安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年05月

 毎年、忘れていて観る時期を逃している「ホタルの里」だが、小梨町で開催されてきた「おなしホタルまつり」は今年は中止となったようだ。小梨町での今年の見頃がいつなのか分からないが、夜中にあの「酷道」を走る勇気は無いので、ならば比較的夜中に走り易い仁賀町ダム下流の「ほたるの里」はどうであろうか?来週末頃からが見頃なのかを、今年は忘れずに常連鑑賞者へ聞いてみなければ。
 小梨町「ホタルの里」と仁賀町「ほたるの里」の看板で、ふと思い出したのが東野町在屋のどこかで見掛けた「在屋かいこの里」の看板。本日は夕刻となってしまったが、その看板の在り処を見付けたので撮っておいた。(2024/05/26撮影)
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 その場所は東野町の国道432号にある信号「水の口橋西詰」を左折。
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 あとは道なりに進むだけ。
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 しばらく走ると公園らしき敷地や墓地が見えてくる。
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 徐々に道が狭くなって鬱蒼としてくると・・・
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 右手に一瞬、薄れかけた白い看板が目に留まる。
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 ここを右折した先に有るようだが、ここから先は私道風である。
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 この看板には桑の葉と蚕の幼虫の絵が描かれている。
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 既に17時を過ぎているので展示館であれば閉館しているであろうし、一旦、先へ入ってしまうと袋小路で抜け出られない可能性があることから、今回は看板の撮影のみとした。
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 更に直進して「ト字」路を右折して在屋神社側へ戻る際に、先程の看板がある路地から抜け出られそうな道を見つけた。私道かは分からないが通って見れば良かった。
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 さて、この「在屋かいこの里」だか、何かの記念的建造物があるのか、この辺りが養蚕業で栄えていた場所なのか、ネットで調べた限りでは「ふれあいサロン」が定期的に開かれている「場所」がある事だけは分かった。

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 今年の3月に開催された「障壁画プロジェクト」の3作品だが、障壁画完成披露展で鑑賞したのは無料開放の旧上吉井邸に展示されていた襖絵「竹原神明図」のみ。他の2作品である屏風絵「祝福の小径」と「竹原波涛図」は旧松阪邸内(入場料300円)であったが、5月の「竹まつり」では「竹原波涛図」が頼惟清邸に臨時展示されていたので鑑賞することができた。(2024//05/03撮影)

 これが頼惟清邸の奥座敷に展示されていた屏風絵「竹原波涛図」。ちなみな「波涛(はとう)」とは単に「大波」を意味するようだが、竹原沖の瀬戸内海の波であることから何かの例えや含みがありそうだ。
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 普段は NIPPONIA HOTEL竹原製塩町に展示されているのだろうか。床浦(宮床)、長浜、的場と吉名の海岸をモチーフに、日の出から日没までの瀬戸内海の時間の流れが屏風4枚に分けて表現されている。
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 屏風の下に飾られている4種のオブジェも作品である。
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 作者と作品についての詳細は以下のプレートを参照。
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 本作品においては作者が波打ち際を端から端まで素足で歩いた音と、竹の葉による波の擬音が流れているとの解説が書かれていたのを鑑賞時に見落としてしまった。頼惟清邸での展示当時に流れていたのか否かは、今となっては邸内は極めて静かだったような気がする・・・との記憶しかない。

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 このところ、西条方面へ移動していると新庄町の神田バス停辺りで10人程度が地面を深く手堀している光景を見掛けていた。場所は国道432号バイパス工事の始点ポイントなのだが、テントが張られ他の工事区間とは異なって重機による作業をしていない。この様子は既視感があり、小早川神社の本殿近くで行われていた「城ノ本遺跡発掘調査」を思い出した。そして昨日は長い溝と石積みがチラノと見えたことから遺跡発掘調査であることを確信。そこで本日夕方にその現場を訪れてみることにした。(2024/05/24撮影)

 付近に車を停める場所が無く、車で賀茂中辺りをウロウロ。遺跡発掘ということで予想はしていたが、作業を終えた後でブルーシートを覆って遺跡が保護されていた。
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 かなり離れた場所から徒歩で訪れてみると、発掘現場は神田(じんでん)であった。いかにも遺跡が出そうな地名である。横断歩道を渡って遺跡発掘側へ移動。
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 白いテントの向こう側にブルーシートが敷かれている。
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 発掘現場の脇に看板が置かれていた。
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 遺跡名は「神田遺跡(じんでんいせき)」。事業名は「城ノ本遺跡」の「一般国道432号改事業(竹原バイパス)に伴う発掘調査」とは若干異なるが、調査機関は同じであった。
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 調査の期間は来年1月末までの予定であり、それまでこの付近のバイパス工事は延期となるのだろうか。
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 本発掘調査についてはテレビ・ラジオでは聴いてはいなかった。ネットで調べると本調査機関の埋蔵文化財調査室サイトのニュースにて「神田遺跡(竹原市新庄町)」が紹介されており、ここも小早川氏に関連する遺跡の可能性があるとのことだ。現時点ではそれ以外は見つからなかった。

-以上-

4月から新たな移動図書館「わかたけ4号」の運用が開始された。最初に新車両の存在を知ったのはNHK広島のニュースで、その夕方に図書館で車両を目撃。その後、これまで大型だった旧車両「わかたけ3号」を見掛けなかった狭い道路で新車両とすれ違うこともあった。
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 図書館で目撃した新車両「わかたけ4号」。(2024/04/04撮影) 
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 これまで「わかたけ3号」が来ていた大井地域交流センターに新車両が登場。(2024/04/11撮影) 
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 旧車両となった「わかたけ3号」を最後に撮影したのは電発のイベントだった。(2023/11/12撮影)
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 旧車両は「お別れ会」を終えて南アフリカ共和国へ譲渡されることになったようだ。

 「わかたけ3号」の前には「わかたけ2号」が存在していた。これは竹原市役所の駐車場に置かれていた車両で、この頃は「わかたけ1号」と「わかたけ2号」があり、2台で巡回しているものと勘違いしていた。(2000/01/09撮影)
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 「わかたけ2号」に代わって新たな「わかたけ3号」を最初に撮ったのは2012年。この頃も1~3号で巡回していると勘違いしたままだった。(2012/08/07撮影)
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 「わかたけ3号」が走り出してから「わかたけ2号」を全く見かけなくなったことで、もしや「3号」とは「3代目」のことでは?と思い始めたのはこの頃だった。(2014/12/29撮影)
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 そして「わかたけ4号」がお目見えしたことで新車両へと代わる毎に「号」が+1となることが分かったという次第。

-以上-

 長い間、工事が行われていた「竹原市保健センター」の白い防塵・防音幕が取り除かれていた。この建物の外壁には普明閣が描かれた巨大なブロンズ風の壁画があり、もしや保健センターの改修工事にて白い幕の内側で壁画が剥がされてしまうのでは・・・と心配していたが、玄関側からぐるりと裏側へ回ってみると嬉しいことに壁画は健在!特にどこがどう変わったか、それとも何も施されなかったのか、これまで至近で鑑賞したことが無かったので特に変化は分からなかった。(2024/05/21撮影)
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 昨年頃から行われていた健康センターの工事内容は特に調べてはいないが、全般的な改修工事と思われる。
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 これまで気が付かなかったが・・・
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 外壁はエンボス加工風の「竹やぶ」。今回の改修によるものか、以前からあったのか。 
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 裏側へ回ってみると壁画には特に変化なし。 
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 外壁が清掃されたのだろうか。以前よりもブロンズ感が増したような気もする。下には照明設備があるので夜中に再訪してみたい。  
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 壁画のど真ん中に電柱があるので普明閣側へ。
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 右脇には「たけのこ」も彫り込まれているが、普明閣の臨場感を味わいたいのでカット。

 斜めからは西日を浴びると凹凸が強調されて良い感じ。
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 真正面からはのっぺり感。
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 こんな目立たない場所に竹原市の代表的な建造物の壁画はもったいない。

-以上-

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