安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年02月

 2月末に久しぶりに訪れた宿根町。目的は梅の花が満開と思われる梅林園であったが、途中に寄った「たたら遺跡」で時間を食って着いた時間が午後4時前となった為、晴天ながら西に傾いた陽射しが山肌を照らす時間帯を過ぎてしまい絶景の状態を観るには至らなかった。(2024/02/27撮影)

 場所は大井の国道から朝日山登山道をひたすら車で登り、山頂までのルートの半分程度のポイント。坂道から平坦になった集落の手前にこの看板が見える。
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 登山道から左折して狭い道に入ると左手に青いビニールハウスが並んでいる。
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 梅林園の範囲は分からないが、道沿いにも梅の樹が数10本程度植えられていた。ほぼ満開ではあったが、他の地区で観られる畑の梅と大差はない。
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 梅林園は左手の山肌にあるのだが、既に太陽は山肌を照らしてはおらず、薄暗くて広大な土地のどこに梅の花が咲いているのか分からず仕舞い。影になった梅林園は遠目の肉眼ではこんな感じであった。
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 以下はズーム撮影した梅の樹。
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 梅林園から大桜がある集会所の駐車場へ。その途中に並んでいる梅の樹も満開。こちらも陽射しがなくて写真を撮っても鮮やかさは皆無。
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 梅林園と「宿根の大桜」への見学路沿いの梅の樹は、日照が乏しいと鮮やかさに欠けてしまうので晴天の午前中がお薦めである。このところ週間の「天気予報」が「天気予想」になってハズれてばかりだが、竹原市の市花である「梅」の満開を楽しめるのは来週半ばぐらいまでだろうか。

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 新幹線の車窓から見える代表的な看板といえば「727」だが、昭和時代の呉線の車窓や道路からは布団綿のホーロー看板「✕✕わた」が多かった気がする。最も多く見掛けたのは「カクイわた」のホーロー看板で、風車を持つ赤ちゃんを背負った「ねんねこ袢纏(カクイ模様)」の女の子の絵が描かれているのたが、竹原市内を含めた周辺で最近は見掛けたことがない。
 その「✕✕わた」系のホーロー看板を高崎町中浦にある倉庫の壁に2枚見付けた。待望の「カクイわた」ではなく「クラブわた」ではあるが、個人的評価では昭和レトロ感たっぷりの産業遺産レベルのものである。(2024/02/24撮影)
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 電車の車窓からチラリと見える2枚。こちらのは踏切側から見える1枚で、線路の側道から見えるもう1枚は撮り忘れた。
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 「クラブわた」について調べてみると広島市にある山陽綿業株式会社のブランドであった。製綿業界では製品名に「綿」が付けば脱脂綿、「わた」なら布団綿と区別されているとの興味深い情報もある。
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 竹原で「わた」といえば榎町にあった「住田綿打ち店」(大成精肉店向い)。機械で布団綿を打つ音がしていたのを思い出す。

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 昨年夏のネットニュース記事で知った「宿根の大桜」の幹の倒壊。宿根を訪れるきっかけが無くて半年以上が経ってしまったが、満開の時期となった「宿根の梅林」の様子を観に行った際に思い出して立ち寄ってみたところ、集会所の駐車場からズームで眺めると末広状に4本に分かれて伸びていた幹が1本根元で痛々しく折れて倒れていた。(2024/02/27撮影)
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 未だ開花していない「宿根の大桜」は、駐車場からは肉眼では他の樹木と判別しにくい。
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 駐車場からでは周りの様子が分からない為、整備道を樹の下まで登ってみることにした。
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 菜の花は開花まで半分程度、大桜の満開時期と重なれば見事な春咲く花のコラボレーションとなる。
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 途中からもズームで確認。
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 「宿根の大桜」の看板へ徐々に近づいてきた。
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 倒れた幹の枝が上側の見学路を一部塞いでいる。
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 看板等には昨年春の満開時期から特に変った様子はない。
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 見学路を行ける所までぐるりと登ってみたが・・・・
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 途中から倒れた幹の枝が見学路を塞いでいた。
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 今年は満開時期が3月下旬かは未だ分からないが、これまでの景観とはかなり違ってくるであろう。実際に現地を何度も訪れてみないと満開クライマックスの「宿根の大桜」が観られないのがつらい。できれば昨年のように菜の花の満開と一緒に咲く絶景を観てみたい。
 なお、倒壊した幹は根元が腐朽せずに枝葉が残っていることから治療を今後も継続し、倒壊した幹の枯れた枝を除去して見学路の整備が予定されている。

 最後に満開までにそう遠くない菜の花畑、あと1ヶ月まで満開のままでいてくれると有難いのだが・・・・。
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 インドダイニング「ナマステ」が閉店したことを1ヶ月前に聞いて驚いたのだが、郵便局へ向かう際に店舗から少し離れた新町の専用駐車場の看板が外されていることに気付いてそれを思い出し、その脇道から店舗前に立ち寄ってみた。
 インド料理レストラン「マヤ」インドダイニング「ナマステ」になってから何度がランチで訪れているが、最近では昨年夏だったと記憶している。あの本格的なインドカレーとナンが、もう竹原では食べられないのが非常に残念である。(2024/02/23撮影)
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 本日の夕方は上市自治会による「神明祭」の打ち上げ。誠鏡の熱燗で酔ってしまって早く寝たいので小ネタ記事でサッサと済ませることにした。その小ネタとは郵便局の傍にある外灯に取り付けられたままの「イズミ」と「ヒツジヤ」のレトロな看板。(2024/02/24撮影)

 なぜか残されたままの懐かしい看板が2点。
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 「イズミ」の設置場所は竹原郵便局の横にある外灯柱。#01

 それも廃墟となってしまった「ゆめタウン竹原店」が「イズミ」の時代のものである。
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 まだ「イズミ」だった頃の懐かしい写真の中の1枚を載せておく。(1008/08/01撮影)
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 そして「ヒツジヤ」は竹原郵便局の交差点角にある外灯柱に設置されている。
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 「ヒツジヤ」自体は新町のアーゲード商店街なのだが、店舗跡には未だ看板が残されている。
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 同様に営業中だった頃の「ヒツジヤ」の写真も載せておく。(2004/05/05撮影)
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 懐かしついでだが、竹原郵便局の交差点には「モード大岡」の看板も残されている。

-以上-

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