安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2023年12月

 本日はYOASOBIの紅白生出演を視終えてから照蓮寺~西方寺~礒宮八幡神社へと出掛ける予定であったが、そろそろか?とCH1に替えたところ「アイドル」の酷い演出に愕然。即、チャンネルを変えて出掛けることにした。(2023/12/31~202/01/01撮影)

 先ずは照蓮寺へ。23時半過ぎても境内には先客と私の2人のみ。西方寺との鐘突き開始協定時間2分前頃になって10名程度となった。
#01

 いつもなら鐘楼門の急な階段側(写真左隅)に長い列ができるのだが、なぜか少ない来訪者が右側に並び始めた。その様子を見て思い出したのが、鐘楼門には上がらずに門下から鐘撞棒をロープを曳いて鳴らすようになったこと。
#02

 列の1人目が手ほどきを受けて23時45分に鐘突き1発目。だが、曳きが少なかったのか「こ~ん」と弱々しい音になった。
#04

 曳いたロープは鐘楼門の脇から鐘撞棒につながっている。よって、ロープを曳いてから手を放す操作となるが、手放しでは鐘突棒を押す力は加わえられないので、どうやっても強烈な「ゴ~~ン~~」の音か鳴らせられない。
#03

 そして何発目かは前に打った人からの口伝え。「私が何番目で、あなたが何番目」と個々に次へ正確に伝える必要がある。私の前の人は突いてから「15番」と小声で言って立ち去ったが、自分が15番だったのか私が15番なのかが判断できなかったので、次の人へは「私は16番であなは17番ですよ」と言ってから突きに行った。まあ、108番近くにならなければ少々のズレは構わないのであるが。10分経過しても豪快な音が聴けないので0時を待たずに西方寺へ直行。
#05

 23時57分、石段には人影が無い。
#11

 たが、山門を潜ると境内には長蛇の列。ざっと数えて100人超、これではもう朱印番号札は確実に貰えない。
#12

 例年通り、鐘楼では僧侶2名による案内で鐘撞が行われていた。
#13

 0時を過ぎても列が進まず、仕方なく鐘撞を断念して本堂へお参りしてから礒宮へ向かった。

 礒宮への初詣は予想に反して参拝者は少人数。
#21
 
 元旦の午後に正式に初詣の予定なので、今は撮影のみとした。
#22

 賽銭箱に札が入った時に鳴らされる太鼓は疎ら。
#24

 御守り販売所は賑わっていた。
#06
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 一応、ここが竹原であることの証しを写しておいた。
#26

 帰宅は24時半過ぎ。私はそばアレルギーなので毎年この「年越うどん」。近末の「瀬戸かまぼこ」と「べろ天」に「どん兵衛」トッピング用のかき揚げを入れてみた。
#41

 丼の左隣りに置かれた餅は、照蓮寺での鐘突きで頂いた例年の紅白餅ではなく紅餅(迎春餅)。

-以上-

 本日は保存地区の最北端にある根古屋での昼食後に道の駅まで徒歩で散策。その途中、酒蔵交流館に寄って龍勢の酒粕(500円)を初(今年の冬)購入。(2023/12/30撮影)
#00

 道の駅のも豪華だったが、酒蔵交流館にも豪華な門松が飾られていた。
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 今回は「龍勢藤井酒造酒蔵交流館」の印が押された紙袋に入れてもらえた。
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#04

 マグカップに1枚半を千切って入れ、沸かした熱湯を注ぐ。
#05

 毎回、調理用の砂糖を小さじ1杯入れるのだが、あいにく砂糖が切れていて小さじ3分の1しか入れられず。
#06

 ダマが無くなるまでマドラーで混ぜる。
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 電子レンジに入れてガラス越しに覗きながら、グツグツと沸騰してきたら即取り出す。
#08

 再びマドラーで混ぜれば「龍勢の酒粕による甘酒」の出来上がり。
#09

 ブログのPCを準備をしながら一口すすってみると・・・不安的中。やはり砂糖の量足らずで甘さほぼゼロ。口直しにと剥いておいた「大長みかん」の甘さに完全に負けていた。今年の「大長みかん」は少雨のせいか小振りだが、逆に日照の多さで甘さが抜群と聞いている。明日は砂糖をタップリ入れて作り直しをする予定。

-以上-

 12月25日にジュンテンドーへ買い物に行く際、広島FMのニュース音声から「三原市」と「旧かんぽの宿 竹原」という単語が突然聴こえてきた。耳をすませ聴いてみると簡保の宿跡を大規模改築して5階建の宿泊施設(洋室タイプ)に改装するとのことだ。三原市との関係を聴き逃したのでネットで調べてみる三原市の企業が施設と土地を取得して改装し、2025年5月に宿泊施設を新規オープンすることが分かった。
 ならば年明けか年度明けから大規模な建物の解体が始まるはず。既に2021年に「かんぽの宿」跡を撮ってはいるが、その後どうなったかは確認していなかったので本日改めて撮影しておいた。(2023/12/29撮影)

 訪れてみた結果、建物の外観は特に変化なし。
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 「かんぽ宿」跡の場所は西野町の国道2号線から賀茂川沿いにある湯坂温泉郷へ。
#01
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 ホテル賀茂川荘の脇から更に西へ。
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 工事フェンスで囲まれた土地と建物が「かんぽの宿 竹原」跡である。なお、2021年時点でエレベータ機械室壁面の「かんぽの宿」文字は取り除かれていた。
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 そして「立入禁止」の看板にガムテープが貼られて既に日本郵政の管理ではなくなっていた。竹原市の管理となっていたのだろうか?
#05

 西側面から確認すると2階建の奥に3階建がある計5階建の構造。
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 正面からだと3階建の奥に5階建があるように見える。
#10

 そして玄関。
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 「かんぽの宿」看板があったエレベータ機械室。
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 大規模改修後の建物も5階建ということは、解体ではなく改装による工事が予測される。
#13

 これで「かんぽの宿」営業中(1999年撮影)、休業中(2021年撮影)、そして三原市の企業が取得した後の状態(2023/12/29撮影)が加わり、時間経過的な補間をすることができた。あとは改築中と完成の写真撮影で補完となる予定。

-以上-

 普明閣の御堂の格子から中を覗いたことがあるだろうか?普明閣の御本尊は眼下の守護堂(収納庫)へ安置されているので不在のまま。しかし、中央奥には仏様ではなく神社本殿の御神体のような銅鏡が祀られていることから写真撮影は控えてきた。そして上へ目をやると鮮やかで繊細なタッチの絵画が奉納されているのを見つけて2013年に初めて撮影。あれから10年以上経過したことから改めて格子越しに中を覗いて奉納画を撮影してみた。(2023//11/07撮影)

 これがその奉納画(右側の額)。正確には「奉献画」である。
#01

 この格子戸から中を覗くと右上に献奉画と正面に御神体?がある。以前には賽銭箱と半鐘から紐が吊るされていたが、いつのまにか撤去されていた。
#05

 
 その献奉画がこれである。朱色で後から書かれた「献奉」の文字が少々不気味。描かれた場所が竹原か否かは未だ特定できていない。
 この絵画、当初は描かれている場所が普明閣の境内かと思っていたのだが、拡大してみると水際付近のようで違うようだ。 西方寺の住職の話では先代住職の時代から既に飾られていたとのことで、 いつ頃のものか、何処が描かれ誰からの奉献なのかは全く分からないとのこと。
 一見、絵の雰囲気はかなり古い時代を感じさせるのだが、着物を着た女性が持つ傘が「蛇の目」ではなく洋傘に見える。 また、遠近法が使われていることから確実に江戸時代より後で、「奉献」の文字が右から左に書かれていることから昭和初期以前のものと推測される。(今年の調査報告会に出席できていたら特定できたかも・・・)
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 ちなみに10年前頃に撮影したのがこれ。当時使っていたカメラ&レンズとの差で色合いや解像度が異なる。(2013/01/03撮影)
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-以上-

 なぜだろうか、ラジオから山下達郎の「クリスマスイヴ」が一度も聴こえてこなかった12月24日(日曜)。さすがに門松は時期尚早かな?と思いながら町並み保存地区を散策してみたところ、一般民家に今年も昨年と同様の豪華な門松が飾られていた。一応、地区全体を巡ってみたのだが未だここ1件のみであった。(2023/12/24撮影)
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 昨年はクリスマス明けの26日に一斉に門松が飾られたが、今年の「明け」は来客や買い物で散策ができず、その翌日(本日)の夕方に車で保存地区へ立ち寄ってみた。(2023/12/27撮影)

 17時10分頃までは未だ明るかったのに、その10分後には真っ暗。暗闇の中に見えた門松は「まちなみ竹工房」と・・・
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 ヘッドライトをハイビームにして照らした胡堂の2箇所が確認できた。
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-以上-

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