「道の駅たけはら」オープン当時から設置されているこの丸ポストだが、ずっと飾り的な置物と思っていたら現役のポストだった。この丸ポストが竹原市内にどのくらい残っているかまでは調べてはいないが、かなり前に紹介した忠海町に1本現役を確認している。丸ポストでずっと気になっているのが町並み保存地区にある「町並み保存センター」に1本ある。
撮影月日:2015.12.31


撮影月日:2011.12.30(オープン時の年末)
・・・・これがその丸ポストだ。21世紀になる前に取った画像は、押すと崩れそうなほどに朽ち果てて赤色はサビ色に近くなっており、見ての通り投入口も閉められており郵便の取集はない。21世紀後は、この丸ポストの前に立って家族の記念写真を何枚か撮ってきたが、いつからか別物に挿げ替えられたか、レストア?されたのかデコボコが消えて赤色も鮮やかになっていた。これも「使用不可」等の紙が貼られたしながら、隅っこで少しずつ色褪せてきている。
現役でもないポストが何の説明書きも無く、なぜ、ここにずっと存在しているのか・・・何らかの理由で設置されているのか、それとも固定されず単に置いてあるだけなのか・・・・色を塗り直されたということは前者に違いない。
色々と考えてみた。先ずは町並み保存センターが出来る前はここは何だったのか。微かな記憶ではブロック塀で囲まれた庭のある平屋の家屋があったと思う。ここに法務局が有ったと聞いているのだが、どう見ても普通の民家だった。このブロック塀の前に丸ポストが立っていて、扉のアルミの板をカチカチ左右に動かして遊んでいたのを覚えている。その丸ポストがなぜ廃棄されずにここへモニュメント的に置かれているのか。隣りは初代竹原郵便局跡なので、このレストアした丸ポストをそこへ設置すべきだったのでは?・・とも考えたが、当時と同じ型の「書状集箱」が現役ポストとして設置されている。再利用のタイミングが悪くて行き場を失ったのか、再利用予定があるのか。
もしも昭和30年前後からここに在って現在も現役であれば初代郵便局と同じ郵便事業職歴「一筋60年」なのだが、いつ頃に引退させられたのであろう。もしも人間ならば大工一筋30年、寿司を握って30年で「匠」や「師匠」と言われ、役者や芸術家などであれば40年も一筋ならば先生と崇められ世渡り上手で要領良ければ叙勲対象にもなるのだが、サラリーマン歴一筋40年は成果を出さなければ厄介な置物みたいに扱われるのが現実だろう。この丸ポストを眺めていると何となく自分を当てはめて、それをしみじみと感じてしまう今日この頃なのである。
現役でもないポストが何の説明書きも無く、なぜ、ここにずっと存在しているのか・・・何らかの理由で設置されているのか、それとも固定されず単に置いてあるだけなのか・・・・色を塗り直されたということは前者に違いない。
色々と考えてみた。先ずは町並み保存センターが出来る前はここは何だったのか。微かな記憶ではブロック塀で囲まれた庭のある平屋の家屋があったと思う。ここに法務局が有ったと聞いているのだが、どう見ても普通の民家だった。このブロック塀の前に丸ポストが立っていて、扉のアルミの板をカチカチ左右に動かして遊んでいたのを覚えている。その丸ポストがなぜ廃棄されずにここへモニュメント的に置かれているのか。隣りは初代竹原郵便局跡なので、このレストアした丸ポストをそこへ設置すべきだったのでは?・・とも考えたが、当時と同じ型の「書状集箱」が現役ポストとして設置されている。再利用のタイミングが悪くて行き場を失ったのか、再利用予定があるのか。
もしも昭和30年前後からここに在って現在も現役であれば初代郵便局と同じ郵便事業職歴「一筋60年」なのだが、いつ頃に引退させられたのであろう。もしも人間ならば大工一筋30年、寿司を握って30年で「匠」や「師匠」と言われ、役者や芸術家などであれば40年も一筋ならば先生と崇められ世渡り上手で要領良ければ叙勲対象にもなるのだが、サラリーマン歴一筋40年は成果を出さなければ厄介な置物みたいに扱われるのが現実だろう。この丸ポストを眺めていると何となく自分を当てはめて、それをしみじみと感じてしまう今日この頃なのである。
撮影月日:1998.08.10,3

コメント