安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年11月

 照蓮寺にそびえ立つ銀杏(イチョウ)の大樹、例年であれば11月中旬には境内に落ち葉で「黄色い絨毯」が敷かれているのだが今年はどうであろうか?町並み保存地区をメインに昨年から始まった「凪待ちのエチエ」を訪れる前に照蓮寺の境内へ寄ってみた。(2023/11/19撮影)

 その結果は「あれっ?」。「黄色い絨毯」どころか見上げれば枝には緑の葉っぱが未だ半分。
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 境内の眺めが四角い額となる三門を潜ると・・・
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 右側に巨大なイチョウの樹が見える。
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 樹の真下へ近寄って枝の葉を見上げれば、葉の枚数は一週間前と殆ど変わらない。半分程度は瑞々しかった緑色が黄色へと変わってはいたが、枝から葉が外れることなく枯葉へと干からび始めていた。
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 この通り路面が丸見えで「黄色の絨毯」が敷かれたような秋らしい景観ではない。
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 今週末にバンブー総合公園でイベント『S-491 POP UP 進む事より戻ること』(有料)があるようなので、明日に公園内の紅葉を撮る予定であったが、この様子では今年は見応えの有る景観は望めなさそうだ。
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 根古屋のフードメニューへ夏頃に追加された台湾サンドイッチを、本日の「凪待ちのエチエ」を訪れた際に初めて注文してみた。メニューに書かれた名称は「可可起士肉蛋吐司(Drink付)¥1500税込」でフリガナの代わりに「豚肉チーズ卵のチョコトーストサンド」が添えられていたので、メニューを指差して「このサンドとホットコーヒーをお願いします。」と注文。店主も正式名で複唱することなく「この豚肉のチョコサンドとホットコーヒーですね。」であった。これは一体何と読むのだろうか?(2023/11/19撮影)
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 これが「可可起士肉蛋吐司」。中から半熟卵がトロリと流れ出している分厚いトーストであった。
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 メニューの説明では、台湾人は私達が想像する以上にパン好きで、朝餐店(朝食専門店)でもサントイッチやトーストが定番メニューとのこと。本トーストは2枚のパンで具材を挟んで半分に切られ重ねられていた。
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 この具材は、独特のタレに漬け込んだ豚肉、チーズと目玉焼きなのだが・・・・
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 驚く特徴としてトーストパンの片面にチョコレート、もう片面には甘いマヨネーズが塗られている。
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 この組合わせは独特のクセになる絶妙な未体験の味で、切られた半分はアッサリとたいらげたのだが、もう半分の途中頃からズシリと満腹感と幸福感が押し寄せる不思議さ。

 そして不思議味のもう一皿がこれ。一見小切りのトマトなのだが、不思議な粉(梅干しの粉末?)をまぶすと甘酸っぱいお菓子のような懐かしい味であった。
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 ドリンクはホットコーヒー、マンゴー/オレンジ/ガバジュースからひとつを選択。(臺灣茶は+300円、豆乳オーレは+150円、アイスコーヒーは+100円)
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 この「可可起士肉蛋吐司」、読みは依然不明のままだが、英語で書けば「Pork and Egg Sandwich with Nutella and Cheese.」で、「可可」がチョコレート、「起士」がチーズ、「蛋」は卵、「吐司」がトーストであった。日本語ならば「チョコレート・チーズ・ポーク・エッグ・トースト」となる。次回注文時は「読み」を訊くことにしよう。

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 本日、押入れの整理をしていたら未使用の「竹原市 まちのダイヤル」という古い記入型電話帳が出てきた。いわゆる黒電話の横に置いておく地元竹原市内の各種店舗施設などの一覧も載せられた簡易型の便利帳&電話帳である。市外局番が未だ「08462」のもので昭和か平成初期のものと思われる。昭和生まれにとっては懐かしい名前ばかりなので全ページを掲載(電話番号と代表者名は消去)してみた。(2023/11/18撮影)、

 先ずは「表紙」、大きさはB5サイズ程度。いきなり「大広苑」や「シバデン」などが載せられている。
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 これは裏表紙。忠海の「今市商事」は初めて知った。県内の市外局番一覧も古い。ちなみに東広島市があるので比較的新しい物かと疑ったが、東広島市の誕生は1974年(昭和49年)であった。
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 表紙をめくると「あ~わ」まで見開き6ページ分の記入欄があるのだが、上下に店舗施設名が載せられており、ダブリが多い(上下右端以外)ことから宣伝広告的な扱いと思われる。
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 ここからは業種別に竹原市内の店舗施設が載せられている。
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 押入れには他にも懐かしいものが多数見つかった。1960年代に父親が竹原駅前書店街の「イマイチ」で買ってくれたアルコ製の地球儀(直径30cm程度)は残しておいても邪魔になるので写真に撮ってから来月のリサイクルゴミ出し日に出すことにした。しかし、これを買った「イマイチ」が本冊子には見つからない。

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 暦の上ではもう冬、東野町にある長善寺の紅葉を何度も確認しているのだが、色付き半ばのまま見頃が終ってしまいそうな状況である。昨夜の大雨と風で落ち葉の絨毯が観られるに違いないと本日も訪れてみたが、この通りの残念な景観であった。(2023/11/17撮影)
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 火曜日に訪れた際は山門前を塞ぐような路上工事が行われていたので撮影を断念。本日は普段の景観に戻っていた。
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 遠景からは左側が見頃のようだが・・・
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 鐘楼がある右側はまだ緑の葉も多い。
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 下から眺めても色付きはイマイチ。
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 例年であれば石段辺りがモミジの落ち葉で絨毯になっているのだが・・・。
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 本堂前の石製賽銭箱に小銭を入れて境内の撮影を開始。
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 シソの葉のような黒みがかった紅葉なので・・・
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 太陽光に透かして撮ってみた。
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 次は鐘楼へ。
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 ここも落ち葉は疎ら。
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 こちらは紅色ではなく黄色味が多い。
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 鐘楼の柱をフレームにして撮ると「映える」写真となる。
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 ハリボテ白象と紅葉のコラボもこの色ではイマイチ。
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 鐘楼脇を一周廻って撮影。
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 鐘楼で5分程度撮影して境内へ降りた。
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 広島での「木枯らし1号」はいつ?と調べてみると「木枯らし1号」は東京地方と近畿地方だけに与えられた表現らしい。いくら広島県内のどこかで西高東低の気圧配置で8m以上の北風が吹き荒れたとしても「今日、広島で木枯らし1号が吹きました。いよいよ広島も冬の到来・・・」などとは天気予報士は言わない、言ってはならないのであった。ちなみに本日は山沿いでの積雪が予報されていた。

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 一昨日になるが「ゆめモール西条」に買い物へ行った際に東広島市立美術館で現在開催中の「古代エジプト美術館展」へも立ち寄ってみた。当然だがツタンカーメンの黄金マスクレベルの展示はされないまでも、一生に一度しか観られない各種出土品・副葬品が多数展示されているようで見ごたえはあった。(2023/11/14撮影)
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 この手の展示イベントでは写真撮影が限られるのが常であり、常備しているコンデシはカバンに収めて展示室へ入場。続いて入ってきた客がいきなり展示物をバックにVサインで記念撮影!まぁ、こんな非常識な客はどこにでもいる。音声ガイド(酒井美紀さん)を借りて3階の第1会場から展示物を順番に鑑賞。2階へ降りて第2会場の受付の際に「最後の展示物のみ写真撮影はご遠慮ください」との説明。・・・ということは写真撮影は一部を除いてフリーであったことになる。とはいえ、写真に撮ってもSNS公開できるはずもなく、興味深いレリーフ1枚と巨大な木棺のみ写真撮影して会場を出た。
 そして階段のガラス壁面に貼られた本イベントのポスター類を見て愕然、「展示品をたくさん撮ってSNS(旧Twitter、Instagram、Facebook)へどんどん拡散しよう!」のような説明が添えられていた。知っていれば撮りまくったのだが、以下の展示物2種類しかない。

 先ずは墓の壁面レリーフ。大きさは幅1m程度たが、オシリス神が精巧に手彫りされていた。
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 もう一つは長さ約2mの巨大な木棺。
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 胸部に描かれていた絵を撮ったのだが、上段には本木棺の被葬者へ香油を塗るアヌビス神。下段には被葬者(スカート?姿の女性)の生前の罪を裁決する場面が描かれていた。ホルス神(隼の頭)とアヌビス神(狼の頭)が天秤で被葬者の心臓(本人証言)と真実の羽根(実際の行い記録)が均衡することを確認してトト神(トキの頭)が記録。これは閻魔様の前で死者が生前の行いを証言する場面と同じといえる。もちろん被葬者には虚偽はなくオシリス神(前述のレリーフに彫られていた人型の神)の前へ導かれるのである。
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 他にも撮りたかった展示物が数点あったのだが後の祭り・・・。ちなみに唯一写真撮影が禁じられていたのは真っ黒な少女の生?ミイラ(頭部と左足)だったが、これだけは撮れと言われても撮りたくはない。

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