2020.01.28

録画したとある番組の途中に竹原らしき場所が登場するCMを見付けた。見ながら歩くトラベルガイドには「安芸の小京都を訪ねて」と読めるサブタイトルが見えるのだが、なぜか場所についての説明が一切されていない。このせいなのか、これまで「安芸の小京都」でネット検索しても数ページめくらないと出てこなかった私の旧ホームページ「安芸の小京都(takehara_photo)」が1ページ目に出るようになっていた。
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#00:トラベルガイド(2019/06/05録画)


そのCMに登場していた格子が、これまで撮ってきたあの古民家の「竹原格子」に近似している。
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#01:あの竹原格子(1997/05/04撮影)
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#02:あの竹原格子(1998/05/06撮影)


また、あのお堂の格子に似たものまで登場していた。
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#03:あのお堂の格子(1998/05/06撮影)

CMでは一切「竹原」の文字は出てこないが、ここまで街の景観や格子が「町並み補残地区」と一致していると、いくら「架空の街という設定」といわれようがロケ地が「竹原」であることを確信せざるを得ない。ではなぜ「竹原」が伏せられているのであろうか。このCMの映像をヒントにロケ地を探しあてるディスカバー・キャンペーンなのだろうか?それさえもCM中では要求されていない。たぶんCMのホームページ側に書かれているのであろう。

もし、私の母親が生前にこのCMを見ていたら「あげーな、つづめがつかんもんの、どこがええんかのぉ~」と言ってたに違いない。因みに古い竹原弁である「つづめがつかん」とは「自分にとっては」に続いて「価値のない」と「くだらない」と「どうでもよい」を混ぜ合わせたようなニュアンスで使われるものである。だが逆に「つづめがつく」と使われることは無い。地元民から見れば「つづめがつかん」ものでも、外側へ晒される場合の外的要因によっては「ええもんに見える」ことがある典型的な例といえよう。


それでは、いつものように撮りためた「あの竹原格子」の写真を載せてみる。まぁ、100年で1mm 削られると言われている「竹原格子」なので 20年の経過程度では 0.2mm すり減ったぐらいの変化しかなかろう。
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#04:あの竹原格子(2003/04/28撮影)

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#05-06:あのお堂の格子(2003/08/10撮影)

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#07-09:あの竹原格子(2005/05/03撮影)

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#10:あのお堂の格子(2015/01/01撮影)

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#11:あの竹原格子(2015/05/03撮影)

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#12:あのお堂の格子(2015/05/04撮影)

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#13:あの竹原格子(2016/01/01撮影)

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#14-15:あのお堂の格子(2016/08/07撮影)

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#16-20:あの竹原格子(2017/05/03撮影)

この「竹原格子」を私や友達はこれがある通学路で「はじめ人間ゴンのマンモスの肉」と呼んでいた。またお堂の格子をズバリ「手裏剣」と呼んでいたのだが、もしかしたら間違えて「しりゅけん」と呼んでいたかもしれない。「仮面の忍者赤影」のテーマソング「手裏剣、しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅしゅ~、赤影はゆく~」で知った忍者の武器で、厚いブリキ板をブリキハサミ切って手裏剣を作っては、知らない民家の塀へ突き刺していた悪ガキだった。

この「はじめ人間ゴンのマンモスの肉」が別の場所にも在るので、探訪者が間違えないよう注意しておく。こちらは一見同じに見えるが、どこにも「ハート」は見当たらない。
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#21-23:あの竹原格子に似たもの(2011/01/03撮影)