安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年05月

 先日、倉庫の再整理中に「開かずのダンボール箱」から十数枚のLD(レーザー・ディスク)が見つかった。その中に紛れていたのが、この角川映画『時をかける少女』(PIONEER PILD-1063)である。お宝的?な価値を決める帯は無いが、そもそもレーザー・ディスクの再生装置自体がこの世から忘れ去られてしまった媒体なので買い取り価格は送料にも満たない代物になっていた。

 発売日は1991年11月15日なので、これを購入したのはその年末頃であろうか。購入店は外装ビニール袋から秋葉原の石丸電気であり、当時に自宅で使っていたPCがWindows3.x という遠い昔である。

 表面側がこれ。
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 裏面にはダイジェスト的なショット、キャスト(出演者)と制作スタッフが列記されている。
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 LDはCDやDVDとは違って、レコード同様にA面(SIDE1)とB面(SIDE2)がある。本LDにはSIDE1に映画本編、SIDE2に本編続きと、劇場用特報及び予告編が収められている。価格は税込4841円で両面の再生時間104分、なぜか音声はモノラルである。
 
 ディスク径はLPレコードと同じだが、サイズ感が分かるようDVD版の『時をかける少女』と一緒に並べてみた。ちなみにDVD版は2003年夏に購入したものである。
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 倉庫には未だ「開かずのダンボール」が数個あり、その中にVHSビデオに葬られてしまったベータマックス版の『時をかける少女』が眠っているはず。LD版の購入よりも更に昔の1980年代に買ったものだが、発掘次第、本ブログで紹介したい。
 なお、LDとベータを再生するプレーヤーだが、いつか蘇生を願って冷凍睡眠的にどちらも倉庫に1台眠っている。LDプレーヤーはローディング機構が壊れていて皿をつまんで出し入れしていたのが20年前頃。ベータプレーヤーはACアダプタを紛失しており、30年間は電源すら入っていない。もうどちらもオイルとゴム類が劣化して動かないであろう。

 言い忘れていたが、角川映画『時をかける少女』は大林監督の尾道三部作の2作目である。実はDVD版の購入時から未だオマケの部分しか鑑賞していない。 オマケには、劇場予告、15秒TVCM、原田知世ストーリーのダイジェスト、フォトギャラリー、ロケ地マップ、監督所有台本、監督インタビューが入っている。
 ロケ地マップでは監督自らマップを見ながらエピソードを語るがメインは「尾道」であった。 このロケ地マップは実際に尾道で配布されていたものだが、何度再生してみても竹原エリアは載ってないし、 フォトギャラリーにも竹原関連は一切無し。 西方寺・堀川醤油・胡堂・照蓮寺の霊柩車・普明閣境内・竹原消防車・増森邸・竹尾原道・・・なぜ出てこない。 少し悲しくなって、再生停止ボタンをそっと押したのを忘れられない。

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 「的場の磯辺を散策(前半)」の後半は的場西海水浴場(ぼら網)手前からの遠景撮影。既に18時を過ぎていたが、日没までは未だ未だであった。(2024/05/28撮影)

 先ずは的場の磯辺と竹原外港の遠景。ちなみに「磯」と「礒」は「岩や石がゴロゴロ」を意味しており、海の岸辺が「磯辺」で川の岸辺が「礒辺」となるようだ。よって「礒辺旅館」や「礒宮八幡神社」は川に因んだ名称ということになる。
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 打ち寄せる波はフェリー航行によるものだけで殆ど夕凪状態。
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 吉名町宗越辺り。
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 碇島と宗越の鼻との中間見える小島の名が未だに分らない。方向的には津久賀島なのだが、碇島よりはかなり遠いので、このコントラストの濃さにはならないはず。
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 しばらくすると朝日山に太陽光が射し始めた。
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 手前の山々(大井)の光る輪郭も幻想的。
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 朝日山頂上に僅かに残るキリ。
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 この斜めに射し込むビームは雨上り後の夕方によく見られる景色。
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 曇の隙間から太陽が覗きそう。

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 対岸の明神から伸びる光の帯が出始めた。
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 明神の灯台。
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 夕方の竹原の波といえばこれ。ここに釣舟が浮かんでいれば映えるのだが・・・。
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 最後に大崎方面を撮って撤収。
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-以上-

 昨日、町並み保存地区経由で帰宅中、「憧憬の広場」の前を通り過ぎた際にいつもとは違う光景が目に留まった。広場へ入ってみるとあのマッサン&リタ銅像の光沢が強烈に増していたのである。(2024/05/28撮影)
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 本銅像を初めて撮ってもらったのは建立直後の2015年の6月頃。その頃の光沢よりも増しているようだ。
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 「竹まつり」の数日後に広場前を通った際、出入口からチラリと見えたのがリタ像の椅子を掴んでしゃがみ込んでいる人の姿。その際は怪しい?撮影者かと思って視過ごしたが、あれは銅像を磨き込んでいた作業者だったようだ。
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リタの頬やマッサンの背広の光沢もツヤツヤ。
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 後ろへも回ってみたがマッサンの指先まで磨き込まれていた。背面から撮っている際に広場に入ってきたチャリダーに視られてしまった。怪しかったに違いない。
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 吉名町の海光神社前にある「池田総理胸像」では修繕された時の銘が座台に嵌め込まれていたが、本銅像では特に明記はされてはいなかった。銅像を磨くレベルでは「修繕」という程ではないのかもしれない。
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 以下からは今年の「竹まつり」で撮ったマッサン&リタ銅像である。ご覧の通り、艶光は殆ど無い。(2024/05/03撮影)
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 背広や頬はガサガサ。
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 あの、マッサン狂騒曲から約10年が経ってしまった。竹原ではウヰスキー「竹鶴」はもう手に入らない。初めて竹鶴政孝を旧HP記事にしたのが 2001年だった。あの時、近所の酒屋で買ったのが「竹鶴12年」、飲み終えても瓶を取っておけば良かった。

-以上-

 昨夜の竹原市のヤフー!天気予報は午前2時頃が大雨、朝方までには雨があがって日中は晴れであった。しかし、朝方目覚めてカーテンを開けてみると大雨。再度、天気予報を確認すると15時から晴れになっていた。ならば、久しぶりに晴れた的場の突堤でのんびりと過ごそうと待つこと10時間。14時には雨はやんだが寒空の曇天のまま。結局、晴天の的場はあきらめて曇天の突堤を訪れた。(2024/05/28撮影)
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 平日の18時前でも、的場公園の防潮堤の前には車が数台。寒かったのか、防潮堤の上にカセットコンロを置いて鍋をつつく者がいて遠巻きにビックリ。
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 砂浜には誰いなかった。
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 反対側の突堤には釣り人が数人。
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 突堤の先端からパノラマ撮影してみたが曇りではつまらない。
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 そうしているうちに、こちらの突堤にも釣り人がやってきたので退散。
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 引き潮だったので、久しぶりに磯辺を歩いてみることにした。
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 遥か向こうにも釣り人が一人いたので散策範囲は限られる。
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 潮溜まりにハゼやフグがいないか探してみたが一匹も見つからず。
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 やはり、沖のフェリーの航行には惹かれてしまう。
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 考えてみれば大崎へは観光がてらで一度も訪れた事が無い。大学生時代に契島へはバイトで通っていた。
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 ここに居た釣り人と路上ですれ違ったが外国人であった。
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 この辺りの潮溜まりにも魚介類は見当たらず。
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 よく見ればイソギンチャクが水中で揺れていた。
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 この後、重苦しい黒の隙間から夕陽が覗きはじめたので、キリが残る朝日山や明るくなった明神を撮ることにした。後半へ続く・・・。

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 国道185号吉名駅入口の交差点にある益吉呉服店の店頭展示が「端午の節句」から「夏の装い」へ変わっていた。朝顔をモチーフにした涼しげな柄の白い浴衣と青い鼻緒の黒い下駄。一緒に飾られている鮮やかな紅色の花の絵画は朝顔だろうか。これまでは気に留めていなかったが、暫しの信号待ちにて季節の移り変わりが楽しめるのが嬉しい。(2024/05/27撮影)
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 夕方なので写りは悪いが信号待ち時に益吉呉服店の陳列窓が見える。
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 今週末はもう6月、浴衣のシーズンは6月から9月までらしいので今週始めの展示入れ替えであろうか。

-以上-

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