安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年01月

 昨年末だったか中通簡易郵便局前を通った際に「たまゆら宮原版」に続いて新たな "タペストリー" が追加されていた。何処かの地図が描かれたもののようであったが、封書を郵便ポストへ投函する際にその地図をじっくりと観察してみた。(2023/01/29撮影)

 これがその地図が描かれたタペストリーである。タイトルは「江戸時代 塩田で栄えた町 故郷竹原」(中通簡易郵便局前が馬橋です)
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 少し前に本地図を何かの書物で見た憶えがあり、倉庫を探してみたところ『塩が育んだ文化の町 竹原 増訂版(発行:竹原郷土文化研究会/令和1年5月発行/800円)』に掲載されていた「藝州 竹原 鹽田及び町並み保存地圖」であった。本地図における「馬橋古市」の場所に現在の中通簡易郵便局がある。

 本地図の掲示場所は中通簡易郵便局の駐車場内。
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 左側が本地図である。
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 右側が「たまゆら宮原版(2010年当時の個人的な呼称)」。
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 もうひとつ見付けたアイテムがレトロな「郵便局」のホーロー看板。公的機関の看板になぜか下には「富士フイルム」。
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 郵便事業沿革の説明によれば、もしかしたら本ホーロー看板は「尾道商店」にて郵便取扱されていた当時に掲げられていた実物なのだろうか?それとも中通農協による委託時のものだろうか?民間企業の「富士フイルム」が書かれていることから前者かもしれない。
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 1999年当時に中通農協を撮った写真には看板は写っていなかった。(1999/05/07撮影)
19990507a

 ならば営業されていた当時の「尾道商店」、自販機左の軒下に「たばこ」看板はあるが本看板は見当たらない。昭和39年までは店頭に掲げてあったのかもしれない。(1996/10/13撮影)
19961013a

 本沿革によって昭和39年から中通農協が中通簡易郵便局を委託されていたことを知ることができたが、現在の中通簡易郵便局へ移管される前の郵便局は「大衆食堂 金魚」の通りにあり、現在もガムテープで隠された「中通簡易郵便局」の看板が残されている。

 以前から日没前の太陽光を浴びて「片側がてかる三井の煙突」の遠景を写真と動画で撮ってみたくて、明神や呉線沿いなどを何度も巡ったのだが、光のあたり具合が方角的にまずのか上手く撮れなかった。
 だが、朝日山の展望台から日没の様子を撮った写真や動画が偶然にも「片側がてかる」状態となっていたのである。ならば・・・その180度反対側からも同様に撮れるに違いないと、昨日訪れてみたのが竹原港のフェリー乗場近くにある公園のベンチ。(2023/01/10, 2023/01/29撮影)

 先ずは朝日山から望遠レンズで撮った「右面がてかっている煙突」。
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 次が竹原港の公園ベンチからズームレンズで撮った「左面がてかっている煙突」。
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 そして同時に撮影したコマ撮りの動画が以下である。

朝日山の展望台から撮った動画では、下界の街が徐々に暗くなって照明が灯るまでの変化がわかる。

安芸の小京都 竹原 067 日没 朝日山から【タイムラプス撮影】(2023 01 10)



竹原港の公園から撮ったものは、係留船が激しく左右に動くので観ていると船酔いしそうで、ある意味とてもユニークな動画である。

安芸の小京都 竹原 068 日没 竹原港から【タイムラプス撮影】(2023 01 29)


どうだろう!この黄昏に異様に「片面がてかる三井の煙突」の存在感。

-以上-

 午後3時過ぎに「松屋の二重焼」を買いに自転車で出かけたが既に遅し!窓口には「本日終了」の札が出されていた。店頭に停めて待っていたバイクや自動車は予約済の客だったのだろう。行く途中で町並み保存地区を散策せずに直行していれば買えていたかもしれない。
 その散策中に目に留まったのが「町並み竹工房」に貼られていた「雛めぐり」のポスター。今年で第17回となるのだが、これまで帰省時や帰郷してからも一度も本イベントを実際に観たことが無い。

 本イベントについては竹原市観光協会の公式サイト「ひろしま竹原観光なび」に「新着情報」と「第17回たけはら町並み雛めぐり」が掲載されていた。


 先ずはその「町並み竹工房」に貼られていたポスター。(2023/01/29撮影)
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 上部が軒下の陰になって全体が鮮やかに撮れない。
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 続いてNPO法人ネットワーク竹原の企画運営なので「竹楽」の前を通ってみたがポスターは見当たらなかった。更に南へ進むと「風土」の壁に貼られたポスターを見つけた。
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 ここも陰になっていた。
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 ならば残るは「道の駅」。
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 ここはガラス越し・・・。
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 この「雛めぐり」の生ポスターは写真に残しておきたい竹原イベントポスターの中の上位級。「旧笠井邸」の屋内を見逃してしまったが、10年以上前に旧HP読者から頂いた写真の中にある「雛めぐり」ポスターのように飾られて置かれていたかもしれない。

 そしてその隣りには「たけはら"まち"あいマルシェ」のポスター。こちらは竹原市の総務企画部 企画政策課によるイベントである。開催場所は竹原駅構内と竹原観光案内処付近の駐車場内(旧シオタ含む)ということで、竹原中央緑地広場(福祉会館跡地)や竹原駅前商店街の更地ではないようだ。
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 午後3時15分、このポスターを見ていて「松屋の二重焼」を買いに外出していたことを思い出した。

-以上-

 もうすぐ節分だが昨年は豆撒きも恵方巻もしなかった。そもそも昭和時代の竹原では恵方巻の風習?はあったのだろうか。NHKのバラエティ番組に踊らされて発祥も由来も分からず「今年の恵方は南南西ですよ!コンパスで確かめてね。」と家族全員が同じ方位を向いて巻ずしを無言で無理やり喉へと押し込む。その間抜けな姿をお互いに片目で眺めながら我に返った時の情けなさといったら・・・。
 正月が過ぎて節分までに何かを食べる儀式?もあったはずだが、やっと思い出したのが「花びら餅」であった。それを食べる時期を調べてみれば1月中旬頃までらしく、また今年も食べそびれてしまった。ならばと毛木の本店「いちかわ菓子舗」で久しぶりに生菓子を買って帰った。(2023/01/27,28撮影)

 朝方よりも寒く感じた晩ご飯の後に生菓子を食べながら熱いお茶をすすった。
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 今回選んだ生菓子は「サザンカ(左)」と「福寿草(右)」と・・・
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 「ツバキ(左)」と「雪中梅(右)」の全4個。どれも冬の花をモチーフにしたものを選んだ。
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 ついでに翌日のティータイム用にと「台湾カステラ」も買っておいた。
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 ちなみに前回「花びら餅」を食べたのは一昨年の正月明けだった。竹原帰省時には「イズミ」や「菊壽堂」で「花びら餅」を買っていた。(以下は2006年1月3日に「イズミ」で買ったもの)
20060103a

 生菓子で思い出したのが2000年の韓国旅行で立ち寄った明洞のロッテデパート本店。プラ型に押し付けた粘土細工のような生菓子に「和菓子」のラベルが貼られたパックが多数あり、その手前に置かれた日本語の解説を読んでロッテデパートで土産を買うのはやめた。それは「日本の和菓子の起源は韓国の韓菓です」のような意味の文面だったと思う。日本が「冬ソナ」ブームに沸いたのはその数年後であった。

 天気予報は朝方に雪とのことで、朝日山上部に薄っすらと積もる雪を期待していたのだが不発。昼前にはクレジットカードの引落し通知メールが突然届き、先日の電気使用料金の倍額葉書に続いてあまりの高額に驚いた。考えてみれば先月中旬にスタッドレス・タイヤを取り付けた支払い額が含まれていたのであった。そろそろ1月が「いぬる」が、このまま一度も竹原での雪道を走ることなく、2月が「逃げて」から3月が「去る」頃には元のノーマル・タイヤへ戻すことになるのだろうか?
 まぁ、それはそれで・・・心身をニュートラルに戻せる場所で思う存分寛げる春が何事もなく訪れてくれるのは嬉しい。3月20日で帰郷してから丁度3年間となるが、「竹原という独特の地域性」に未だ完全に馴染めてはおらず、たとえ眠れない日々が続いたとしても「癒しの場所」が豊富にあるのは救いである。
 
 その「癒しの場所」ひとつが「カフェ・ホクストン」の向いにある「長浜自然海浜保全地区」の砂浜。(2023/01/03撮影)

 ここに折り畳み椅子を広げてお気に入りオールディーズが聴ける季節が待ち遠しい。ちなみに今のお気に入りはこの曲である。
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-以上-

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