No.2019.12.28
#01,#10:中電寮(198x年撮影)
#02:憧憬の広場(2018/01/01撮影)
これら3枚の写真を見比べて欲しい。1,2枚目は80年代後期頃に普明閣境内から歴史民俗資料館辺りをフィルム撮影したもので、3枚目はそれから20年以上が経過したものである。2枚目が分かり易いが歴史民俗資料館とは中央のレトロな薄水色の建物で、昔はここが図書館であった。その歴史民俗資料館の手前にある2階建のアパート調の建物が中電寮である。その中電寮が3枚目では無くなっており、現在ここはマッサンとリタ像のある「憧憬の広場」となった。その経過が分かる写真をセレクトしてみた。
1,2枚目の写真は生活感が感じられるカーテンのかかる中電寮だが、次の4枚目の2002年撮影写真には無い。壁には足場が掛けられて年明けには解体が始まりそうであった。
#04:中電寮解体中(2002/12/31撮影)
そして年明けの春、中電寮は解体されて更地となっていた。まだ中電寮の門と塀は残っており、竹のアーチと竹のハードルが設置され、5月3,4日の竹まつりでは全国小京都物産展の会場として使われたのである。
#05:解体完了(2013/04/28撮影)
#06:中電寮更地(2003/05/03撮影)
それから3年後の2006年には中電寮跡地の門と塀が「憧憬の広場」の看板と古風な塀に変っていた。
#07:憧憬の広場(2006/01/02撮影)
そして憧憬の広場にマッサンとリタ像が建ち、その1年後には看板へ「竹鶴政孝&リタ像(Bronze Stature Masataka & Rita)」が追加された。
#08:マッサンとリタ像(2015/08/09撮影)
#09:憧憬の広場に追加(2016/08/06撮影)
以上が20年以上にわたる中電寮跡地の変貌である。普明閣境内からの眺めには中電寮に変ってマッサンとリタ像の後ろ姿がある。今更だが気が付いたがことがある。池田勇人像は生まれ故郷の吉名へ向きが変えられたが、マッサンとリタ像は竹鶴酒造(生家)と桑原医院付近(実家)に背を向けている。
#03:中電寮跡地(2016/08/08撮影)
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