安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年09月

 2009年帰省時に自転車散策で見つけた新庄交差点(国道432号線沿い)の「山頭火句碑」。建立は2005年でこの句碑は竹原の観光スポットとしても取り上げられている。今回は新庄町の市境を訪れた際に目に留まったので再訪となった。(2023/09/05撮影)

 見つけてから約14年が経過しているが、整備と管理が行き届いているのか当時の状態と見比べて経年変化は皆無であった。
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 場所は国道2号線と国道432号線が交差する新庄交差点から北へ数十メートル。
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 信号待ちの列にいれば目に留まり易い。
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 句碑には「かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く」と彫られている。
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 句碑の隣には説明文の碑も。
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 説明碑?の背面には句碑建立賛助者御芳名。
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 なお、2009年4月末の旧HPに載せた「種田山頭火の句碑」の写真には以下の自己陶酔のような怪しい文章が添えられていた。
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 新庄の河内分かれ交差点付近で見つけた「山頭火」と書かれていた句碑。これまで「山頭火」といえば行列ができるラーメン屋ぐらいしか知らなかったが俳人だったことを初めて知る。2005年9月に建てられたもので「かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く」と彫られている。
 句碑の説明によれば山頭火が1933年に防府から尾道へ向かう道中にて一泊した横大道付近の自然の良さを詠んだ句のひとつとのこと。私の解釈では「今日、泊まることにしたこの辺りに咲き乱れている彼岸花の真っ赤な色が秋の訪れを感じさせる。」と思われるが「かたまって」が「泊まる」と「群生する」の両方の意味で「曼珠沙華=彼岸花」と合わせると「咲き乱れたあとは枯れ朽ちて終わりを迎えるだけの残された人生も振り返れば良いものだ」と感じた。「開店前から列に並んでやっと食べられたラーメンも最後まで大切にとっておいたチャーシューを食べてしまえば寂しく・・・・」

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 一体、どこから解釈ネタを仕入れたのか・・・今、自分で読んでみてムズ痒くなってきた。誰か本当の解釈を解説してくれないだろうか。ちなみに、ここを再訪する直前に「更科」で食べたのが偶然にもチャーシューたっぷりの尾道ラーメンだったが、麺をすする前にチャーシューを全てたいらげてしまった。そして豚の背油が浮かぶスープを飲み干した後の罪悪感と満足感・・・。

-以上-

 本日、テレビ番組表をキーワード「竹原」で検索したところ最初にヒットしたのが歌番組で出演者の中にいつもの「竹原ピストル」。続いて見つかったのが「お好み焼き紀行/お好みハウス Bon-bon・・・」の「竹原市下野町」であった。あの大盛ネギが特徴の人気店が今週土曜日昼前に広島テレビに登場する。(2023/09/04検索)
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 この番組の公式サイト『広島テレビ | お好み焼き紀行』を閲覧してみると、ナント!先週土曜日に「ほり川」が登場していた。毎週月曜日の「竹原」キーワード検索を怠った覚えは無いのだが「竹原市本町」がなぜか見つけられなかった。(これまでもよくあった・・・)
 今週の放送予定「お好みハウス Bon-bon」については掲載されておらず、どうやら放送後に写真と解説が載せられる形式のようだ。バックナンバーを全て確認してみたところ「山ちゃん」と「」が見つかったが、これらは竹原市にある店ではなかった。
 「ほり川」の放映前は呉市の店舗が2週続いていたので、「ほり川」の後の「Bon-bon」に続いて竹原市内の他の店舗も続く可能性が有りうる。

 もしかしたら吉名の「みつ蜂」と同様に「Bon-bon」にも番組放送予定の「お知らせ」が店舗内の壁に貼られているかもしれない。

 本日夕方も元気に営業中!
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-以上-

 このところ西条の中心街へ買い物をする機会が増え、国道2号線の田万里隧道(トンネル)を三永方面へ抜け出るのだが、トンネル内を走行中に無灯火のまま走り去る車両を目撃する頻度が増えたように感じている。しかしながら前を走る無灯火の姿が見え難くくはないのだが、以前は逆光シルエットになって消失していた気がする。
 そこで今回改めて撮ったトンネル内の写真と2年前に撮影した田万里隧道の写真を比べてみたところ、その理由が分かったような気がする。(2023/08/29撮影)

 トンネル名板の劣化も酷くなった。20年前は「・・・隧道」と即読めた。
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 トンネル手前のヘアピンカーブから撮影。
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 カーブの最中は私の軽自動車では制限速度以下でも右へ横滑りしそうで怖い。
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 やっとカーブを抜けた。
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 高速道路のトンネル前にある「ライト点灯」の標識は特に見当たらない。高速または一般道のトンネル内では無条件に灯火の義務があるのか、交通違反の検挙対象となるのかを調べてみたが「グレー」であった。
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 ライトを点けて田万里隧道へ突入。
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 ご覧の通り自車のヘッドライトが照らす範囲どころか、路面と側壁・天上の模様まで見えるほどに明るい。
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 以前は暗がりの先に明るい出口が見えていたはず。
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 写真を比べてみたところ照明の数が増えており、オレンジ色のナトリウム・ランプに交換されているように見える。
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 田万里隧道を抜け出た。
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 そして次のトンネル(西小寺隧道)の入口が竹原市と東広島市の市境。
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 こちらのトンネル内は短い割には相変わらず照明が暗いまま。
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 気のせいかもしれないが、田万里隧道のトンネル内照明は改良されたのではなかろうか。以前よりも明るくなったことで無灯火のまま走り抜ける車両が増えたと感じられたのであろう。

-以上-

 仁賀町の「中西谷 譲美ステーション」を撮りに訪れた際に見付けた「中国自然歩道」の道標。地図を調べると仁賀町から山中を抜けて東野町へ抜けられる「中国自然歩道」ルートがあることが分かり、狭いながらも軽自動車程度が通行できる道幅であれば、竹原市内の国道2号線が不通時に仁賀町から東野町へ抜け出られる新たな迂回ルートとなる可能性がある。
 今回はダメ元で走行トライしてみたところ、外灯は皆無だったが離合場所も適度に設けて有って、昼間であれば迂回ルートとして十分であることが分かった。(2023/08/29撮影)

 これが仁賀町側のルート始点となる「中国自然歩道」の道標。
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 国土地理院の地図で実際に走破したルートを赤線で示した。
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 ルート始点は「譲美ステーション」の少し先から山道へ突入。
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 これが道標。
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 道幅は狭いが路上は舗装されている。
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 自動車の轍もあるので地元では多用されているようだ。
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 チラリと仁賀町が眺められた。
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 徐々に路面が荒れてきた。舗装も消えて土に変わった。
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 カーナビで自車位置を確認。この先に道はある。
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 外灯やガードレールなど皆無。
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 もう一度、自車位置を確認。
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 朽ちた看板が道路脇にあった。「ヒノ枝打・間伐展示林」?
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 まだ行けそうだ。
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 先は長い・・・。
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 ガードレールがある。頭上には高圧線が走っている。
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 ガードレールの隙間から左下に谷が見えた。
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 この辺りが峠のようだ。
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 少し下ると何かの施設。
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 「柏野配水地」・・・ということはここは東野町。先程の峠が町境だったようである。
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 配水池のフェンスに真新しい看板。ここは東野町である。
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 どんどん下って行く。
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 ここだけがコンクリート舗装だった。
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 自車位置確認。この先には「つづら折り」が待っている。
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 ここに仁賀町から次の「中国自然歩道」の道標。
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 更に曲がりくねった下り道が続く。
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 この右沿いにある道標は、先へ1.6kmで賀茂川(大福地)、戻れば1.5kmで梅王館バス停へ。
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 つづら折りと言う程の曲がりくねった道では無かった。
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 初めての民家を発見!
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 一気に開けてきた。
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 フスファルト舗装となって徐々に東野町中心部へ近づいている。
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 正面に城山辺りが見えてきた。
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 最後に自車位置確認。柏野の中心部である。
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 ここから2.5km戻れば仁賀町の県道333号へ、先へは07kmで大福地の橋辺り。
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 ここを左折すれば走り慣れた青田方面。
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 直進すれば東野保育所。
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 ここが迂回ルート終端。この信号機が国道432号大福地橋の西詰である。
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 「中国自然歩道」はこの先の古い大福地橋を渡って東野町の賀茂川沿い旧道を抜けて上条橋まで。その先は中通小学校脇から本川を下って上市・下市・田ノ浦・地蔵町から小吹へと続いている。竹原市内の「中国自然歩道」は「歩道」であっても軽自動車レベルなら通行可能なルートのようである。

-以上-

 国道2号線を西条から田万里へ戻る際に左手に風変りな芸陽バス停がある。場所は「ココリコ」を少し過ぎた辺りで、「トトロ」のバス停に似た屋根があるベンチである。木製の看板に何か白い文字が書かれているのだが、後続車が直後に続いているので読む間もなく通り過ぎざるを得なかった。
 今回は偶然にも車間が空いていたので、バス停脇の細道から裏の空スペースに車を停めて、じっくりと本バス停を観察することができた。(2023/08/29撮影)

 一番知りたかった看板には「竜王神社前」と書かれていた。
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 場所は国道2号線沿い。バスが停められるスペースはあるが、ここへ自車を停める訳にはいかない。
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 芸陽バス停名は「竜王」。だが木板看板には「竜王神社前」・・・
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 ・・・ということは近くに「竜王神社」があるはず。すぐ後ろには注連柱があり、ここがその神社に違いない。
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 ベンチに座ってみたかったが、乗りもしないのに芸陽バスが停まってはマズい。
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 背面には自動車が1台分停められる砂利敷地がある。
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 その「竜王神社」らしき小山には鳥居が見当たらない。鳥居が無ければ扁額に彫られた正式表記の神社名も分からない。
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 この注連柱を抜ければその先に社殿が有りそうだが、ここはなぜだか躊躇してしまった。
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 どこの神社もそうだが注連柱には神社名は彫られていない。
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 思い切って上ってみるか・・・と決意したところ・・・
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 小山を含めた石段手前が猪鹿などの獣除け電気柵に囲まれていた。
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 近寄るべからずとの警告と判断して撤収。

 『たけはらの神仏を訪ねて』(著:神野勝)を調べてみると神社名は「龍王神社」となっており、「竜」と「龍」のどちらが正式表記なのかは分からず。(ベンチの木製看板と芸陽バス停名には「竜」を採用)「竜王神社」の祀神は「大綿津見神(おおわたつみのかみ)」であり、「海の神」とのことである。

-以上-

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