安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

2024年06月

 電動自転車で的場を訪れた際に、このところ違和感を覚えていた国道カーブにある「広島大学 竹原ステーション(水産実験所)」の看板を至近で確認してみら、これまでの高い支柱に取り付けられていた看板が撤去されて新たな大看板に取り替えられていた。(2024/05/28撮影)

 旧看板の写真がスグに探し出せないので 今回はGoogle Mapでここを観て欲しい。昨年8月に撮られた写真には「広島大学 竹原ステーション(水産実験所)」と書かれた看板があったが・・・
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 この新たな看板は支柱ごと取り替えられていたことが分かった。見ての通りもうどこにも「竹原」の文字は無い。
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  元々、「広島大学 竹原ステーシヨン(水産実験所)」と書かれた看板へ変わる前は・・・
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 シンプルに「広島大学 水産実験所」であったようだ。(1999/01/03撮影)
19990103a

 
  「竹原」成分が消された新たな看板の周囲を見回していると石の土台を見つけた。

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 ここに何が有ったのかだが、旧々看板の写真を探していると・・・
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 ここに小祠が有ったことを思い出す写真が見つかった。キッチンママの看板右下に小さな祠が見えるだろうか?(1999/01/03撮影)
19990103b

 この小祠を『たけはらの神仏を訪ねて/著:神野勝』で調べてみると「平国神社(俗名:恵美須神社)」であった。本書掲載の写真(2005年4月6日撮影)は既に土台のみになっており、明治元年8月に建てられて御霊を勧請し、その後、消失したことで廃社となったと書かれていた。よって、私がこの祠を撮った1999年正月から2005年の期間に焼失したことになる。
19990103c


 旧看板「広島大学 竹原ステーシヨン(水産実験所)」の写真も探せば有るはずだが、もう探す気力と体力は無い。

-以上-

 昨夜、自治会の会合の帰りに、ライトアップされた普明閣を至近で撮りたくて町並み保存地区をさまよってしまった。(2024/06/03撮影)

 これが撮れた写真の中のベストショット。
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 先ずは西方寺を上がって・・・しかし、20時前では山門は参拝の門限を過ぎていて潜れない。
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 他に至近で普明閣が観える場所を探したが、町並み保存地区エリア内では見つからず。旧BOTANICA駐車場なら真正面から普明閣の全景が観えるのだが、厳密にはそこは町並み保存地区エリア外であり、さほど至近でもない。
 他に路上から至近で普明閣が観えるポイント・・・・と言えば1ヶ所を思い出した。西方寺石段の入口に戻って、旧吉井邸の防火用水槽脇に立って眺めると、ライトアップされた普明閣が観えた!
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 ここ以外に路上から至近で観られる場所が何処かに無いものだろうか?もちろん町並み保存地区エリア内に限る。

-以上-

的場の磯辺を散策した際に、西海水浴場へ渡る渚橋が鮮やかな朱色に塗り直されていた。これまで色には注目していなかったが、塗られたのは2020年末に撮った写真と比べると過去3年間の間である。(2024/05/28撮影)

 先ずはこれが現在。
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 これが3年前。潮風に晒されて赤さびていた。(2020/012/08撮影)
20201208a

 西側の突堤でくつろぐつもりであったが天気予報が外れて景観が芳しくない。 
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 誰もいなかった突堤へ釣り人がやってきたので退散。
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 その際に渚橋(この時は橋名と河川名が思い出せなかった)が鮮やかな朱色になっていることに気付いた。
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 塗装面の真新しさから、ここ数年間に塗り直されたようである。
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 河川名は「仮屋谷川」。
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 橋梁名は「渚橋」であった。
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 もしも竹原に因んだ演歌かフォーク・ソングが作られたなら、歌詞に出てきそうなアーチ型の「渚橋」。
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 国道側から流れてくる仮屋谷川。
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 流れ出るのは的場の渚?
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 的場公園側から橋を渡れは的場山の三鬼神社へ続く「恋のさんぽみち」が始まる。
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 「渚橋」の平仮表記は川が濁らないよう願う「なぎさはし」と思いきや、なぜか「なぎさばし」だった。
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 ならば「仮屋谷川」の平仮名表記が「かりやたにかわ」なのだろうか?だが、こちらも濁りまくって「かりやだにがわ」。たしかに「賀茂川」はどこの橋も「かもがわ」と書かれていたような気がする。ゲン担ぎなら橋名も河川名も濁点無しのハズと思っていたが違ったようだ。
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 よく見れは欄干だけでなく橋桁も塗り直されていた。
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-以上-

 自転車で訪れた的場の磯辺散策から帰宅する際に、何となく竹原化学工業の裏にある防潮堤沿いに寄り道をしていた。時刻は18時22分、急に厚い雲の隙間から夕陽が覗き始めたので自転車を脇に停めて引き潮の内港を覗き込んでみたところ珍しく係留船は1隻のみ。カメラを構えると辺りが徐々に明るくなり始め、穏やかな海面には黄金色の夕陽の照り返しが現れ、暫しの幻想的な光景となったので数枚撮影しておいた。(2024/05/28撮影)

 これがその中のベストショット。(約1分間の絶景)もちろん朝日山と煙突があるからこその絶景である。
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 撮影場所は港町の竹原化学工業(竹原工場)の裏側の防潮堤路。
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 何となく西の空が明るくなってきて・・・
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 海面に夕陽の照り返しが現れた。
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 雲の隙間からも夕陽が覗き、辺りはまるで絵画のような光景に。
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 その1分後には完全に太陽が覗いて黄金色は完全消滅。
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 セブンイレブンの駐車場から抜け出て国道へ戻った。
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 竹原に戻って長らく暮らしていると、このような一瞬の海の絶景にも徐々に慣れてしまい、年に1,2度帰省していた頃の感動は約4年で半減。この絶景を撮ってからセブン裏へ向かう際に、スマホで海の写真(動画かも?)を撮っているコンビニ客がいた。そのカメラを向けた方向には朝日山や三井の煙突は無い。

-以上-

 薄暮の19時半を過ぎた頃に『ホタルの里』がある(あった?)仁賀小へ出発。国道2号の仁賀入口から県道333号を走って、仁賀小入口を過ぎた石戸方面への分岐道から仁賀地域交流センター前に降りた。その区間、対向車とは1台もすれ違わなかったが、賀茂川に架かる橋を渡ろうとしたら仁賀小方面へ向かう車3台が通過。20時前に仁賀小をを目指す車の目的は、勿論、私と同じ「ホタル」の見物である。(2024/06/01撮影)

 当初、賀茂川を飛び交うホタルを撮る予定であったが、暗闇での撮影は素人には到底無理。仁賀小までのガードレール沿いには重装備のカメラマニアが数人。ヘッドライトを照らしての通過で申し訳なかったが、消すわけにもいかず前の車列に続いてダム下の駐車場に停めた。既に枠には20台以上は並んでおり、暗がりを歩いて仁賀小手前の河川敷へ。
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 徒歩の最中に手で払う程にホタルが飛んでいる光景を期待したが1匹もおらず。次から次へと訪れる車列のヘッドライトで蛍の光など見えず。仁賀小校庭前にも縦列駐車を試みる車が数台。
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 ・・・これはもう撮影どころか鑑賞も無理。仁賀ダム上流に住む親戚へ電話してホタルの飛び具合を聞いたが、殆ど見ていない(見慣れて気にしていなかった?)ようで場所の移動は諦めた。
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 暗がりの河川敷から恐る恐る川面を覗くと、1分間に1~3匹程度のホタルの光が見えた!LCD画面が煌々と光るデジカメやスマホで撮るのは、ホタル観賞ではマナー違反なのでLCDを消して慣れないビューファインターで撮ってみたが、緑の点が1つ写る程度で撮影は諦めた。
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 試しに30秒間シャッター開放で撮ってみたが何も写らず。田畑に無数のホタルの光が軌跡を残すような幻想的な撮り方は、明るいうちから定点で待機していないとダメらしい。(昼間と夜中で撮った写真を合成?)
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 20分程度、肉眼でホタル観賞した後に、仁賀小プール手前にあったホタルの解説看板を思い出して訪れてみた。時折り訪れる車のヘッドライトを浴びながら到着。撮った写真を帰宅してから確認すると看板前に立つ妖怪?が撮れていた。これはヘッドライトを背に浴びた私の影だと思われるのだが・・・。どうみても鬼太郎に出てくる妖怪やベム・ベラ・ベロの類にしか見えない。
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 今回、仁賀小で観たホタルの光は、全く明滅しないものや3秒程度の周期で明滅するものであった。解説パネルにはこの辺りの賀茂川に棲むのは「ゲンジボタル」と「ヘイケボタル」だと書かれていた。

 ホタルの観賞は約20年ぶりだろうか。ニッカ柏工場の開放デーだったと思うのだが、社員食堂に暗幕が張られて網の中で飛び交っていた。自然の中で飛ぶ光景を最後に観たのは1970年頃の自宅付近だった。

 結局、予想通り写真撮影は失敗に終わったが、梅雨前に生で飛ぶホタルが観れたのは幸いであった。

-以上-

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