安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年02月

 本日、お昼にお隣さんから「松屋の二重焼」を頂いた。先週も「2個」入りを頂いたのだが、平日でさえも店頭が焼き上がり待ちの車で混み合うのに、更に観光客も混ざる土曜日の昼間にどのような「技」を使って買われているのであろうか。この薄ら寒い真昼に熱い包み紙を手渡されたあまりの有難さに訊きそびれてしまった。(2024/02/24撮影)

 先週はいつもの白い紙袋であったが、今日のは初めて見る包み紙にくるまれていたので記事にしてみた。
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 これが頂いた直後にテーブルに載せた時の状態。あの見覚えのある子犬に「さばられる」熱い茶が入った湯呑を持った子供?のイラストが印刷されている。
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 包みを少し開いてみると「松屋二重焼本舗」の文字が現れた。
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 包み紙を開いてみたら、いつものあの白い紙袋に入れられていた。この包み紙は前から使われていたのか、それとも今週から始まったのか?手土産用にと指定すれば特別に包んでもらえるのだううか?
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 紙袋をちぎって拡げると二重焼が3個。
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 包み紙を平らに広げ伸ばしてみるとこんな感じ。
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 電子レンジで軽く温めた後にオーブントースターで僅かに焦げ目をつけると、外はカリカリ、中はアツアツの焼き立ての二重焼が自宅で再現できる。ご存じだろうか?二重焼には熱いお茶よりも珈琲がふさわしいのかもしれない歴史がある。
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 あの犬に「さばられて」顎を嘗められている子供のイラストは店舗のガラスに描かれている。(2021/11/16撮影)
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 さて、このイラストはいつ頃から店舗に描かれているのだろうか?「松屋二重焼」の変遷を辿ってみると、2015年末に旧店舗の窓ガラスは描かれていた。(2015/12/30撮影)
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 そして2014年GW帰省時に撮った際は描かれていなかったので、2014~2015年にお目見えしたようである。
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 念のため更に改修前の旧店舗も確認してみたがイラストなし。
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 さて、お分かりだろうか?なぜ二重焼には「珈琲」なのか?(1998/08/08撮影)
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 全く記憶には無いのだが、もしかしたら昭和時代の旧店舗横には「甘党の店 喫茶まつや」が併設されていたのだろうか?二重焼を食べながら珈琲を啜る時代があったのかもしれない。

-以上-

 2月始め頃だったか、長らく更地状態のままになっていた一冨士跡地(森川邸北隣り)に仮設パイプの建築物が造られているとの情報があり、もしかしたら「酔景の小庭」(広銀跡地)を観客席側とした「雛めぐり」のイベント用仮設ステージなのでは・・・とさっそく偵察。(2024/02/08撮影)
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 ・・・確かにステージ風だが、パイプ枠の開口部と屋根の傾斜はどうみても背面側。コンパネの床は薄過ぎるし、ステージには低すぎる二階の格子床が設けられている。どうみても東向きのステージというよりは西向きの何かの倉庫の骨組みであった。念のため「雛めぐり」の開催イベントを調べたが野外ステージ系は見当たらず。
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 それから5日後に再確認。やはり仮設倉庫か資材置き場にしか見えない。もしかしたら昨年末から始まっている森川邸離れ座敷の修理工事(主屋は通常開放)の一環ではなかろうか・・・。だが、工事名パネルなどは見当たらない。(2024/02/13撮影)
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 そして本日、その後の様子を再確認。折り畳み扉が設置されてその横に工事名パネルが掛けられていた。本写真では新町市営駐車場パネルに遮られて見えない。(2024/02/23撮影)
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 農協Pで引き返すため森川邸前を通ってみると塀の土壁と瓦が剥がされて工事の真っ最中。
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 昨年末から修理工事が行われている離れ座敷は外から見えないが、塀も修理工事の対象であった。
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 本日は森川邸内の喫茶も営業中。門前に観光客が訪れていた。
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 引き返して工事名パネルを確認。工事名は息継ぎしないと言えない長過ぎる「竹原市指定文化財旧森川家住宅離れ座敷保存修理工事(第1期)」。設計・監理は兵庫県加古川市の「神戸建築文化財研究所」、施工は宮大工の伝統と技術を創業から継承されている同県加西市の「株式会社 神田組」。文化財系の修繕・改修工事系となると専門職が携わっていることが分かった。
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 そしてあの仮設ステージではなかった建築物は瓦などを保管する資材置き場であった。また、あの外塀だが「修繕(見映えの化粧直し程度)」ではなく、瓦と土壁まで剥がしての作業レベルであることから「修理(壊れて機能を果たしていないものを復旧)」なのであろう。
 その土壁が剥がされて露わになった竹と縄で組まれた格子の長い塀に何かが物足りない。そうだ!あの消火器を入れた新町区の風情の有る赤い箱が取り外されているのだが、修理後には元の取付場所へ戻されるのだろうか。(2012/08/07撮影)
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-以上-

 これまで民家の隙間から普明閣がチラリと観えていたBOTANICAの駐車場跡。その民家が解体されて普明閣の全景が路上から眺められる状態となった。(2024/02/20撮影)
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 これまでチラ観えしていたのはBOTANICA駐車場(旧プリンス駐車場)があった場所。そのチラ観え写真は過去に撮った記憶は有るのだが、昨夜1時間もかけて探すも発見には至らず。民家の解体前と後での普明閣の観え方が並べられず本日の記事となった。重機の向こうにある土壁と瓦屋根は旧松阪邸であり、その更に向こうに普明閣と籠堂までの全景が観えるようになった。ちなみに松阪邸の庭からは近すぎて籠堂までは観えていなかった。
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 現在は貸店舗となっている旧BOTANICA(旧々Drew)の2階席からもこの全景が眺められたが、コロナ禍後からは2階席は閉鎖されたままになっていた。
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 この全景が眺められるのは期間限定か・・・現時点では分からない。

-以上-

 かかえ地蔵の枝垂れ梅に続いて訪れたのは本命の西方寺の枝垂れ梅。町並み保存地区内では最も美しく妖艶な容姿と咲き方ではなかろうか。それを鑑賞できる満開期間は一週間程度。大雨で散る前日に訪れみて正解であった。(2024/02/20撮影)

 ここは何と言っても朝日山を背景に写真が撮れるベストスポット。
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 山門脇なので本町通りからは見え難く、本堂へお参りせずに普明閣を目指すと絶景を見逃してしまう。
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 これ、この時季だけでも境内立入時間制限を解いてライトアップすれば、泊まりの観光客が普明閣と一緒に絶景を楽しめそうだ。
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 枝垂れが地面に届くほど長く、名所のような柵が無くて樹の真下へ自由に潜れるのが嬉しい。
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 西方寺の本堂を背景にすると風情ある写真になるし・・・
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 朝日山を入れれば「ここは竹原」であることを示せる。
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 花弁の落ち具合は満開状態。今日の大雨でこの倍以上に落ちるであろう。
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 最後は恒例のパノラマ撮影。トイレ脇からと樹の下から。
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 おまけ・・・ライトアップされればこんな感じだったかも。[加工写真]
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-以上-

 そろそろ保存地区内の梅が満開なのでは・・・と、本日は昼の天気予報で15時頃から大雨となっていたので、花を散らされる前に昼食を兼ねて憧憬広場の枝垂れ梅を撮りに出かけた。先ずは照蓮寺の境内にある梅の樹を観に寄ったが未だ三分咲き程度。そして竹工房の路地から修景広場へ入ってみると既に満開を越して散り始めていてギリギリセーフであった。(2024/02/20撮影)


 その後、梅の樹の脇から見えた「かかえ地蔵尊」へも立ち寄った際に撮ったベストショットがこれ。敷き詰められた梅の花弁と連なる地蔵尊のコントラストの差が「いかにも・・・狙って撮った」という感じになっている。
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 竹工房の裏へ入ると満開を過ぎて坊主になっている枝も多数。
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 地面は花弁の絨毯。
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 ここの枝垂れ梅は八重なのだが、「しだれ梅」品種としては赤系と白系の2色に対してそれぞれに八重と一重があるようだ。
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 以前に西方寺の枝垂れ梅で視たことがあるメジロは樹にはいなかった。その時はウグイスと勘違いしていたが、目の周りが白かったのでメジロだったことが分かった。調和がとれて絵になる例えに「梅に鶯、柳に燕」という諺があるが、どちらも実際には樹にはとまらないようで、どうせ「調和」を例えるなら「梅にメジロ、柳にドジョウ」のほうが何となく落語に出そうで面白いのだが・・・。
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 ひととおり撮り終えて脇の坂道に目をやると「かかえ地蔵尊」の枝垂れ梅も満開。
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 たしか、かなり前は「お抱え地蔵」と呼ばれていたはずだが、幟や看板は「かかえ地蔵尊」になっている。そもそも、この「お抱え地蔵」は昭和時代には存在すら知らなかった。
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 ・・・と考えながら大名谷地蔵に到着。
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 見上げれば見事な満開。いや、ここも散り始めてかなり経っている。
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 先ずは「大名谷地蔵」と「かかえ地蔵」へお参り。
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 どの枝を撮ればよいかを迷う程の花の数。
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 至近から撮るには樹の下へ行きたいのだが、手前の石段は枯木の幹に遮られて上がれない。
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 仕方なく御堂から降りて下の石段へ・・・。
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 半分程度上った時に「梅に鶯」ではなく「梅に御地蔵」といえる調和のとれた絵になる場面に遭遇。この時季の短い時期だけにしか撮れないショットであろう。
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 そして枝垂れ梅の樹の下へと潜ってみた。
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 レンズを近づけて数十枚を撮影。
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 合掌しながら「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ」を3回唱えてから西方寺の山門横にある枝垂れ梅へ。
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-以上-

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