町と東野町の賀茂川沿いを走り、東洋コルクの橋から国道432号へ戻り、東野郵便局前の旧道を通って上条橋へ、そして成井土手沿いを走って竹高前から新町交差点までの旧国道185号、近末・旧福屋の交差点から本川公園手前を巡っていたのである。
 この元動画には「仁賀れんげまつり」で大混雑している梅王館前、ダム本体の無い新道だけの谷に架かる橋、現在は水没してる旧道や賀茂川の清流地域、その他、現在はもう見られない建物、当時は未だ無かった建物等が数多く映されていた。なぜ前半シーンをカットしていたのかは自分でも分からない。
 今回は元動画をリマスターして画質向上版のオリジナル動画を作成し直し、注目すべきシーンに新たにキャプション(簡単な解説)を付加して、続く動画003のシーンも含めたリマスター版「058 仁賀ダムができる前(2006.04.30)」を作成してみた。(2022/08/19作成)

安芸の小京都 竹原   058  仁賀ダムができる前(2006 04 30)

※キャプションにて誤字発見・・・(誤)扶養湖/(正)芙蓉湖

 「003 仁賀ダムができる前(2006.04.30)」作成時には気に留めていなかった、更地のままだった警察署跡地(道の駅になることを知る前)や、市役所職員駐車場となった三井会館跡地(マクドナルドになることを知る前)、GAIAやグリーンスカイホテルができる前の第1フジタビルが映っていたり、新たな本058動画ではもう存在していない仁賀の旧道、仁賀口にあったゼネラルGS(現在は高所作業車レンタル)、ワコー上条店なども映り込んでいたのである。
 なお、動画のリマスター作業や編集は Windows10オプションに用意された純正&無料版アプリを使用。B.G.Mは 2006年当時の動画作成に多用していたオリジナル音源(1997年作曲)も見つかったので再利用することができた。本動画編集アプリは未だ日本語化していないので使い辛いが、これから新たに作成する動画作成には、凝ったことはできないが十分有効活用ができそうである。

昨日に続き未公開動画を公開。
 これは忠海高校同窓会関東支部の2010年同窓会にて、出席メンバーに配布するために自主制作したものだが、実際には忠海高校校歌DVD(2011年版をCH公開済)も同時作成しており、必ずしも同窓生が皆忠海出身ではないことからボツとした動画である。
 1997~2010年の帰省時撮影した写真の中から忠海の景色をスライドショー化したもので、BGMには照蓮寺の盆踊りにて録音したものを採用。最初の民謡は掛け声の「ハルセーノ~ヨーイシナ」から「豊年踊り」と思われるが確証はない。続く曲は「竹原音頭」(唄:村田英雄)だが、どちらも1990年代に録ったもので公開済みの荘野小盆踊り時のものではない。

安芸の小京都 竹原 057 忠海百景 1997~2010(2010 10 07作成)


 ちなみに、BGMに使用した本盆踊りを撮影した機器ははSONYのHi-8ムービーかPanasonicのS-VHSムービーと思われるが、帰郷した際に多量のカセットテープを開梱してみたものの、肝心の再生できる機器が全て故障していた。

 忠海高校同窓会関東支部に出席したのは 2009年頃から2019年までであった。最初の出席時には全員で校歌を歌ったのだが会場に再生機器が無いため歌詞が書かれた紙を見ながらのアカペラ状態。その時に執行者から依頼されたのがカラオケCDの作成だった。母校から旧制中学時代からの校歌・寮歌の歌詞は貰えたが校歌の楽譜は無いらしく、入手できたのが旧制のものだけだった。そこで覚えていた校歌を耳コピーでDTM作業によりカラオケを作成し、校歌を入れたカラオケDVDを作成して2010年の同窓会にて再生した経緯がある。しかし、再生速度が少し速くてついて行けない人がいたため 2011年に適正スピード版(本CHに公開済)を作成した。
 これらの各作成には土日徹して丸2日かかるような作業を強いられたが、この「忠海百景」は動画DVDを作成する工程手順を習得する際に「お試し」として作ってみたものであった。今考えれみれば、こんな苦労をしなくても当時自宅で使っていた電池で動く小型のカシオトーンを会場に持ち込んで忠海高校の校歌を伴奏すれば良かったし、同窓会会場の隅にはアップライトピアノも置かれていた気がする。

 古いバードディスクのデータを整理していたら、2006年当時に帰省した際に撮った動画が多数見つかった。殆どは当時にyoutubeにて公開していたものだが、プライベートなものやボツにしたものが数本あり。今回は、必要部分から除外してボツにしたシーンに現在ではもう視られない場面が多数見つかったので、改めて公開動画に加工してみた。
 使用中の主力PCが非力過ぎて、優秀だった動画編集ソフトCDは引っ越しの際に捨ててしまったらしく、あの手この手でタイトルやキャプションを多数追加してみたのだが、当時撮影中の会話なども入っていたので無音にするのに手間取り、作業にかかった時間は5時間近くに及んでしまった。BGMも色々と試したのだが、手持ちの無償&非商用向け音源では動画に不似合いだったので無音のままとした。
 なお、2006年当時は非テープ型のデジタル動画カメラ(HDD内蔵型)が黎明期であり、この頃に使用していたのゲンコツサイズのDV5(メーカー不祥)であった。価格の割には画質や解像度は最悪であったが、軽くてポケットに入る手軽さであった。これを当時乗っていたステップワゴンのダッシュボードに取り付けて、家族旅行や竹原帰省の際に各所を撮影していたものである。

 本動画は、的場のカーブにあるキッチン・ママで昼食を済ませた後から撮影を開始し、国道185号経由で忠海へ向かい、現在は拡張整備が終わった小泉町への道路を経由して、当時新たに造られた小吹山トンネルを抜けて田ノ浦(竹小)辺りに到着したものである。
 興味深いのは、忠海駅から北への主要道路がバイパス化されておらず、ドン突きで左折しなければならない状態が撮られていたこと。竹原圏外ではあるが、小泉へ抜ける忠海本郷線や竹原三原線の道幅拡張工事が未だ終わっておらず、所々、狭くて離合場所が設けられていたことである。
 動画の所々にキャプション(簡単な説明)を入れてみたので、30分程度ではあるが是非鑑賞してみてほしい。

安芸の小京都 竹原 056 2006年GW帰省走行(的場→忠海→小泉→小吹→田ノ浦)(2006 05 01)


 8月に入ってから竹原もコロナ感染者が激増しており、極力、不要不急の外出を避けていることから目新しいブログネタが枯渇状態となっている今日この頃・・・。盆踊り大会も見当たらず、月末の花火大会も中止。残るは秋の例大祭も怪しい、初めて観られる「憧憬の路」は中止にならないことを祈るばかりである。

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