安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年05月

 町並み保存地区にある「せんべい本舗黒田」、今ある部材が尽きると廃業されるとのことだったが、「竹まつり」が終った翌週からは店舗が閉まったまま。扉に「お知らせ」等の貼り紙も貼られる事無く、一時的な閉店なのか廃業されたのかの確証が得られないままであった。(2024/05/21撮影)

#07
#06

 先ずはこれが「忠孝巌煎餅」。今年の「竹まつり」で買ったものは暫く未開封としたいため、前回買った際に撮った写真で包装袋と煎餅の表裏を掲載。

 これが包装袋。金色の市章に「忠孝巌煎餅」と書かれている。
#08

 煎餅の表には「忠孝巌」の焼印。
#09

 裏面には竹原市の市章が模られている。
#10
 
 そしてこれが廃業されていた証しとなる「商売道具」。店主がこれまで使われていた煎餅の焼き型と焼印である。保管されているのは店舗のはす向かいにある「竹すずめ」で、GW後に廃業された際に店主から受け渡されたもの。本日、「竹すずめ」を訪れた際に撮らせてもらいブログ掲載の承諾も得ている。
#01

 これが煎餅の焼き型(焼きごて)。
#02

 開くと煎餅の裏面に竹原市の市章が彫られていた。
#03

 これが「忠孝巌」の焼印。これを火であぶって焼き上がった煎餅の表面に押し当てる。
#04
#05

 この焼き型と焼印があれば「忠孝巌煎餅」を再現できそうだが、肝心の焼き型へ流し込む生姜味の生地のレシピや焼き加減が分からない。特に生地に何度も塗り込む液の生姜と砂糖の調合割合も秘伝といえよう。ちなみに「忠孝巌煎餅」は登録商標(登録更新が続く限り知的財産権が有効)されている。

-以上-

 先週訪れた際は疎らに咲いていた特定外来生物「オオキンケイギク」が、今年は更に群生が増えて満開となっていた。群生している場所は西小からハチまでの賀茂川の西側土手沿い。一見カレイでキレイに見えるのだが、派手過ぎる強烈な帯状の黄色は逆に恐怖を覚えてしまうほどである。竹原市では令和3年頃から呉線沿いに群生が始まり、瞬く間に賀茂川土手沿いにも広がり始めているように感じている。最近では国道の歩道沿いや放置された田畑にも群生化の兆候が見えてきている。来週辺りからは長浜辺りの呉線沿いが満開になるであろう。(2024/05/20撮影)
#00

 皆実橋辺り。
#01

 西小側の土手に入ってみると・・・。
#02

 西側の土手全域の半分程度に群生していた。 
#03
#04
#05
#06

 数輪程度でもドギツイ。 
#07

 まだ蕾が残っている場所もあるようで、咲いた花が枯れては咲く繰り返しが始まっている。
#08

#09
#10
#11
#12
#13

 日本全域の生態系を狂わせるオオキンケイギクの群生に加えて、今年はオレンジ色のケシ系の花を見掛けるようになった。先週視たニュースで報じられていたのがそれで、現時点では特定外来生物には指定されていない外来生物「ナガミヒナゲシ」とのこと。未だ疎らだが咲いている場所はオオキンケイギクと同じエリアのようだ。

-以上-

 自転車で散策中に竹原自動車学校の出入口を過ぎた国道沿いにある「竹とり家」の看板が外されていることに気付いた。GW前の真昼に何かの工事が行われており、店頭のガラスに貼り紙が貼られているのを運転中に見掛けたが、その工事は看板撤去で貼り紙は「閉店のお知らせ」だったのかもしれない。いつ頃の閉店で看板がいつまで有ったのかは分からず仕舞である。(2024/05/14撮影)

 いつのまにか赤い看板が取り外されていた。
#01

 GW前に見掛けた店舗前ガラスの貼り紙はもう無い。
#02

********

 最近撮った写真を即探し出せず、2年前の夏に撮った営業中の写真がこれ。(2022/08/21撮影)
20220821a

 続いて見付けたのがこの写真。ここは2010年末まで「創菜うどん」だったようだ。(2010/12/31撮影)
20101231a

 飲食店には無関係と思われる「パッチワーク」・・・。「創菜うどん」と併設だったのか、それともガラス面を宣伝用として貸していただけなのか。のちの「竹とり家」だった頃から現在までは同様に竹原自動車学校の合宿ポスターなどが多数貼られている。
20101231b

 写真中央の貼り紙を拡大してみたら「本日をもって、閉店致します。・・・」。「創菜うどん」は2010年12月31日で閉店だった。
20101231c

-以上-

 修景広場の奥に有る「竹の風ぐるま」の集合体(1面)は、風が吹いても風向きが悪いと全く回らないこともあり、そのオリジナル版は辛抱強く待つことが多かった。それを改善しての設計なのか、「竹まつり」の「憧憬の広場」に展示されていた「竹の風ぐるま」のオブジェは三角柱で3面の集合体となっており、どの方向から風が吹いてもどこかの面が心地よく軽快に回ってくれていた。
 この「竹の風ぐるま」オブジェは「竹まつり」限定なのだろうか?翌日にオリジナルのある修景広場も訪れてみたが、どちらの広場にも置かれていなかった。何処かへ仕舞われているのか、解体されてしまったか、それとも単に見落としてしまっただ:けなのか・・・。(2024/05/03撮影)

 先ずはマッサン像側から。
#01

 正三角形3面の三角柱になっていた。
#02

 北側面。山側から撮るのは忘れてしまった。
#03


 撮影者が映り込んでいない一瞬の間だが、わずかな風でも激しく回る様子を動画(高速度撮影120FPS)で撮ることができた。

安芸の小京都 竹原 081 令和6年 たけはら竹まつり 竹の風ぐるま(2024 05 03)


-以上-

 前回、竹原市歴史民俗資料館を訪れたのは1997年帰省時の「竹まつり」。その頃は祭り両日が無料開放だったが、今回の「竹まつり」では有料(200円)。前回観た際に祖父が作っていた製塩用の桶や、胡堂の旧扉なとが所狭しと展示されていたので、それを再び観られるのでは?と受付で入館料を払って有料ゾーンへと入ってみた。(2024/05/03撮影)
#01

 2階への階段の裏に受付があった。
#03

 受付がある壁の奥と2階は有料ゾーン。手前は主に「マッサン」関連の展示コーナーであった。
#04

 受付で受け取ったのは「竹原案内」の小冊子と、領収証代わりなのか「竹原市歴史民俗資料館」の文字と写真が印刷されたシート。
#02

 展示物は前回観た物とは一変。1階には製塩業と酒造業の資料と製塩所の模型に変わっていた。また、2階は古墳の出土物が博物館風に展示されていたと記憶。あの古美術商の館のような思いで溢れる身近な実物の展示物を観る事はできなかった。

 手前のフリー・ゾーンでは「マッサン」関連の掲示物があり、ストロボ禁止で実物資料の撮影は可となっていた。
#05

 各所にある観光ガイド冊子も棚に多数置かれており、日本語版・英語版・中国語版と韓国(語)版の減り具合が、ここを訪れている観光客の割合に比例していそうだ。
#06

 次は町並み保存センター前で行われていたエレクトーン演奏へ。
#07
#08

 有料ゾーンでの掲示物や展示物の撮影は敢えてしなかったが、開かれていた鉄扉から普明閣を撮影。窓の下は「憧憬広場」と「マッサンとリタ像」が見える。
#10

 電柱向こうに見える三角屋根が普明閣。
#11
#12

-以上-

↑このページのトップヘ