安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年06月

 昨日、「七夕まつり」のポスターを竹原駅前商店街へ撮りに行く予定だったがあいにくの雨天。そこで本日の夕方に訪れてみると「イマイチ」の店頭に2枚のポスターが貼られているのを見つけた。他の場所にも貼られていないかを「あいふる」を2周巡ってみたが見付けられず。アーケードの影ができて綺麗に撮れないが仕方ない。(2024/06/10撮影)
#02

 貼られていのはここ。「イマイチ」のガラスに同じポスターが2枚。
#01

 拡大して日影部分を消し去って完成。
#00


 最後の赤太字の「And more・・・!」が意味深だが、単に「など」を英訳しただけなのかも。

 これまでイベント名は「たけはら七夕まつり」だったが、本ポスターにはなぜか「たけはら」が無い。もしかして恒例とは別のイベントなのか観光協会の公式サイトで確認すると「《令和6年度 開催決定》令和6年度たけはら七夕まつり」と「たけはら七夕まつり」が書かれて開催日と場所が同じであったので、単に省かれていたたけであろう・・・・いや、ポスターをよく見なおせば小さく短冊に「あいふる316 令和6年 たけはら」と書かれていた。

 昨年はイベント当日前までに、国道沿いの要所?へ縦看板が:並び、アーケードに七夕の飾り付け、竹原駅ロータリー側に横断幕、駅前商店街の近末側・オリオン三叉路(日本橋側)と駅側入口に垂幕が、そして7月5日の自治会回覧板へチラシが入る・・・という変化があった。

 昨年は15時スタートだったが、今年は17時スタートなので、仕事と重なって観られなかったイベント等が今年は観られるかもしれない。あとは、また雨に祟られないよう祈るだけ。

-以上-

 本日は竹原駅前商店街の「七夕まつり」開催ポスターを撮りに行く予定であったが、午後になっても断続的に雨が降り続いていたので断念。そこで前から掲載予定であった「イマイチ」で親が買ってくれた昭和レトロなアイテムを3点紹介することにした。

 その3点とは地球儀、デジタル式目覚し時計とプログラム関数電卓。
#01

 本日、駅前を訪れていれば「イマイチ」のガラスに「七夕まつり」のポスターが貼られていたのかもしれない。(2024/05/28撮影)
#13

先ずは地球儀。私の竹小入学祝いにと親が1966年に勉強机と一緒に買ってくれたものと思われる。サイズはサッカーボール程度。その当時は木製の勉強机と地球儀に鉛筆削り(手回型)が三種の神器だった。
#02

 アルコ NO.10 で奥村越山堂。この「NO.10」は製造年だろうか。発行に刻印された「7」と「12」は地図の更新月日なのか・・・・ネットではどちらの意味も探せず。 
#03

 世界地図では日本は赤塗りのイメージがあるが黄色塗りだった。なぜか広島だけ「ヒロシマ」と書かれている。大韓民国や朝鮮人民共和国という表記や竹島も書かれている。
#04

 地球儀の昭和レトロさを表すのに一般的に先ず思い付くのが「ソ連」の有無であろう。昭和製なのでもちろん「ソビエト連邦」がある。 
#05

 東ドイツの表記についてもそうだが、なぜかドイツとしか書かれていなかった。
#06

 私が思い付く昭和レトロの国名は象牙海岸だ。赤字で「コートジボアール '60.8.7」と書かれていた。
#07

 
 2つ目のアイテムはカシオ製のデジタル置時計。1982年の就職祝いに買ってくれたものだ。メロディが鳴る目覚し時計で、入社以来20年以上は目覚しに使用していた。今でも動くが文字が欠けてしまって読めない。製品名は「DA-101」で1982年製。
#08

#09
#10

 3つ目はカシオのプログラム関数電卓 FX-502Pである。これは大学2年頃(1979年)に実験授業で関数電卓が必要となった為、親に無理を言って買ってもらった高額製品。当時としては珍しかった関数や実行手順などが255ステップ分プログラミングできるので、何度も繰り返す必要がある多量のデータ処理の計算が、予め処理を組んでおくことで「答えイッパツ」であった。手操作なら数時間もかかる100個の最小二乗法データ計算が、なんと誤操作なくデータ入力のみの数分間で結果が出せる優れものだった。

 買ってもらって45年も経つのに電池を入れたらまだ動いた。
#11

 上部に外部インタフェース端子があり、オプションの土台へ電卓を挿し込むとテープレコーダへプログラムをセーブ/ロード(保存/読出)できた。また、楽譜を数値にしてプログラム・データとして打ち込むと、電子音でメロディを鳴らすこともできた。
#12


 これから梅雨に入ると「ネタ探し」は主に「時をかける倉庫」となりそうだ。

-以上-

 そろそろ礒宮八幡神社の掲示板に今年開催の「夏越祭」ポスターと説明が張られているのでは?と、夕方に訪れてみたところ予想的中!昨日昼前は未だ神社本庁のポスターのままだったので、貼り替えられたのは本日と思われる。礒宮にこのポスターが貼られると町内各地の掲示場所にも新たなポスターの掲示が始まり、夏越祭への誘いの参拝セット封筒が常連の参拝家庭に届けられる。(2024/06/08撮影)

 掲示板には「夏越祭」の解説と毎年同じデザインのポスター(縦型)が貼られていた。
#01

 訪れたのは午後5時半頃。あの青色のポスターが目に留まった。
#02

 拝殿前に「茅の輪くぐり」の「茅の輪」が作られるのは、毎年、開催日の1週間前後なので、さすがに未だであろう。
#03
 
 当然だが、茅の輪は無い。
#04

 掲示板の解説はもう読むまでも無いが、祭礼(神事)は毎年6月30日18時から開始と厳格に決まっている。土日に合わせて日程を変える軟弱な祭りではない。
#05

 このポスター(縦型)には横型もあり、横型は上市や日本橋などで見掛ける。
#06


 祭礼が過ぎてポスターが剥がされ始めると、掛町中心には「住吉まつり」のポスターがお目見えし、いよいよ夏の到来となる。竹原は未だ入梅さえも出ていないが、7月から半年間の無病息災を願って御祓いを受けるのが「6月の夏越(なごし)の祓い」である。

-以上-

 『時をかける少女』のレーザー・ディスクに続いてベータマックス版を倉庫から発掘した。それと同時に『世界一 東京タワー』のパンフレットが出てきた。まさに我が家の倉庫は「時をかける倉庫」なのである。(2024/06/06発掘)

 これがそのベータマックス版のビデオテープとパンフレット。
#01

 ビデオテープのケース表面。左下の赤丸内に「ひろ子&知世サイン入りセルフブロマイド付」と書かれているが、ケース内には何も無かった。ちなみに「ひろ子」とは薬師丸ひろ子である。1980年代の微かな記憶では、角川映画全盛当時、職場の同僚に原田知世ファンがいて、生写真風のブロマイドをあげてしまったと思われる。
#02

 テープ側面。未だレンタルビデオ屋よりも映画メディア店でビデオテープが並べられ売られていた時代に購入。たぶん、のちにレーザーディスク版(税抜4700円)を買った秋葉原の石丸電気のはずである。陳列に海外・国内映画の作品がこのように縦に並んでいた。価格を見てビックリ、未だ消費税5%など無い頃で14800円もしていたとは・・・。1980年代は本給よりも残業代のほうが高かった徹夜連続の若かりしエンジニア時代だった。
#04

 テープ裏面。角川臭のするデザインだ。角川文庫版『時をかける少女』も倉庫のどこかに未だあるはず。角川映画『時をかける少女』を観てから筒井康隆の全作品にはまるきっかけとなった。
#03

 テープ自体は筒型ケースの底からスライドして取り出す。これはNHKも採用していたソニーの高画質技術満載の「β仕様」だったが、いつのまにか画質よりも録画時間優先のVHSに喰われてしまっていた。
#05

  ラベルにも作品の詳細が書かれていた。
#06

 続いて発掘中にテープ類の隙間からスルリと出てきたのがこのレトロのパンフレット。いつどこで手に入れたのか思い出せない。きっと、高校時代の修学旅行であろう。

 パンフ表側を展開。
#10

 内側には東京観光地図。
#11

 
 各々のページを載せてみた。新宿に高層ビル群があることから、映画「三丁目の夕日」からはかなりの時間が経過している。
#12

 東京タワーは電波塔。
#13

 3階に「ろう人形館」あり。入ったことは無いがエルビスブレスリーの人形があったかも。
#14

 この時代・・といってもパンフの発行年が分からないが、電波塔としては世界一だった。
#15

 4階ショールームは知らなかった。最後に東京タワーを訪れたのは息子を連れての2006年頃だった。
#16

 特別展望台は未踏。「お願い」の文章からやはりこのパンフは東京タワー内にて配布さてれたものだろう。
#17


 
 最後に角川映画版『時をかける少女』のキャッコピー(宣伝文句)は「いつも青春は時をかける」であった。倉庫のかび臭いビデオの束の隙間から時空を超えタイムリープして出てきた?このパンフは私の青春時代の頃に発行されたものに違いない。

-以上-

 前回、東幼稚園跡を訪れたのは 2020年の2月下旬だった。帰郷まであと1ヶ月を切ったというのに、まだ実家のリフォーム工事が終っていない臨時帰省時に自転車で黒浜~大石~北崎までを散策。あれから4年が経過したが、的場へ行く際に同じルートを辿ってみた。(2024/05/28撮影)

 この辺りの旧区名は東大石。長らく休園状態だったが2020年4月1日に廃園となった竹原市立東幼稚園。その廃園直前の4年前は建物が何かの作業所として利用されていた。今回の再訪では正門?側からの外観は特に変わった様子は無さそうであった。
#01

 門横のゴミステーションは巨大化。
#02

 この辺りは野良猫だらけになりつつあるのだが、東幼稚園跡でも3匹を目撃。
#03

#04
#05

 園庭側へ回ってみたが園庭は以前同様に閉鎖はされてはいなかった。
#06

#07

 卒園生にとっては、このような絵画も懐かしいに違いない。
#08

#09
#10

******
 西幼稚園跡はいずれ解体されるであろうが、この東幼稚園跡はこのままなのだろうか?これまでの帰省時に撮ってあった写真を探して並べてみた。

 先ずは未だ東幼稚園に園児がいた頃。(1999/08/08撮影)
19990808a

 2009年正月には窓内側がスダレやブルーシート覆われていた。この頃には既に休園となっていたのであろうか。(2009/01/02撮影)
20090102a


 その夏には建物内に雲梯などの園庭に有った遊具類が保管されていた。(2009/08/06撮影)
20090806a

20090806b


 園庭で花火をする輩がいるのか「花火禁止」のパネルが追加されていた。(2011/01/03撮影)
20110103a

-以上-

↑このページのトップヘ