2019.11.30
#a01:鮮魚センター(2011/12/30撮影)
この本川通りにある古い建物、写真を見ただけで「ああ、あれねっ!」と分かる地元出身者はどのぐらいいるのだろう。昭和生まれの竹原育ちならば本川通りにあった「魚屋(さかなや)」か「魚市場(うおいちば)」と言えば思い出すに違いない。
ここが使われなくなったのはかなり前だが、手描きによる伊勢海老、たこと鯛が描かれた看板だけが長いあいだ残っていた。その看板には正式名の本川中央魚市場 鮮魚センターも書かれていた。私か好きな竹原の看板ベスト3に入るもので、ベスト1がこの2枚の手描き看板である。どちらも同じに見えるが、1枚目は本川通の東西に面したもので、2枚目は南北のものである。文字の有無やデザイン、鯛の位置、たこの向き、どれも手描きなのである。この写真はもう魚市場として使われなくなった時代2006年のもので褪せや錆が激しい。
#a02-03:鮮魚センター看板(2006/01/02撮影)
続く写真3枚はその2年前の2004年、魚市場として使われていた最後の頃の看板である。午後だったので客はいなかったが朝9時台ならば様子は違っていたかもしれない。ここで直接買わなくても、手押し車で売る街の魚屋さんがいたし、ここ以外にも竹原町内には2,3件の魚屋や市場もあり、スーパー内にも鮮魚コーナーは有った。
#a04-06:鮮魚センター看板(2004/05/05撮影)
僅かだがその街の魚屋さんの貴重な写真がある。1枚目は新町(住吉橋から100m西辺り)と2枚目は田中(竹小第一校庭)付近で撮ったもの。欲しい魚が無くても注文しておけば翌日持ってきてくれるし、魚をさばくのが苦手か面倒であれば、世間話をしながらその場でしごう(おろしたり鱗やドブを取る)もしてくれる。残った頭や骨は味噌汁に使えるので持ち帰るし、ドブなどば捨てずに足にもぐれてくる野良猫にやることもあった。昭和の時代はこれが竹原の街の日常の様子であった。
#a08:街の魚屋さん(1999/05/07撮影)
2004年頃からは街の魚屋さんを見かけなくなり、代わりに軽トラでの販売に変っていたようだ。
以上、時を遡る順で写真を紹介したが、鮮魚センターの様子が分かる最古のものを紹介する。1998年の大晦日の午前9時、近所の人であろうか?エプロン姿のお客さんが訪れていた。
#a09:鮮魚センター(1998/12/31撮影)
軽トラ版の魚屋さんもここに載せておく。場所は梅谷呉服店裏、喫茶プリンス前辺りである。 最近では軽トラ版も見掛けなくなった気がする。
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