安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年01月

 竹原には河口近くや掘に不法係留されたまま朽ち果ててゆく廃棄船(≠廃船)が実に多い。これまで帰省した際や帰郷してからも、それらが徐々に変わって行く様子を撮り溜めてきたが、今回はそれらの経過観察?対象の中から一例として最新の2隻を紹介する。(2023/01/08撮影)

 2隻どちらも竹原大橋の下にあり、先ずは1隻目。
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 撮り始めた頃は破れたテントや船側面に未だ色味が少し残っていたが、満潮時の海水に浸って西日に晒されることを繰り返しながら白骨化?しつつある。
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 もう1隻がこの2隻の右側。
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 こちらは土に還える段階となっている。
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 以下は昨年2月に撮った状態。(2022/02/11撮影)
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 もっと古い写真を添えて最新を紹介すべきなのだが、短時間では同じアングルで撮ったものを探し切れず諦めた。

 竹原帰郷した2020年3月20日から大よそ3年が経つのだが、時間の制限なく自由に撮れることから膨大な枚数の写真を撮り溜めてしまったので、3年間の時間経過による変化を比べようにも探し出すのに一苦労。キーワードを付加しながら整理ができる新たな「蔵出し写真」の作業が必要となってきた。1996年から2020年5月5日までの「蔵出し写真」を掲載し終えたのは2021年4月1日、そろそろ2020年6月から撮った写真の整理を始めたい。(保存用ハードディスクが壊れて消失した写真が多数あるのが実に惜しい)

 初めて「お好み焼 かも川」を訪れる際に久しぶりに自動車で走ってみた田万里町の旧山陽道。ここは前回訪れたのが2009年の夏季帰省時だったので13年が経過している。(2003/01/15撮影)

 走行ルートは下地図の黄色矢印。西野町の大橋(マルカツと金陽社の間)から入って田万里沿いに国道2号線と交差するまでの狭い道である。
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 旧山陽道といえば、2009年当時にNHK-BSで放映されていた『街道てくてく旅。山陽道』。本番組で登場したのが旧山陽道にあった田万里宿であった。放映されたルートは西から東だったので逆ルートとなるが、大橋から川沿いに入ると先ず目に留まるが古いホテル跡。
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 道なりに西へかなり走ったが田万里宿であった集落は見当たらない。
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 「街道てくてく旅」では、この辺りが田万里宿と説明されていたが、竹原市書院図書館で調べてみてからでないと確証はない。

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 100m程度で集落が途切れた。
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 途中で史跡らしき解説板を見つけた。
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 「田万里黄幡坂一里塚跡」の解説なのだが、辺りを見回すも「この黄幡坂一里塚もその一つである。」が見付けられなかった。「一里塚」そのものは「跡」なので消失してしまったのだろうか?#09
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 この辺りかは国道沿いの旧田万里小学校跡が見えた。
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 行ける所まで道なりに更に西へ・・・。
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 竹原市には旧山陽道と現山陽道(国道2号線)が通り、山陽自動車道と山陽新幹線が走り抜けている!
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 対向車には1台しか遭遇しなかったがキジが歩いていた。
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 この三叉路にも何かの解説標があった。
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 「高屋溝口への間道 堀坂道」と書かれており、国道に交差して高屋方面へ抜け出る古い坂道があるようだ。
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 だが、更に田万里隧道方面へ進む。
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 ここで国道2号号線に接続してルート走行を終了した。
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 本ルートの続きは一旦、国道2号線を走って側道から下ると田万里隧道の脇道から三永へ抜けられるようなのだが、またの機会に行ける所まで走ってみたい。 「街道てくてく旅」では、旧山陽道を将軍へ献上する「象」を九州から江戸まで歩かせたとの逸話があったが、難所続きで象が疲れて座ると酒を飲ませて立たせたそうだ。その一行が立ち寄ったのが田万里宿であり、田万里の歴史書籍などに本件がどのように書かれているかを調べてみたい。

 2月初旬は「神明祭」が竹原市内の各地で催される時季である。先週は楠通で「神明祭(楠通自治会)」開催の貼り紙を見掛けたが、今週は照蓮寺の周辺にて上市自治会による「神明祭」開催の貼り紙を見付けた。(2023/01/17撮影)

 先ずは上市自治会の倉庫(「時かけ」に登場した霊柩車の旧格納庫)の扉に貼られた告知。
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 昨年はコロナ禍で開催中止となったので今年は2年ぶりである。この手描きイラストは過去にも見た憶えが有るのだが、なぜか2年前の上市区内では見掛けなかった。
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 もう1枚は西幼稚園跡地のはす向かいで見付けた。未だ撮っていないが胡堂にも貼られていた。
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 「蔵出し写真」を軽く探してみると2005年版を撮った写真が見付かった。イラストは同じだが完全手描きのコピー版。今年は「制作」が1月29日で「焼き」が2月5日だが、この2005年の頃は2週間程度遅かったようだ。
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 前回の2021年開催では「神事」と「焼き」であったが、今年はこれに「囃子」が加わるのがとても楽しみである。上市自治会では、丸餅や切餅を持ち寄って残り火で焼くのが恒例らしく、今年は我が家も切り餅(年末にトヨタカローラ竹原で頂いたもの)を焼いてみたい。火挟みと金網も持参。焼き方にもコツが有るようで焦げない場所探しと回収タイミングが難しそうだ。
 ちなみに西野地区では餅ではなく焼き芋(新聞紙とアルミホイルで包む)を残り火で焼くのが恒例だったと聞いている。私が竹小時代に経験していた「神明さん」では餅を焼く習慣は無かったが、塔に飾られていた焼け焦げたミカン(無病息災)を食べてみたら生温かくて不味かったのを憶えている。

 正月明けから暫く臨時休業だった「根古屋」。営業再開の翌日に店を訪れた知人から「台湾旅行から帰られて、くじ引きで台湾土産が貰えた。」と聞いたのだが、訪れたくても翌日の火曜は定休日。だが、どうも今週はオープンらしいとのこと。ならば・・・と念のため火曜の昼前に電話をかけてみたらオープンしていた。

 もちろん、今年初のランチが楽しみなのだが、台湾旅行をされた話が色々聴けるのと台湾土産が品切れになる前に訪れたかった。(2023/01/17撮影)
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 店頭のメニューから今年の初ランチは、紅焼牛肉麺と甜セット(ドリンク付)、私はドリンクに期間限定の台湾コーヒー(小菓子付)を注文することにした。
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 正月明けから長い休みだったので、今週の定休日はオープン。この休み中は台湾へ出張をされ商品仕入れや新メニューの開拓が目的であったと店主から訊けた。 

 さて、食事だか、これがクセになってしまった紅焼牛肉麺。
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 これは甜セット(ドリンク付)で選んだドリンクは台湾茶の「東方美人」。
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 私のドリンクは期間限定の台湾コーヒー(小菓子付)。お菓子は落花生味の「ちんすこう」風だった。
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 掲載順が逆になったが「くじ引き」は食事の前。折り紙の福達磨を開くと番号が書かれており、台湾で買ったグッズの中から該当の品が貰える。
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 私は「34」。「漁師網バッッグ」と聞いたが、ナイロン・ネット生地のレトロな台湾エコバッグ「茄芷袋(カァチィアー ダイ)」。
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 家内は「113」。バラの香り付きマスク「台湾 私的美麗日記 Rose Mask」。
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 暖かい平日の午後、町並み保存地区を散策する観光客は格子窓から見えなかった。
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 この日は珍しく食事が終わるまでは「根古屋を貸切状態」となったが、会計を済ませ照蓮寺前の猫を探していると常連客風の女性と観光客数人が暖簾を潜っていた。
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 以下は、正月にオープンした後、明けの1月4日から13日まで臨時休業をされていた時の店頭の様子。(2023/01/08撮影)
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 本日のブログ記事は西野町で偶然見付けた「小ネタ」をひとつ。

 賀茂川荘から西野大橋までの田万里川沿いを走行中、中州に作られた奇妙な「仕掛け」らしきものを見付けた。何かを表現したアートにしては人通りのない場所であり、イタズラにしては手間をかけ過ぎである。
(2023/01/15)
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 その構造は「たも網」のようなものが垂直に中州へ立てられ、少々の風では倒れないように3本のロープで川底へ杭で固定されている。
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 川沿いに車を停めてから周囲を確認したが、他には関連していそうなモノは見当たらない。
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 「たも網」のネット下には水平の棒が2本吊るされ、各棒には赤銀色のキラキラ・テープ(田んぼの鳥除け)が垂らされているのである。
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 この辺りの地区に伝わる何かの「おまじない」だろうか?それとも「霞網」のように飛ぶ鳥を捕らえる「仕掛け」だろうか?であれば鳥除けテープは逆効果だし・・・。謎が深まるばかりである。
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 「仕掛け」から上流へ数メートルの土手にも「意味不明」のモノが見つかったが、これも手間がかかっており何か関連が有りそうだ。
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 この「謎の仕掛け」、撮った写真をネットで画像関連検索してみたが何ひとつ該当せず。

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