安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年06月

前回は既に昼食を済ませて満腹状態だったので吉名町の「お好み焼 喫茶 みつ蜂」での食事をあきらめたが、昼食は外でしてくる・・・と言って本日昼過ぎに外出したので吉名町へ直行。火曜日に営業している竹原では数少ない地元客が愛する「お好み焼店」のひとつである。(2023/06/20撮影)

 場所は旧吉名小学校の交差点を東へ進み、池田勇人元総理の実家の向いにある吉名郵便局の隣り辺り。赤いパトライトが回転していると「営業中」であり、本日も回っていることを確認。
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 駐車場は郵便局の路地から店の裏へ進むと10台程度置ける枠無しのスペースたった。
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 初めて訪れる緊張感を持ちながら白い扉を開けてみると「いらっしゃいませ~っ!」と女性店主2人の元気な声がかえってきた。
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 店内に入ると左手側にカンウター鉄板と厨房。正面奥には対面型の鉄板席が1つと右手側にも数席。カウンターでも席でもOKとのことで、今回は鉄板席にしてみた。
 腰掛けると席にメニューは無さそうで、店主から「そば焼き、うどん焼きのどちらにしましょう?」と問われたので「そば焼き」を選択。すると壁に備え付けのメニュー板が出されてその余りのシンプルさにびっくり。「お好み焼」の種類は5~6程度でトッピングも5~6種類。そして価格帯が500?~800円までだったので最高額の「みつ蜂スペシャル」(税込800円)(という名だったと思う)を選んでトッピングを検討していたら、各お好み焼の種類はトッピングの多さの違いのみで、スペシャルは「ほぼ全部入り」(イカ天か豚肉だったか選択)とのことであった。

 今回はトッピングが全部入り(但しイカ天)のソバ焼きを注文してみた。手際よくカウンターで焼かれている様子を見ながら、これまでの散策で得ていた吉名町の情報や、1990年代からの様変わりなど世間話で店主2名と話が弾んだ。


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 これが「吉名スタイルのお好み焼」だそうだ。他店と比べてみてサイズと厚みは同じだが焼きそばの量が隙間なくて、キャベツや具の姿が殆ど見えていない詰めよう。焼きそば自体は最初からカリカリ間近に焼かれており、薄い玉子生地で挟んだ焼きそばのようであった。

 頼みもしないのに皿と箸が添えられる店は食べる前から幻滅なのだが、さすが地元向けの「お好み焼店」、鉄板脇には冷水とヘラしか出されなかったので感激。ヘラだけ出すのが地元では普通とのことであった。

 ソースと海苔とマヨネーズは自分で好みの量をかけて良く、ソースは食べる前に刷毛で塗る竹原では初体験のスタイル。もちろんマヨネーズは不要。
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 この店の歴史は50年以上。高齢化によって外食するする人々も減って吉名町は寂しくなったと嘆いておられた。元々はカウンター席のみのスナック(バーだったかも?)が壁て仕切られた2区画の店内だったが、現在は仕切を外して「お好み焼」と「喫茶」として営業。そのカウンター席はあまりにリアルな「昭和レトロ」そのままただったので驚いた。

 色々と雑談していると特別ということで喫茶室で淹れられたコーヒーをサービスしてもらえた。
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 焼きそばの濃密さに腹をさすりながら冷蔵庫の壁面に目をやると見覚えのある『元就。』の貼り紙。「もしかして元就がここへ来たん?」と訊けば「そうなんよ!いきなり来られるんじゃけん、たまげてしも~て何をしゃべったかも緊張して覚えとらんし~」とのこと。

 貼り紙には取材への御礼と放送予定日が書かれていた。

 まだ放映前なので詳細については避けるが、放映予定日は7月9日(日曜)か7月16日(日曜)のどちらか。(RCC中国放送、毎週昼12時54分から)

 アンカールズの田中さんが「みつ蜂」を、山根さんは別行動で吉名町の某工場を取材。「みつ蜂」の撮影スタッフは4~5人程度でアポなし。

 今回、「みつ蜂」を訪れて貼り紙に気が付かなければ放映は完全に見逃していたであろう。帰宅後に来週までの番組表を探したが、なぜか地上波の昼間に『元就。』が見当たらず別番組であった。毎週12時54分放映と書かれていたが、不定期週なのだろうか?

 是非、可能であれば7月9日か7月16日の放映を視て頂きたい。昭和レトロなカウンター席の様子や気さくな店主と田中さんとの会話が、番組ではどのように編集されているかが今から楽しみである。

 アポなし取材で盛り上がってしまい店名「みつ蜂」の謂れについて聞かず仕舞い。次回は家族で訪れてみたい。

-以上-

 今年も仁賀のホタルを一度も観ることなく、気が付けば明日はもう6月下旬。来年に備えて仁賀小周辺を訪れてみようとしたが、学校周辺の山肌の大規模整備工事が進行中だったので素通りとした。次のホタル鑑賞候補地としては仁賀ダム湖(芙蓉湖)の満水予備エリア(サーチャージ水位以下の水没部分)に造られた多目的広場がある賀茂川の清流地域。ダムが造られる前の昭和時代には夜中に自転車で賀茂川沿いの道路を走ると、口や目にホタルが飛び込んでくる程に群生していたと元仁賀住民から聞いていた場所である。

 県道333号から反れて多目的広場の駐車場へと入ってみたが、目的とする場所にある橋から先へはフェンスで遮られて立入禁止となってた。結果的にまともな写真は撮れなかったが、その場所に掲示されていた地図板に分かり易いよう解説を加えてみた。(2023/06/13撮影)

 先ずは地図板。黄色線が走行したルートで赤色線が通行止めにしてあるフェンス。青色線は賀茂川で水色塗部分が満水しに水没するエリアである。
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 県道から入って上段の多目的広場沿いから下段の多目的広場へ。
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 平日の為か先客はいない。土日には駐車場や回転場でラジコンを走らせたり、ボール遊びをしている様子をよく見掛けている。左端に見えるのが下段の多目的広場への進入を塞ぐバリケード。
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 自動車やバイクではここへ入れないようにしてあるのだろう。
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 下段の多目的広場沿いを走っていると賀茂川の清流へ下りられる石段を見つけた。
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 実際に川面まで降りて見ると、最盛期には周辺をホタルがとんでいそうな雰囲気がした。
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 目的はダム工事前から橋のある場所。この道路はダムが造られる前からの旧道と同ルートにみえる。
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 彼方に橋が見えてきた。
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 サッカーゴールがあるのだが、ここは自動車の回転場だった。
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 回転場といってもUターンする場であって、スキル音をたててタイヤ痕を路面に残すような場所ではない。どうやらここは夜中にDQN系連中が占拠してそうな雰囲気だ。
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 回転場だが駐車枠が設けて有り・・・
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 多目的広場の地図とダム湖(芙蓉湖)の解説板があった。
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 残念なことに、ここから先へは道路が有っても入れない。
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 右には目的とした橋への道路が続いていた。
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 これが工事前からここに在る橋
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 フェンス脇から橋を渡れなくはないが、橋の西端にもフェンスがあり、橋自体も立入禁止上状態。
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 橋から遥か先には芙蓉湖の水面が見えている。
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 橋の少し手前にも小振りの石段があったので川面へ降りてみた。
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 この辺りの草木の茂り具合や澄んだ水流からすればホタルがいても不思議では無さそうな気もする。
来年の下見をした結果としては訪れてみる価値がありそうだが・・・
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 ・・・鑑賞てきる広大な広場もあるのだが・・・
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 夜中にヘッドライトを点けながら駐車場への出入りを繰り返せばホタルの光を鑑賞する妨げとなるであろう。
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 多目的広場でホタルが観れるのか否かを知人へ色々と訊いてみたが、誰もが「仁賀小」なら知っているが広場へは未だ行っていないとのこと。災害前であれば仁賀だけでなく大井や宿根の西の川沿いでも少しだが観られたそうだ。

 来年こそホタルの写真を撮っみたいが、すっかり暗くなってからの晩御飯時が過ぎれば出掛ける気力も失せてしまうのが辛い。

-以上-

 竹原関連所蔵品の中から『印刷雑誌』(1999年3月号)の表紙とその裏の広告のコピーが見つかった。本誌は印刷学会による出版で、各種印刷機器関連のシステムや装置の開発者向け技術専門誌である。1999年当時は大手新聞社の輪転機システム設計に携わっていたことから、このような技術専門雑誌を職場では多数購読しており、その誌面広告に竹原帰省時に見覚えがあった「金陽社」を見つけたことからコピーをとって保存していたものである。

 これがその『印刷雑誌』の表紙コピー。
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 表紙の裏面に「株式会社 金陽社」の広告を見つけた。
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 そして事業所一覧の広島には市外局番「0846(竹原)」と「29(西野町や田万里町辺り)」が書かれていた。・・・ということは、広島の事業所は西野町の国道2号線沿いにある「ゴムロール」と書かれた白い工場「金陽社 竹原工場」で間違いなしと判断。
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 本日、改めて写真を撮ってみた。竹原工場では印刷・工業関係各種ゴムロールが製造されてる。(2023/06/18撮影)

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 ここで造られている印刷・工業関係各種ゴムロールとは、特殊なゴムの筒に金属シャフト(軸)が挿し込まれた各種サイズのローラーで、新聞ロール紙やコピー紙などを安定的かつ高精度に印刷装置内へ繰り込む精密部品である。1980年~90年代当時、私が所属していた職場では印刷機器の機構部開発にて試用&採用していた各種ゴムローラーが金陽社製であったことを開発者から聞いており、その工場が我が故郷の竹原市にもある事を職場同僚や上司へ自慢し回っていたのを思い出す。

-以上-

 アニメ『たまゆら』で唯一竹原弁?で喋るキャラ「ちもさん」が店主のお好み焼店「ほぼろ」。以下は旧笠井邸に常設展示されている「ほぼろ」の背景画だが、その店名は安芸津町沖に実在する消滅寸前の島「ホボロ島」がモチーフになっている。
 TV初放映から10年以上が経過しているが、先日、安芸津の知人から「ホボロ島」の場所とネイティブな「ほぼろ」の謂れについて教えて貰えて初めて写真が撮れたので、安芸津ということで竹原圏外となるが「ホボロ島」を紹介する。

 先ずはこれが笠井邸に展示されている「ほぼろ」の背景画(暖簾部分を拡大加工した)。(2023/01/06撮影)
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 この「ほぼろ」は観光客の人気店「お好み焼 ほり川」がそのままリアルに使われている。(2012/04/30撮影)
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 そして「ちもさん」(八色ちも)がこのキャラクター。(2012/04/30購入)
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 アニメのある回にて「ちもさん」が新作メニュー「ほぼろ焼」を考案。後ちに「ほり川」ではそれを忠実に再現してメニューに取り入れたのがこれである。(2012/04/30撮影)
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 島の実物を未だ見たことが無い私の「ホボロ島」のイメージは、この「ほぼろ焼」そのままで丸い島の形状(お好み焼本体)に岩(鳥そぼろ)の小山があり、その上にわずかな樹々(生姜)が生えている・・であった。
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 ・・・だが、大潮の干潮時に写真を撮りに行った本物の「ホボロ島」はえらく違っていた。浸食がかなり進んでいるのか島というよりは暗礁が大潮の干潮時に姿を現した感じであった。吉名町の碇島と同レベルの島である。(2023/06/17撮影)
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 赤崎の海岸沿いから見えるのは、遥か彼方にわずかな岩のみ。これが満潮時であったら探せなかったであろう。安芸津町沖の島々の解説板を見つけたので一緒に撮ってみたが青矢印に見えているだろうか?
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 この板の説明(平成22年/2010年)によれば「ホボロ島」の「ほぼろ」は「底が丸い小さな竹かご」とあるが、安芸津の知人から聞いた話では嫁に行くときに持たされる大きな箱状の竹籠で今で言う「衣装ケース」だそうだ。安芸津では嫁が実家へ逃げ帰る事を「ほぼろするけん」とか「ほぼろしてくる」と例えて言っていたそうである。
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 護岸の石段から海岸へ下りてみたが、低い位置だと更に分かりづらい。
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 本日、近末がある交差点の信号待ちにてたけはら七夕祭り(7月8日[土])の垂幕がゲート柱に吊るされていたのを偶然目撃。仕事帰りに竹原駅前商店街を何度か巡ってみたが、昨年一昨年に開催されたコロナ対応縮小版の『あいふる七夕飾り』のような飾り付けは未だのようであった。
 例年の『たけはら七夕祭り』は7月上旬に開催されていたので帰省時期から外れており、これまで1度も訪れた事は無かった。コロナ対応から解放されて今年から例年規模に戻るようなのでステージや露店が並ぶのが今から楽しみである。(2023/06/16撮影)

 残念ながらカメラ不調でピンボケとなってしまっていた。

 先ずは近末側ゲート柱の垂幕。
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 竹原駅ロータリーのスロープ壁には横断幕。
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 シオタ跡側のゲート柱にも垂幕。
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 そしてオリオン三叉路ゲート柱にも垂幕が吊るされていた。
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 これまで私が一度も訪れられなかった『たけはら七夕祭り』だが、弟から2003年6月28日(土曜日)の「あいふる316」の様子の写真4枚を当時にメールで受け取っていたので以下に貼り付けておいた。2003年当時の『たけはら七夕祭り』は7月5日(土曜日)と6日(日曜日)の2日間だったので、もしかしたら写真は一週間前の「土曜市」の様子であった可能性があるとのことだ。

 先ずは近末側ゲートに吊るされた垂幕。解像度が粗いので不確定だが、当時の垂幕も「たけはら七夕祭り」(「たけはら七夕まつり」ではない)と書かれているようである。
たけはら七夕まつり1

 続いて「黒田」辺り。
たけはら七夕まつり2

 次は「樋口かばん店」辺り。
たけはら七夕まつり3

 最後は赤いネオンの文字が「ぺぴ~るうむ」(アーケードの看板は「ベビールーム」)辺り。
たけはら七夕まつり4

 どの写真も懐かしい旧アーケード仕様とアーチが取り外される前のゲートであった。

-以上-

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