安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年11月

 町並み保存センターにて100枚限定の「普明閣ブックマーク」を購入したが、もちろん写真集も同時購入。実物見本が置かれていなかったので、購入時にその価格に対して約30ページという薄さには少々驚いたが、ホール内の長椅子に座って写真集を粗く開いてみると、殆どが懐かしさが滲み出る昭和30年代からの平成までの写真ばかり。(2023/11/07購入)

 町並み保存センターのホールにて撮影。昭和から平成時代まで懐かしい上市の写真がスライド投影機(後に動画放映)で何度でも観られた長椅子の上に置いてみた。
#01

 どこにも不許複製とは書かれていないが有料の著作物なので中身は掲載できないが、この写真集の表紙タイトルを読んでみて欲しい。10回読んでも暗唱できない程の長さなのである。それも省略してのタイトルなのでフルで書くと更に長くなるのである。

 タイトルは「竹原市竹原地区 伝統的建造物群保存地区 重伝建選定40周年記念写真集」であるが、編集後記には「統的造物群保存地区選定40周年記念写真集」と書かれていることから、フルで書くと「竹原市竹原地区 伝統的建造物群保存地区 重要伝統的建造物群保存地区選定40周年記念写真集」(42文字)ということになる。

【表表紙】
#02

【裏表紙】 
#03

目次と各掲載写真のタイトルを以下に示す。

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明治・大正~昭和戦前の風景・・・・4
  • 竹原の町を築いた塩田(昭和初期)
  • 照蓮寺の遠景
  • 西方寺
  • 本川から見た町並み(明治末頃)
  • 塩田の風景
  • 家族写真(竹鶴酒造/昭和10年代)
  • 出動!(旧日の丸写真館/昭和10年頃)
  • 西方寺から見た町並み(明治末頃)/正面・南・西を見る[3枚]
戦後の町並み・・・8
  • 西方寺普明閣
  • 町並みて遊ぶ少年たち(昭和20年代)
  • 松阪家住宅前の風景(昭和30年代)
  • 獅子舞(胡堂前/昭和30年代)
  • 家族写真(頼惟清旧宅/昭和30年頃)
  • 家族写真(西方寺の階段/昭和30年頃)
  • 本町通り(旧佐倉酒店前/昭和40年代)[2枚]
  • こどもたちと町並み(昭和30年代)[2枚]
重伝建選定当時の町並み・・・12
  • 建物調査の写真とそのスケッチ
  • 東京大学工学部建築学科建築史研究室による調査(吉井家住宅調査時)
  • 調査風景(松阪家住宅・岩本家住宅前)
  • 調査風景(竹鶴酒造前)
  • 歴史史料調査の写真
  • 上空から見た重伝建選定前の町並み
  • 町並み保存センター開館
  • 建設中の町並み保存センター
  • 頼山陽まつり(松阪家住宅/昭和63年)
  • 書状集箱の設置(旧上吉井家住宅前/昭和59年)
  • 文化財防災デー(昭和59年)
  • 雪景色の町並み(昭和59年)
  • 西方寺普明閣から町並み保存地区を眺める(昭和60年)
  • 観光地としての町並み
  • 町並み保存センター前(昭和58年)
  • 頼惟清旧宅前(昭和60年)
  • 旧松阪家住宅公開開始(昭和59年)
平成・令和の町並み・・・20
  • 本町通り(上市側/平成5年)
  • 観光客でにぎわう本町通り(平成8年/平成9年)[2枚]
  • たけはら竹まつり(平成5年)
  • 照蓮寺山門(平成16年)
  • 四季折々の風景を見せる町並み保存地区
  •  (本町通り/平成17年)[夜景]
  •  (本町通り/平成17年)[雪景色]
  • 重伝建を守る様々な取り組み
  •  地域清掃の様子(平成4年)
  •  旧松阪家住宅前での防火訓練(平成8年)
  •  消防団による防火訓練(平成3,4年)[3枚]
  •  たけはら歴史体験講座 びっこ大工さん(平成30年)
  •  北前船日本遺産の認定式(令和元年)
  •  タイトル・キャプションなし(胡堂辺り/竹小生徒の下校風景)
町並み保存地区の年表
協力者一覧


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 購入後に普明閣の舞台を訪れたところ舞台でくつろぐ先客あり。季節はずれの暑さの午後、舞台を吹き抜ける心地良い風を満喫しておられたので声をかけてみれば塩町から来られた地元民。一回り年上の男性で私と同じ普明閣舞台でくつろぐ常連であった。もちろん意気投合、一緒にこの写真集と舞台からの下界を見ながら昭和30年代から現在までの竹原談議で小一時間過ごし、普明閣舞台での再会をお互いに期待して帰路へ。
#04

-以上-

 境内にそびえ立つイチョウの「落ち葉の絨毯」の敷き詰め具合を確かめるために照蓮寺を訪れたのだが、絨毯どころか落ち葉さえも殆ど無し。イチョウの樹自体も緑色のままであった。境内での写真を撮る前に本堂前にて御本尊へお参り。そしてイチョウの真下を高所から眺めるために本堂の廊下(ほぼ回廊)へ上がってみると「キュッ」と乾いたキシむ音がした。久しぶりに聴く「鴬張り」の音であった。(2023/11/07撮影)
#00

 靴を脱いで廊下へ。
#01
 
 一段低い欄干沿いの廊下へ上がると「キュッ」と音がした。照蓮寺ならではの「鴬張り」である。
#02

 広い廊下の北側までそっと歩いてみたが、竹小時代にここで遊んでいた頃から変らぬ音色であった。
#05

 そこで廊下の写真だけでなく、この「鴬張り」の音も録れる動画撮影も行った。

 本堂内で法要などが行われていない時であれば、靴を脱いで廊下を歩いてみてほしい。どんなに慎重に歩いたとしても派手なキシミ音がしてしまうのである。この「鴬張り」だが泥棒などの侵入者除けのため敢えて音が出るように造られているのだ・・・と何かの授業で習ったことが有る。その時に例として挙げられたのが、この照蓮寺の廊下であった。しかし、この音が鴬の鳴き声に似ているだろうか?

安芸の小京都 竹原 073 照蓮寺の鴬張り(2023 11 07)


-以上-

 町並み保存センターで『普明閣ブックマーク』(=金属製しおり)をゲット!町並み散策中に誘われるように入った保存センター内で販売中(限定100個)を知り、奥の事務室を訪れてみて1枚を即購入。あまりの精巧さに感激してそのまま普明閣へ直行。本物と一緒に同じアングルで撮ってみた。(2023/11/07撮影)
#00

 町並み保存センター内に掲示されていた「統的造物群保存地区に選定されて40周年の記念写真集と普明閣ブックマークの販売中」を見つけた。選定されたのは1982年12月16日で2020年で40周年であり、その頃からこれらが販売されていたことに全く気が付いていていなかった。
#01

 使うのがもったいないぐらいの精巧さ。いや、絶対に使わない。これと同レベルの栞(しんちゅう製)を東京国立博物館での絵画展示イベントで購入した記憶があるのだが、勉強本に挟んだまま忘れられて資源ゴミと一緒に捨ててしまったからである。
#02
 
 まるでレーザーで切り取ったようなこの精巧さ。
#03

  試しに愛読書に挟んでみた。
#04

 クリップ型なのでページを挟むと普明閣と40周年文字が裏表に分れる。
#05

 この記念栞は限定100枚で保存センターのみでの取り扱い。あと何枚残っているのだろうか。

-以上-

 本日は紅葉の状況を確めに市内各地へ。何処も今週末から来週末頃が未見頃のようであったが、同時期に市内各地で開催される各種イベントが目白押し。先ずは11日(土)に町並み保存センターで「歴史民俗資料館・胡堂調査報告会」、12日(日)は竹原港周辺で「せとぽる」&「世界境目で反復横跳び大会」と当時に電発の「一日開放デー」、そして18日(土)と19日(日)が保存地区での「凪待ちのエチエ」といったところで訪れる優先順位が悩ましい。だが、一番興味ある胡堂の調査報告会が仕事で参加できず。
 これらのイベント情報は新聞の折込広告などで容易に知り得るのだが、一度も開かず新聞ストッカーへ重ねていたことから帰郷してからは新聞購読はしておらず。自治会の回覧配布物や道の駅内に置かれたパンフ類ぐらいしか手段が無いという「竹原情弱」が現状なのである。そこで本日は道の駅で各種パンフを確保してから平常に戻った町並み保存地区も巡ってみた。
 だが、その前に昼食なのだが思い出したのが道の駅から徒歩1分で行ける「松屋の二重焼」。店は本日開いているだろか?考えてみれば今年初めて食べる二重焼となる。(2023/11/07撮影)

 まだ気温22度とはいえ甘い餡子が恋しくなる季節。確保したパンフを持って松屋へ向かうと、自動車が店舗前駐車場から出て、窓口で徒歩客が数個購入したのに続いて焼き立ての3個を注文した。
#01

 食べる場所は普明閣舞台・・・持っていけば冷めるし、社寺内では不謹慎な気もする。仕方なく道の駅の自販機でペット茶を買って休憩所での短時間の飲み食いとなった。
#02

 熱い包み袋をちぎると甘~い餡とキツネ色の皮の香ばしい熱気が舞い上がった。
#03

 熱い餡で指が火傷しそうになったが、中の粒餡を撮るために無理やり半分に割ってみた。
#04

 これで本日の昼食は終わり。3個で390円と130円のペット茶で満腹となったので町並み保存地区へ。

 そして誘われるように立ち寄った保存センターに掲示されていたのがこれである。
#05

-以上-

 10月初旬頃だっただろうか、近づいてきた「憧憬の路」で気付けなかった楠通北端にある仲商店跡の解体。10月末には既に更地となっていた。

 場所は楠神社から始まって路幅が広い元商店街であった「楠通(くすのきどおり)」。仲商店はその最北端の突き当りに古くからあるヤマザキパン店兼タバコ屋であった。赤矢印の場所がその更地である。(2023/11/06撮影)
#01
#02

 ここは数年前から急激に交通量が増しており、下野町のファミマ信号からここを抜けての道の駅までのショートカットに多用されている。大広苑から古庭橋を渡って楠通を貫ければ国道432号から国道185号までにある10基以上の信号機が住吉橋の信号1基のみとなることから、通勤時間帯は「ひっきりなし」の状態となる。そして仲商店からのボトルネックにて対面通行ができなくなり、最近では左折して検察庁北詰信号へと回避する車も増えだしている。

 なお、解体が道幅拡張の一環との噂も耳にしているが確証は得ていない。更地化された土地が住宅地になるのか否かも同様である。

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 それでは仲商店が写っている写真を以下に時系列で並べてみる。

(1) 1998年8月2日・・・ヤマザキパンのストアだった。
19980802a
 
(2) 1998年8月8日・・・たばこ自販機や販売窓口?もある。
19980808a
 
(3) 2008年12月28日・・・ヤマザキパンの看板が無くなっていた。
20081228a

(4) 2010年5月4日 
20100504a

(5) 2012年1月3日・・・色褪せたガチャが懐かしい。
20120103a

(6) 2012年9月21日・・・自販機のみの店舗となっていた。
20130921a
 
(7) 2020年8月2日
20200802a

 
(8)2021年3月9日・・・この頃から交通量が激増。
20210309a
20210309b

(9) 2023年10月20日・・・そして解体が始まっていた。
20231020a

(10) 2023年10月22日
20231022a

-以上-

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