今週は週末まで雨が続くので市内を散策できないことから倉庫の竹原関連所蔵物を漁ってみた。定年間近に無秩序にファイリングしてしまったので、入手方法や入手時期に不明のものが多いのが悔やまれる。
数十冊もあるファイルの中から先ず目に留まったのが『ぶちぇぇ竹原新聞』(2005年7月15日版)。空気に触れていた部分は経年変化で変色してしまったが、記事や写真などは判読可能な状態を保っていた。大見出しが「大人の見学会 青年部、三井金属竹原精錬所へ行く」で、今で言う「潜入」的な内容がとしても面白いのだが、一般的に新聞紙面の記事や写真はネット掲載が著作権法に触れるので公開は断念。旧ホームページに新聞を撮った写真を載せていなかったのはその為かと思われる。
改めて記事を読んでみると、なぜか『高煙突・通称「竹太郎」は昭和53年に完成しました。高さは120㍍。』(本紙から引用)部分に赤鉛筆でアンダーラインが引かれているのだが、その当時、商工会議所から自宅へ郵送して頂いた各種竹原資料に含まれていたような記憶が微かにある。
そこで今回は続いて目に留まった「大久野島」関連の所蔵物を紹介する。入手は帰省時に息子を連れて初めて大久野島を訪れた2006年(平成18年)頃と思われるが、前述の通り保管の不備で確証が無い。
先ずは島全体のマップと施設が描かれた公式パンフレット。この頃は未だ「うさぎの臭い」が皆無であった。特筆すべきは「大久野島」の読み方である。各種メディアでは「おおくのじま」と濁るのが殆どだが、公式には「おおくのしま」なのてある。もちろんこの一文字の差で「じ↑ま↑」と「し↓ま↓」のアクセントの抑揚が逆になる。
これはホテルてはなく島を紹介する展示物があるビジターセンターのパンプ。環境省自然環境局によるもの。こちらには「ウサギ」のイラストが描かれている。
これは竹原市役所発行の「毒ガス資料館」のパンフ。
これを見ながら島内を巡った記憶がある。昭和時代に有った山頂の展望台やリフトはいつのまに消えたのか?
これは国民休暇村(ホテル)のフロントで売られていた「ウサギのエサ」に付いていた説明書。紙コップ入りの餌と貸し出しの手袋は軍手だった。
土産のキーホルダーが入っていた紙袋。キーボルダー自体は見付からず。
最後はこれらの所蔵物の入手時期の手掛かりとなった時刻表。
以後もこのような「所蔵物」について多数紹介する予定である。
-以上-
数十冊もあるファイルの中から先ず目に留まったのが『ぶちぇぇ竹原新聞』(2005年7月15日版)。空気に触れていた部分は経年変化で変色してしまったが、記事や写真などは判読可能な状態を保っていた。大見出しが「大人の見学会 青年部、三井金属竹原精錬所へ行く」で、今で言う「潜入」的な内容がとしても面白いのだが、一般的に新聞紙面の記事や写真はネット掲載が著作権法に触れるので公開は断念。旧ホームページに新聞を撮った写真を載せていなかったのはその為かと思われる。
改めて記事を読んでみると、なぜか『高煙突・通称「竹太郎」は昭和53年に完成しました。高さは120㍍。』(本紙から引用)部分に赤鉛筆でアンダーラインが引かれているのだが、その当時、商工会議所から自宅へ郵送して頂いた各種竹原資料に含まれていたような記憶が微かにある。
そこで今回は続いて目に留まった「大久野島」関連の所蔵物を紹介する。入手は帰省時に息子を連れて初めて大久野島を訪れた2006年(平成18年)頃と思われるが、前述の通り保管の不備で確証が無い。
先ずは島全体のマップと施設が描かれた公式パンフレット。この頃は未だ「うさぎの臭い」が皆無であった。特筆すべきは「大久野島」の読み方である。各種メディアでは「おおくのじま」と濁るのが殆どだが、公式には「おおくのしま」なのてある。もちろんこの一文字の差で「じ↑ま↑」と「し↓ま↓」のアクセントの抑揚が逆になる。
これはホテルてはなく島を紹介する展示物があるビジターセンターのパンプ。環境省自然環境局によるもの。こちらには「ウサギ」のイラストが描かれている。
これは竹原市役所発行の「毒ガス資料館」のパンフ。
これを見ながら島内を巡った記憶がある。昭和時代に有った山頂の展望台やリフトはいつのまに消えたのか?
これは国民休暇村(ホテル)のフロントで売られていた「ウサギのエサ」に付いていた説明書。紙コップ入りの餌と貸し出しの手袋は軍手だった。
土産のキーホルダーが入っていた紙袋。キーボルダー自体は見付からず。
最後はこれらの所蔵物の入手時期の手掛かりとなった時刻表。
以後もこのような「所蔵物」について多数紹介する予定である。
-以上-