安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年09月

※2023.10.01訂正:誤「憩いの森/正「憩の森」

 2年前の晩秋に仁賀町戸石を訪れたが、その途中の大谷で見つけた「ゆっくり走ろう 林道三津仁賀線」の看板。その際はカーナビ地図に道が無く戸石集会所で折り返したが、そのまま先の林道を進めば安芸津町三津へ辿り着くことができることを意味している。「ゆっくり走ろう」の意味が「悪路で危険」を意味するのか、それとも「整備されて快適過ぎて速度超過して危険」なのか・・・実際に仁賀町大谷から三津まで走破を試みた。(2023/09/26撮影)

 先ずは大谷で見つけたその看板がこれ。今回は看板裏に作業者がいたので撮影せず。(2020/11/25撮影)
20201122a

 そのはす向かいにある「大谷」の看板からスタート。
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 前回は戸石集会所でUターンしたが今回はその先へ挑戦。
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 未だ秋の気配は皆無。
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 ここを曲がれば戸石地区となる。
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 何の不安も無く戸石に到着。林道はここから先が中国自然歩道になっていた。
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 これが戸石集会所。この脇から先へ行けば三津へ出られるハズ。
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 カーナビでは先へは道が無いが、遥か彼方に道らしきもの(矢印)が見えていた。
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 あとは道なりに進むだけ。
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 ここはまだ竹原市だが、どこかに東広島市との市境があるはず。
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 徐々に鬱蒼さが増してきた。
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 何かの看板がある。
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 「憩の森 1km」とペンキで消された妖しい看板。
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 この脇に竹原市製の地図を見つけた。
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 中国自然歩道のルート変更を示す地図であった。これによれば現在地から先へ行けば安芸津町へ行けるようだ。
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 「憩の森」へ寄りたかったが、肝心の地図には表記が無いので今回は断念。
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 更に先へ。徐々に林道らしくなってきた。
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 左脇には河川があるようだ。
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 またも中国自然歩道の道標がある。
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 いつのまにか「安芸津町」になっていた。市境を示す看板はここまで見当たらなかった。
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 ここが「岩伏の棚田」であろうか。普通に見る田畑だが・・・。
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 カーナビには河川はあるが道は無い。
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 「松尾城址」という観光スポット?がある。
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 やっと開けた田畑へ出られた。この辺りは「三津」なのだが国道185号の何処へ出るのだろう。そしてこの看板にある「トンカラリン」とは一体・・・その後、安芸津の知人に訊いてみたら、古井戸のような穴へ石を投げ入れると「トンカラリン」と音がする史跡があるらしい。
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 交通量の多い道路へ出られた。
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 ここは何処だろうか?左折して更に南へ。
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 南下すると見覚えがある交差点。先日訪れた管田米穀店の「ジスボーイ」が見える。安芸津の県病院がある交差点がここ。
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 これで「林道三津仁賀線」の走破を完遂。カーナビで走行したルートを確認すると見事な軌跡を描いていた。
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 中国自然歩道のマップでも走行したルートを再確認。(大谷から戸石までは自然歩道は走ってない)
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 以上、仁賀小学校先から県道330号を逸れて戸石経由で三津へ抜け出られたが、戸石から松尾城址までの区間には離合場所が殆ど無い。途中、対向車に遭遇したのは松尾城址付近にて工事車両1台のみ。そして走破の結果、あの看板に書かれていた「ゆっくり走ろう」は「悪路で危険」を意味するものであった。

-以上-

 河内インター側から新庄町の新幹線高架下を抜け出ると、右手にコンクリート造りの巨大な廃墟が見える。1990年代の帰省当時から高架下を通る度に気になっているのだが、解体されないまま変わらない姿で30年以上が経過している。これこそ竹原市内における「超芸術トマソン」といえる建造物といえる。元々、これは何だったのだろうか?(2023/09/05撮影)

 ブロックを積んだ建造物ではなく、鉄筋が組まれたコンパネ型枠にコンクリートを流し込んで造られているようだ。
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 場所はこの高架下を潜って抜けた右手。 
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 何かの貯蔵庫にしては窓のような四角い穴が有り・・・
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 その隣にも何かの建造物らしき痕跡がある。
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 Googleマップで確認するとストリートビューが廃墟の至近を走っていた。ビュー画面をクローズアップしてみると害獣除けの電撃柵が張られて建物へは近寄れない。また、電柱本体ではなく敢えて電柱からの給電で壁面にLED式外灯が設置されているのだが、夜中に何を照らすのだろうか?

-以上-

 上仁賀にある「八幡宮」をやっと撮ることができた。撮るつもりがなく通り過ぎる際は後続車は全く現れないのに、神社向いの路肩に停めようとした時に限って後続車が現れるといった摩訶不思議な体験を何度もしている。今回は運良く停めることができて、窓ガラスを開けて撮ろうとした途端に峠側からと後ろ側からの数台が自車横を猛スピードですれ違って行った。(2023/09/17撮影)

 賀茂川沿いの路肩から。「たけはらの神仏を訪ねて/著:神野勝」で「村社(村の鎮守)」であることを知った。
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 創建は1534年。賀茂八幡神社あたりから此の地へ遷宮。
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 鳥居の扁額には「八幡宮」と彫られているが、正式名は「八和田八幡宮(やわたはちまんぐう)」。
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 拝殿があるようだが、かなり古そうである。
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 この神社の特徴は、宮島の大鳥居と同型の木造鳥居(写真右の赤屋根鳥居)があること。
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 それよりも今回気になったのが「上仁賀」のこの看板。ちなみにこの辺りの旧地名は「八和田垣内」。
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 彫られているキャラは「洞(ほら)の精」。上仁賀のどの辺りに「洞穴」が有るのだろうか?
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-以上-

 彼岸花の群生を撮りに西野町湯坂から仁賀町下西谷辺りを訪れてみたが、満開の時期を過ぎてしまったのか数ヶ所あった群生地は丸坊主になっていた。仕方なく車を停めた場所で目に留まったのが賀茂川の多段型の堰。堰の真横へは柵で近寄れなかったが中々の絶景スポットであった。(2023/09/26撮影)

 水流が多ければ更に見応えのあるスポットであろう。この辺りの土手の彼岸花はむしり取られていた。
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 場所は湯坂集会所から仁賀町の境に達する辺り。
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 路肩から水道橋へ降りてみたが、ここから先へは行けそうにない。
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 見たところ連続で2段有りそうな堰である。
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 しかし、なぜここに堰が設けて有るのだろか?
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 対岸には牛の牧場。

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 この堰は近くに水路が無く川面が低いので田畑への取水用ではないようだ。この辺りの賀茂川は極端にS字カーブしている。大雨で激流となれば県道の法面を削り取ってしまう形状になっており、段々とデコボコ形状の堰で水流を散らすことで水圧を低減させる治水目的の堰と思われる。

 彼岸花が撮れなかったので、某場所に咲いた鑑賞用の白い彼岸花を載せてみた。しかし、やはり彼岸花はドギツイ赤のほうが妖しさに満ちていると思う。
#07

-以上-

 吉名の知人から光海神社の秋祭りが来月中旬にあるとの情報を得たので、神社の掲示板を直接確認してみた。(2023/09/26撮影)

 掲示版の在り処は前回訪れた際に確認済み。掲示板に何かが貼られているのが遠目に見えた。
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 もう日没間近なので拝殿への参拝は行かず。
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 これが光海神社の掲示板。ガラス箱ではないので雨風に晒されてないだろうか?
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 劣化の問題なし。

 先ずは「秋季例大祭」の告知。開催日は10月15日(日曜日)、祭典は10時からで神楽も奉納されるよ
だ。人気行事なのだろうか?赤文字で「巫女舞」と書かれていた。
#04

 そして旧吉名小体育館では川北神楽団による奉納神楽。これに書かれた「(旧)吉小体育館」に違和感。もしかしたら「吉名小」の「名」の脱字かと一瞬思えたが、「竹原小」が「竹小」なので「吉名小」も「吉小」と表記するのは正しい。地元吉名町では「吉小」と普通に呼んでいるのであろう。「忠高」「竹高」と「竹中」は違和感は無いが、他の「仁小」「荘小」「大小」「東小」「賀中」・・・「吉園」や「忠園」は馴染めない。#05

 「ん~っ」・・・「巫女舞」や「神楽」を観てみたいが、旧吉名小グランドが駐車場として開放されるのだろうか?呉線利用で吉名駅から歩いても数分なのだが、帰りの便を逃すと待ちの時間が辛いところ。

-以上-

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