2009年帰省時に自転車散策で見つけた新庄交差点(国道432号線沿い)の「山頭火句碑」。建立は2005年でこの句碑は竹原の観光スポットとしても取り上げられている。今回は新庄町の市境を訪れた際に目に留まったので再訪となった。(2023/09/05撮影)
見つけてから約14年が経過しているが、整備と管理が行き届いているのか当時の状態と見比べて経年変化は皆無であった。

場所は国道2号線と国道432号線が交差する新庄交差点から北へ数十メートル。

信号待ちの列にいれば目に留まり易い。

句碑には「かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く」と彫られている。

句碑の隣には説明文の碑も。

説明碑?の背面には句碑建立賛助者御芳名。

なお、2009年4月末の旧HPに載せた「種田山頭火の句碑」の写真には以下の自己陶酔のような怪しい文章が添えられていた。
--------------
新庄の河内分かれ交差点付近で見つけた「山頭火」と書かれていた句碑。これまで「山頭火」といえば行列ができるラーメン屋ぐらいしか知らなかったが俳人だったことを初めて知る。2005年9月に建てられたもので「かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く」と彫られている。
句碑の説明によれば山頭火が1933年に防府から尾道へ向かう道中にて一泊した横大道付近の自然の良さを詠んだ句のひとつとのこと。私の解釈では「今日、泊まることにしたこの辺りに咲き乱れている彼岸花の真っ赤な色が秋の訪れを感じさせる。」と思われるが「かたまって」が「泊まる」と「群生する」の両方の意味で「曼珠沙華=彼岸花」と合わせると「咲き乱れたあとは枯れ朽ちて終わりを迎えるだけの残された人生も振り返れば良いものだ」と感じた。「開店前から列に並んでやっと食べられたラーメンも最後まで大切にとっておいたチャーシューを食べてしまえば寂しく・・・・」
--------------
一体、どこから解釈ネタを仕入れたのか・・・今、自分で読んでみてムズ痒くなってきた。誰か本当の解釈を解説してくれないだろうか。ちなみに、ここを再訪する直前に「更科」で食べたのが偶然にもチャーシューたっぷりの尾道ラーメンだったが、麺をすする前にチャーシューを全てたいらげてしまった。そして豚の背油が浮かぶスープを飲み干した後の罪悪感と満足感・・・。
-以上-
見つけてから約14年が経過しているが、整備と管理が行き届いているのか当時の状態と見比べて経年変化は皆無であった。

場所は国道2号線と国道432号線が交差する新庄交差点から北へ数十メートル。

信号待ちの列にいれば目に留まり易い。

句碑には「かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く」と彫られている。

句碑の隣には説明文の碑も。

説明碑?の背面には句碑建立賛助者御芳名。

なお、2009年4月末の旧HPに載せた「種田山頭火の句碑」の写真には以下の自己陶酔のような怪しい文章が添えられていた。
--------------
新庄の河内分かれ交差点付近で見つけた「山頭火」と書かれていた句碑。これまで「山頭火」といえば行列ができるラーメン屋ぐらいしか知らなかったが俳人だったことを初めて知る。2005年9月に建てられたもので「かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く」と彫られている。
句碑の説明によれば山頭火が1933年に防府から尾道へ向かう道中にて一泊した横大道付近の自然の良さを詠んだ句のひとつとのこと。私の解釈では「今日、泊まることにしたこの辺りに咲き乱れている彼岸花の真っ赤な色が秋の訪れを感じさせる。」と思われるが「かたまって」が「泊まる」と「群生する」の両方の意味で「曼珠沙華=彼岸花」と合わせると「咲き乱れたあとは枯れ朽ちて終わりを迎えるだけの残された人生も振り返れば良いものだ」と感じた。「開店前から列に並んでやっと食べられたラーメンも最後まで大切にとっておいたチャーシューを食べてしまえば寂しく・・・・」
--------------
一体、どこから解釈ネタを仕入れたのか・・・今、自分で読んでみてムズ痒くなってきた。誰か本当の解釈を解説してくれないだろうか。ちなみに、ここを再訪する直前に「更科」で食べたのが偶然にもチャーシューたっぷりの尾道ラーメンだったが、麺をすする前にチャーシューを全てたいらげてしまった。そして豚の背油が浮かぶスープを飲み干した後の罪悪感と満足感・・・。
-以上-