2019.11.28
演歌のタイトルに有りそうな名、この渡逢橋は楠神社向かいの本川に架かる橋である。観光などで新町観光駐車場へ停めたなら保存地区へ近いのでここを利用するであろう。旧日の丸写真館がコースにあれば住吉橋。道の駅Pならばどちらも渡ることは無かろう。
#w01-w02:渡逢橋の銘板(1998/05/04, 2003/08/11撮影)
この橋名の漢字「逢」だが作詞の経験者なら使ってみたい漢字といえる。だが時間や瞬間を「とき」、明日を「みらい」、出航を「たびだち」と読ませたがるフォーク/ニューミュージック系の作詞とは系統が違う。どこそこで「会う」ではなく、バッタリ「遇う」でもなく、ヒドイ目に「遭う」でもない。巡り「逢う」に使われる演歌系の漢字なのである。離れ離れとなった男女が巡り巡って必然的にこの橋を渡って出逢うのである。玉置宏の絶妙なタイミングで曲紹介された演歌が聞こえてこないだろうか?
もしもこの渡逢橋のデザインが、普明閣の欄干風か古庭橋風であったら橋名の由来次第では歴史文化的建造物の仲間入りをしていたに違いない。
この橋の歴史は古い。よく目にする竹原の古い屏風絵地図を見ると本川に架かる橋は、この北にある山陽橋(漢字は未確認)と渡逢橋のたった2本しか描かれていない。省かれた可能性もあるが、如何にも歴史が有りそうな住吉橋さえもなし。
(2019/12/01追記:大正15年地図では未だ番屋橋は無く、その上流の大原産婦人科医院と柿井酒造場前の橋有り。大原産婦人科は林住宅となった後に現在は売地、柿井酒店となって橋は現存するが橋名は不明)
現在、本川に架かる橋を分かる範囲で北から南へ順番に
・橋名不明(中通小へ続く橋、中通へ抜けて更に安田医院へ)
・橋名不明(尾道商店跡地前の橋、中通へ抜けて更にエネオスへ)
・橋名不明(柿井酒店角のT字路に架かる橋)
・橋名不明(林住宅跡地の私有橋)
・番屋橋(大広苑裏の先、江戸時代ここに番屋が有った)
・一本橋(大広苑裏に2003年頃まで有った木製電柱を束ねた橋)
・橋名不明(3本ぐらい木製の私有橋)
・古庭橋(西幼稚園近くに最近できた)
・山陽橋(藤井酒造に近い、最近まで銭湯の地蔵湯が有った)
・渡逢橋(楠神社向い)
・住吉橋(旧日の丸写真館向い)
・新湊橋(道の駅のはす向い、新港橋名の地図もある)
・本川橋(道の駅P向い)
・日本橋(オリオン三叉路を本川側へ)
・八幡橋(礒宮鳥居前の歩道橋下)
・汐入橋(汐入川踏切を渡る前)
・汐入川橋梁(JR呉線)
・扇橋 (汐入川踏切を渡った先、珍しいアーチ状)
・竹原大橋(汐入橋、汐入川橋梁、扇橋の高架/1971年3月建造)
がある。本川の約2.5km区間にこんなに沢山の橋が有りながら歴史ある橋は2本しかない。(註:本川は途中から汐入川のようだ。因みに番屋橋辺りは番屋川、竹中辺りの賀茂川は成井川と呼ばれていた。)
渡逢橋そのものは何の変哲も無いコンクリート製で鉄の欄干だが、ここからの眺めは北側も南側も何だか懐かしさを感じてしまう。特に北側の景色は素晴らしい。緩やかに右へカーブした流れ、鏡面のような緑色の水面に映り込む民家群と空、遠く向こうには朝日山もある。浅そうで深そうで人を寄せたがらない威圧感。そして保存地区とは逆に「変わっていそうで変わらない」謎めいた懐かしさと既視感が漂う写真が撮れるのである。また、向こう側にある山陽橋からの眺めも同様に素晴らしい。この両橋から撮り続けた写真が多量にあるので一部を時系列で紹介する。
****1998年****
#w02:渡逢橋から(1998/05/04撮影)
****2003年****
#w03:山陽橋から(2003/08/10撮影)
****2004年****
#w06:渡逢橋から(2004/05/03撮影)
****2008年****
#w08:渡逢橋から(2008/08/17撮影)
****2010年****
#w09:山陽橋から(2010/08/05/04撮影)
****2011年****
#w10:渡逢橋から(2011/05/04撮影)
****2014年****
#w14-w15:山陽橋から(2014/08/17撮影)
****2015年****
#w16-w18:渡逢橋から(2015/01/03撮影)
****2017年****
#w22:渡逢橋から(2017/08/11撮影)
****2018年****
#w25:渡逢橋から(2018/08/26撮影)
****2019年****
#w26:山陽橋から(2019/05/01撮影)
以上、1998年から2019年まで21年間の定点観測的撮影となった。潮の満ち引き、季節、天気および撮ったカメラで違いは出ているが、21年間が経過しても「変わっていそうで変わらない」謎めいた懐かしさや既視感が漂う場所なのである。
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