安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年06月

 本日6月30日は礒宮八幡神社で残り半年間の無病息災を祈願する「夏越祭」が開催された。18時から宮司が参列者を引き連れた「茅の輪くぐり」で始まり、続いて拝殿内にて神事が行われ、そのあとに境内にて悪運を移し取った人形・車形を焼く「お焚き上げ」が行われた。昨年は大雨の中での開催であったが、今年は「お焚き上げ」の終了まで天候に恵まれて無病息災を無事祈願することができた。(2024/06/30撮影)
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 神社到着は17時半頃。参拝者は未だ数えるほどであった。
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 手水舎にて体を清めた後に、受付にて人形・車形及び初穂料を納めて祈願セット?を頂いた。
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 神事開始の18時までは未だ時間があるので・・・
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 混雑前に「茅の輪くぐり」を済ませておくことにした。
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 今回は神社本庁の「茅の輪くぐり」の仕方に従ってみた。
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 茅の輪の正面にて先ず一拝。続いて輪をくぐって左へ回って正面に戻り一拝。
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 今度は輪をくぐって右へ回って正面に戻って一拝。
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 最後に輪をくぐって左へ回って正面にて一拝して正面へ抜けた。くぐる度に唱える詞は憶えられなかった。
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 そのあとは拝殿にて参拝(二拝二拍一拝)。
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 宮司が下の境内へ。
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 併設の七小祠へもそれぞれ参拝(二拝二拍一拝)。
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 参拝を済ませて下の境内を見ると長蛇の列。慌てて石段を下りて最後尾に並んだ。
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 この列は宮司先頭による「茅の輪くぐり」と神事が行われる拝殿への列となる。
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 長蛇の列による横8の字の「茅の輪くぐり」は大混雑。
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 その後、神事が行われる拝殿に希望者が移動。なお、拝殿内での写真や動画撮影は神社マナーの違反なので行わなかった。
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 神事が終って茅の輪の横のテントにて「お焚き上げ」が行われた。
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 参列者か納めた全ての人形・車形が祝詞が唄われながら焚き上げられる。
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 今年の「夏越の大祓い」は無事終了。
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 以下は受付にて頂いた祈願セット?の中身。封筒の中身はお焚き上げ中に唱える「大祓詞」、「夏越の大祓い」についての解説、撤饌は梅茶、夏越守護札とミニ茅の輪である。
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-以上-

 飾り付けの始まりが本日の午前からか昨日以前かは定かでないが、午後2時に近末側からのアーケードにチラリと青い吹き流しが見えたので、仕事帰りに竹原駅前商店街を竹原駅側口から2度通ってみた。(2024/06/29撮影)

 未だ完成状態ではなく、雨にぬれても崩れないビニール製吹き流しが先行して飾られているようだ。祭り当日まで残りの1週間の間に願い事が書かれた短冊を吊るした笹がアーケードの柱などに結い付けられるであろう。

 先ずはベストショットの1枚。モード大岡跡の更地辺りにて風に吹かれる吹き流し。
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 竹原駅側のアーチ跡から走行スタート。夕暮れの撮影なので色合いが微妙。
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 左手は「行天」辺り。
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 モード大岡跡地辺りを過ぎて・・・
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 ・・・いわせ書店跡辺り。
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 オリオン三叉路を左折して・・・
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 ・・・鉄板人辺り。
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 マツイのシャッター画辺り。
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 その先のイマイチ。
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 そして最後は青鈴辺り。
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 30分先でさえも降雨の予想が見事にハズれてしまう雨雲レーダー(Yahoo!無料版)泣かせの竹原の天気。降らないはずの降雨にスマホ画面を眺め直すよりも、帰郷して4年も暮らしていると朝日山にかかる霧の具合だけで1時間先程度なら降雨予想ができるようになってきた。
 さて、明日は「夏越祭」、来週の火曜日は竹雀での「津軽三味線演奏会」、土曜日はこの「七夕まつり」を満喫したいのだが、笹が有れば七夕の短冊に「七夕まで朝日山が霧に隠れませんように」と書いて吊るしてみたい。

-以上-

 竹原港の灯台、目の前を通り過ぎるフェリーを観に春に訪れてみたかったが、平日でも灯台下?を釣り人に独占され見送っていた。なぜか今回は誰一人おらず、新明神橋を越えて灯台下へ直行。(2024/06/25撮影)
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 普段なら突堤の途中や灯台下に、釣り人が常時居座っているため近寄れなかったが、珍しくがら空き。
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 灯台をフェンスで閉鎖されたせいもあるが、過去記事を探ってみると突堤の先端へは2年以上訪れていないようだ。
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 恐る遅る自転車で・・・長い突堤の先端へ。
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 到着、曇天ではあったが風も吹かず穏かな午後だった。
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 下を除くと旧堤防の名残りか、大潮の干潮時で石積みの一部が海面から覗いていた。釣り人が居ないのは釣れない潮位だからであろうか。
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 このフェンスが無ければ灯台にもたれてくつろげるのだが。。。
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 釣り人が中へ入れないようにか、フェンスは鉄壁のガード。
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 先ずはパノラマ撮影。
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 新明神橋の先には三井の煙突。
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 グッド・タイミングで北崎のフェリー乗場からフェリーが出港。塗装色から大崎汽船のようだ。
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 灯台前をフェリーが至近で航行する様子を眺められたのは久しい。
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 大崎上島の白水へ向かう。
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 滞在時間は10分程度。停泊中のフェリーが出港しないので戻ることにした。
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 いつのまにか突堤の根元のコンクリ上に釣り人が立っていた。何度も振られる釣竿の合間をぬって突堤から脱出。

-以上-

 礒宮八幡神社で毎年開催(6月30日)される「夏越祭」に先行して、本日(6月27日)に拝殿前境内へ巨大な「茅の輪」が飾られた。(2024/06/27撮影)
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 今年の「夏越祭」のポスターを初めて見たのは6月8日だった。先週末頃から何度も「茅の輪」が飾られていないか立ち寄っていたが、昨夕までは未だであった。(2024/06/25撮影)
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 「夏越祭」まで一週間を切ったが、石段上には何もない・・・。
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 そして本日午前中、手水舎の傍で「茅の輪」が造られている光景を目撃。本日午後には社殿前に飾られている事を期待して再度夕刻に訪れてみた。(以下は、2024/06/27撮影)
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 「茅の輪」が有った!
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 近くまで寄ってみたかったが、今年も「夏越祭」の神事へ参加するので「茅の輪」をくぐるのはその時までとした。
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 毎年、輪の傍に置かれている「茅の輪のくぐり方」パネルは未だであろうか。
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 本日午前中、この手水舎の左横で「茅の輪」が造られていた。
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 「夏越祭」ポスターは昨年を上回る至る所で多数目撃。毎年の神事には数十人程度が社殿内に訪れているが、本日から数日間は「茅の輪」が飾られたままなので、あと半年間の無病息災を祈願しに訪れることができる。事前に「人形(ひとがた)」と「車形(くるまがた)」を奉納しておけば更なる祈願への効力が有るであろう。
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 これは事前に我が家へ届いた「夏越祭」の参拝セット。「人形(ひとがた)」と「車形(くるまがた)」に住所氏名・年齢、車のナンバーと住所を記入して悪運を移しておき、初穂料を添えて受付へ提出すると、玄関に飾るミニ茅の輪と礒宮の神札が入った封筒と、神事後の「お焚き上げ」中にあげられる祝詞が書かれた紙が貰える。
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 礒宮での「茅の輪」くぐりの作法だが、輪の正面で先ず一礼をして左側巻にくぐって戻り、再び一礼をして今度は右巻にくぐり、最後に一礼をしてから正面に抜け出る「横8の字」的に2回くぐるよう案内されていた。神社によって異なる場合があるようだが、「茅の輪」のくぐり方は、更に左巻にくぐる「横8の字」+「左巻」の3回くぐりが一般のようである。加えて輪をくぐる際は左巻では左足から、右巻では右足で跨ぎ、最後の正面抜けは左足でくぐる作法もある。また、くぐる最中の唱え詞にも3回それぞれ決められているようで、調べれば調べる程に難解である。最後に神社本庁の「茅の輪」のくくり方を参考までに以下へ転記しておく。
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六月の大祓を夏越なごしの祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形ひとがた(人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪ちのわを神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。
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 人形によってこれまでの半年間の穢れを祓って、茅の輪をくぐって残る半年間の無病息災を祈願するのが「夏越の大祓」のセットのようだ。 

-以上-

 明神から皆実町へと抜ける県道にて湊神社の横脇を通る最中に、左手の山肌に石燈籠が十数基並んでいる光景に驚いてしまった。ここは確か4月上旬頃に重機が入って工事中だった場所。桜が咲いていて近隣住民(明神自治会)の憩いの場所が造られているようだと聞いていた。石燈籠群で思い出したのが、2年前の記事「湊神社の参道に並んでいた石灯籠群」で紹介した仮保管場所(売物件)からの移転先であるが、初期に移転された礒宮ではなく、元々有った湊神社の傍に無事還されていたのであった。これにより、湊神社に残されている10基と、その至近に20基が戻されて計30基の石燈籠が揃ったことになる。(2024/06/25撮影)
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 明神の湊神社からアヲハタ竹原工場方面へ向かう県道の途中、燈籠群が見え難いが湊神社の左脇である。
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 逆方向からなら燈籠群が見え易い。
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 左端から10基。
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 更に続いて10基で隣りの湊神社の10基を含めて全30基となった。
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 燈籠群下の敷地内に解説パネルが設置されていた。
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 拡大してみると竹原の製塩業の歴史著書である『塩が育んだ文化の町 竹原 増訂版』(著:竹原郷土文化研究会)に書かれていた内容と、石燈籠に彫られている寄進年号と寄進者の一覧であった。
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 そして気になるのがこの石柱。どこかで見た記憶が有るのだが、ハネ上げ式の旧明神橋の礎か可動側を吊る重しだったのか、橋の近くに放置されていた石柱かもしれない。(吉名町小泊の移転元に横たわる石柱と思われる写真
 解説パネルには石柱について書かれていないが、頭上には春には桜が咲き乱れ、背後には石燈籠が並んだ住民の新たな憩いの場所にはベンチが必要。そのベンチの役目を果たしているのであろうか。
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 右脇には移設協賛者の石碑。
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 最後に全20基をパノラマ撮影してみたので拡大して数えてみて欲しい。
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-以上-

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