安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年05月

 長浜海水浴場だった懐かしい砂浜がよく見える河口沿いの空き地(竹原市の管理地)を3年ぶりに訪れてみた。特に変わった様子は無いのだが、午前中まで黄砂で霞んでいた瀬戸内海の景観がすっかり晴れて澄んでおり、島々の写真撮影には最良の状態になっていた。(2023/05/23撮影)

 先ずは長浜海水浴場だった砂浜。
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 地図で場所を示す。赤矢印の先端が撮影場所。空き地沿いに河口があるのだが河川名が不明の為、国道になっている橋名「明神橋」を本記事タイトルとした。
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 遥か彼方に忠海港から大久野島へ向かうフェリーが見える。
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 大久野島もくっきり。
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 数年前はこの山際側へ立入できたのだが駐車場が閉鎖されてしまった。
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 大久野島をズーム。
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 多々羅大橋もくっきり。
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 現在この砂浜は私有地なのだろうか?
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 護岸から東~南~西へと撮影。
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 西側には船留めと電発がある。
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 道の駅に立ち寄った観光客がよくこの橋から田之浦川の川面を覗き込んで指差している。特に家族連れやアジア系外国人の場合はスマホ写真まで撮っている光景をよく見掛けている。最初は満潮で水かさが増え流れが留まっている様子がそんなに珍しいのかと思ったが、一緒に川面を覗き込んでみると体長50センチもあるボラ?や水面近くを泳ぐフグなどの海水魚が本川から田之浦川まで遡上していおり、ゆったりと泳ぐその様子に見入ってしまった。(2023/05/09撮影)
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 橋の上からは川面に空が映り込んで何も見えないが・・・
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 欄干から真下や橋の脇から影になった部分を覗くと何かが泳いでいた。
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 この魚は満潮時の本川ではよく見掛けているボラのようで、上から覗き込んでも逃げる様子はない。
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 川底を泳ぐボラとは別に川面近くで口を出しているのがフグ。
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 釣り人が釣った際の膨れた状態しか見たことが無かったが、これは普段の膨れていない姿のようだ。
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 フグは久しく口にしていないが、これまでボラを食べた記憶はない。地元の釣り好きに訊けば釣れても嬉しくない魚らしい。特に河川まで上がってくるのは臭くて食べられないとの事だ。一体、何を食って生きているのやら・・・怪しくてさばけないらしい。

 電発西端「大乗船溜り」の続き。トンネル前に車を停めたスペース脇に神社(祠)を見つけた。真新しさから別の場所から遷座(社寺の引越)された神社のようだが、電発の巨大タンクや煙突の背景と妙に馴染んぶいたことから写真に収めておいた。(2023/05/23撮影)
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 この組み合わせが実に素晴らしい!
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 神社名が見当たらず祠の扉も閉められていた。
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 賽銭箱は無いが数十枚の5円玉が紐でいわかれていた。左脇に解説銘板が設置されていたので読んでみると神社名は「恵美須神社」であった。
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 反射して読みづらいので書き写してみた。
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恵美須神社(えびすじんじゃ)
 地域郷土史「大乗百年史」(昭和52年刊行)によれば、御祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)と蛭子大神(ひるこのおおかみ)であられ、元々は福田大川(大乗川)の下流、海浜近くに鎮座され、漁業豊漁の神として漁業者の祟高篤く海上安全・航海安全を祈願・尊祟されていたとあります。
その後、東川右岸に移されておりましたところ、今般、地域の皆様のご理解のもと、当地に遷座するに至りました。
本神社が、今後も末永く地域の守護神として祀られることを願い、ここに銘板を制作するものです。
  平成26年8月吉日 電源開発株式会社

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 この恵美須神社の遷座は2段階、元々の大乗川河口辺りから東川右岸(電発側の東川沿いのどこか)へ移され、更に現在の場所へと移された。国土地理院の地図では福田大川は大乗川となっており、私が多用している竹原社寺バイブル『たけはらの神仏を訪ねて(神野 勝 著)』にはどちらも掲載されていなかった。
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-以上-

 福田町から瀬戸内海へと流れ出る東川の河口を今回初めて訪れてみた。河口部分が電発管理エリアであることから、これまで立入禁止かと思われたが自己責任で自由に立入ができることが分かった。(2023/05/23撮影)

 河口前の看板によればここは「大乗船溜り」と呼ばれているようだ。湾内には文字通り漁船やボートが係留されており、巨大な電発施設群と海に浮かぶ係留船の姿が相まって「絶景」といえる場所であった。先ずは今回撮った写真のベストショットがこれである。
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 「大乗船溜り」の場所はここ。東川の河口脇から突堤に囲まれた部分に係留船が多数。
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 国道185号から曲がって南へ東川沿いを直進。
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 突き当りは車止めがあるが・・・
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 左脇からトンネルを潜れは河口へ行ける。この看板に書かれた内容によれば、通路や平場部は関係者以外立入禁止や車両進入禁止ではなかった。
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 ここから眺める発電施設の景観も素晴らしい。
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 構内道路の下を潜って河口へ。
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 抜け出ると係留船が多数。
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 平場部は案外狭い。
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 この中にあるコンベアで粉砕された石炭燃料が運ばれてくる。 
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 コンベアの真下は「ガラカラ」と大音響がしていた。輸送船から搬入した石炭が送られて粉砕されて戻ってくる。
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 東川は河口まで水流が無い。
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 突堤の先端まで歩いて写真撮影。
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 この眺めも素晴らしい。
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 停泊中の巨大な石炭運搬船から石炭がすくいあげられていた。
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 突堤先端からの眺め。
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 東川の河口。
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 名残り惜しいが16時を過ぎていたので撮影終了。
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 本日、 中国新聞デジタルから「竹原市の印刷会社ヤマワキが、たまゆらシール冊子を制作」との記事が届いた。株式会社ヤマワキは、昭和55年に竹鶴酒造の駐車場辺りにあった印刷所から新庄町に建設した新社屋へ移転。この頃の社名は山脇印刷株式会社であった。
 昨夜に竹原関連のチラシを多数保存していたA4判フォルダを整理していると、折り込んだ昭和57年の竹原駅時刻表(A2サイズ1枚)が目に留まった。新聞の折り込み広告に混ざっている二色刷りの時刻表とは異なり、カラー刷りの写真カレンダー風の珍しいものであった。丁度、映画「時をかける少女」のロードショーCMがテレビで流れていた頃の帰省時に実家から持ち帰った記憶があり、その写真は映画CMに登場した西方寺の石段で、印刷会社は前述の山脇印刷株式会社であった。

 その時刻表を自室の壁に貼って撮った写真がこれである。再び壁に画鋲で貼ったのは20年ぶりぐらいか。
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 初めて「時かけ」のテレビCMを視た時にブラウン管に映っていたのがこの石段で同アングルであった。その頃は未だ竹原がロケ地だったことを知る前で、いきなり西方寺の石段が画面に映しだされた時の背中に感じたゾクゾク感は今も忘れられない。
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 昭和57年当時の竹原駅の時刻表。行先に糸崎や広島が多いことに時代の流れを感じてしまう。中・四国フェリーと大崎上島フェリー(山陽商船)の時刻表も掲載。
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 石段の写真右下に「清酒 誠鏡」の文字、時刻表中央にも中尾醸造の「誠鏡」の煙突写真があることから、これは中尾醸造が山脇印刷へ発注した時刻表なのだろうか。それとも山脇印刷が中尾醸造を広告として印刷したものであろうか。

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