「1804 酔景の小庭」では昼間の景色を、「1871 酔景の小庭からの夜景」では夜中の景色を紹介したのだが、追加として「書き忘れていた仕掛け」と川面に映る「薄暮の日の丸寫眞舘」をここに載せておく。最初に紹介した当時、気が付かなかったのか書き忘れていたのかはもう分からないが、実はこの「小庭」には初めて訪れた人に気付いて欲しい「仕掛け」が有ったのである。設計者によるものか設計の依頼者の発案なのかは調べてはいないのだが、ここに広島銀行があった頃には見えなかった普明閣が梅谷呉服店と(旧)日の丸写真館の間に見えるようになった。この斜めの小路はバニシング・ポイント(消失点)にちょうど普明閣が望めるように造られているらしい。
この眺めそのものが「酔う景色」なのかが庭内の説明パネルには書かれておらず、未だ(旧)日の丸写真館や梅谷呉服店が無い塩田から眺めた普明閣のある山の写真のみで、どれが普明閣なのかマークも無い。また、その説明パネルの前では普明閣が(旧)日の丸写真館の裏に隠れて望めない。
この敢えて説明を避けているのが私が言う「仕掛け」としておこう。
初めてここを訪れた人が、先ずは説明パネルを読んだ後で左側の小路上ベンチに座り、もしも隙間に見える古い建築物に気付いたならば「あれが普明閣かねえ?」となるか、どこからでも入れる庭内へ偶然に小路の端から入り、説明パネルを読んで「さっき見えたのが普明閣かのお?」となるのかである。
前者の場合は「酔いしれる景色」を感じる可能性は高いが、後者の関心は普明閣に向かう「斜めの小路」へ比重が高くなるのではなかろうか。私の場合、普明閣は遠くからの眺に酔いしれるものではなく、その舞台から眼下の甍の波、遠くの瀬戸内海、パノラマに広がる朝日山とワンポイントの三井の煙突の眺め、それに心地よく吹き抜ける風に酔いしれるのではと感じている。また、この庭の位置は竹鶴政孝の生家(竹鶴酒造)と実家(現在の桑原医院辺り)の中間点でもあり、ここに「マッサンとリタ」の銅像が建てられていたならば、私はこのベンチに座ってハイボールの缶をすすっていたに違いない。
この眺めそのものが「酔う景色」なのかが庭内の説明パネルには書かれておらず、未だ(旧)日の丸写真館や梅谷呉服店が無い塩田から眺めた普明閣のある山の写真のみで、どれが普明閣なのかマークも無い。また、その説明パネルの前では普明閣が(旧)日の丸写真館の裏に隠れて望めない。
この敢えて説明を避けているのが私が言う「仕掛け」としておこう。
初めてここを訪れた人が、先ずは説明パネルを読んだ後で左側の小路上ベンチに座り、もしも隙間に見える古い建築物に気付いたならば「あれが普明閣かねえ?」となるか、どこからでも入れる庭内へ偶然に小路の端から入り、説明パネルを読んで「さっき見えたのが普明閣かのお?」となるのかである。
前者の場合は「酔いしれる景色」を感じる可能性は高いが、後者の関心は普明閣に向かう「斜めの小路」へ比重が高くなるのではなかろうか。私の場合、普明閣は遠くからの眺に酔いしれるものではなく、その舞台から眼下の甍の波、遠くの瀬戸内海、パノラマに広がる朝日山とワンポイントの三井の煙突の眺め、それに心地よく吹き抜ける風に酔いしれるのではと感じている。また、この庭の位置は竹鶴政孝の生家(竹鶴酒造)と実家(現在の桑原医院辺り)の中間点でもあり、ここに「マッサンとリタ」の銅像が建てられていたならば、私はこのベンチに座ってハイボールの缶をすすっていたに違いない。
撮影月日:2015.12.31
さて、酔いしれる景色が「遠くに望む普明閣」ではないならば、この本川の川面に映る「逆さの日の丸寫眞舘」なのかもしれない。これは本川が逆流する満潮時に限られるので、川面が高くなる大潮であれば最高なのだが真昼の場合も有れば夜中になることもある。その景色を暗くなってから眺めるには庭が真っ暗になっても訪れられるようベンチ付近には夜中に点灯するライトが設置されている。この灯りがあれば、夜中に訪れても不審者か浮浪者に見間違えられず、夜景に酔いしれている訪問者として扱われるであろう。普明閣のライトアップ用タイマがズレていなければ、信号機が雰囲気を壊すのを我慢しながらとなるが「暗闇に浮かぶ普明閣」も味わえるし、柵から川面を覗けば、逆さに映る住吉神社の常夜灯とレトロな日の丸写真舘の怪しい雰囲気に酔いしれることができるのだ。
撮影月日:2016.01.01
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