大王市営住宅跡地が豪雨時の本川治水施設(遊水池か調整池)になるとのことで、小田山神社経由で訪れてみた。その跡地の様子については別途掲載とするが、久しぶりに小田山神社の側道を通ってみて気が付いたのが2点。それは扁額(神社名が彫られた額)が有る石製の鳥居が2基並んでいたことと、朱色鳥居が並ぶ途中に鳥居の模型が飾られたた祠が有ったこと。(2024/01/30撮影)
ここは私が竹小時代の遊び場だったが、石の鳥居が2基あったことに気が付いたのは何とこの日であった。
上市からのこの狭い路地(参道?)は、アニメ「たまゆら」では竹原西高校への通学路だったが、改めて通ってみると余りにも淋しすぎて真冬に一人では通り抜けるまで不安であった。
手前から見ると鳥居は1つに見えるが・・・
横から見上げればもう一つ有った。石を投げて鳥居へ載せていた記憶では一つだけなのだが・・・。
こちらが手前の鳥居(前鳥居)の扁額。「たけはらの神仏を訪ねて/著:神野勝」によれば、建てられたのは昭和17年。なお、正式名は「小田山正一位稲荷神社」である。
こちらが奥にある鳥居の扁額。建てられたのは明治13年とのこと。
なぜ2基の石鳥居が並んでいるのだろうか?ここは最上位の稲荷神社なので、先ずは朱塗りの木鳥居があるのが普通だが、石製それも2基並ぶのは竹原では珍しい気がする。
2011年頃に写真を撮りに訪れた際、ここの世話人が災害で倒れた朱塗り鳥居を解体・切断しており、新たな鳥居の寄進者を募られていたが、本数は増えず直立修繕に留まっているようだ。
鳥居のトンネルは「歯抜け」のまま。災害で倒壊していなければ「竹原の伏見稲荷」として観光スポットになっていたであろう。
先へ進むと・・・
小祠に気が付いた。
扉の前に朱塗りの鳥居の木製模型が置かれていた。この祠に気が付いたのもこの日が初めて。
狛犬(狛狐?)が阿吽の対になっているのかを再確認したいのだが・・・
ここの桜が咲き乱れる頃に境内を再訪してみたい。
-以上-
ここは私が竹小時代の遊び場だったが、石の鳥居が2基あったことに気が付いたのは何とこの日であった。
上市からのこの狭い路地(参道?)は、アニメ「たまゆら」では竹原西高校への通学路だったが、改めて通ってみると余りにも淋しすぎて真冬に一人では通り抜けるまで不安であった。
手前から見ると鳥居は1つに見えるが・・・
横から見上げればもう一つ有った。石を投げて鳥居へ載せていた記憶では一つだけなのだが・・・。
こちらが手前の鳥居(前鳥居)の扁額。「たけはらの神仏を訪ねて/著:神野勝」によれば、建てられたのは昭和17年。なお、正式名は「小田山正一位稲荷神社」である。
こちらが奥にある鳥居の扁額。建てられたのは明治13年とのこと。
なぜ2基の石鳥居が並んでいるのだろうか?ここは最上位の稲荷神社なので、先ずは朱塗りの木鳥居があるのが普通だが、石製それも2基並ぶのは竹原では珍しい気がする。
2011年頃に写真を撮りに訪れた際、ここの世話人が災害で倒れた朱塗り鳥居を解体・切断しており、新たな鳥居の寄進者を募られていたが、本数は増えず直立修繕に留まっているようだ。
鳥居のトンネルは「歯抜け」のまま。災害で倒壊していなければ「竹原の伏見稲荷」として観光スポットになっていたであろう。
先へ進むと・・・
小祠に気が付いた。
扉の前に朱塗りの鳥居の木製模型が置かれていた。この祠に気が付いたのもこの日が初めて。
狛犬(狛狐?)が阿吽の対になっているのかを再確認したいのだが・・・
ここの桜が咲き乱れる頃に境内を再訪してみたい。
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