明神から皆実町へと抜ける県道にて湊神社の横脇を通る最中に、左手の山肌に石燈籠が十数基並んでいる光景に驚いてしまった。ここは確か4月上旬頃に重機が入って工事中だった場所。桜が咲いていて近隣住民(明神自治会)の憩いの場所が造られているようだと聞いていた。石燈籠群で思い出したのが、2年前の記事「湊神社の参道に並んでいた石灯籠群」で紹介した仮保管場所(売物件)からの移転先であるが、初期に移転された礒宮ではなく、元々有った湊神社の傍に無事還されていたのであった。これにより、湊神社に残されている10基と、その至近に20基が戻されて計30基の石燈籠が揃ったことになる。(2024/06/25撮影)

明神の湊神社からアヲハタ竹原工場方面へ向かう県道の途中、燈籠群が見え難いが湊神社の左脇である。

逆方向からなら燈籠群が見え易い。

左端から10基。

更に続いて10基で隣りの湊神社の10基を含めて全30基となった。

燈籠群下の敷地内に解説パネルが設置されていた。

拡大してみると竹原の製塩業の歴史著書である『塩が育んだ文化の町 竹原 増訂版』(著:竹原郷土文化研究会)に書かれていた内容と、石燈籠に彫られている寄進年号と寄進者の一覧であった。

そして気になるのがこの石柱。どこかで見た記憶が有るのだが、ハネ上げ式の旧明神橋の礎か可動側を吊る重しだったのか、橋の近くに放置されていた石柱かもしれない。(吉名町小泊の移転元に横たわる石柱と思われる写真)
解説パネルには石柱について書かれていないが、頭上には春には桜が咲き乱れ、背後には石燈籠が並んだ住民の新たな憩いの場所にはベンチが必要。そのベンチの役目を果たしているのであろうか。

右脇には移設協賛者の石碑。

最後に全20基をパノラマ撮影してみたので拡大して数えてみて欲しい。

-以上-

明神の湊神社からアヲハタ竹原工場方面へ向かう県道の途中、燈籠群が見え難いが湊神社の左脇である。

逆方向からなら燈籠群が見え易い。

左端から10基。

更に続いて10基で隣りの湊神社の10基を含めて全30基となった。

燈籠群下の敷地内に解説パネルが設置されていた。

拡大してみると竹原の製塩業の歴史著書である『塩が育んだ文化の町 竹原 増訂版』(著:竹原郷土文化研究会)に書かれていた内容と、石燈籠に彫られている寄進年号と寄進者の一覧であった。

そして気になるのがこの石柱。どこかで見た記憶が有るのだが、ハネ上げ式の旧明神橋の礎か可動側を吊る重しだったのか、橋の近くに放置されていた石柱かもしれない。(吉名町小泊の移転元に横たわる石柱と思われる写真)
解説パネルには石柱について書かれていないが、頭上には春には桜が咲き乱れ、背後には石燈籠が並んだ住民の新たな憩いの場所にはベンチが必要。そのベンチの役目を果たしているのであろうか。

右脇には移設協賛者の石碑。

最後に全20基をパノラマ撮影してみたので拡大して数えてみて欲しい。

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