安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年05月

 今週は週末まで雨が続くので市内を散策できないことから倉庫の竹原関連所蔵物を漁ってみた。定年間近に無秩序にファイリングしてしまったので、入手方法や入手時期に不明のものが多いのが悔やまれる。

 数十冊もあるファイルの中から先ず目に留まったのが『ぶちぇぇ竹原新聞』(2005年7月15日版)。空気に触れていた部分は経年変化で変色してしまったが、記事や写真などは判読可能な状態を保っていた。大見出しが「大人の見学会 青年部、三井金属竹原精錬所へ行く」で、今で言う「潜入」的な内容がとしても面白いのだが、一般的に新聞紙面の記事や写真はネット掲載が著作権法に触れるので公開は断念。旧ホームページに新聞を撮った写真を載せていなかったのはその為かと思われる。
 改めて記事を読んでみると、なぜか『高煙突・通称「竹太郎」は昭和53年に完成しました。高さは120㍍。』(本紙から引用)部分に赤鉛筆でアンダーラインが引かれているのだが、その当時、商工会議所から自宅へ郵送して頂いた各種竹原資料に含まれていたような記憶が微かにある。

 そこで今回は続いて目に留まった「大久野島」関連の所蔵物を紹介する。入手は帰省時に息子を連れて初めて大久野島を訪れた2006年(平成18年)頃と思われるが、前述の通り保管の不備で確証が無い。

 先ずは島全体のマップと施設が描かれた公式パンフレット。この頃は未だ「うさぎの臭い」が皆無であった。特筆すべきは「大久野島」の読み方である。各種メディアでは「おおくのま」と濁るのが殆どだが、公式には「おおくのま」なのてある。もちろんこの一文字の差で「じ↑ま↑」と「し↓ま↓」のアクセントの抑揚が逆になる。
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 これはホテルてはなく島を紹介する展示物があるビジターセンターのパンプ。環境省自然環境局によるもの。こちらには「ウサギ」のイラストが描かれている。
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 これは竹原市役所発行の「毒ガス資料館」のパンフ。
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 これを見ながら島内を巡った記憶がある。昭和時代に有った山頂の展望台やリフトはいつのまに消えたのか?
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 これは国民休暇村(ホテル)のフロントで売られていた「ウサギのエサ」に付いていた説明書。紙コップ入りの餌と貸し出しの手袋は軍手だった。
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 土産のキーホルダーが入っていた紙袋。キーボルダー自体は見付からず。
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 最後はこれらの所蔵物の入手時期の手掛かりとなった時刻表。
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 以後もこのような「所蔵物」について多数紹介する予定である。

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 5月最後の日曜日、籠り気味となる梅雨入り前に外食ランチということでピーク時間帯を過ぎて竹原駅前へ出かけたが、フレンチの「Hanashu」へ電話確認するも満席、イタリアンの「Trattoria M」は定休日の掛札・・・13時を過ぎていても保存地区辺りのレストランも観光客であふれているに違いないが、ダメ元て「オーガニックテーブル ボタニカ」へ電話確認すると幸運にも2名なら空席有りとのことで駅から5分で直行。(2023/05/23撮影)
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 私としては新たな店を開拓したいのだが、気が付けば行き慣れている店を何度も巡っているようだ。いつもの旧喫茶プリンスの駐車場へ停めて徒歩30秒で「ボタニカ」に到着。
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 屋内の空席が中途半端に残っていたので悩んでいると、いつもなら必ず先客が座っているテラス席が空いていた。天気も良く無風で暖かい午後だったので迷うことなくテラス席を確保。
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 これまで私は「一汁三菜定食」ばかりだったので今回は初めて(のはず・・)の「スパイスカレー」を注文してみた。玄関前に置かれていたメニュー板を撮っていたので、これを用いて注文した料理を赤矢印で示した。
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 これが「フルーツと酒粕のチキンカレー(五穀米を選択)」+「ドリンクデザートセット」で税込2300円。
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 これは「鶏胸肉のチキン南蛮&大豆ミート唐揚げ(五穀米を選択)」+「ドリンクデザートセット」で税込2000円。
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( ドリンクデザートセットはメニューのデザートとドリンクの全てからそれぞれ一種類を選択できるが、単品価格500円を超える場合は差額がドリンクデザートセットの価格へプラスとなるようだ。)

 これは「アールグレイ紅茶(ホット)」と「抹茶バスクチーズケーキ」。
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 こちらは「アールグレイ紅茶(ホット)」と「かぼちゃバスクチーズケーキ」。
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 テラス席で小一時間くつろいだが、店前の道路は絶え間なく観光客が行き来していた。
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 玄関横の本棚で見付けたリーフレット。「ボタニカ」の屋内にはアップライトピアノが置かれているのだが、これを使って来月26日(日曜)にライブコンサートが催されるようだ。
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 昨日の天気予報で「気象庁は中国地方が例年よりも8日早く梅雨入りしていたようだと推測した模様」とややこしい表現をしていた。これからの1ヶ月半は外出する頻度と時間が激減するので外食や新たな店の開拓が難しくなりそうだ。コロナ禍で途絶えていた例年通りの「住吉まつり」がはやく来てほしい。

-以上-

 本日、雨の国道185号線を走行中、国道沿いにて花の写真入り工事予告看板を目撃。看板写真の一瞬見でも即分かるあの線路際などに最近多量に群生しているドギツイ黄色の外来種である。帰宅後にドライブレコーダ動画を確認すると「大正解」、花の名前は「オオキンケイギク」で1年前に東野町賀茂川土手にて撮影済みである。

 明日も大雨予報なので敢えて看板を撮り直すのが面倒なのでドラレコ動画の切取写真を掲載。場所は消防署から丸小山付近までの国道185号沿いである。看板の後ろに咲いているのがまさしく「オオキンケイギク」である。(2023/05/29撮影)
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 国道31号と185号にて除去作業(呉保守工事)を6月5日より行う予告看板で、除去対象が特定外来生物と仰々しいが特定外来種のオオキンケイギク。花についての解説の下半分が至近では撮れていなかったのだが、きれい?だからと言って採取せぬよう、もしも根付いてしまったら鍬で根こそぎ除去するようにとの注意書きのようだ。
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 本作業は広範囲の国道対象なので国土交通省から専門業者への発注と思われるが、国道沿いよりも呉線沿い(JR西日本の敷地内)にて大規模群生しているようで、同時に両方を完全除去しない限りは「いたちごっこ」となってしまうであろう。

 以下は安芸長浜駅の線路沿いに群生する「オオキンケイギク」のドラレコ動画の切取写真。数年前までは「菜の花」が咲き乱れていたが、今年は地面の養分をこれに吸われて駆逐されてしまったのか殆ど「菜の花」を見ることなく5月中旬からはこのアリサマである。(2023/05/23撮影)
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 コスモスとは違って花弁は肉厚、花の黄色は菊よりも濃いのが特徴。珍しいから庭に移植したりすると次年からは無限に増殖してしまう危険な外来生物であり、個人的であっても育てたら罰金300万円が課せられるようだ。元々は道路の法面の美化と強化のために植えられたらしのだが、あまりの繁殖力と定着性が分かってから在来種を滅ぼしかねないことが分かり、環境省によって「特定外来生物」に「オオキンケイギク」が指定された経緯がある。

-以上-

 本日の昼食は久しぶりに外食にしたいとのことで、観光客が食事を終えた頃合いを見て「喫茶プリンス」跡の向いにある「ボタニカ」の空席を電話確認したところ運良く予約ができた。今回は初めてのテラス席確保なのだが、配膳待ち中に向いの「喫茶プリンス」跡を眺めていたら扉に強い違和感。目を凝らして眺めると長らく貼られていた「閉店中」の貼り紙が、いつのまにか「貸借物件」の貼り紙へ貼り替えられていた。(2023/05/28撮影)
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 昨日、偶然にも知人との雑談で「あの『喫茶プリンス』や『茶房ゆかり』を、誰かがそそのままで復活してくれたら常連客になりたいのにの~」と話をしていたばかりである。
 ある程度の修繕を施してこのまま「喫茶プリンス」として使ってもらうのか、それとも改装も店舗名も自由なのだろうか。どちらにせよ「ボタニカ」で昼食を終えた後に「貸借物件」へ替わっていた現状の外観を記録として撮り納めておくことにした。
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 現状の内装が営業当時のままとすれば一段高い床の奥席にインベーダーゲームのテレビ型テーブルが残っているかもしれない。竹原市が観光地化へ本腰を入れた1982年頃に本屋で見た広島県の観光ガイド本に載っていたのが竹原市の「喫茶プリンス」。その解説には「竹原の文化人が集う純喫茶」と書かれていた。

 ちなみに当ブログでは既出だが営業中だった頃の「喫茶プリンス」を知らない方には先ず、店内がミユージックビデオのロケに使われた中島愛公式チャンネル動画の「中島 愛 - 神様のいたずら (Full Ver.)」を観て欲しい。2コーラス目冒頭に店内とマスターが映っている。そして次は広島ホームテレビ公式チャンネルの動画【週末喫茶アサブランカ】 喫茶プリンスだが、こちらは店内全景と懐かしいマスターが映っていた。

 忠海駅の「2番のりば(2番線/2番ホーム)」はもう久しく使われていないと思っていたのだが、特定の時間と曜日のみ広島方面へ向かう列車の乗降で使われていることが今更なのだが分かった。(2023/04/16撮影)
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 これまで帰省した際に忠海駅を何度か使用していたが、この貼り紙はいつ頃から貼られていたのであろうか。タイトルの「のりば案内」と「2番のりば」から、2番線にて乗降する列車があることを理解するまで1分程度もかかってしまった。かなり前に駅入口の時刻表へ※印で「2番」とか書かれていたような記憶があるのだが、現在もそうなのかは確認していない。
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 貼り紙を見て数分後に2番線へ観光列車etSTOraが到着することが分かり、跨線橋を渡って2番線へ降りてみた。
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 跨線橋の上から忠海港や黒滝山などを撮っていると、外国人観光客なのだろうか数人が2番線への階段を下りて行った。その後、日本人観光客?(流暢な標準語)数名が私へ「広島方面はこちらのホームで宜しいでしょうか?」と訊かれたので、「もうすぐ観光列車エトセトラがこっちへ来るんじゃけど指定席を予約しとらんと乗られんの・・・」と言いかけたら、怪訝な顔をされてホームへと下りて行かれた。
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 たぶん余計に詳しく説明をしてしまったせいだろう。それから暫くすると接近メロディかブザーが鳴り始めたのでホームへ下りて跨線橋を潜る観光列車を連続シャッターで撮ってみた。
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 大成功!
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 再び階段を上がって跨線橋上へ。
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 先程の外国人観光客は無事車内へ入ったが、日本人観光客は車掌と何やら話をしていてホームに留まっていた。そこへ三原行の普通列車が1番ホームへ到着。
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 忠海駅でも「列車交換」(単線区間での列車待ち合せ)が行われて乗降もできる列車は、あの貼り紙によれば日に2,3本であり、その1本がこの観光列車なのである。
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 三原行を見届けていると、先程の日本人観光客が階段を上って騒ぎながら戻って行った。案の定乗るホームを間違えていたようだ。広島(広)方面への列車はこれから20分程度待てばやってくるし、私もそれに乗って竹原へ戻ることにしていた。
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 2番線の線路面をよく見れば錆びてはおらず、ピカピカ光沢とは言えないまでも車輪で磨かれていたので納得。昭和時代の2番線は階段が混雑するぐらい乗降客がいたが、日に数本しか使われなくなってしまったようだ。

 以下は忠海高校の卒業アルバム(昭和53年版)に載せられていた忠高生の登校風景。よく見れば忠海駅の2番線であった。青春だった当時の学ランとセーラー服姿が懐かしい。
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-以上-

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