2019.11.29
 忠海町床浦の国道185号線海沿いにエデンの海パーキング・エリアができたのは1998年4月吉日。この辺りの国道は山を貫いて通っていた。いつの頃だったかは思い出せないが、金網張りの道路の法面が崩れた災害があり補修工事で残されていた一部分にP.Aができた。そのP.A工事中の写真がこれである。1998年正月に訪れた時はトイレと東屋を残すのみで、既に完成していた駐車場や展望台は開放されていた。

 1枚目は東側の忠海高校と送電鉄塔、2枚目と3枚目は正面の記念碑「エデンの海」と作家・高橋玄洋著・筆(忠海高校出身/脚本家・劇作家)による碑の解説である。4枚目は丸太モドキのコンクリート柵の先に見える霞んだ大久野島、最後は西側の山影に覗く電発であり、国土交通省が選定したフォトスボットの1つなのである。
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#04-08:エデンの海P.A(1998/01/03撮影)

  その年のGW帰省時に訪れた時は完成直後だった。小高い山頂にある東屋前にこのようなパノラマ眺望した島々の絵地図パネルが追加設置されていた。GW頃は霞みのせいかクッキリ見える日は少ない。(註:1枚の写真に納まりきらない幅だったので5分割撮影して結合したものを添付)
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#01-02:旧眺望地図(1998/04/28撮影)


  それから2009年までP.Aで撮った写真は見つからなかった。関東から自動車で帰省していので何度もここを通っていたはず。駐車場はフルではなかったが、大抵は展望台の東屋に誰かが弁当持参で長居していたせいで立ち寄らなったのだろう。また、2009年後は背面の山からの眺めのほうが遥かに良かったので、以後P.Aからの眺望写真撮影はしなかったようだ。よって後にも先にも2009年以外はまともな写真はないのである。

  完成から11年が経過した2009年の写真を紹介する。カメラの解像度も高くなり、碑や景色もかなりクリアに撮れる時代となっていた。被写体自体は特に大きな変わりは無いだろうと思っていたが、パネルが御影石の新バージョンに変っていたのをブログ記事書込み時に初めて知る。変わった経緯はもちろん分からない。同様にこれも1枚には収まらず分割撮影されていたのでフォトショで結合してみた。 
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#03:新眺望地図(2009/08/07撮影)


  続いて国土交通省の写真が撮れるパーキング「とるぱ」。パーキングとフォトスポットがセットになった場所でここは34-0009のナンバリングである。
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#a01-a03:とるぱ(2009/08/09撮影)

 

 次はP.A完成日を記念した標である。奥に忠海高校の生徒が清掃しているトイレも確認できる。
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#a04:完成日(2009/08/09撮影)


  高橋玄洋の書である碑「エデンの海」、裏面には寄贈者が掘られている。また、碑の右横に有る高橋玄洋著の説明も拡大版を載せておいた。
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#a05-a07:高橋玄洋による書の碑(2009/08/09撮影)

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#a08-a09:高橋玄洋著による碑の説明(2009/08/09撮影)


  そしてP.Aからの眺めはこのような感じ。180度パノラマであり、真下を覗けば海岸もある。ここから誰が撮ってみても同じようなアングルで同じような被写体の写真となるのである。プロやカメラ趣味オヤジが最高の機材で最高の腕でここから撮れば素晴らしい写真がとなるので、素人が真似しても太刀打ちできないスナップショットばかりとなる。空気感まで写るカールツァイス製レンズなら尚更であろう。
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#a10,11,13,14:エデンの海P.Aからの眺望(2009/08/09撮影)


  2009年の夏、エデンの海P.Aの背面の山頂上にあったカフェ「Belle Vue カフェ エにデンの海」を家族で訪れた際、庭からの眺望の美しさに息を呑んだ。土日しか営業されておらず、エデンの海P.Aから見上げても建物は見えない位置にある。勝手に庭には入ることはできないが、途中までの道ならばこのような写真が素人でも撮れるのだ。それを知ってからはP.Aの東屋まで登ることはなくなった。
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#b01-b04:ベルヴュー下(2011/05/05撮影)


  そこまでしなくてもP.A東側にある忠海高校がロウボート大会で使う海岸に下りれば、このような落ち着いた景色も撮ることができる。
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#c01-c04:忠海高校向いの海岸より(2011/05/05)


  さてなぜ「エデンの海」なのか。その由来には諸説あるようだが1950年に公開された映画「エデンの海」は忠海高校(当時は女子高、1949年に共学となる)が舞台となったことが起源と親から聞いている。小説「エデンの海」(著:若杉慧/1946年)を松竹が映画化したもので、後に日活や東宝が同一題材で2作を制作している。

 忠海高校が舞台となった第1作は、主人公の教師が鶴田浩二、ヒロインの女生徒は藤田泰子。東京から忠海女子高校へ赴任してきた教師と、気が強く自由奔放な女子高生が徐々に惹かれて恋に落ちるストーリーで当時としては爽やかな青春映画であった。

 ロケは忠海高校~忠海駅付近、エデンの海P.A付近の山、海岸と沖である。ヒロインと教師が馬に乗るシーンは、忠海高校の校庭でトラックの荷台を馬に見立てて走らせて撮影された。一般公開でロケされたので私の母は生で撮影中の鶴田浩二を見ており、三原の映画館で鑑賞している。この辺りの海は忠海高校の校歌にもある「味潟海」と呼ばれており、広島出身であったこの小説の作者は楽園のような忠海の景色に惚れてアダムとイブが暮らすエデンの園から小説名を「エデンの海」としたとの説がある。

 昭和時代の竹原に有った映画館「新栄座」(現在は道の駅P)で、当時放映されたかは不明だが、放映後に廃棄されずに保存されていた16mmフィルムが1997年に奇跡的に忠海で見つかり、竹原市民会館で公開上映された経緯がある。これは1950年版ではなく、1954年に新東宝にて再配給された「エデンの海より 青春の告白」のようで、後に松竹にてHDレストアされたものが2013年10月に衛星劇場でTV初放映(再放送含め2回)された。

 私はこのレストア版の放映時に石巻へ出張中であったが、出張先で当日放映されることを偶然に知って開始30分前にケーブルテレビへ追加視聴契約を済ませ、即家族へ電話連絡してギリギリで録画に成功した。画像音声共に状態はかなり悪かったが、国道が未だ通っておらず校庭がそのまま海岸へつながっていたり、木造の倉庫が映っていたことや駅前の大通りなど珍しい映像を目にすることができた。

 2作目は1963年公開(大映)の高橋英樹と和泉雅子、再び忠海高校が舞台でリバイバルとるはずだったが、高度経済成長の波で竹原はロケに適さなかったらしく他の地区へ変ったようだ。3作目は 1976年公開(東宝)で山口百恵と南條豊である。どちらもストーリーやロケ地については竹原とは無関係で調べてはいないが、アマゾンなどで探せば3作目なら購入できるであろう。一応、1作目を録画した証を載せておく。
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#d01-d03,d06:エデンの海より 青春の告白(2013/10/03 CS衛星劇場放映 制作:松竹)