No.2020.01.01

 年が明け令和2年となった。いつもならこの時間は礒宮八幡神社で初詣の最中だが今年は自宅で録画した番組を見ながら記事を書いている。竹原で暮らしていた頃は元旦といえば明治神宮のコント55号と芸能人かくし芸大会が楽しみだったが、今回の年越し前後に録画していた番組は早送りで観るまでもなく消去ボタンとなるものばかりだった。絶唱ではなく絶叫、短いフレーズ繰り返し、抑揚の激しいナレーション、ぶつ切りと巻き戻し、効果音と文字の埋め尽くし、恒例ではなくマンネリだったりで平常時のワイドショーやバラエティと何ら変わらないもの。やはりどの局も番組制作の発注先が同じ会社なのだろう。正月を感じさせてくれるのは、年明け直後のさだまさしのトーク番組のみとなってしまった。

 それに月が替わったせいなのか未修復の1ヶ月前の過去記事の画像欠落が始まっているので再び修復作業が必要となってしまった。まだ試行中だがこの「はてなブログ(無料版)」はログ(履歴記録)として使えないことが確定した。また新たなブログ探しを始めなければならない。

 さて、帰省していない以上、新たな除夜の鐘や初詣の写真は無い。ごそごそと探していたら古い雑誌「観光と産業 たけはら」(ブレーン企画:昭和57年)にこれを見つけた。今更だが、いつ頃の写真なのかご存じの方はいないだろうか。写真の文章「当社」が「ブレーン企画」なのか「当神社」なのかはもう分からない。


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「観光と産業 たけはら」より


  ちなみに礒宮における旧本殿前の記念写真だが、本殿らしきものが写る写真は以下ぐらしかない。石段に立つ私の後ろにあるのは本殿ではなく本殿手前の門であり、この門の開口から先に微かに見えている屋根が本殿と思われる。現在の本殿前の境内には昔は大きな柱の立派な門が有って、ここでかくれんぼなとして遊んでいた。現在の礒宮は鉄砲水で流された後に再建されたものだが、この門が再現されなかった経緯にも興味あるところだ。新旧共に本殿には普明閣のような欄干があるので門との違いは分かり易い。

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 冬の帰省時には必ず礒宮へ初詣に行くのだが、徐々に活気が薄れてきていると感じる。賽銭箱への高額投入を告げる太鼓の音の数、晴れ着姿の群れの数、破魔矢の本数、結ばれたおみくじの数、鳥居まで連なる家族連れの数、そして場を盛り上げる露店商のテント列数。これらの数による初詣の賑わいは2011年を最後に急降下している気がするのだが、以下はその2011年元旦の初詣の様子である。

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 ついでに2012年から2019年の様子も見比べて欲しい。天候や時間帯によっても客の数は違うだろうが、訪れる毎に「あれっ?」と感じている。もうすぐバーチャル神社へバーチャル初詣をして、バーチャル賽銭箱へバーチャル賽銭をリアルでペイする時代が到来するであろう。

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