今週火曜日は、半年間も訪れていなかった宿根町にある「梅林園」を訪れてから16時頃には下山して「竹すずめ」へ行く予定であったが、朝日山登山道の至る所に真新しい「東永谷製鉄所遺跡」への案内板が設置されていたことから、長らく崩落したままだった遺跡への橋が復旧してアクセス可能となっているのでは?と、その橋があった場所へ寄り道してみることにした。(2024/02/27撮影)
これは崩落前から道路脇に設置されていた案内板。

その案内板(黄矢印)がある場所の田圃が更地になっており、荒れていた西の川の護岸のコンクリート化工事も終わっていた。これまでは離合スペースの隅にしか車が停められなかったが、遠慮なく更地に停めることができた。


崩れていた橋は撤去されており、工事足場による仮設橋が架けられていた。

仮設橋はカラーコーンで塞がれていたが、各所に案内板が新調されていたし、特に立入禁止の看板は無いのでカラーコーンの間をすり抜けて渡ってみた。

段差を乗り越えて遺跡に通じる道?へ入る。

遥か彼方の中腹に看板があるので、たぶん遺跡はそこらにあるのだろう。


道は真っ直ぐ行って左へ曲がっていた。

埋もれて読めない看板・・・

曲がり角に次の案内板。

これは新調されていた。下側のは旧案内板。

曲がってみると石だらけで、まともに歩けない。

石だらけたに加えて、雨で緩んだ地盤に足を取られて進みにくい。

やっと、石ころが終ると道が左傾斜しているうえに枯葉に路面が埋もれて足が左へ滑る。




やっと、遥か向こうに見えた看板が目の前に迫ってきた。遺跡はもうすぐか?

右へ曲がると枯葉の道は更に登っている。



左側にフェンスがあるということは、やはりここが遺跡だろう。

フェンス内の隅にあの看板が見えたが、敷地内には何もない。ここは遺跡ではなかった。

更に山道を登るが、徐々に獣道になり始めた。

もう橋からは100m以上は歩いてきた。もしも雨が降った日の後だったら悪路で断念していた。

もう、こうなったら引き返せない。

次の案内板が見えた。

この石段を上がるようだ。


石段を上がり切ると枯葉で埋もれた道が更に続く。


その先に長浜や忠海で見覚えのある「教育委員会」の石柱。

どうやらこの先に待望の遺跡があるようだ。

一通り説明を読んでみた。「ビニールシートの上を踏み歩か無い・・・」「土面だけで何も見る事が出来ません・・・」

この看板に貼られたリーフレット、10年前頃の竹原帰省時にどこかで手に入れたものであった。
そのリーフレットの表面はこちら。

裏面はこちら。

そして石碑と石柱。

ここが「たたら製鉄所」があった「東永谷製鉄遺跡」である。


恒例のパノラマ写真を撮って下山。

「橋が直ったら試しに行ってみんさい。もしかしたら未だビニールが被されていて何も見えんかもしれんけど、観光スポットになっとるらしいけん、珍しい遺跡が観られるかもしれんよ。」 2年前に宿根の知人に言われたのを思い出した。
現在も埋められて保存状態となっていたので今回は実物が観られなかったが、図書館へ行けば写真入りの調査報告書が置かれているかもしれない。遺跡まで200mあることを忘れていて時間を消費してしまい、朝日山の山頂へも訪れたので自宅に着いたのが17時半頃、今週は「竹すずめ」でピザが食べられなかった。
-以上-
これは崩落前から道路脇に設置されていた案内板。

その案内板(黄矢印)がある場所の田圃が更地になっており、荒れていた西の川の護岸のコンクリート化工事も終わっていた。これまでは離合スペースの隅にしか車が停められなかったが、遠慮なく更地に停めることができた。


崩れていた橋は撤去されており、工事足場による仮設橋が架けられていた。

仮設橋はカラーコーンで塞がれていたが、各所に案内板が新調されていたし、特に立入禁止の看板は無いのでカラーコーンの間をすり抜けて渡ってみた。

段差を乗り越えて遺跡に通じる道?へ入る。

遥か彼方の中腹に看板があるので、たぶん遺跡はそこらにあるのだろう。


道は真っ直ぐ行って左へ曲がっていた。

埋もれて読めない看板・・・

曲がり角に次の案内板。

これは新調されていた。下側のは旧案内板。

曲がってみると石だらけで、まともに歩けない。

石だらけたに加えて、雨で緩んだ地盤に足を取られて進みにくい。

やっと、石ころが終ると道が左傾斜しているうえに枯葉に路面が埋もれて足が左へ滑る。




やっと、遥か向こうに見えた看板が目の前に迫ってきた。遺跡はもうすぐか?

右へ曲がると枯葉の道は更に登っている。



左側にフェンスがあるということは、やはりここが遺跡だろう。

フェンス内の隅にあの看板が見えたが、敷地内には何もない。ここは遺跡ではなかった。

更に山道を登るが、徐々に獣道になり始めた。

もう橋からは100m以上は歩いてきた。もしも雨が降った日の後だったら悪路で断念していた。

もう、こうなったら引き返せない。

次の案内板が見えた。

この石段を上がるようだ。


石段を上がり切ると枯葉で埋もれた道が更に続く。


その先に長浜や忠海で見覚えのある「教育委員会」の石柱。

どうやらこの先に待望の遺跡があるようだ。

一通り説明を読んでみた。「ビニールシートの上を踏み歩か無い・・・」「土面だけで何も見る事が出来ません・・・」

この看板に貼られたリーフレット、10年前頃の竹原帰省時にどこかで手に入れたものであった。
そのリーフレットの表面はこちら。

裏面はこちら。

そして石碑と石柱。

ここが「たたら製鉄所」があった「東永谷製鉄遺跡」である。


恒例のパノラマ写真を撮って下山。

「橋が直ったら試しに行ってみんさい。もしかしたら未だビニールが被されていて何も見えんかもしれんけど、観光スポットになっとるらしいけん、珍しい遺跡が観られるかもしれんよ。」 2年前に宿根の知人に言われたのを思い出した。
現在も埋められて保存状態となっていたので今回は実物が観られなかったが、図書館へ行けば写真入りの調査報告書が置かれているかもしれない。遺跡まで200mあることを忘れていて時間を消費してしまい、朝日山の山頂へも訪れたので自宅に着いたのが17時半頃、今週は「竹すずめ」でピザが食べられなかった。
-以上-